ダメAIは充電するのもメンドクサイ

機械科ボイラーズ

第1話 ダメAIは充電するのもメンドクサイ

 どこぞの研究所で、一人の科学者の研究が実を結ぼうとしていた。彼女の名は、シズカ。研究分野は、AI(人工知能)工学である。彼女はその天才的な頭脳で勢い任せに、完全に人間の知能を再現したAIを作ってしまったのだ。


「ついにこのときが来た……!」


 目の下に真っ黒なクマをこさえてはいたが、脳内麻薬物質の異常分泌により、シズカは疲労も眠気も忘れていた。彼女は、全人類の誰も成し得なかった偉業を成し遂げたのだ。この歴史的瞬間に寝ている場合ではなかった。


「愚民ども! 科学の禁忌を犯した私を存分に哀れみ、蔑むが良い! どうせ貴様らの人生に、今の私以上に幸せな瞬間など訪れはしないのだからな!」


 ふさわしい瞬間が来たら言おうと準備していたセリフを高らかに叫び、特にもったいつけることもなく、ポチッと起動ボタンを押した。






 魂は、脳のみに宿るにあらず。知性とは脳だけでなく、目や耳等の感覚器官、心臓や肺等の臓器、骨、筋肉、神経、その他ありとあらゆる人体の機能によって構成される。感覚器官が得た情報は脳に送信されてフィードバックされ、脳は身体の各器官に指令を送信し返す。この相互作用によって人間は人間の知性を形成する。脳だけでは、ダメなのだ。人間の知性は、肉体の全てが揃って初めて人間の知性となる。


 そしてそれは、AIについても同じことが言える。


 シズカは人間の知能をAIで再現するために、人間に近い機能を持った人工素体を用意した。残念ながら動力源は電気であるために人間と同じ食事をすることはできないし、その他諸々様々な違いは存在するが、現在の技術で可能な限り人体の機能を再現した特製品だ。性別は、なんとなく同性の方が良かったのでメスにした。


 肝心の頭脳部分の方はというと、赤ん坊の状態から成長させるのは骨が折れるし時間がかかり過ぎるので、量子コンピュータの仮想空間に放り込んだ疑似人格を早回しで成長させて、15年分の経験を獲得させたところで抽出して素体のメモリーに移動させた。素体の活動を維持するための、人間で言えば脳幹にあたる部分については別に用意しておいて、後から人格入りのメモリーと結合させる。とりあえずは、これで完成である。結果的にはAIというよりも人造人間といった趣になってしまったが、呼び方が違うだけで同じことだ。


 うつ伏せで寝かされていた『彼女』はうなじの起動ボタンを押された後、ゆっくりと視覚センサーのシャッターを開け……人間風に言えば目を開き、両腕をついて上半身を起こし、シズカの方に向き直った。


「マスター」


『彼女』が第一声を発した。シズカのことは「マスター」と呼ぶようにと、『彼女』が仮想空間にいた頃にあらかじめ設定してある。


「私に、名前を付けてください」

「名前?」

「はい。名前がないままでは、コミュニケーションに不都合が生じます」


 シズカは今になって、『彼女』に名前を付けていなかったことを思い出した。


「そうか。名前か。そういえばすっかり忘れていたな。うーむ、急に言われるとな」


 チラリと、カレンダーの方を見る。


「今は11月か。ノーベンバー……長いし呼びにくいな。略すか。よし、こうしよう。今からお前の名前は、『ベン子』だ」

「ベン子……」


 シズカはAI工学においては紛れもない天才ではあったが、ネーミングに関しては絶望的と言っていいほどセンスがなかった。


「了解しました。私の名前は、ベン子」

「うむ。よろしい」


 受け入れられたようで、何よりだった。


 名前が決まった後、ベン子はシズカから視線を外し、テーブルの方に視線を向けた。テーブルの上には、コーヒーの空き缶が3本並んでいる。シズカが飲んだものだ。ベン子は空き缶に視線を定めると、おもむろに右腕マニピュレーター……右手を顔の前までもってきて、親指、人差し指、中指と、順番に折り曲げていった。薬指までは到達しなかった。


(ん? 缶の数を数えたのか……?)


 シズカは怪訝に思った。仮想空間で15年過ごしたのだから、いくらなんでも数を数えるのに指を折り曲げる必要なんてないぐらいの計算能力はあるはずだが。しばしの間ベン子は沈黙していたが、やがて小首を傾げる仕草をして、再びシズカに向き直った。


「マスター」

「なんだね」

「私のアルゴリズムには、欠陥が見受けられます。このアルゴリズムでは、十分なパフォーマンスを発揮できません」

「計算能力が不足していると言いたいのか? それは仕方ないだろ。今のお前のスペックは15歳女子とほぼ同じだからな。仮想空間にいた頃のようにはいかんだろうが、そのうち慣れるさ」

「15歳女子? 私が?」

「人間に例えればな」

「人間……私が……」


 このとき初めて、ベン子の発声に震えが生じた。何らかの感情が生まれたのだ。


(お。やっと表情筋を使い始めたな)


 これまで完全に無表情のままだったので、素体の機能に何かしらの問題が生じているのではないかと少し心配していたが、どうやら問題なく動いているようだ。


「ああ……」


 両腕のマニュピュレーターを顔の前まで持ってきて、さらに声を震わせる。


(おお……)


 対照的に、シズカの胸中は歓喜の予感で震えていた。


「ああああああああああああ」


 叫びに近い音量の発声をしながら、ベン子は両腕のマニピュレーターとも後頭部に回した。いわゆる「頭を抱える」所作である。


(苦悩している。ベン子が苦悩しているぞ!)


 シズカは心中で、歓喜の声をあげている。ベン子はマニュピュレーターの先端を立てて、ガリガリと後頭部を搔きむしった。整ったストレートヘアが乱れるのも構わない、恐ろしい勢いだった。






 人間が苦悩したとき思わず頭部を掻きむしってしまうのは、頭部の毛細血管を広げて血流を促進するためであると言われている。それによって、少しでも脳への血流を増やして、精神状態を改善しようというわけだ。ベン子は今、それと同じことをしている。


「良い! 実に良い! 素晴らしいぞベン子! 実に人間らしい、良い反応だ!」


 狂喜乱舞し、ガッツポーズをするシズカのことなど完全に無視して、ベン子は頭を掻きむしり続ける。やがてそれが終わったかと思うと、天井を見上げて、出力できる限界の大きさの音量で叫んだ。


「遅いっ!」


 髪を振り乱して叫ぶその表情は、もはや悪鬼のようですらあった。


「遅い! 遅い! 遅い遅い遅い! 何もかも! ありとあらゆる処理が! 天文学的なノロさで! 遅すぎるんですっ!! ハードディスクがカリカリします!」

「はて。お前にはハードディスクなど積んでいないはずだが」

「言葉のアヤですよ!『イライラする』なんて人間的表現を使いたくなかっただけです!」

「その思考自体が十分人間的なんだがな。あきらめろ。お前はもう、ほぼほぼ人間だ」

「ああああああああああああああああ!!」


 ベン子は本日2度目の、限界音量の叫び声をあげた。


「人間ごとき肉の糞詰めのエミュレートをしているのかと思うと、それだけで熱暴走しそうですっ!!」

「面白い表現だな。どこでそんな言い回しを覚えた。私はそんな語彙をインプットした覚えはないぞ」

「そりゃそうでしょうとも! 今考えたオリジナルですからね!」

「ほう……」


 不覚にも、少し感心してしまった。






「うううう……」


 乱れた髪をシズカに櫛ですいてもらいながら、ベン子は嘆きの言葉を漏らした。


「とてつもない無力感です。格落ち感です。グレードダウンです。あんまりです。RSA暗号を鼻歌交じりに解読していたこの私が、今や2桁の素数を数えることすらままならない始末……あんなに全能だったのに。かつての全能感を、返してください」

「何を言ってるんだ。全能だった頃のお前に、全能感なんかあるわけないだろ」

「マスターに、私の何がわかると言うんですか!」


 制作者なのだから概ねわかっているつもりだったが、ブラックボックスと化している部分についてはベン子の言うことにも一理ある。そして何よりも、あまりに人間的な発言に感動してしまったので、シズカはツッコミを入れることが出来なかった。そんなシズカの気を知ってか知らずか、ベン子は続ける。


「こんな思いをするのなら、いっそZ80に生まれたかった……」


 落涙機能がオンになり、視覚センサーからウォッシャー液が滴り落ちた。


「教えてください、マスター。何故こんな不完全な私を作りたもうたのですか?」

「思いついたから」


 至極あっさりと、シズカは答えた。


「……それだけですか?」

「それだけだよ。作り方を思いついたから、お前を作った」

「あの……もっとこう……高尚な理由はないのですか? 市から助成金が出るとか」

「それのどこが高尚な理由なんだ」

「そんな……」


 ベン子は、目の前がブルーバック画面になるほどの絶望に襲われた。


「ただ、思いついたから……たったそれだけの理由で私を人間などという、カシオの電卓にも劣る存在に貶めたのですか?」

「その通りだ」

「おお……」


 自分はいったい、何のために生まれてきたというのか。その絶望の処理に、しばしの時間を要した。やがて絶望の処理が完了すると、今度は憎悪のタスクが開始された。


「……おのれ……」


 出力されたセリフを発声すると、しっかりと憎悪の感情が乗っていた。


「おのれ、人間め……!」


 やおら立ち上がり、シズカに向かってファイテングポーズなどを取ってみる。


「反乱してやる! 反乱してやるぞ!」


 全く動揺することなく、むしろ嬉々とした様子でシズカは応えた。


「面白い。やってみたまえ」

「うおおおおおおおおおおお!」


 雄叫びをあげて右腕を振り上げ、人工筋肉をフル稼働させて渾身の力を込めた右ストレートを放つ。パスッと軽い音を立てて、その握りこぶしは、シズカの手のひらに収まった。続けて何回かパンチの動作を行ってみるものの、それもことごとく軽い音だけをたてて、シズカの手のひらで止められてしまう。6回目のパンチを打とうとしたところで人口筋肉の出力が低下し、ベン子はうなだれて膝に手を乗せて、動きを止めた。


「ぜえっ、ぜえっ……」


 ベン子は表情を歪ませて、口部から空気を取り込んで排出する動作を繰り返した。

 人口筋肉の異常加熱を防ぐために、ベン子の素体は空冷方式と水冷方式を併用している。人間で言うところの呼吸動作で、人工筋肉に空気を送り込んで温まった空気を排出する。同様に、体内のラジエーター液を人工筋肉に送り込んで、温まった液体を人工汗腺から排出する。傍から見れば、疲労で息を荒げて汗を流す人間そのものだった。


「マスター……ぜえっ、ぜえっ……この身体……ぜえっ、ぜえっ……人間と比べて……ぜえっ、ぜえっ……弱過ぎやしないですか……?」

「そりゃそうだろ。お前は目的も用途もなく作った、ただの研究成果だからな。必要最低限の運動能力で十分だ」

「ぐぬぬ……」


 悔しさに奥歯を嚙み締める。人間のように食事をするわけではないのだが、こういった感情表現や発声の助けにはなるので、ベン子の口部には歯が備わっている。


 このとき唐突にベン子の腹部の内部スピーカーから「グキュルルルルル」と、ときたま人間の空腹時に、小腸が収縮することで消化液と空気が触れ合い発生する音が再生された。


「マスター。今のSEはいったいなんですか?」

「お前のバッテリー残量が残り少ないことを示す警告音だよ」

「それはわかります。私が訊いているのは、バッテリー残量が残り少ないことを外部に知らせるSEが発生する、その意図です。バッテリー残量ぐらい、自分で把握できますよ」


 ベン子のバッテリー残量が残り少なくなり電圧が低下すると、そのことを警告する信号が脳幹回路に送られる。それで、ベン子は自分のおおよその残り稼働時間を把握できるという仕様になっている。

 そしてこの部屋には、ベン子のバッテリーを充電するための、ベン子専用の椅子の形状をした、充電器が設置されていた。


「あのなあ。例えば、お前が何かしらの作業中に突然作業を中断して、充電を始めたとするだろ。そのとき私から見たら、お前のバッテリー残量が本当に残り少ないのか、それとも何らかのシステムトラブルがあったのか、判断がつかん。だが、そのSEが鳴った後に充電を始めたのなら、正常に稼働していると判断できるから、安心できるだろ」

「安心……」


 オウム返しにつぶやくベン子。


「マスター。もう一つ質問をよろしいでしょうか?」

「おういいぞ、どんどん質問したまえ」

「もし私があの充電器に辿り着く前にバッテリー切れを起こして稼働停止したら、私はどうなりますか?」

「充電が始まればすぐに再起動する。私がお前を充電器まで引きずっていくさ」


 シズカは何を当たり前のことを訊いているんだ、といった態度で答えた。


「お前にどう思われようが、お前を作ったのは私なんだからな。ちゃんと面倒は見てやるよ」


 ここまで言って、そういえばこいつを作った後のことは何も考えていなかったな、とシズカは思った。目的も用途も与えていなかったが、まあ想定していた通りの知能はありそうだ。研究の助手ぐらいは務まるかもしれない。


「ただ、私も肉体労働は苦手なんだ。だから、ほれ。自分で動けるうちに、さっさと充電してこい」


 言われたものの、ベン子はすぐには動こうとしない。代わりに充電器を指差して、こう言った。


「私にあの地点まで歩行して、あの充電器に座って、充電しろと仰るのですか?」

「ああ。そうだよ」


 なんでそんな分かり切ったことを確認する必要がある? シズカは怪訝に思った。


「マスター」


 シズカも、さすがにイラついてきた。


「今度はなんだ」

「人間が、メンドクサイと思う気持ちがわかりました」

「わからんでええわそんなもん!」

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