四.赤鞘の二壮士(4)

「まだ敵が…――」

 辺りに潜んでいるかもしれない、と忠告したかったのだろう。

 それを皆まで言えず、悦蔵は激しく咳き込んだかと思うと、再び赤い血液を吐いた。

「悦蔵……!」

「……泰四郎、早く……行け」

 全身の血が流れきってしまうのではないか。そんな不安に駆られる泰四郎に、悦蔵はほんの僅かに語気を強めて退却を促した。

 これが、いつもこちらの都合などお構いなしに引っ付きまわっていた悦蔵の言葉なのか。

 泰四郎は顰蹙も顕わに悦蔵を叱咤する。

「こんなところでぶっ倒れる奴があるか! おまえ、いっつも俺に引っ付いて来てただろう。俺の後について、城に帰るんだろ!」

 悦蔵の虚ろな目を覗き込み、必死で呼びかけた。

 その激励の声は、動揺と不安とで大きく震えてしまう。

「城に帰れば、きっと今度は城下で戦うことになるんだ。おまえ、さっき何人斬ったか数えたか? 数えてないだろ? そんな余裕、なかっただろう?」

「泰、四郎」

「俺もだ。俺も自分が何人斬って、そのうち何人斃せたか、さっぱり数えていないんだ。城下戦で仕切り直さないか? なあ、どっちが多く、敵を斃す、か……」

「…………」

 急に視界が潤んで、悦蔵の表情すらよく見えなかった。

 昔よく泣いていた悦蔵でさえ、もう何年も泰四郎の前で涙を見せたことなどないのに。

 気付けば、泰四郎は悦蔵を励ましながら、滂沱と涙を流していた。

「おまえの目指すのが俺だというなら、城までついて来い……!」

 矢継ぎ早に語りかけた泰四郎の声は、涙に咽んで潰れかけていた。

「泰四郎……。ごめん、……もう、無理だ」

「無理でも何でも、城下へ帰るんだ、馬鹿!」

「死ぬまでに……、一度くらい、勝ってみたかっ、――」

「――――」

 悦蔵の、か細い声が途切れた。

 悦蔵の手を握り締めたまま、泰四郎は己の全身から引き潮のように血の気が失せた気がした。

 伏し目がちに双眸を開いた悦蔵は、それきり瞬きをしなかった。

 強く握った手には、既に脈打つ気配もない。

「悦蔵……、悦蔵っ!!」

 声を荒げて呼んだが、もう二度と返事が返ってくることはなかった。


     ***


 血に汚れた悦蔵の顔を、泰四郎は汗と埃にまみれた袖で拭ってやり、間道を大きく外れた大木の根本に安置した。

 埋葬してやるには地に穴を掘らねばならない。

 素手で地面を掻いてみたが、木の根が邪魔をして、人を一人埋葬できるほどの穴はとても掘れそうにないことを知ったのだった。

 大木の下生えに埋もれるような格好で、仰向けに横たえられた遺体の上に、その遺品を整える。

 刃はぼろぼろに刃毀れし、幾多の敵を斬った刀身も激しく反りを歪めていたが、泰四郎は悦蔵の腰に括られた鞘を抜き取ると、何とか刀身を鞘に収めた。

 時は既に日没に近い頃なのか、緑の深い山中には薄暮の闇が漂い始める。

 既に、上之内の方向からは何の気配も感じられなくなっていた。

 村の食糧を奪い、用済みの村を焼き尽くし、敵は恐らく三春方面へと引き揚げていったのだろう。

 山中はひっそりと静まり、戦場のあの喧騒が嘘のようだった。

 未だ薄く開かれたままの悦蔵の瞼にそっと手を当て、静かにその双眸を眠らせる。

 それから、泰四郎は朋友の亡骸に寄り添うように座り込み、命を終えて間もないその顔をぼんやりと眺めた。

 共に生きてきたと言っても過言ではない、竹馬の友。

 今に、いつもの調子で起き上がってくるような気がしたが、何時まで待ってもその目が再び泰四郎を見ることはなかった。

 同じ戦場を死地として、何故悦蔵だけが死なねばならないのか――否、悦蔵だけではない。樽井隊の殆どの者が命を落とした。泰四郎のように辛うじて生き延びた者は、稀であるに違いなかった。

 死を覚悟しながら共に戦った仲間は、その殆どが戦死した。そうにも拘らず、死ぬつもりで飛び込んだ己が、何故今生きているのか。

 慙愧と悲嘆とが渦巻いて、何も考えることが出来なかった。

 自らもまた重傷を負っているが、その痛みすら感じることの出来ないほどに、泰四郎は哭ないた。

 身中の膿をすべて抉り出すかのように――。


     ***


 上ノ内を払暁に襲撃したのは、薩摩四番隊、川村与十郎の率いる一隊であった。

 川村は敵を殲滅し、灰燼に帰した山間の小さな村落を眺め渡す。

 戦の過ぎた戦場は、どこも同じだ。

 あるものは瓦礫と化し、あるものは炭同然にまで悉く燃え尽きた。踏み荒らされた田畑と、焼けた土。泥を被り破損した、がらくたのような武器弾薬。積み重なった屍。

 様々なものが焼け、辺りは深い森の匂いを凌駕して尚余りある異臭を漂わせていた。

「川村隊長、遺体はどげんしたらよかですか」

「適当な場所に葬ってやりゃあよか。……ああ、ただ、敵さんには野晒しで我慢してもらうしかなかが」

 川村が言うと、部下は少々怪訝に眉を顰め、曖昧な返事をした。

 敵兵の弔いまで気に掛けるのが、聊か腑に落ちなかったのだろう。

 察しながらも川村はそれを咎めることはせず、ただ小さく息を漏らした。

 ――奥羽征討。

 その名目のもとに軍を進め、もう幾月が立っただろうか。

 訪れる先々で、もう幾度見たかも知れない光景だった。

 兵卒は皆、焼け残った民家から僅かな食糧や金品を持ち出し、それぞれの取り分として懐に入れる。尤も、こんな辺鄙な村に豊かな物資は無いも同然だったが。

 食糧があれば腹に入れ、逃げ遅れた女がいればそれを慰みにする。

 これまで行軍してきた中でも、それが当然のように罷り通っていた。

 時代の今昔、洋の東西を問わず、戦というのはそんなものだ。大義名分こそ違えど、戦場の悲惨さにおいて大差などない。

 どんな大義のもとに戦っても、結局、その大義名分の手足となる兵卒たちの所業は、賤しく浅ましいものなのだ。

 兵は誰もが、死の気配を背筋に感じながら戦場に立つ。

 良識から逸脱した行動に出ることで、身近に迫る死の臭いから気を逸らすのだろう。

 人の精神などは極めて脆弱で、兵を統率する隊長としても、現状を慨嘆しつつもそれを黙認せざるを得なかった。

 先を競って民家に踏み入る兵卒たちを眺め、男は微かな渋面を作る。

「さっさと終わればよか。こげん戦は」

 目指すは会津。隣国の国境をようやっと突破したばかりだ。

 季節が過ぎ去れば、じきに雪も降り始める。

 南国の者には慣れぬ、北の戦。まして冬の戦場ともなれば、聊かの不利も生じることだろう。

 そう考えれば、手早く終息に向かわせたかった。

 実を言えば、この払暁戦も川村の独断専行であり、三春に駐留する土佐藩の大隊からの許可は得ていないものだ。

 だからこそ二本松兵の目を欺き、その不意を突くことで圧倒的勝利を収めることが出来た。

 今も三春にいるはずの、土佐藩兵を率いる板垣などは、まだこの戦を露とも知らぬだろう。

 ここに来るまで、多くの小藩が不戦のうちに帰順している。

 だが、白河城の攻防戦から戦い続けている二本松藩は、そう易々と降伏しそうにはなかった。

 故に、川村はこの奇襲を仕掛けたのであった。

 それはある種の降伏勧告とでも言うべきか。

(……いいや、そや皮肉ちゆうもんか)

 速戦即決の隊長には似つかわしくもない、寂しい自嘲が込み上げた。

「隊長!」

 つい先程遺体の処理を尋ねてきた一兵が、再び駆け戻った。

 その手に、泥のついた朱鞘を携えているのが目につく。

「おお、日高か。なんじゃ、そいは」

「森の手前で見付けもした。恐らく、さっきの二人のどっちかが落としていったもんと思われます」

「さっきの――」

 朱鞘の二人、壊滅寸前にまで追い込まれた状況の中、果敢にも白兵で斬り込んできた二人の青年がいた。

 思い起こすまでもなく、その姿は瞼に焼きついている。

「どげんしますか。あげなに強か敵じゃったら、追って仕留めたほうがよかじゃっどがか」

「いや、それには及ばん」

 そう言って、男は部下の手から朱鞘を取り上げた。

「見てみらんや。奴らのせいで何人もやられとる。追手のほうがやられてしまうじゃろ」

 促し、また促された眼前の光景の中には、賊軍兵の亡骸に混じって、確かに斬り斃された官軍兵の亡骸が数体、転がっていた。

 川村隊所属の日高壮之丞という青年は、言われるままに辺りを見渡し、やがてその視線を川村に戻す。

「そぉじゃっちなぁ、おいも先の斬り合いでは背筋が寒くなりもした。もうちっと前列にいたら、今頃おいもあの中にいたはずじゃっじ」

 二人の青年の決死の斬り込みを受け、命辛々助かった者も多いが、中には腰が抜けて立ち上がることも出来ない者も見られる。それを思えば、この日高などは肝の据わったほうだろう。

 さっきからいそいそと事後処理に動いているらしいが、日高は戦後の略奪行為に参加しようという素振りは全く見せない。ふとそのことに気付いて、川村は問う。

「のう日高。わいは何も取らんのか?」

 戦火に焼き払われたとは言え、農村なら幾許かの食糧ぐらいあるだろう。

 だが、日高は困ったように一笑するのみ。

 それから手にしていた朱鞘を川村に手渡すと、今度はまた負傷した味方の兵に手を貸すべくその場を離れて行ったのだった。

 

 

【五.御城下の戦】へ続く 

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