なまえのはいった赤いきつね

地引有人

なまえのはいった赤いきつね

「なんだ、これ」

 仕事帰りの夜。行き交う人のなかから一つのカップ麺を拾う。

 それは何の変哲のない赤いきつね。未開封で、汚れはなく新しい。緑のたぬきだったならば、お湯を注いでこの場で食べていたのだが。

 容器をためつすがめつ眺めていると、底には黒のマジックで名前が入っていた。

“東みずき”。

 その名前に心当たりはない。

 このまま捨てるのも気が引けたので、近くの交番に届ける。

 交番に入り、赤いきつねを見せると、警察官の男は渋い表情を見せ、

「またですか」と呟く。

「また? これ以外にも届けられてるんですか?」

 男は頷くと、交番奥の座敷を見遣る。

 視線を追うと、そこには十段ほど積み重なった赤いきつねがずらりと並んでいた。

「壮観ですね」

「ストリーマーのいたずらに決まってますよ。明日も続くようならこちらも対応を考えます」

 赤いきつねを渡して俺は交番を後にした。

 いたずらにしては地味だな、と一人慮る。

 もし、ストリーマーのいたずらでなかったのならば、いったいほかにどんな理由があるのだろうか。

 考えてみたが、見当もつかない。

 深く考えることはせず、早く家に帰って休もう。明日も仕事だ。

 翌日。赤いきつねを拾った現場に俺は張り込んでいた。

 しょうもないいたずらをする奴はいったいどんな人間なのか気になってしまった。こんな理由で会社を休んでいいものかと自己嫌悪したが、もう遅い。

 午前十時。朝の出勤時間に比べて人通りも減ってきた。あんパンと牛乳を手に見張りを続ける。

 まだ赤いきつねは置かれていない。人々が行き交うのみだ。

 と、歩いていた少女が足を止めて、パーカーの懐から赤いきつねを取り出すと、そのまま地面に置いた。

 見た目は小学校高学年の児童。平日の真っ昼間に出歩いているとは。ここは一つ注意せねば。

「食べ物を粗末にするな!」俺は少女の首根っこを掴む。

「粗末になんかしてない!」少女は抵抗するように暴れる。

「こんないたずらしてなにが楽しい! 警察の人が困ってるんだぞ!」

「知るか! それにいたずらじゃないし」

「……ほう?」

 いたずらではないという反論を聞いて興味が沸いた。

「それなら、訳を話しなさい」

「話すから手を離して」

 俺は少女の指示に従い、彼女を自由にする。

 乱れた服を正した少女は落ち着いた様子で語り出した。

「私、ここで捨てられたの。だから目印を置けば、捨てた両親が見つけて戻ってきてくれるかなって」

「だからって、許可も得ずに置いちゃ駄目だろ」

 それはそうだけど、と不機嫌そうに少女は話を続ける。

「昔の記憶が曖昧で……ここで捨てられたっていうことだけは覚えてるの」

「そういうときはな、警察や探偵に相談するもんだぞ」

「警察に話しても無視されるし。探偵に相談するって言ったって私、お金ないし」

「むううう……」

 訳を聞けば聞くほど、少女に絆されそうになる。このまま、警察に引き渡しても根本の解決にはならない。警察から解放された後も彼女はこの行いを続けることは容易に想像できる。

「……それなら。俺が両親を見つけるのを手伝ってやる」

「はあ? なんでおじさんなんかが」

「両親が見つからない限り、ここに赤いきつねを置き続けるだろ」

「そりゃ、まぁ……」

「今は一人でも多く協力者を得て、両親を見つける可能性を上げるべきなんじゃないのか?」

「それは……そうだけど」

 彼女自身、このままでは成果を得られないと考えていたのだろう。藁にでもすがりたい気持ちだったはずだ。

「俺が手伝うことに異論はないな?」

 うん、と少女は頷く。

「そして、手伝う前に一つ言っておきたいことがある」

「それは?」

「俺のことは田丸にいさんと呼びなさい」

 少女は心底不服そうに「田丸にいさん」と言った。

「よろしい。君の名前は東みずきってことでいいんだよな?」

「なんで私の名前知ってるの?」

「いや、これに書いてあるからてっきり……違うのか?」俺は彼女が抱えている赤いきつねを指差した。

「合ってるけど」

 ひとまず、捨てた両親の特徴を教えてもらう。

 住んでいた家や通っている学校について尋ねてみたが、記憶が曖昧で覚えていないらしい。

 両親捜索の成否に問わず、みずきを警察に引き渡すこともそうだが、病院での検査もあとで受けた方がいいのかもしれない。

「ところで、どうして赤いきつねなんだ?」

「それは私が赤いきつねが好きだから。ちなみにママも好きだった」

「……緑のたぬきじゃ駄目なのか?」

 やれやれといった様子でみずきは鼻で笑う。

 緑のたぬき派としては最大の屈辱を味わった。

 やにわに、ふふっ、とみずきは笑った。

「なにがおかしい?」

「いや、パパとママも同じ話してたなって」

「そりゃ赤いきつねが好きか、緑のたぬきが好きかを話し合うことは人類の宿命だからな」

「なにそれ……」

「……辛いことを聞くかもしれないが、どういう捨てられ方をしたんだ?」

 ええとね、とみずきは頭を抱え、

「あのときはたしか、買い物帰りの車のなかだったかな。家に帰ると妹が私の赤いきつねを食べちゃうから。その前に名前を書いちゃおうと思って、それで、パパとママに見せてたら――」

「お湯を探しているんですかな?」

「え?」

 腰は大きく曲がり、痩せ細った老人に話しかけられた。

「ああ、いや、ちょっと人捜しを」

 俺は赤いきつねを背に隠した。

 さすがにカップ麺を持ち歩いていたら不審がられるよな。

「それよりもお爺さん。東みずきって名前に心当たりありますか?」駄目元で聞いてみた。

「東みずき……? それならニュースで見ましたよ」

「ホントですか!」

「そのご家族の家ならたしかワシの近所だったような……」

「案内してください!」

 ぱあっ、とみずきの表情が明るくなる。

 灯台下暗しとはこのこと。赤いきつねなんか置かずに、最初から聞き込みをすればよかったじゃないか。

 老人の後をついていくと、豪勢な一軒家についた。

 駐車場には真新しいセダン型の白い車。手入れの行き届いた庭もあり、家の門まである。

 都内に一軒家とは。どうやら、みずきは裕福な家の子らしい。

 果たしてそんな家の子供が捨てられたりするのだろうか。もしかして、捨てられたというのは嘘でただ単に家出の言い訳だったとか。

 そのとき、黒い喪服に身を包んだ男女が家を出てきた。手には花束を抱えている。

 みずきから聞いた両親の特徴と全く同じだった。

 間違いない。

「あの二人、みずきの両親だよな――」

 嬉々としてみずきの肩に手を置こうとしたが、空を切った。

「みずき?」

 みずきはその場にいなかった。

 あるのは彼女の名前が刻まれている赤いきつね。

 俺はそれを拾い上げると、みずきと出会った場所に戻った。

 付近を調べると、電柱の足元に花、ペットボトル、お菓子などが供えられていた。

「赤いきつね……!」

 みずきの家から出てきた女性が俺の手に持っていた赤いきつねに反応した。彼女らも家から出てきて、ここを目指してきたようだった。

「みずきの好物をどうして知っていらっしゃるんですか?」

「あなたは……みずきさんのお母さんですか?」

「はい。事故の区切りがついたので、お参りにと……」

「……そのことについてお話を聞かせてもよろしいですか?」

 一年前、ここで交通事故が遭ったらしい。

 運転席と助手席に座っていた両親は無事だったが、後部座席に座っていた少女一人が亡くなった。

 みずきの両親は裁判が終わるまで現場に向かうことができなかったそうだ。

 みずきにとっては早く会いにきて欲しかったようだが。

 裁判が終わった今、みずきの両親は白を基調とした大きな花束を供え、みずきに語りかけていた。

 俺は邪魔にならないよう赤いきつねを供え、その場を後にした。

 後日。俺は菊の花一輪と緑のたぬきを赤いきつねの隣に供えた。容器の底には彼女の名前を添えて。

「たまには緑のたぬきも食えよな」

 背を向け立ち去ろうとしたとき、彼女の笑い声が聞こえた気がした。

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