第1話

 夏も終わり、少しずつ肌寒い日が増えてきた十月中旬。

 スーパーマーケットで働く人間にとって朝の開店準備の時間は、もっとも体力を使う時間帯だ。

 店内はBGMが一切かかっていなく、ただ作業する音だけが聴こえてくる。


 ここ『スーパーハクリュー・合田ごうだ店』は、駅からも歩いて約七〜八分と近く、食料品だけでなく日用雑貨・電化製品・家具も扱っている、大型スーパーマーケットだ。


 俺は四年前にここで働き始め、二年前にアルバイトから正社員になり、今はグロッサリー部門に配属されている。


「浅田! ここのエンドの配置、昨日渡した俺の指示と違うじゃねぇか! 今すぐやり直せ!」


 飲料コーナーの品出しをしていると、開店前特有の店内の静けさを破るように、俺の直属の上司である矢代やしろがいつものように俺に文句を言ってきた。


 矢代は一ヶ月前に合田店に移動してきた中年の社員で、社歴は当然俺より全然長い。

スポーツ刈りに、スーパーの店員にはとても思えない、なかなかご立派な肥満体型。


「はい! すいません!」

「すいませんじゃねぇんだよ! お前何回言えば俺の言ったとおりにエンド作れるんだよ! やる気あんのか?」


 少なくともあんたよりかはやる気あるぜ? ていうか、そんなに気に入らないならいい加減自分でやれよ、と心の中で苦虫を潰すように一人呟つぶやきながら、いつものように適当に聞き流す。


「ったく、これだから中卒は駄目なんだよ......」


 イライラとあきれが入り混じった口調でぶつぶつ言いながら、バックヤードに重たそうな身体を引きずるように退散していく矢代。


「......浅ちゃん、大丈夫? 全くあの豚は......相変わらずどうしようもないね! 私、店長に言ってあげようか?」


 この人は長年、合田店のグロッサリー部門で働いているおかさん。

 俺が合田店にやってきた時からお世話になっているパートのおばちゃんで、見た目のほんわかした雰囲気とは裏腹に、言いたいことはズバッと言い、時には毒も吐く面白い人だ。

 この人に鍛えられたおかげで、俺は社員になれたと言っても過言ではない。


「大丈夫ですよ。このくらいで弱音よわねを吐くほど、今までやわな鍛え方されてませんから」

「あら、行ってくれるわねぇ......。でも、我慢できなくなったら早く私に言うんだよ? あんな消費豚、店長に言えばいつでも飛ばすことできるんだから」


 岡さん、消費豚なんて言葉、よく知ってるな? と思いつつ、俺は愛想あいそ笑いをしながら適当に話の話題を変えた。


「ところで岡さんこそ、腰は大丈夫なんですか?」

「大丈夫......とは言えないけど、家で寝てるよりかは、こうして働いている方が気持ちが楽だからねぇ。それにコルセットのおかげで、思ったより動けるよ」


 そう言って腰を軽くぽんぽんと叩く岡さん。


「あまり無理はしないで下さいね? 力仕事は全部俺に言ってくれればやりますから」

「あら〜☆ありがと〜浅ちゃん☆でもまだまだ若い子には負けないから」


 岡さんはニヤリと笑みを浮かべ、甲高かんだ歓喜かんきの声を上げる。

 グロッサリー部門のムードメーカー兼・癒やし的な存在に、今の部門の『あまり好ましくない状態』の中を抜けられるのは、どうしても避けたい。


「それより、そろそろ直しに行った方がいいんじゃない? またあの豚、ブヒブヒ言ってくるから」

「確かに。それじゃ、ちょっとエンド直しに言ってきます!」

「はいよ! こっちは任せておきな!」


 矢代からまた文句を言われる前に、俺はエンドの方へと小走りで向かった。


 結局、その日は開店前のエンドの手直しだけに限らず、ここ一週間の部門の売上の悪さのことで、矢代から露骨ろこつな八つ当たりを何度もされた。

 極めつけは、早上がりだった俺を無理矢理因縁をつけて引き留め、自分の代わりにラストまでいろ! という、なかなかの傍若無人ぼうじゃくぶじんっぷりだった。

 家に帰っても特にやることはないので、急遽きゅうきょラストまでいることになっても別に俺は構わない。

 ただ、働かない・文句を言う・八つ当たりする豚、通称『三元豚さんげんとん』の矢代からの指示というのが腹が立つ。


 時刻は夜八時過ぎ。閉店作業を終え、タイムカードを切り、入退店口にゅうたいてんぐちから出て少し歩いた時だった。


「――浅田さん? 今お帰りですか?」


 暗闇で最初はなんとなくでしか分からなかったが、相手がスマホのあかりで自分の顔を照らしてくれたおかげで確信できた。


 声をかけてきた相手、それは副店長の天条音琥てんじょうねこさんだった。


 眼鏡に後頭部にヘアピンでまとめられた三編みつあみ。そしてクールで落ち着いた口調は、いかにも仕事ができる女性というオーラをかもし出している。

 実際、まだ二十代後半という若さで一昨年から合田店の副店長を務めており、合田店の売り上げがこの二年間、好調なのは天条さんのおかげでもあると、俺は勝手に思っている。


「あ、副店長。お疲れ様です」

「お疲れ様です。確か今日は早番のはずでは?」

「それが......矢代さんから急遽シフト変わってくれとお願いされまして」


 何故しがない平社員の俺なんかのシフトを知ってるんだ? と疑問に思いつつも、天条さんからの問いに答える。


「副店長も今お帰りですか?」

「はい。丁度今、帰る前に家族にメッセージを送っていたところです」


 もう済んだのか、副店長は自分のスマホを上着の中にしまった。

 仕事のできるイメージと役職の為か、てっきり高級マンションで優雅ゆうがに一人暮らしだと今まで勝手に思っていただけに。実家暮らしはちょっと意外だった。

 まぁ、本人の雰囲気的に実家もお金持ちそうだが。


「そうですか。では、お先に失礼します」

「――あの! ......良かったら、途中まで一緒に帰りませんか?」

「.........へぁっ!?」


突然の副店長からのお誘いに、自分でも随分と素頓狂すっとんきょうな声を上げてしまったと思う。


「いえ、それは大丈夫ですけど......いいんですか? 俺なんかで?」

「......それはいったいどういう意味ですか?」


 視界は悪くても、頭の中にいくつものはてなマークを浮かべている表情がなんとなく分かってしまう。

 俺みたいな、まだ大人になりきれてない大人と帰っても、つまらないのに......


「なんでもないです! さぁ、帰りましょうか! ......あ、そこ! 足元が悪いので気をつけて下さい!」

「......ありがとうございます」


 気のせいか、一瞬副店長が微笑んだように見えたが。残念ながらこの暗闇ではハッキリと確認できなかった。

 

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