第10話

 土曜日の朝。キッチンからはトントン、とリズムの良い包丁の音。外からはスズメ達の鳴き声が聞こえ、驚くほど理想的な朝の目覚め方だった。 


「あ、剣真おはよー! もう起きてたんだー。もうすぐ朝ごはんできるから、早く顔洗ってきたら?」


 制服にエプロン姿のロコが、寝室まで俺を起こしに来てくれた。

 肩まで長い、栗色に近い茶髪を、今は頭の後ろで結っている。

 その姿はまるで女子高生・新妻にいづまといった感じで、つい見惚みとれてしまう。

 恥ずかしくて本人には絶対に言えないが。


「剣真聞いてるー? ......おや〜? さては朝からお姉ちゃんの魅力に気づいちゃった〜?」


 俺の考えを見透みすかしていたかのように、ロコは口に手を当て、ニヤニヤとした表情を浮かべている。


「バ、バカ! 朝から大人をからかうんじゃねぇよ!」

「は〜い☆」


 軽く鼻を鳴らしてから、ロコはキッチンの方へと戻っていった。

 完全に元・飼い犬......じゃなくてJKにナメられているが......悪い気はしなかった。

 気心知きごころしれた家族の会話みたいで。

 俺はベッドからゆっくりと起き上がり立ち上がると、洗面所のあるお風呂に。


 まだ少しぼーっとした頭で顔を数回洗い、タオルで水をふき取った時に、ふと思った。

 朝、誰かに直接起こしてもらったのなんて久しぶりだな......。

 生前せいぜん、母が元気だった頃は毎朝起こしてもらっていた。

 子供の頃から続くそのルーティーンは、いつまでも続くものだと勝手に思い込んでいた。

 だがそれは、突然終わりをげた。


「......いかんいかん。ついまた思考しこうがネガティブな方向に......」


 不安を吹き飛ばすように俺は顔をバシバシと叩き、気持ちを切り替えて洗面所を後にした。


「朝ごはんはおにぎりか......」


 リビングに入ると、テーブルの上にはおにぎりが用意されていた。

 しかもおにぎりの横には一緒にたくあんも用意されており。まさに日本の定番の朝ごはんという感じだ。


「そうだよ☆ ......ひょっとして、朝はパンの方が良かった?」


 いい匂いのする味噌汁みそしるを両手に持ち、ロコがキッチンから戻ってくる。


「いや、そうじゃなくて。俺が今の仕事を始めたばかりの頃、母さんが毎朝、よくおにぎりを作ってくれてたなぁって思い出して」

「そうなんだ......」

「悪いな。なんか再会してから母さんの話ばかりして」

「そんなことないよ。私は、私がいない間の剣真とママさんの話が聞けて嬉しいかな」


 そう言ってロコは俺に優しく微笑ほほえむ。


「......さぁ、早く食べちゃおう。剣真、今日も仕事なんでしょ?」

「そうだった。それじゃ、いただきます!」

「いただきます!」


 俺とロコは両手を合わせて、お行儀ぎょうぎよく『いただきます』をした。

 ちなみに今日の味噌汁の具は玉ねぎとわかめ。

 俺の大好きな味噌汁の具のベストマッチコンビだ。

 一口すすると、口の中に玉ねぎの甘味とわかめの風味が広がり、寝起きの胃袋が目覚めていくのが知覚ちかくできた。


「どう? 本日のお味噌汁も美味しいでしょ?」


 幸せそうにおにぎりを頬張ほおばりながら、ロコは俺に訊いてくる。

 にしてもこのおにぎり......俺の拳一個分はあるんじゃないだろうか。


「そうだな......ていうかそのおにぎり、デカすぎだろ」

「このくらい普通だし。朝はしっかり食べとかないと私、昼までたないんだよね」


 若いから消化がいいのか。それとも元々もともとの体質的なものなのかは、分からない。

 そしてもうすでに一個目のおにぎりを食べ終わろうとしている。

 朝からがっつり食べられるロコがうらやましい。


「あ、多かったら全然残しても大丈夫だから。そしたらその分は、私のお昼ごはんってことで持って帰るから」


 その様子だと、お前がほとんど食べて残らないんじゃないか? と言いそうになったが、仮にもロコはJK。年頃の女の子だ。

 いくら相手がロコでも、それを言ってしまったら男として最低だと思い、俺はその言葉をそっと胸の奥にしまった。


 朝からよく食べるところも、本当に前世の時から変わってないなぁ......。


 前世のロコは我が家に来た当初から、とにかく食欲旺盛しょくよくおうせいだった。

 それもあり、1歳にして適正体重てきせいたいじゅうをオーバー。

 このままだと病気になる可能性が高いと獣医に警告され、あわてて食事制限を開始した。


「もっと食べたい! よこせ!」


 と、鼻を鳴らしながら涙ながらに何度もうったえかけてくるロコに、俺と母さんは心を鬼にして絶えたっけ。

 結果、短期間でロコザップに成功することができた。


「......? 私の顔になんか付いてる?」

「いや......別に」

「ふ〜ん。変な剣真」


 俺からの視線にロコは気づいて、一旦いったん食べるのをやめた。

 そして何でもないことが確認できると、また幸せそうに食べ始める。

 ロコに全部食べらる前に、俺ももう一個くらい食べるか......。




 時刻は7時過ぎ。朝食を済ませた俺達は、外出する準備を始めた。

 学校が休みのロコはともかく、家主の俺は土曜日も普通に仕事なので、一緒に出ることに。

 いつも通り仕事用のスーツに着替え、玄関前に行くと、ロコも準備万端じゅんびばんたんという感じで俺を待っていた。


「忘れ物はないな?」

「大丈夫! あったとしても、今日の夕方に取りにくればいいし」


 ロコにそう言われて、俺はそこで肝心かんじんなこと気づき。慌てて自身のスマートフォンを取り出した。

 危うくロコをまた外で待たせるところだった。


「!? そうだった......ロコ、スマホ出せ」

「スマホ? いいけど、どうしたの?」

「連絡先の交換だよ。昨日みたいに連絡取れないと何かと不便ふべんだろ?」

「あ〜! 確かに!」


 リュックの中からスマートフォンを取り出すと、ロコは俺のスマートフォンに表示されたQRコードを読取った。

 そういえば俺と再会してから、ロコが俺の目の前でスマホを使っている姿をほとんど見ていないような気が。


「......ぷっ! 『ブレイド』って何!? 剣真ってブレイドってあだ名なの? 厨二病ちゅうにびょうをこじらせてる人みたい!」


 メッセージアプリに登録されている俺の名前を見た途端、ロコは爆笑した。

 『ブレイド』とは、昔からの仲間がつけてくれたニックネームで、今でも奴らからはそう呼ばれている。


「うるせー! 剣真の『剣』から取って『ブレイド』なんだとよ! これでも結構気に入ってんだからバカにすんな!」

「ごめんごめん......でも......ぷぷっ!」


 余程よほどロコのツボにハマったのか、目に涙を溜めて笑っている元・愛犬。

 JKの姿でなければ、今すぐどつきたい。

 虐待ぎゃくたいにならない程度に。

 そんな彼女を横目に、俺は自宅のカギを一個、取り外した。


「あとこれも渡しとく。ほらっ」

「――え? ......これって.........」


 俺から手渡された物を見て、ロコは軽く肩を揺らし、小さく驚きの声を上げた。


「この部屋の合いカギだ。昨日みたいに改札前でずっと待たれても不安だし。だったら俺が帰ってくるタイミングに合わせて、部屋で夕飯作って待っててくれた方が安全だろ」


 ロコの瞳からつーっ、と涙がこぼれる。

 昨日の夜のお返しだ。


「......そんな顔すんなって。効率を考えたら、その方が絶対いいからな......」

「......うん。ありがとう、剣真......」


 涙を両手の人差し指で拭きとると、目を細めて、満面まんめんの笑みで微笑んだ。

 再会してまだ二日だというのに、笑ったり、怒ったり、泣いたりと、JKになっても感情表現が豊かな奴だな......。


 こうして、俺と元・愛犬かぞくJKとの、予想もしなかった半同棲生活はんどうせいせいかつが始まった。



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