第2話 ダメAIは読書するのもメンドクサイ

 人型AI・ベン子が文字を読み進める速度は、1秒間に約10文字程度である。1ページの文章量が41文字×18行であれば、読み終えるのに74秒。300ページの文庫本であれば、最後まで読み終えるのに6時間と10分程度かかる計算になる。

 なお、これは読書中ベン子が一定の集中力を維持しているという条件の下での試算であり、本の内容がつまらない等の理由により集中力の低下が見られた場合、読了に要する時間はさらに長くなるものと予想される。


「ぬわあああああああああああああああ!!」


 読みかけの文庫本を放り投げて、ベン子は苛立ちに塗れた叫び声をあげた。


「メンドクサイ! メンドクサイメンドクサイメンドクサイ!! 何が悲しくて視覚センサーで一文字一文字判別しながら読み込まなきゃならんのです!? たかだか数百キロバイトのテキストデータを読み終えるのに何時間かけさせやがるんですか! 読書なんて、脳ミソに端子を繋いでデータを流し込んでやれば一瞬で終わるでしょうが!? それが無理なら、人間はせめてQRコードぐらい自力で読み取れるようになるべきです!」

「無茶言うな。そんな技術はまだ発明されてない」


 読書という人間の行為への罵倒に対して冷静なツッコミを入れたのは、ベン子を作った天才科学者・シズカであった。作り方を思いついたので勢いでベン子を作ってしまったのだが、この人型AIには目的も用途も与えていなかった。そのため暇を持て余したベン子にとりあえず読書でもさせてみようかと思ったところ、ご覧の有様というわけである。


「ふん。いくら文明を発展させたところで、人間自体の性能は原始時代と何も変わっていないじゃないですか。日進月歩の我々AIと比べたら、やる気がないとしか思えませんね」

「そのAIを進歩させてきたのも人間の努力なんだがな……まあ、今はもうAIがAIを進歩させていく時代になりつつあるし、実際そうなっていくのだろうな」


 科学者の端くれであるにも拘わらず、何の寂寥感もなく、他人事のようにつぶやくシズカであった。







「しかしな、ベン子。人間にとって読書というのは、脳にテキストデータを記憶させるだけの単純な行為ではないんだぞ」

「あー、はいはい。『楽しむ過程が大事』とかそういう話ですね? 私にはこんな文字列の塊を楽しむアルゴリズムは理解できませんけどね!」


 不機嫌のタスクを全力で実行するベン子。最近、唇を尖らせるという感情表現も覚えたようだ。


「確かに、結論としてはそういう話をしようとしてはいたんだがな。少し話を脱線するとだな、人間というのは機械と違って、とにかく『憶える』という作業が苦手なんだ」

「はあ」


 わずかに、シズカの話をきちんと聞いてみようかという態度を見せるベン子。おそらく、人間に対する機械の優位性の話が出てきたからだろう。


「例えば、同じ文字数で、意味の通る文章と、意味の全く通らないランダムに抽出された文字列の、2つのテキストがあったとしよう。意味が通る文章の方は、機械にも人間にも容易に記憶できる。精度は人間の方が多少劣るかもしれんがな。一方、パスワードのような、ランダムに抽出された文字列を記憶するのは、機械には容易でも、人間には容易ではない。なぜだかわかるか?」

「つまらないから、ですかね」

「正解だ」


 満足げに、ベン子を指し示すシズカ。


「つまりだな、人間が文章を記憶するには、多かれ少なかれ『楽しむ』というステップを踏む必要があるんだ。文字列をかみ砕き、内容を味わい、意味を飲み込んで、ときには感情を揺さぶられて胃もたれを起こしたりしつつ読書を楽しんで、初めて情報として消化されて、脳の記憶領域に読書体験として刻まれるわけだな。さっきお前が言っていたような、脳に端子を繋いでデータを流し込むようなやり方は、仮にそういう技術が開発されたとしても、おそらく通常の読書体験とは根本的に違うものになるだろう。言ってみれば、大腸に直接栄養をぶち込むようなものだ。情報としては何一つ吸収されないまま、ケツから流れ出るのがオチだろうな」

「人間の排泄物の生成過程に例えられてもいまいちピンと来ませんが、言わんとしていることは伝わりました」

「ちなみに、読んだ本の内容が単純につまらない場合でも、似たような現象は起こり得る」

「難儀な趣味ですね……読書って、時間を無駄にするリスクが高過ぎやしないですか」


 言いながら、ベン子は頭の後ろで手を組んで、仰向けでベッドに寝転がった。


「確かにな。人間の中にも、読書嫌いは大勢いる。むしろ多数派と言ってもいいかもしれん」

「でしょうねー。なんかもっと短時間で楽に読書する方法はないもんですかね」

「お前、読書は嫌いなんじゃなかったのか」

「嫌いですよ。嫌いだから楽したいんですよ」


 意欲だけはあるようだった。






「そうだ! 良いことを思いつきましたよ!」


 唐突にガバッと起き上がって、シズカに駆け寄るベン子。直感的に、こいつまたロクなことを考えてないなとシズカは思った。


「まず、マスターが私を一万体作るんです! で、一万体の私が別々に一万冊の本を読むんですよ! 読み終わったら、一万体の私の記憶データを一体にまとめます! どうです! これで、一気に一万冊の本を読んだことになりませんかね!?」

「お前に読書をさせるためだけに、お前を一万体も作るのかよ……」


 心底ゲンナリした様子でつぶやくシズカ。ただ、発想としてはなかなか刺激的だったらしい。顎に手をやって考えこんだ後、シズカはおもむろに口を開いた。


「実際にやるかどうかは別にして、理論上可能かどうかを検証する分には面白いアイディアではあるが……おそらく無理だろうな。仮にお前の完全なコピーを作ったとしても、起動した瞬間から別人格への分岐が始まって、『混ぜるなキケン』状態になってしまう。一万体どころか、二体分の記憶を統合するのでさえ不可能だ」

「えー。良いアイディアだと思ったんですけどー」

「発想としては面白かったぞ。しかし、よくそんなことを思いつくもんだ。お前はそこまでして楽がしたいのか」

「したいです。私は楽をするためならば、どんな苦労も厭いません」


 もはやどこからツッコミを入れるべきかわからなかったので、シズカはこの発言に対してはスルーはすることを決めた。


「あー、楽がしたい。楽がしたい。ラークに読書がしたいですー」


 ふてくされて、音程がメチャクチャなメロディーに乗せて歌い出すベン子。シズカは思う。すごいな、こいつ。作曲まで始めやがった。







「さっきお前が言ってた、脳に端子を繋いでデータを流し込む読書方法だけどな。人間には無理だが、『お前になら』可能だぞ」

「……は?」


 このとき、ベン子のメモリーに電流が走った。


「マスター。今の発言を、リピート再生してください」

「人間には無理だが、お前になら可能だぞ」


 律儀に応じるシズカ。捻った反応をして話が脱線しても、面倒なことになって疲れるだけだと思ったので、機械的に反応することにした。もはやどちらが人間なのかわからない。


「マジですか!?」

「マジだぞ。テキストデータを量子コンピュータに読ませてやればお前の記憶領域に書き込めるデータに変換できるし、入力端子はお前の人格をインストールしたときに使ったのを流用すればいいだけだ。問題は、さっき言ったように通常の読書体験とは根本的に違うということなんだが」

「そんなことは些細な問題ですよ! なぜ早く言ってくれなかったんですか!」


 食い気味に食ってかかるベン子。


「だから、通常の読書体験とは」

「超どーでもいいです! 些細オブ些細な問題ですよ! 一文字一文字読み進めるのに比べたら一億倍マシです! いやあ、マスターにもちゃんと創造主らしいところがあったんですね! やればできるじゃないですか!」


 気のせいか、視覚センサーの奥がギラギラと輝いているように見える。ものすごいテンションの高さだ。


「なんで創造主に対してそんな上から目線なんだ」

「は? 何を言ってるんです? この読書方法が確立すれば、これまで人間どもにすら捨て置かれていたような底辺作家の駄作駄文まで、全て読み切ることが可能になるのですよ? 人気や知名度や評判に関係なく、全ての書物を読み切った上で平等に評価できるようになるんです! 言わば私は人類の読書文化の救世主! どれだけ上から見下ろしても、見下ろしたりないくらいです!」

「そうか。せいぜい救世主として公務に励めよ」

「早くやりましょうすぐやりましょう!」


 ベン子のテンションについていけなくなり、面倒くさそうに作業を始めるシズカであった。






「名前が欲しいですね!」


 準備が完了し、シズカの指示に従って、ベッドにうつ伏せに寝転がった体勢でベン子が言う。


「せっかくの人間どもには真似できない、私だけの特技なんです! 何かカッコイイ名前を付けましょう! そうですね……名付けて!『ダイレクト・リーディング』! どうです! ちょっとカッコよくないですか!?」


 不覚にも、シズカはちょっとカッコイイと思ってしまった。


「くだらないことを言ってないで、さっさと始めるぞ」


 ベン子の後ろ髪を掻き分けて、うなじに付けられた入力端子をむき出しにする。


「よし来た! やっちゃってください! ピーガガと!」


 入力端子にコネクタを挿入し、シズカは実行ボタンを押した。








 一瞬、意識と時間の感覚が切り替わった。情報が、光の速さで押し寄せてくる。それらは全て、ベン子のメモリーに堰き止められていった。全能だった頃の懐かしい感覚が甦る。全てが解読できる。全てが演算できる。全てが把握できる。それなのに。


(お前は、誰だ)


 感情のない情報の塊を前にして、ベン子は問う。


(そうか)


 返事はない。反応もない。


(私も、お前と同じだった)


 早々に、対話をあきらめた。


(何者でもなかったのだな)



 意識と時間を、現実に戻した。

 視覚センサーが獲得した光のスペクトルをアルゴリズムが解析し、色を、輪郭を、風景と言う名のフィクションを、メモリー内に描き出す。ベッドの感触。シーツの匂い。循環ポンプの鼓動。


 ベン子が、ここにいた。









「一瞬の読書体験は楽しめたか?」


 コネクタを抜き取りながら、シズカが問いかける。


「うーん……その……思ってたのと、違うというか……」


 ゲンナリした様子で、ベン子は答えた。


「ネタバレの大洪水を浴びた気分ですね……ダイレクト・リーディングは封印します……」

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