第8話

 ロコから『夕飯の準備で三十分くらいかかるから、その間にお風呂入っちゃえば? 夕飯前のお風呂、最高に気持ちいいよ♪』と提案ていあんされたこともあり、俺は今、自宅の風呂場にいる。


 湯船ゆぶねかるなんていつ以来だろうか? というか、この部屋に引っ越してからは今日が初めてだった。

 仕事のある普段はスッキリしたいという気持ちよりも仕事の疲れの方が勝ってしまい、次の日の朝のシャワーだけで済ませてしまっている。

 世の一人暮らしの社会人のお風呂事情なんて、だいたいそんな感じだと思う。


 風呂場の天井をぼーっとながめていると、キッチンの方から包丁ほうちょうのトントンと、リズムの良い切る音が聴こえてくる。


 昨日の出来事は夢ではなかった......。


 あの天真爛漫てんしんらんまんな柴犬のロコが人間、しかも見た目ギャルなJKになって、今俺の家で夕飯を作っているなんて。数日前の俺に言っても絶対に信じないだろう。どころか、頭を心配されてしまう。


 だが現に、ロコは確かに、ここに存在する。

 見た目はだいぶ変わってしまったが、そんなことはどうでもいい。


「......漫画やアニメの世界だけの話しだと思ってたけど、前世の記憶を持って生まれてくるなんて......本当にあるんだな......」


 気がつけば、俺はそんなことをつぶいていた。

 ”現実”だと実感した今でも、不思議でせんが無い。

 勿論もちろん、どんな姿形すがたかたちであれ、また愛犬かぞくと会えて嬉しい。

 ロコも『また会えて嬉しい』と言ってくれた。


 ――果たして本当にそうだろうか?


 彼女が柴犬だった時のを考えると、胸中きょうちゅうは複雑だ。


 俺と母さんにうらみはあっても、喜びの感情などないんじゃないか?


 ロコを疑う自分に嫌気がさす。

 どうも母さんを亡くしてからの俺は、思考がネガティブな方へと行きがちになる。

 昨日の母さんが亡くなったことへの反応を見る限り、その可能性は極めて低いと思う。


 でも、俺のせいでロコはあんな目に......。


 の気持ちを払拭ふっしょくするかのように、俺は湯舟のお湯を両手ですくい、思い切り顔を洗う。


 仮にロコに恨まれていても、それでもいい。

 俺は”一人”ではなくなったのだから。

 それに今は彼女の好きにさせたいと思っている。

 

 それが、彼女を死なせてしまったことへの、少しでも”贖罪しょくざい”になるのなら......。


 一方的な自己完結を済ませると、俺は湯舟から上がり、部屋着に着替えた。




「......これ、本当にロコが作ったのか?」

「当たり前じゃん。私以外にだれが剣真の夕飯作るんだし」


 リビングに向かうと、丁度タイミング良く夕飯のおかずが運ばれてきた。

 今日の夕飯はハンバーグ。子供っぽいと思われるかもしれないが、俺の大好物だ。

 見た目も綺麗きれいで、肉汁のいい香りが部屋中にただよい、そそられて口の中につばまるのが分かる。

 しかも付け合せにサラダとスープも用意されていて、栄養バランスも申しぶんない。


「あと少しでご飯の解凍終わるから、もうちょっと待っててね」

「分かったー」


 本当は今すぐにでもハンバーグにかぶりつきたいところだが、ロコの目の前。そんな行儀ぎょうぎの悪いことはできない。

 やってしまったら最後、『剣真は待て! もできないんだ〜』とからかわれてしまう。

 元・飼い主の面目丸潰めんもくまるつぶれだ。


 おあずけ状態で待つこと約三分。

 ご飯もようやくテーブルの上に運ばれ、夕飯の準備はととのった。

 二人共ほぼ同じタイミングで『いただきます』を言うと、俺は真っ先にハンバーグからはしを伸ばした。


「......どうかな?」


 不安そうにこちらをじっと見据みすえるロコ。

 そんなの、答えは決まっている。


「......ヤバイ。想像以上に美味いんだが」

「でしょー! このハンバーグ、隠し味に味噌みそを入れてるのがポイントなんだよねー☆」


 緊張から解放されて、ロコは思わず破顔はがんする。


「昨日の味噌汁でも思ったけど、ロコは本気で料理の才能あると思うぞ。どこで習ったんだ?」


 そう言って俺は、ハンバーグとご飯をバランス良く交互に口に運んでいく。


「習ったも何も、ほとんどSNSの料理サイトを見て、真似まねして作ってるだけだけどね」

「いや、それでも凄いと思うぞ。俺もSNSでバズった『美味しい○○の作り方』とかいうのをたまに作るけど、全然美味しくできないし」

「作り続けていれば、そのうち剣真も料理が上手くなるよ。......でも、その必要はないかな。だってこれからは、毎日私が夕飯作りに来るから☆」


 おでこの前に左手でピースをし、軽くウインクしてせるロコ。

 時折ときおりでる仕草がいかにもギャルなJKっぽい。


「でも本当にいいのか? 昨日はつい流れでOKしちまったけど」

「そんな心配いいから。私が剣真の夕飯作りたいの。ほら、早く食べないと、せっかく剣真の大好物が冷めちゃうよ?」

「......やっぱり俺の好物だって知ってたか」

「当然! 食卓にハンバーグが出された時の剣真、毎回凄く嬉しそうだったし☆」


 母さんの作るハンバーグは、ロコの作るハンバーグのように、お世辞せじにも決して綺麗とは言えない見た目をしている。表面は毎回焦げていて固く、たまに割れてしまっている物もあった。

 味も凄く美味しいというわけでもない。

 だが、食べると心から安心する味。

 俺にとってのお袋の味を感じるのがハンバーグなんだ。


「ママさんの作るハンバーグにはかなわないかもしれないけど、これはこれで美味しいでしょ?」


 お袋の味とロコの手料理を比べるなんて、そんなのできるわけがない。


「......何言ってんだ。ロコの味がして、めちゃめちゃ美味しいに決まってんだろ」


 変に回りくどい言い方をせず、俺はストレートに気持ちを言葉にして伝えた。

 そのつもりだったが、ロコを見ると、何故な顔を真っ赤にしていた。


「剣真.........私達、その......家族なんだから......そういうのはちょっと......」

「バ、バカ! 何変な勘違いしてんだよ! 俺が女子高生ガキに手を出すわけないだろ!?」

「あー! 今お姉ちゃんに対してガキって言ったなー!! だから私は剣真より後に生まれたけど犬だから成長が――」

「だぁぁぁぁぁぁ! もういろいろ面倒めんどくせぇぇぇぇぇぇ!!」


 しおらしくなったと思ったら、急におこりだしてまくし立てるロコ。

 それに対して俺は、ひたすら残りの夕飯を次々に口の中へほうり込むという。自分でも謎に思う行動に出た。

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