三.払暁の戦(4)

「しっかりしろ! 銃創は切り取って、血止めはそれからだ! 心配要らん、幸い利き腕は無事だ」

 滝のような脂汗を流しながらも、彼は手際よくその腕の付け根を手巾できつく縛る。

 手荒な処置に戸惑いを禁じ得ず、泰四郎の喉がごくりと生唾を飲んだ。

 銃創の手当ての仕方など、とっくから教えられていたのに。それでも現実に目の当たりにした光景は想像を超えていた。

 だが、当の怪我人は鬼気迫る形相を見せながら、再び銃を手に取ったのである。

「おまえ、本当にあの青山かっ!? そんな弱腰でどうする! 和田っ! おまえも早く加勢しろっ!」

 泰四郎を名指した次には、その背後に引っ込んだままの悦蔵にも檄を飛ばす。

 本当に、あの青山か――。

 その意味するところは思い違うはずもない、平素の泰然自若とした、偉丈夫たる泰四郎自身のことを言っているのだろう。

 今の自分はどうかしている。少なくとも普段の意気を欠いている。

 それどころか、今は恐怖という感情にびくついて、気が動転している有様。

 同じく銃創を負ったとしたら、果たしてあの手順を真似ることが出来るのだろうか。

「――――」

 違う。

 腕に銃創を作るだけならば、まだ良い。

 このまま身を固くしていれば、いずれは敵弾に命を落とすだろう。

 額に、嫌な汗が滲んだ。

「余計な事は考えるな。撃たねば撃たれる、殺らねば殺られるのみだ!」

 泰四郎の思考を見透かしたかのように、喝破する声が飛んだ。


     ***


 暁近い山間に、銃声は引きも切らずに響き続けた。

 泰四郎も漸く腰を据えると、調練で扱い馴れた銃を胸壁の上に構え、パン! と一弾放つ。

 だが、いくら敵兵の潜む叢を狙っても、藍染の靄と硝煙に霞む暗い陰からは悲鳴一つ上がることはない。

「……くそっ、掠ったかどうかも分からん!」

 最新の戦法だか何だか知らないが、骨肉を断つ感覚も無い戦がもどかしかった。

 銃弾は、弓よりも速く鋭い。尚且つ、刀槍を用いるよりも、引き金を引くことのほうが恐怖心は格段に少なかった。

 指一本動かすだけで、敵を斃す代物だ。無論、敵兵の指一本で己自身も落命する。

「駄目だ、全く当たった気がせん!」

 負傷しながらも尚、銃撃に加わっていた仲間が苛立ちを募らせては吐く。泰四郎も続けざまに何発か撃ち込むが、それも全く手応えはなかった。

「ちィッ! これじゃあ何発撃っても一向に埒が明かん。どうだ泰四郎、敵さんは減ってると思うか」

「いや、全くだ」

 憎憎しげに唸る仲間の声に応え、泰四郎もまた簡潔に返す。

 するとまた、徐々に嫌気が差し始めたものだろう、仲間の声が投げ遣りな自嘲を含んで再び話し掛けてきた。

「夜が明けきるまで待っていられやしねえ! 篝火でも投げつけてやったらどうだ、少しくらい敵の配置が見えるじゃないか?」

「馬鹿を言え。村を焼き払う気か」

「農民なんかとっくに逃げてるだろ。どの道、戦が長引きゃあ大筒の撃ち合いで結局火事じゃあねぇか」

 じっと腰を据えての銃の撃ち合い。そんな最中に愚痴を溢していられるのは、如何に敵に地の利を奪われたとて、まだ余力のある証拠だ。

 だが、夜明けを待たず片を付ける気なのか、敵弾の数は益々増え、勢いも衰える気配はない。

 草木の深緑の匂いが流れていたはずの村は、いつしか硝煙と土埃で濛々と霞んでいた。

 ふと気が付けば、泰四郎の背後で腰が引けていたはずの悦蔵も、敵弾を受けた胸壁から上がる土煙に咽びながら、漸う銃撃に加わっていた。

「泰四郎っ、……敵は、どんくらいいるんだっ!?」

「俺が知るわけがないだろう! 兎に角夜明けまで持ちこたえれば何とかなる! それまで休まず撃ちまくるしかなさそうだ」

 そう言い返す途中にも、味方の陣営のどこかで短く悲鳴が上がる。じわじわと負傷者も増えているらしい。

「……っわ、和田さん」

 蚊の鳴くような涙声が、背後から悦蔵を呼んだ。

 振り向く悦蔵につられて、泰四郎の見た先にいたのは、埃に塗れた定助だった。

 陣をあちらこちらと逃げ回っていたらしい。無傷ではある様子だが、袴の外腿のあたりが引き裂かれており、顕わになった脚にはくっきりと蚯蚓腫れのような筋が一本、見て取れた。

「定助、おまっ……、どうしたその脚!」

 賺さず定助へと踏み寄った悦蔵も、気付いたらしかった。

 泰四郎や悦蔵自身でさえ、身体を硬直させるほどに怯んでいたものを、たった十五歳ほどの少年ならば恐怖も一層であろう。

 身に迫る危機と、戦場独特のこの異様な緊迫感に呑まれてしまったとしても何ら不思議はない。

 だが、実際に今も戦闘中なのだ。構っていられるほどの余裕はない。

「おい、定助!」

「うあっ、は、はいっ」

 泰四郎に名を呼ばれ、定助は引き攣り上がった返答をする。

 蒼白になった定助の目の色から察するに、いざ本物の敵を目前にしても、それでもまだ泰四郎は怖い存在であるらしい。

 つい先程にあった己の不甲斐無さを見せていたなら、きっと定助の泰四郎を見る目も変わっていたはずだ。

(俺も十五の童と変わらん、か――)

 内心、そんな自嘲が過ぎったが、泰四郎はすぐに頭を振った。

「鼓手のおまえが戦う必要はない。俺と悦蔵の背後に身を伏せていろ。頭を上げるなよ、ぶち抜かれるぞ」

「おいおい泰四郎っ! わざわざ脅すような言い方すんなよ! 俺までぞっとするよ!」

「良いから早く持ち場に帰れ! 震え上がってても敵は減っちゃくれないんだぞ!」

 悦蔵を叱咤しているようでいて、それは明らかに自らを奮い立たせるための言葉の数々だった。


     ***


 東の空が白み、曙光の気配が近付く頃になっても、戦況はますます悪しくなる一方であった。

 銃撃に必死になっていた泰四郎にとっては、漸く周囲の気配に気を配れるだけの落ち着きを取り戻し始めた頃である。

 敵軍の中にも負傷者は出ている様子だったが、それでも形勢は依然として樽井隊の不利。二本松兵が敵に勝っているものといえば、死傷者の数のみ。

「この場は何とか退却を試みるしかなさそうだ」

 頃合を見て樽井の許に駆けた泰四郎が、開口一番に告げられたのがそれだ。

 武骨な装備に身を固める樽井の姿も、今は土埃と煤に塗れて薄汚れていた。それでも覇気だけは衰えず、眼光も鋭利に澄まされているのが一目で分かる。

「三春駐留の隊だろうが、奴等、土佐兵ではない。夜目で見分けがつかなかったが、黒の獅子頭……薩摩だ」

「薩摩、ですか?」

 三春城には土佐を中心とした部隊が入城していたはずだが、夜襲をかけてきたのは薩摩の別動隊だと言う。

 剣呑な樽井の口調に、泰四郎もまた怖気立つの感じた。

「今、薩摩が夜襲を掛けてきたということは、恐らく三春からは更に土佐兵が送り込まれて来る。そうなれば、最早我々に打つ手は無い。いや、それどころか全滅……だろうな」

 いやに重く吐き出された「全滅」の一言に、泰四郎は瞠目した。

 今対峙する薩摩でさえ、手に余る状態。そこに更なる後詰めがあれば、どうなるか。

「……我々に、援軍はないのですか」

 奥州街道には友軍がいる。この距離ならば、援軍要請を出しても充分間に合うはずだった。

 だが――。

「馬鹿を言え。敵軍のたった一個や二個小隊でこれだぞ、主力軍と遣り合う友軍に、兵を割く余裕は無い」

 見ろ、と目配せする樽井に従えば、ほんの一刻も経たぬ戦で、樽井隊の人員はほぼ半分にまでその数を減らしていた。

 適当な民家や、岩陰に退避した重傷者も多く、既に事切れた者に関しては、無造作に地面に転がっていた。

 気付けば、火薬の匂いに混じって血の臭気が濃く漂っている。味方の中には、小銃での攻撃に見切りをつけ、白刃で斬り込んだ者も多かった。

 無論、その殆どは一斉射撃を受け、身を蜂の巣の如くに撃ち抜かれて絶命したのだが。

 惨憺とした有様に、泰四郎は息を呑んだ。

 闇が晴れてみれば、昨夜まで共に雑魚寝していた朋輩たちの死体の海だ。

 胸を撃ち抜かれた者、顔面を撃たれて誰なのか判別もつかない者、更に酷い者は大筒の弾を受けて手足を吹き飛ばされていた。

「――城下へ引き揚げよう」

 呻吟の末の決断をした樽井の傍らで、泰四郎はまるで地獄絵図と化した味方の兵士たちの屍が累々と横たわる様を、その双眸に映していた。

 

 

【四.赤鞘の二壮士】へ続く

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る