第9話

「......うぷっ。一気に食べ過ぎた」

「あんな早食いするからだよ。......はい、お茶どうぞ」


 呆れた表情のロコから、湯呑ゆのみに入った暖かいお茶を頂く。

 一口飲むと、緑茶特有の香りと苦味が口の中いっぱいに広がり、心を落ち着かせる。

 店舗てんぽ営業兼配送えいぎょうけんはいそうで来ているお茶屋さんからもらった特別な茶葉だけに、一般で売られている茶葉とは違った美味さ・深さがある......と思う。


「せっかく剣真けんまの大好物作ってあげたのに......もう作ってあげないから」

「だから悪かったって」


 ロコの機嫌が悪くなるのも無理はない。

 結局あの後俺は、ほとんど味わう余裕もなく、勢いそのままに夕飯を一気にたいらげてしまった。

 いろんな感情を誤魔化ごまかす為とはいえ、自分でも反省、いや猛省もうせいしている。


「――なーんて。ウソ。冗談でしたー」


 昨日も見せた、ウインクして舌を出す、『てへぺろ』的な表情で俺をからかうロコ。


「なんだ冗談かよ......本気かと思った」

「本気なわけないじゃん。でも、次にまたあんなことしたら、本当に怒るからね?」

「あぁ。もう絶対にあんなことはしない。作ってくれるロコに申し訳ないからな」

「ならよろしい」


 そう言ってうなづくと、ロコはあぐらをやめ、突然正座をし始めた。


「......あのさ、剣真にお願いがあるんだけど」

「どうした? 急に改まって」


 神妙しんみょうな表情のロコに俺は何事かと思い、少しばかり身構みがまえる。


「――今晩、ここに泊まっていい?」


 聞き間違いだろうか。今、ここに泊まっていい? って言ったような......。


「......悪い、今なんて――」

「だーかーらー! 今晩剣真の家に泊まっていいかって訊いてるのー!」

「おまっ!? 何を!?」


 突然のギャルJKのお泊り宣言に、俺は顔を真っ赤にしてしまう。


「だって、まだまだ全然話し足りないし。それに今晩、両親二人共帰ってこないんだよね......ダメかな?」

「いやいや! ダメとか以前に法律的にマズイだろ!」

「なんで? 私と剣真は家族じゃん。それともペットと飼い主?」

「元を付けろ、元を! ......て、そういう問題じゃなくて! 確かに家族は家族だけど――」

「じゃあOKってことで! よろしくー☆」


 いかん......完全に話しがロコのペースになっている。


「第一、お前着替えはどうするんだよ。制服のまま寝るのか?」

「その点は大丈夫。ちゃんと着替えはもってきたから」


 そう言って通学用と思わしきリュックから、スウェットを取り出す。

 今のロコに似合いそうなピンクと紫のがらで、いかにもギャルの寝間着という代物しろものだ。


「ちなみに、他のお泊りに必要な物も持ってきたから。お気遣きづかいなくー☆」


 こいつ......最初からここに泊まる気で来やがったな?


 ロコは一度『こう!』と決めたら、自分の意思をなかなか曲げない。

 昔、散歩をしていた時も、自分の気に入らない道は絶対に通らなかった。

 無理に連れて行こうと引っ張っても、しゃがんで足に力を入れ、全く動こうとしなかった。

 そうなってしまった以上、彼女の意思を変えることは難しそうだ。

 俺は嘆息たんそくすると、敗北を宣言することにした。


「――分かった。俺の負けだ。泊まっていいぞ」

「やった! ありがとう剣真ー!」


 嬉しそうにロコは俺に抱きついてくる。

 相手がいくらギャルなJKの姿をしたロコだと分かっていても、上半身の女性のふくらんだ部分を押しつけられると、やはり興奮してしまう。

 しかも化粧けしょうとも香水とも違う、『未成年の女子独特のいい香り』が俺の鼻を刺激し、自制心じせいしんの扉をこじ開けようとしている。


「......その代わり、両親にはちゃんと連絡入れろ。あと明日の朝ご飯はロコが作ること......いいな?」

「了解! お姉ちゃんに任せてよー♪」


 更に身体をぐいぐい、と押しつけてくるロコ。

 昨日抱きつかれた時にも思ったんだが、ロコはどうやら着痩きやせするタイプらしい。


「そういやロコ。お前、明日学校は? まさかここから行くのか?」

「何言ってんの剣真。明日は土曜日。休みに決まってんじゃん☆」


 ロコとの思いも寄らなかった再会で、俺は完全に曜日感覚を失っていた。

 それくらい、彼女との再会は、俺にとってとんでもなく衝撃的な出来事だったということだ。




「いいか? もう電気消すぞ?」

「え〜! あと少しだけでいいから、まだ話そうよ〜」

「俺は明日も朝から仕事なんだよ。女子高生に付き合ってたら、こっちの身がもたん」


 問答無用もんどうむようで俺は、ベッドの上からリモコンで寝室しんしつの照明を消した。

 ロコからのお泊まり宣言の後、お互いの昔話で盛り上がっていたら、気づけば時刻は深夜1時を回っていた。


「剣真って、意外と体力ない感じ?」

「体力とかの問題じゃなくて。人間20歳を過ぎると、徐々じょじょに未成年の時みたいに気軽に無茶できる身体じゃなくなってくるんだよ」

「......要するに剣真はもうおじさんだと」

「おじさん言うな。......でも、女子高生から見たら俺は十分おじさんか」

「何自分で否定ひていして自分で納得してんの」


 床にかれた布団ふとんの上で、くすくすとロコは笑った。


「この布団......ママさんの匂いがして落ち着くね......」

「そりゃそうだろ。なんたってそのママさんが生前使ってた布団だからな」


 ロコが今入っている布団、それは母さんの形見かたみの布団だ。

 当初、ここに引っ越す時に処分する予定だったが、どうにも気持ちにりがつかず、つい持ってきてしまった。


「そうなんだ......」


 暗くて顔は見えなくても、幸せそうな表情をしていることは、声を聴けば分かった。

 母さんの布団を処分しなくて本当に良かった。

 こうしてロコが使ってくれているのだから、母さんも本望ほんもうだろう。


「......ねぇ、剣真」

「......なんだ」


「剣真は、一人じゃないからね。私がいるから」


 ロコからの思いもがけない言葉に、俺の胸の奥が急激に熱っした。


「......だから、天国のママさんが安心して暮らせるように、仲良くやっていこうね......」


 静かに、ギリギリに声が聴きとれるくらいの音量で、ロコは語りかける。


「あぁ............当たり前だろ」


 目からこみ上げてくる水滴すいてきをロコに悟られないよう、返事をする。

 本当、柴犬って人間をなぐさめるのが職人レベルで上手いよな......。


 その日、俺は久しぶりにぐっすりと睡眠をとることができた。

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