五.御城下の戦い(4)

     ***


 敵襲は、翌早朝のことだった。

 何時になく深い霧の立ち込める朝で、数間先の人間の顔が白く霞むほどに視界を奪われた。

 敵は、この霧を切り裂くようにして、阿武隈川の対岸から大筒を放ったのである。

 これが二本松城下戦で最初の砲撃であった。

 敵の進軍してきた方角から見ても、泰四郎らが警固していた三春藩との国境付近を通過してきた部隊だろう。

 砲声に続き、小銃と思われる乾いた音が乱れ飛ぶのが、僅かな余韻を持って聞こえる。

 間違いなく、それは眼前の阿武隈河畔からのものだった。

「全員、迎撃の用意だ。渡河口守備はそう長く持たぬかもしれん」

 即刻指示を下した樽井の声は、冷静且つ淡々としていた。

 だが、それに反して、下知を受けたその場の全員が瞬時に身を強張らせ、固唾を呑むのが聞こえるようだった。

 既に腰が引けている。

「上之内で、俺は既に死んだに等しい。どうせ朋輩の死の上に、僅かに長らえた命だ。惜しむこたぁねぇな」

 樽井が、にやりと笑った。

 指揮官としての、鹿爪らしい物言いは既に消えていた。これが最後と覚悟を決めているのだろう。その志気が目に見えるような気さえした。


     ***


 間もなく供中口が突破され、樽井隊と朝河隊の待ち構える愛宕山の峠道を、隊伍を組んで登ってくる数多の黒い影が見え始めた。

 霧は、まだ晴れない。

 たゆたうような白い霧の流れの中に、敵影が向かってくる。

 遠くは米粒のように小さく薄い影も、愛宕山の陣へ切迫するにつれて、肉眼に見える数は次第に増えた。

「愈々か」

 誰かが噛み潰した声を上げた。

 すると、泰四郎の傍らに息を潜めていた樽井が、やおら立ち上がり、より丘陵地の高みへと足音を忍ばせて移動する。

 何処へ、と問おうとして、泰四郎は口を噤んだ。

 斜面の上を仰げば、樽井の向かう先は自ずと知れたからだ。

「大筒……」

 泰四郎が呟くのと、樽井が砲台に辿り着くのとはほぼ同時であった。

 先制攻撃を仕掛けるに、大筒を使うのだろう。

 敵の接近を待ち、間合いを計る。

 敵の進行速度がいやに遅く感じられるのは、恐らくこの霧と、緊迫感のせいだろう。

 眼下の敵影が漸く大筒の飛距離に入り、樽井の采配を持つ手がすっと真上に伸ばされた。

「大筒、用意」

 未だ潜めた命令の声に、打ち手は砲台に弾薬を込め、着火の態勢をとる。

 砲手以外の者たちも、既に胸壁の影に身を潜め、各々が小銃や火縄銃を構えて待つ。

 泰四郎も同様だった。

 陣の真下を通る敵の隊列に単身斬り込んで行きたくなる衝動を抑え、新たに宛がわれていた火縄銃を構える。

 そして、待った。

「撃てっ」

 短い攻撃命令に、大筒はその身をも割り裂こうかといわんばかりの轟音を立てた。

 近付く隊列の、恐らくは先頭辺りに命中したかに見えた。

 すると、朝河隊の陣営からも砲弾が撃ち込まれ、霧は瞬く間に爆風によって晴れていく。

 幸いにも、陣地には目隠しとなる雑木が多く、峠道に面して急傾斜なため、慌てて反撃態勢を取り出した敵の攻撃も届き難い。

「小銃休むな、撃て! 敵に反撃の隙を与えるな!」

 敵に、銃を構える暇も与えないほどに、砲と銃とで狙撃する。

 絶え間なく耳に入る銃声や声は数限りなく、つい早暁までは静寂そのものだった場所とは思い難い騒音の渦となっていた。

 敵も新式銃で対抗する手を緩めず、隊列後方からは数門の大筒が、黒々とした砲口をこちらへ向けている。

「樽井隊長、大筒です!」

 あれが陣地に命中すれば、逆に一網打尽の返り討ちに遭ってしまう。

 味方の誰かが、臆したように声を張り上げた。

 敵の大砲でまたも壊滅かと、絶えず火縄の手順を繰り返していた泰四郎も僅かに危惧を覚えた。

 が、それは今は杞憂に終わる。

 大筒の飛距離は、然程延びるものではない。敵の砲門は、未だ離れ過ぎていたのだ。

 だが、二本松藩側の優勢かと思われたのも束の間。

 雨霰と銃撃を加えることが出来たのも、攻撃開始からほんの僅かの間だけだった。

 朝霧で湿気を含んだか、火縄銃は火の付きが悪く、あまつさえ、二本松藩側の武器といえばこの火縄銃が主流なのである。

 敵は瞬く間に態勢を立て直し、峠道の両側を挟む丘陵地の、その屹立とした斜面を、攀じ登って反撃に出始める。

 這い登ってくる敵を斜面の上から撃ち落とすが、敵兵の数は一向に減ることもなく、寧ろ火縄の補填がその数についてゆかずに敵は益々陣地に迫った。

「撃て! 撃ち落せっ! 大筒は速射だ!」

「駄目です、間に合いません……!」

 樽井の指示にも焦りが滲み、砲手の声は焦眉の急に最早叫合そのものとなっている。

 敵の攻撃が陣営に届き始め、陣営に築かれた簡素な胸壁を突き破る。

 二重三重に括り付けた畳は、敵弾の勢いに負け、千切れた藺草が無数に飛散した。

 胸壁と呼ぶには、あまりに脆弱な代物だった。

 対面の愛宕山斜面に、敵の砲弾が撃ち込まれたのは、その直後だった。

 地鳴りと地響きが轟き、足元からその衝撃が伝わる。

 爆風に乗った土砂の飛礫は樽井陣営にも降り注ぎ、バラバラと音を立てて具足に叩きつけられた。

 樽井陣営からは、驚く声すら上がらなかった。

 敵の放つ銃砲の威力は、こちらとは比べるまでもなく圧倒的であった。

 愛宕に布陣していた朝河隊は、砲撃の直後に蜘蛛の子を散らすように解散した。恐らく、隊長である朝河が斃れたか、瀕死の重傷を負ったのであろう。

 やがて爆風で舞い上がった埃と煙が晴れると、愛宕の斜面は無残に抉られ、被弾した味方と思しき亡骸が点在しているのが見えていた。

 樽井隊もまた、倉皇として要害である愛宕の峠道の陣を捨てた。

 一箇所に齧りついていても、朝河隊と同様の末路を辿るのは明らかだったのだ。

 元より統制が取れているとは言い難い樽井隊の者も、半ば混乱状態で峠を逃れることとなった。

 瞬きする間に人が撃たれ、ばたばたと折り重なるように倒れ伏す。

 伏した身体の銃創からは、滾々と赤黒い血が溢れ、瞬く間に地面を染めた。

 敵弾を受けて尚藻掻く者は、血に塗れた身体で地を這いながら呻き声を上げる。

 その光景は、屈強な武人すらも震撼させた。

 

     ***

 

「ちくしょう……!」

 口惜しさに唸りながら、泰四郎は市街地の中へと駆けた。前方を駆けていく樽井の背中すら、粉塵に霞んで見えた。

 砲撃を免れた味方の多くは、口々に悲鳴をあげながら、泰四郎や樽井とは間逆の方向へ、――つまりは城下町の外れの方向へと散らばっていく。

 遁走兵の余りの多さに、泰四郎は思わず足を踏み留め、周囲を逃げ惑う者たちの誰にともなく声を荒げた。

「貴様ら、今更逃げ道などあると思うのかっ! 死する覚悟で来たんじゃないのか!!?」

 臆した者は来るなと、再出陣の前に念を押したはず。

 その上で樽井に従って来た以上、後に戻ることなど許されない。

 味方の軍備の劣悪さは、これまでの惨敗戦で身に染みていたはずなのだ。大砲の一発撃ち込まれた程度で戦場を捨てるなど、泰四郎には考えられぬことだった。

「おれはもう御免だ、死にたい奴だけ戦いやがれ…!」

「そうだ、どうせ勝ち目はねぇよ。あんたァあの大筒の威力が分からねぇのか!?」

「ふざけるな、戦え! 戦って死んでった奴らに、どう詫びるつもりだ!?」

 蒼白に引き攣った顔で捨て台詞を吐き捨て、逃げて行く兵卒たち。彼らに怒鳴り散らしながらも、泰四郎は自らの脚が震えるのを止められない。

 檄を飛ばしていながら、まだ死を恐れている己がいる。

 だが、逃げることを良しとしない己がそれに打ち克っているのもまた事実だった。

 逃げれば、負けだ。

 敵にも、己自身にも、そして悦蔵にも負ける。

 泰四郎の足をまだ戦場へと向かわせるのは、勇気でも正義感でもなかった。

 ただ、持てる限りの矜持そのものだった。

「青山、捨て置け。戦う気のない奴は足手纏いになるだけだ」

 先を行く樽井の踵も俄かに返り、激昂する泰四郎を宥めるように言った。

 樽井の声が掛かると同時に、逃げ行く兵たちは各々の武器をぞんざいに放り、倉皇としてその場を走り去っていく。

 地面に叩きつけられた火縄の銃は、がらんと音を立てて転がった。

 僅かながら筒に付着した血痕は、恐らく持ち主の負傷から滲み出した血だろう。

 打ち捨てられた銃を見詰め、泰四郎は歯噛みした。

「この、腑抜けどもが……!」

「構うな、行くぞ」

 樽井は言い、城下を覆う戦火の中を目掛けて駆け去った。

 大筒に吹き飛ばされるのは、どんな感覚なのだろう。

 自分を討った相手の顔すら知らぬまま、死んでいくのはどんなにか無念なことだろう。

 俄かに、今し方陣地に撃ち込まれた砲弾による惨劇が蘇る。

 ――今、遁走すれば、命ばかりは助かるかもしれない。

 敵との、悦蔵との、己自身との戦い。そのすべてをかなぐり捨てて行くならば、今以上の恐怖を味わわずに済む――。

 考えるでもなく、それはごく自然に脳裏に浮かんだ。

「……くそっ」

 この期に及んで、まだ人間の本能が首を擡げる。

 泰四郎は、音もなく胸中の深みに眠り、ともするとじわじわと競り上がってこようとする怯懦を振り落とすが如く、強くかぶりを振った。

「俺に退路などあるものか!」

 悦蔵を失った今だからこそ、この矜持を捨てることは出来ないと思った。それを捨ててしまうことば、悦蔵が見ていた青山泰四郎という人間を、自ら消し去ってしまうことと同義だった。

 一足早く樽井が向かった、方々で黒煙を上げる城下を仰ぎ見る。

 それから泰四郎の足が城下を目指して地を蹴るまでには、ほんの瞬きする間もなかった。

 

 

【終.赤い鞘】へ続く

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