二.雨に逸る(5)

 

「総裁や他の部隊長たちが、本当のところどう考えているかは知らんが――、俺はおまえらを率いて戦い抜くつもりだ。考えても見ろ、今帰順するのは容易いが、以後俺たちは三春同様に奥羽全土に恨まれ続ける。俺は、二本松をそんな嫌われ者の土地にしたいとは思わん」

 実際に背盟行為に及んだ三春藩は、同盟軍本部でも即刻制裁を与えるべきと話し合われた。だが、それは話し合われたのみで、現に実行される様子は窺えない。

 薩長という強敵に抗うほかに、小藩の裏切りを裁いている余裕がないだけである。

「こういう怨恨というのは、後々まで尾を引くもんだ。今俺たちが命を惜しんで、故郷が裏切り者の汚名を蒙り、腰抜け呼ばわりされるのは腹が立たんか」

 樽井の言には、深い憂いが籠もっていた。

 主君があくまでも同盟軍側として戦い、城を枕に討ち死にすべしと触れを出している以上、仕える身である者たちは従わざるを得ない。

 出陣せよとの下知があったから、泰四郎もその命に従って戦に出てきたのだ。

 だが、樽井の意識は、そういう泰四郎とは少し角度が違う。

 主君への忠義や、同盟軍の掲げる正義を貫かんがための敵愾心ではなく、真に己の生まれ育った故郷の後世を憂いての決意。

 それはある種ごく身近な概念であり、しかし同時に藩や同盟という枠を越えた、遠大な意志のように感じた。

 確かに、かかずらっている余裕が無いとは言え、いち早く恭順してしまった三春に対する同盟諸藩からの視線は厳しい。

(だが……もしも落城などという事態に陥ったなら、俺たちはそれでも悔やまずに済むのか――?) 

 現に三春以外の同盟諸藩も、南奥州の小さな藩から恭順を示し始め、同盟軍から欠け始めている。守山、棚倉、平、三春。そして次は二本松藩が降伏する番なのだろうか。

 あくまでも戦わねばならぬなら、後のことなど気に留めないほうが気を楽に保てるものなのかもしれない。

 今目の前にあるもの、目に映る生きた同士のために戦うのならば、敵を倒すことだけを考えていたほうが、何憂うことなく銃刀を振るえる。

 樽井の意見には、首を縦にも横にも振れなかった。

「俺は、樽井隊長の指示に従うまでです」

「そうか」

 樽井は泰四郎の逡巡に憤ることもなく、莞爾かんじとして微笑んでみせた。

「和田さぁんっ! それ俺のですよ! 返してくださいっ」

「だって、この太鼓ちょっと気に入っちゃってさぁ。な、ちょっとだけ貸してよー」

「皆さんお疲れで休んでるんですよ!? 太鼓なんか叩かないで下さいよ!」

 泰四郎と樽井との間のやや沈んだ空気を吹き飛ばすかのように、悦蔵と少年鼓手の戯れ合う声が割って入った。

 とっくに日も暮れているというのに、元気なものである。

 狭い板間の上で縺れ合って太鼓の奪い合いをする様子を見るなり、泰四郎はどっと溜息をついた。

 きっと悦蔵は、自分が何のために命を賭けて戦おうとしているのか、考えてもいないのだろう。無邪気なその様子からは、そんな印象しか受け取れない。

 名主宅へ分宿する中には、まだ年端の行かぬ少年兵も四人ほど割り振られていた。

 そのうちの一人が、今悦蔵に太鼓を取られて騒いでいる少年である。

「返してください、和田さんっ!」

「定助のケチ! あ、じゃあ俺に鼓法教えて? それなら良いだろ?」

「駄目ですってば!」

「えー、なんでー?」

「ですから、皆さん休んでるじゃないですかっ! んもう!」

 しっかり成人しているはずの悦蔵と、まだ十五歳そこそこの定助。

 寧ろ悦蔵のほうが頑是無い子供のように見えて仕方がない。

 泰四郎は呆れたが、樽井のほうはどうやら面白げに眺めているようだった。

「まったく、一体どちらが童なんだか……」

「良いじゃないか。元気なのは有難い。わはは、おい定助! 悦蔵に鼓法教授してやれ」

 悦蔵のはしゃぎ振りに渋面を作る泰四郎を窘めてから、樽井は愉快げに囃し立てる。

「隊長、あまり騒がせていては皆も休息を取れません! 面白がるのもほどほどに……」

「まあ少しくらい良いだろ。和やかになって良いじゃないか」

「…………」

「おまえもそうやって力んでばかりじゃ、いざ戦闘って時にすぐに息が上がっちまうぞ。少しは悦蔵みたいに気を楽にしてみたらどうだ」

「あれは気を抜きすぎです」

 てこてこと出鱈目な調子を刻む悦蔵の太鼓の音と、それに逐一指南を付ける定助の声で屋内は賑わった。樽井を始め、雑魚寝で休んでいた者達も、一人、また一人と起き出しては笑声を上げ、樽井隊の兵に束の間の気保養となったのだった。

「ほらほら泰四郎もやってみなよ~! 定助が教えてくれるって!」

「わわわ和田さんー! 俺さすがに泰四郎さんにモノ教えるなんて……!」

「えー、大丈夫だよ。泰四郎はああ見えて結構人懐っこいんだから」

「おい悦蔵っ! 勝手なことを吹き込むんじゃないっ!! 定助、おまえも悦蔵なんぞ適当に往なしておけ!」

 樽井の寛大さは大いに結構なのだが、まるで子供のはしゃぐような光景は士気を挫く気もしないではない。他はどうあれ、泰四郎には。

 喧しく騒ぎ続ける悦蔵と定助の両名を叱り付ければ、案の定、定助の泰四郎を見る目が怯え出す。

 泰四郎の目が節穴でない以上、定助が涙目になっていることは確実であった。

「ほらぁ、和田さんの嘘吐き!」

「泰四郎ってば、照れんなよー。定助泣いてるじゃないかー」

「照れていないっ! だいたいこの程度で泣く奴があるか馬鹿者!」

 泣かせたことに若干動揺を覚えたことは意地でも悟られまいと、更に声を荒げたのだが、やはり内心では良心が疼く泰四郎だった。


     ***


 陣中にあっては、皆が寝静まることはない。

 装備も解かぬままの、かりそめの就寝である。

 雨は夜半になってもまだ降り続き、屋敷の門前に掲げた篝火も高い軒の下にあるとはいえ、不規則に火の粉をあげながら風に煽られ揺れていた。

 この雨では火を絶やさぬのにも一苦労だろう。

 薪が湿って燃え難くなっているのか、小振りな炎を懸命に保とうとする番兵がいる。

「止みそうにないな、この雨は」

 落ち縁でぼんやりとしていた泰四郎の背後から、低く力のある声がかかった。

 声がかかるまで、人が背後に近付いていた事にも気付かなかった。泰四郎には珍しく、随分と気を抜いてしまっていたらしい。

「樽井隊長。少し仮眠をとられたほうが良いのでは? まだ敵が近付く気配はありませんし……」

「雨音が耳に障って眠れんのだ。そういうおまえこそ、休んだらどうだ?」

 泰四郎が漸く背後の存在に気付いたと知るや、樽井はのそりと落ち縁に降りた。

 強かに地面を打つ雨は大粒で、時折大地を穿つように激しく降る。

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