五.御城下の戦い(3)

 

「もし、泰四郎さんにそのつもりがなかったとしても、俺は助けられたと思っています。事実、あの時泰四郎さんや和田さんがいなかったら、きっと俺は我を失ったまま流れ弾に当たっていました」

「……なら、礼は悦蔵に言ってやれ」

 あくまでも、自分は礼を言われる筋合いはないと、泰四郎は静かに突っ撥ねた。

「あいつは、死に際にもおまえの安否を気にかけていた」

「――俺の、せい……です」

 今にも掻き消えそうな声で、定助は言った。

 そこで漸く、泰四郎は傍らの定助に目を向ける。

 何が、と問うよりも一寸早く、定助は酷く嗚咽を上げはじめた。

「俺がもっと早く退却していれば……!」

 定助の口振りはまるで、悦蔵の死が己自身の責任だとでも言うかのようだ。

 あの時、定助ひとりが早々に退却を始めていたとしても、泰四郎と悦蔵が斬り込まずに済んだかどうかは分からない。

 退却命令に従わず、尚も銃撃戦をやめなかった者は、定助以外にもいたのだから。

 悦蔵の死は、定助の責任ではない。

「あいつは、戦の最中で死んだんだ。それは誰のせいでもない」

 独り言のように言い、泰四郎は玉砂利の敷かれた境内を眺めた。

 まだ、太陽の軌道は高い。

 本堂の庇の端から差す陽光の眩しさに、泰四郎は微かに目を細めた。


     ***


 樽井が光現寺に戻ったのは、日が中天を過ぎて間もなくであった。

 御堂の中に入った樽井を見ると、泰四郎は真っ先に声をかける。

 すると同時に、その顔色が酷く曇っていることに気付いた。

「樽井隊長、軍議は……?」

 何となくその曇り顔が伝染し、泰四郎も思わず、訊きながら眉根を顰める。

「――青山。おまえは、まだいけるか」

 まだ、いけるか。

 その問いは、再び戦場を駆ける力があるか、というものに他ならない。

 軍議がどのような結果に落ち着き、樽井にどんな指示が下ったのかは、推して知るべしというところだろう。

 無論のこと、泰四郎はそれを察して口を引き結ぶと、一つ頷いた。


     ***


 生きて城下に帰り着いた樽井隊の者は、わずかに十七名。

 敵を迎え撃つには、あまりに心許ない数だった。

 当然、これでは小隊にすら成り得ない。

 城下に帰り着いた他の部隊も、殆どが負傷兵を数多抱えており、戦死者も相当数に上る。

 少ない兵で、幾つもの要衝を守備しなければならないのだ。当初の部隊編成は最早意味を成さなくなり、再編成を余儀なくされた。

「まだ戦える者は、俺と共に供中口へ来い」

 樽井は光現寺に居合わせる部下たちにそう呼びかける。

「我が部隊は、三浦権太夫殿の率いる農兵隊並びに朝河八太夫殿の大砲方と共に、供中口の要害死守を命ぜられた。高田口、大壇口、龍泉寺口にも各銃士隊長率いる部隊が布陣することになっている」

 樽井が軍議の要点を口早に報じる傍ら、本堂に集まった者たちからは、動揺にも近いさざめきが起こる。

 無理もなかった。

 今は戦友とも呼べる者たちの、その凄惨な最期を怒涛の如く目の当たりにして、まだ間もないのだ。

 元より弱腰の者であろうと、頑強な精神の持ち主であろうと、敵弾は嘲笑も称賛もなく平等に襲い来るのである。

 上之内で負傷し、からがら逃げ帰ってきた者にとっては、樽井が持ち帰った軍議の結果は絶望にも等しい衝撃だったに違いない。

 そんな部下たちの士気の低下は、樽井も身に沁みて感じているはずだった。

 だが、樽井も重臣ではありながら、軍議によって決定された事には一隊長として従わざるを得ない。

 樽井の面持ちにも、やや苦渋の色が浮かんでいた。

「俺は行きます」

 誰もが尻込みする中、泰四郎の声だけが揺るぎなかった。満場は静まり、その視線が泰四郎へと一斉に注がれる。

「俺は一人でも征く。臆した者は城下を離れろ。敵は、一兵卒の戦意の有無など考えてはくれないぞ」

 言って、一様に凝然として泰四郎を見る仲間へ一瞥した。

 じっと泰四郎を見詰める樽井が、ふと破顔した。

「青山の言う通りだ。いずれここも戦地となろう。傷を負い戦えぬ者、戦う意志のない者は、この場から去るがいい」

 少なからず狼狽する者たちが、互いの出方を窺うように顔を見合わせる。

 だが、樽井は構わず止めの一言を告げた。

「俺が退けと言うまで戦える者だけ、共に来い」


     ***


 二十八日も正午を過ぎると、樽井隊は兵力の補填を経て供中口方面へ布陣した。

 阿武隈川の渡河口には、三浦権太夫率いる農兵部隊。

 眼前に阿武隈川を見渡す高台に、朝河八太夫の大砲方。

 樽井隊は朝河隊と対を成すようにして、反対側の高台に陣を置くこととなる。

 城下へはこの峠を越えて行かねばならず、渡河口が破られてもここで挟み撃ちにする策であった。

 陣地には急遽、城下から掻き集めた畳二百畳ほどで胸壁を築いて、一応の体裁を整えたが、如何せん半日足らずでの急ごしらえだ。上之内に築いた大掛かりな胸壁のようにはいかない。

 あの胸壁を盾にしても、惨敗だったというのに。

 光現寺から再度出陣に応じて来た者は、泰四郎のほかにも幾人かあったが、心許ない胸壁によぎる思いは、皆同じであっただろう。

 使い古した畳の胸壁など、敵の砲弾の前には何の役にも立つまい、と。

 泰四郎は、眼下の河川を一望する。

 その清かなせせらぎの音は流石にここまで届きはしない。だが、北へ流れ行く水面の移ろいは、普段と変わりなく眺めることが出来た。

 いつ敵が攻めて来ても不思議はなく、陣中は緊迫した状況だというのに、泰四郎の胸中は何故か和いでいた。

 同じく陣地に留まる兵卒たちは、皆一様に戦々恐々とした気配を纏い、勇み立つ者の姿は目にも久しく見ていない。

 そんな中には話しかけてくる者もおらず、泰四郎は築いたばかりの胸壁に凭れて、遠く入相の川面を見るとはなしに眺めるのみだった。

 悦蔵がいなければ、ろくに言葉を交わす相手さえいない。気安い仲と呼べる者は、悦蔵を除いて他になかったことを、今更に実感する。そしてそれを、初めて寂しいと思った。

 以前はその悦蔵をも、頑ななまでに拒もうとしていたのに。

 悦蔵の生前、良い関係を築けていたのかどうかは分からない。仲が良いように見えていたのは外面だけで、実際には心を許し合っていたわけではなかったのだから。

 だが、悦蔵に後悔はなかっただろう。常に真っ向から接してきた、悦蔵には。

 後悔は、この身にばかり降り積もる――。

 今ここに悦蔵が生きていたなら、この陣地の構えの脆さをどう笑っただろう。

 満身創痍で再び戦渦に飛び込もうとする皆を、どう励ましただろう。

 考えて詮無い事だとは知りながら、胸を去来するのは悦蔵のことばかりだった。

「青山、そいつはもう斬れんだろう」

 不意に肩をぽん、と叩かれ、泰四郎は咄嗟に思慮を振り払う。

 話しかけてくる者などいないだろうと思われたが、樽井だけは違っていたらしい。

 樽井は莞爾とした笑みを浮かべて、下生えの上に腰を下ろすと、泰四郎に肩を並べた。

 泰四郎も体躯は大柄なほうだが、それよりもまだ樽井のほうが大きく、肩も泰四郎のそれより少々高い位置にある。

 身に着けた具足のために少々動作が大きくなりがちな樽井が、やおら小脇から抱え出したのは、一振りの大刀。

 見事な一振りを手渡され、突然のことに思わず泰四郎は反射的に受け取ってしまった。

「………」

 手中にずしりと重い、黒塗りの鞘に収まった大刀。

 ほんの数拍の後、泰四郎は抜き身を見ることもなく、大刀を樽井の手へ返した。

「申し訳ありませんが……、これは受け取れません」

「何故だ? まさか、その大刀で敵に挑むつもりか?」

 樽井の面持ちが強張った。

「おまえの得物は、もう人を斬る事は出来んぞ」

「分かっています。ですが――」

 泰四郎は、激戦を潜り抜けた愛刀を左に持ってためつ眇めつする。右肩は、やはりそうすぐには剣を扱えるほどに回復してはくれなかったのだ。

「俺は、これで戦わなきゃならない。……いえ、こいつと命運を共にしたいんです」

「しかし、それではいざという時に……」

「俺は、鞘を失くしました。こいつの、唯一無二のともがらを」


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