四.赤鞘の二壮士(2)

     ***


 敵は全くの不意を突かれた。

 今まさに、白兵戦へと切り替わろうとした矢先のことで、樽井隊壊滅への止めとでも言うかのように敵方の白兵が繰り出したところだったのだ。

「くたばれ、官賊輩!」

 己の声とは思いがたい、地鳴りのような咆哮と共に泰四郎の大柄な体躯が跳躍する。

 退却を始めた二本松藩士が未だ民家の陰に潜んでいようとは思いもしなかったのだろう。薩摩兵は驚愕の声と共に散開した。

 だが、それよりもまだ、不意を突いた泰四郎の剣のほうが幾分も速い。

 飛鳥の如く躍り出た泰四郎の刀は、瞬く間に一閃し、数人の喉笛を切り裂いた。

 夥しい鮮血が迸る瞬間、泰四郎はくるりと身を翻して更に白刃を閃かせる。背に生暖かい飛沫が跳ねた。

 二の太刀も、飛び退き遅れた数人を斬り付けた。

 一人は眼を、一人は顔から肩を、そして一人は胸部を斬る。

 返す刀であった割には、どうやら深手を負わせることが出来たらしい。

 両眼をやられた者は地に崩れてのた打ち回り、胸部を斬られた者は鮮血の中にその白い骨を覗かせるのが見えた。

 泰四郎の刀はその膂力に見合わせて、身幅も厚く、やや重厚なものである。

 昔日からの鍛錬の賜物だろう。

 実戦経験のない道場剣術と言えど、実戦に耐え得るだけの力は確実に備わっている。

 多勢に無勢。形勢は明らかに泰四郎らの不利だが、泰四郎の体力・剣技はそれを補って余りある。

 敵勢は慄いてどよめき、その統制を欠く。

「うああ! 奇襲じゃ!」

「退け! 早う退かんかっ!」

「気をつけろ、手強かぞ!」

 口々に叫び、中には銃を放り出して陣の後方へ逃げ込む者もいた。

「何をしている、相手はたったの二人! 恐るるに足らん、怯むな! 討ち取れ!」

 恐らく敵大将であろう人物の怒声が轟く。

 敵兵は瞬時に三々五々に散らばったが、流石に調練の行き届いた薩摩軍だ。すぐに各々が体制を立て直し、泰四郎と悦蔵の二人に襲い掛かった。

 それを、泰四郎は横に薙ぎ払い、振り下ろし、斬り上げる。

「悦蔵、決して突くな!」

 泰四郎は声を張り上げた。

 突けば、刀身を引き抜く間の隙が出来る。敵は数限りないのだ。突きを食らわせようものなら、後手にやられるのは目に見えていた。

 剣戟が止むことは無く、鉄の弾き合う鋭い音が絶え間なく響く。

 斬り込んだ二人の気迫に怯んだのか、銃声は何時の間にか止み、それは今や激しい剣戟に代わっていた。

 ちらりと見遣れば、前線に取り残された三人の少年たちの姿が見えた。

 無事だ。

「早く退け! 退いて城を守りに行け!」

 そう叫んだ矢先、泰四郎の右肩に激痛が走った。

「――っ!」

 泰四郎は短く呻いた。

 撤退勧告に少々気を削がれた隙を突かれた。

「泰四郎っ!」

 呻いた声を聞きつけ、悦蔵が呼ぶ声がする。

 ほぼ同時に、少年たちが口々に泰四郎の名を叫んだのが聞こえた。

「無事だ、気にせず行け!」

 感覚だけでも相当深く斬り付けられたことが分かったが、泰四郎は咄嗟にそれを気取られまいとして叫んだ。

 肩の創からは血潮が噴き出し、刀を握る右の手にまで痛みが走る。

「くそ、手が利かん!」

 そう思うや、泰四郎は素早く刀を左に持ち変え、二の太刀を打ち込んで来た敵の刃を受け止める。

 と、またも別方向から泰四郎に迫った敵兵の白刃を、悦蔵の得物が弾き飛ばすのが見えた。

 耳を劈くような金属同士の擦れる音が響き、泰四郎は思わず目を眇める。

 弾いただけでは留まらず、泰四郎の目の前で悦蔵はすぐさま刀身を翻し、相手を上から斬り下げた。

「泰四郎、大丈夫かっ!」

「心配要らん!」

 泰四郎が負傷したことで、悦蔵も出来うる限り泰四郎のほうへと身を寄せる。

 よほど泰四郎が気に掛かっているのだろう。それまで無勢にも拘らず、至極有利な接近戦を展開していた悦蔵も、泰四郎の負傷に気を削がれて圧され始めていた。

 既に何人もを斃した刀は、とうに敵を斬り伏せるだけの威力は残っておらず、ただ刃を交えるのみで、全く埒が明かない。

 泰四郎の息も上がり、徐々に疲労が増してくるのが分かる。

 だが、定助らが退却したのを見届けるまでは斃れることは出来ないと思った。

 そうでなければ、決死の覚悟で飛び込んだ意味がまるでなくなってしまうからだ。

 悦蔵も呼吸は大きく乱れていた。

「悦蔵、もう退け!」

「泰四郎が退くなら俺も退く!」

 疲労困憊する中でもはっきりとそう断言する悦蔵に、泰四郎は苛立ちながらもやはり呆れざるを得なかった。

 すると突如、止んでいたはずの銃声が再びけたたましく鳴り出す。

 敵が銃撃を再開したのだ。

(まずい……!)

 心の蔵が、一瞬どくんと縮み上がった気がした。

 再び定助らに逃げよと指示を叫ぼうとしたが、泰四郎が声を発するよりも先に、定助の悲鳴が上がった。

 まさか撃たれたかと思ったが、それは定助ではなく、共に前線でたった今まで銃を構えていた二人の少年のほうだった。

 二人の少年が相次いで土埃の中に倒れ臥すのが、泰四郎の視界の隅に映る。

 その傍らに、定助の狼狽する姿があった。

 激しい動揺のためか絶叫とも悲鳴ともつかない声を上げて、尻餅をついたまま後退る定助。

 敵弾を受けたらしい二人の少年が倒れる様には、泰四郎もぎくりと身の強張る思いがした。だが、それに構っている余裕は泰四郎にも悦蔵にも与えられない。

「何をしている、早く逃げろ馬鹿野郎!」

 泰四郎と悦蔵、たった二人の斬り込みで数多の敵兵を斬り伏せたが、それももうあと幾許も持つまい。

 逼迫した泰四郎の声に続き、悦蔵が更に退却を促す。

「無事ならおまえだけでも逃げろ、後ろを見ずに走れ!!」

 すると漸く、定助もこけつまろびつしながら這いずるように撤退していく。

 悦蔵も既に何人もを斬っているようだ。

 敵の血と膏とで、泰四郎の刀も切れ味を相当に損ない、その殺傷力は著しく削がれていた。

 骨をも絶たれたような右肩の痛みを堪え、泰四郎は左手の刀を振り翳した。

 蒸し暑さと緊迫から溢れ出る冷や汗とが、泰四郎の視界を濁し始める。

 敵の銃撃も一層激しくなった。

 三十程度は残っていただろう二本松藩兵も、その止めの銃撃で更に数を減らした。

 最期まで胸壁で銃戦に当たっていた味方が被弾し、最早、敵に噛み付かんとしているのは悦蔵と泰四郎の二人のみとなった。

 敵は的を絞る。

 気付けば薩摩兵たちは殆ど白兵を引き下げ、銃撃態勢に戻っていた。

 泰四郎の脳裏に、ふとその後の展開が浮かぶ。

 一斉射撃が来る――。

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