終章.赤い鞘(1)

 

 

「会津とろうか、仙台とろか、朝の茶の子の二本松――」

 馬上に揺られ、川村はぼんやりと口ずさんだ。

 戦のさなか、誰の口からともなく生まれた俗謡だ。

 狙う首魁は会津藩。会津守護の同盟盟主たる仙台藩。その二者に比べて小国の二本松など敵ではない。

 奥州へと入るまで無敗の戦を繰り広げてきた西軍にとっては、俗謡の通り、どこであれ苦もなく落とせる敵ばかりであった。

 兵も武器も利は西軍にあり、錦旗という大義すらも西軍にある。

 だが、侮っていた二本松藩兵を掃討するに、自軍の犠牲を払うことになろうとは。

 上之内でも、たった二人の若者のために、決して少なくない数の兵を失った。

 彼らは、なかなかに勇敢な若者だった。

 味方がほぼ壊滅状態にあるという窮地で、決死の斬り込みを見せた、二人の青年。

 瞬く間に兵を薙ぎ倒して行く姿は、さながら飛鳥の如し。

 敵ながら天晴な雄姿であった。

 既に轟々と戦火を広げる二本松城下の、ほんの入り口に差し掛かり、薩摩藩四番隊長・川村与十郎は跨った馬足を止める。

 結局、二本松藩兵は、国境の急襲であわや全滅という憂き目を見たことにも怯まず、屈服しなかった。

 何としても戦い抜く姿勢を崩さないのは賞賛に値するが、同時にこの上なく愚かしいことに思えてならない。

 そうまで必死に抵抗したところで、彼らの手に何が残されるというのか。

 川村が動くと動くまいとに関わらず、じきに二本松城も陥落するだろう。戦力差は火を見るよりも明らかで、今更がむしゃらに突っ込んでいこうという気は川村には起きなかった。

 既に目に見えた勝敗よりも、川村の気にかかるのはあの二人の青年のことだ。

 斬り込みから一転、退却時には、二人のうち一方は相当な傷を負っていたはずだ。

 もう一方も無傷では済まなかっただろう。

 川村の腰には、自らの得物を佩いたほかに、あの時戦場に残された朱鞘があった。勿論刀身は今も本来の持ち主の手にあるはずで、腰の朱鞘は空っぽのままだ。

「まだ、こん城下で戦っとんのじゃろか」

 叶うなら、今一度彼らと相見えることが出来れば良い。

 ぽつりと独りごちたが、すぐにそれは叶わぬだろうと自嘲めいた笑いを零した。


     ***


 市街地の方々で黒煙が立ち上っていた。

 敵弾によって打ち砕かれ、更に火を放たれた市街は、混乱を極めている。

 ひたすら逃げ惑う者、血走った眼をぎらつかせ、敵と見るや即座に斬り付ける者、既に正気を失った者が、敵味方入り乱れて戦闘を繰り広げる。

 紅蓮の炎と、燻り立ち上る黒煙が入り混じり、頭上を仰げど天は一切見えなかった。

 辺りは狂ったような金切り声が飛び交い、そこに逃げ遅れた者の悲鳴が微かに混じった。

 城下に立ち並ぶ商家から城郭付近の武家屋敷まで、至る所で炎が噴き上がり、焼けた屋敷の軒は粉塵を立てて崩れ落ちた。

 泰四郎はその袖で軽く口許を覆い、眉宇を顰める。

 幼き時分から知り尽くした城下の町々が、今や終焉の火に捲かれその形相を変えていた。

 城外高田口や大壇口、御両社山の守備に当たっていた部隊もとうに敗れたのだろう。それは城下のこの惨状を目の当たりにすれば、一目で知れることだった。

 急ごしらえの部隊編成は既に瓦解し、味方の兵は単独か、或いはごく少数の固まりで見られた。

 その少ない生存者さえ殆どが手傷を負っているようで、あとの大多数は路上の骸と化している。

 中には蜂の巣のように敵弾を受けて絶命している者もあり、亡骸は誰であるか判別のしようもない有り様だ。

 阿鼻叫喚の地獄絵図。城下は正にそれと化している。

 泰四郎は正視に耐えないものから眼を背け、再び大手門を目指した。


     ***


「本当に、最後の最後まで降伏せなんだか」

 前線から下がり、恐らく二本松攻略戦最後の激戦になるだろう光景を目の当たりにしながら、川村はひとりごちた。

 既に城の辺りからは黒煙が立ち上るのが見える。

 城下にまで迫れば帰順するかと思ったが、どうやら目算は外れたらしい。

 薩長が討たんとするのは会津藩だ。薩長にとって二本松藩はその通過点にすぎないし、二本松にとっても、この戦は単に会津守護の同盟に調印しているが故の戦であるはずだ。

 逆に言えば、彼らが戦う理由などその程度のものでしかないのだ。

 それが城を枕に死力を尽くすほどの理由だとは思えなかった。

 先に通過してきた大壇口の守備陣営には、まだ年端もゆかぬ子どもの姿もあった。

 さらに城に近付くにつれて、既に隠居して長かろうという老人たちの、古色蒼然とした戦装束も多く見られた。

 さすがに女人の姿は殆ど見なかったから、女人は早々に逃がしたのだろう。

 時折、野の中や川辺に血を流して倒れ伏す女人の姿を見かけたが、西兵に貞操を奪われたか、あるいは夫や息子の死を知っての自害であろう。

 城下を無事に落ち延びて行った女たちの前途も、決して明るくはない。女の足で、山深い奥州の道なき道をどこまで行けるものか。

 川村の口から、ふぅ、と思わず溜め息が漏れた。

 それに気付いたのか、傍に控える日高が隣に進み出る。

「川村隊長! 前線には行かんのですか」

「ああ、構わん。二本松兵に斬り込まれたら、ただでは済まんからな。上之内でよう分かった」

「しかし――」

「御大将、前へ――!!」

 日高が何事か言い返そうとした時、道なりの民家の陰から黒呉呂を着た影が大音声だいおんじょうと共に飛び出した。

 兵たちが賺さず川村と日高を庇うように囲む。

「ほぅれ見らんや、日高。二本松兵はどっかい斬りかかって来るか分からん」

「伏兵じゃ、討ち取れ!!」

「! っ待て――」

 日高の号令と川村の制止が重なり、更に重ねて高く乾いた銃声が雪崩のように響いた。

 飛び出した二本松兵と思しき影は、瞬く間に銃弾を浴び、声もなくどっと倒れ伏す。

「……なんと」

 斬りかかって来たのは、まだほんの十四、五歳の少年だった。

「伏兵は子どもが、一人だけか――」

 日高も漸くそれに気付き慌てて兵を下げたものの、少年は全身を痙攣させ、既に事切れていた。至近距離から撃ち抜かれた銃創からは、まだ諾々と血が噴き出し、泥と埃と煤に塗れた黒呉呂の衣装は、その血で更に黒々と染まった。

「まさか、子どもがたった一人で斬り込んで来るとは……」

 慄いたかのように声を震わす日高。

 川村は馬を降り、斃れた幼き剣士の傍に屈んだ川村へと歩み寄る。

「こうまでして、二本松は何故降らんのか。勝ち目もない戦で、こんな若い命をあたら死なせることに、何の意味があるのか……!」

 口惜しげに呻く日高の肩を、川村の手が宥めるように軽く叩いた。

「――弔うてやろう。幼くとも、烈士じゃ」

 血と泥に汚れた少年剣士の遺体を整え、草叢に横たえると、川村は自らの白い腰布を解き広げ、そのあどけない面差しを静かに覆った。

 川村が跪き、手を合わせて瞑目すると、日高もまたそれに倣う。

 背後に控える川村麾下の西兵たちもまた同様に、少年の死を弔った。


     ***


 堅固な山城の門は堅く閉ざされ、籠城戦となるかに見えた。

 だが、薩摩・長州の主力部隊が城門にまで攻め上ると、二本松藩側は大城代を筆頭に、持てる最後の兵力で真正面から斬り込んだのであった。

 黒く燻ぶっていたかに見えた煙は、今や赤々とした炎となって二本松城を包む。敵の手に落ちるならばと、自ら城に火を放ったのだ。

「川村隊長! 城門から大城代とその兵が打って出たとの報告です! 我らも早う城門へ……!」

「――そうか」

 箕輪門へと続くなだらかな下り坂を行きながら、城門のあたりで繰り広げられる激闘を些か遠目に見る。川村は、腰に差した朱鞘に目を落とすと暫時それに見入る。

 戦乱の中で朱塗りは些か剥げ落ち、疵も多い。

 この鞘から抜き放たれた刀身は、今どこを彷徨い、潰れた刃で誰を斬ろうとし、何を守ろうとしているのか。

(或いは既に打ち捨てられ、抜き身の主もまた何処かで斃れ伏しているのやもしれぬ)

「日高」

「はっ」

 馬首を並べる日高に目配せることなく声をかけ、川村は前を見据えた。

「早う、終わらせにゃならん」

 短く言い放って手綱を握り直し、馬腹を蹴った。


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