アカイさん家のタヌキ

トロ猫

アカイさん家のタヌキ

みどり、おかえり。新幹線混んどったやろ?」

「そがん混んで無かったよ」


 年末。

 久しぶりに、福岡の地元へ帰ってきた。帰ると連絡したのは、昨日だ。

 大学で上京、そのまま帰らずに社会人二年目。

 博多駅から私鉄に乗って、無人駅で降りる。

 母さんの赤い車、懐かしい。車のバックミラーからぶら下がっているのは、子供の頃に大事にしていたタヌキのキーチェーン。


「まだ、こればもっとっと?」

「可愛かやろ。碧のお気に入りやったけんね。捨てれんとよ」

「別に捨てていいのに…」

「なんねー。それよりも、ちょっと痩せた? ちゃんと食べんといかんよ」


 太ったら、食べ過ぎるなというのに。母さんの運転する横顔は、三年前東京で会った時より随分、年を取った。

 車から、久しぶりの地元を眺める。私は、この田舎が苦手だ。


 (あそこの家でしょ? 可哀想よね。お父さん亡くなって。アカイさんどうすっとやかね? 娘もおるしね)


 忘れていた記憶がフラッシュバックする。

 私は、もう良い大人だ。こんな記憶、忘れればいいのに——


 (みどりちゃんの家は、どうしてお父さんおらんと?)

 (やめんね。お父さん、死んどるとばい)

 (みどりちゃん、かわいそう)


 小さなため息が溢れる。

 実家に到着する。家ってこんなに小さかったっけ? 玄関前には、幼い頃、いたずらをしてつけた傷がまだ残っている。懐かしい。

 玄関先で足に何かが当たり、水が少しこぼれてしまう。

 水が入った器?


「お母さん、これなん? 犬ば飼い始めたと?」

「それはね…たまに来る、お客さんがおるとよ」

「?」

「それより、荷物はこっちに置いてね」

「う、うん。ただいま〜」

「…そうやね。おかえりなさい、碧」



◇◇◇

 

 次の日、縁側でジャージのままゴロゴロと日向ぼっこする。今日は小春日和だ。


「仕事はどうね?」

「まぁまぁ…かなぁ」

「そうなんね。ちょっと今から買い物行くけど、一緒に行く?」

「うーん。家にいる」


 母さんが買い物に出かけると、家の中は静かになった。

 子供の頃、静かな家が怖くて泣いた事があった。母さんが帰るまで、押入れの中にいたんだっけ?

 暖かさにウトウトとしていたら、いつの間にか寝てしまっていた。


キューン——


 ツンツンと顔を突かれる。んー。まだ眠い。ペタペタと冷たい手で顔を触られる…手?


 …肉球? え?


 カッと目を開く。

 え? 開けた目には、アップのタヌキが映る。私の顔を覗き込むタヌキの牙がキラリと光る。

 ガバッと起き上がり、タヌキから距離をとる。いつの間に家に入ってきたの?

 タヌキは小さな右手を上にあげ、まるで『よっ』と挨拶しているようだった。腕には緑のリボンが結んであった。

 誰かに飼われてる?


 「キューーーン」


 勝手に家に上がってきたタヌキは、ガサガサとキッチンを物色する。お目当ての物が見つかったのか、こちらへ誇らしげに持ってくる。どうだ! と胸を張って渡されたのは、『緑のたぬき』。


「これが、欲しいの?」


 タヌキが呆れた顔でこちらを見る。なに、このタヌキ…

 何がしたいかわからない。

 暫く見つめ合うと、痺れを切らしたタヌキがピョンピョンと飛び跳ね庭を指さす。

 お前が外に出ないなら、俺も家から出ないと言っているかのようなタヌキの態度に違和感を覚えながらも、外用のスリッパに履き替え庭に出る。


「キューン」


 庭の花壇を掘り始めたタヌキ。土の中から赤いきつねのケースが出てくる。ケースの中には、タヌキとキツネの絵が入っていた。この絵は私が子供の時に描いたやつだ…


「キュウウン」


 タヌキに手を握られると、視界が歪む。

 歪みがなくなり、ぼやけていた視界が元に戻る。目の前には、先程と同じ実家が…あれ? これは、リフォームされる前の縁側だ。どう言う事?

 あれ? タヌキはどこに行った?


 「お母さーん!」

 

 これは、小さい頃の私? 夢を見ているの?

 こちらに走ってきたが、スッと身体を抜ける。

 やはり夢なのだろう。

 振り返ると、を腕の中で優しく包み込む母さんがいた。母は若く、昔撮った写真で見たままだった。


「お母さん、みてみて。ミドリがかいたとよ!」

「上手かねー。ミドリは絵がうまかねー」

「うん! それでね——」

「ミドリ。お母さん、仕事に行く時間やけん。また後でね。婆ちゃんが来るけん、ちゃんといい子にしとくとよ」

「…うん」


 この頃は、父さんが亡くなって、母は、以前勤めていた職場に復帰して、がむしゃらに働いていた。

 急に情景が変わり夜になる。


「ただいま帰りました」

「ああ。お帰り。遅かったね」

「お義母さん、今日もありがとうございました」

「よかよか。碧は、風呂入ってから寝とるばい。じゃあ、あたしは帰るよ」


 母さんが、布団で寝てるをそっと撫でる。


「ごめんね、碧。明日は早く帰るけん」


 場面がまた変わり、今度は小学校五年くらいのがいる。


「今日の昼は、久しぶりにこれにしよっか? 碧はどっちにする?」

「勿論、たぬきで」

「熱いけん、気を付けて食べてね…最近、学校はどうね?」

「…普通」

「前、遊びに来とった友達、最近みらんね」

「…うん」


 ああ。この頃は、お父さんが居ないから可愛そうって言われるのが嫌だった。私は自分を可愛そうなんて、一度も思った事なかったのに…


  場面がまた変わり、今度は中学生の頃の私か…


「ミドリ、聞いてるの!」

「もう! 分かったって!」

「分かってないでしょ!」

「あーもう、うるさい!」


 母さんの話を聞かずに、部屋のドアを乱暴に閉める。絶賛反抗期中だ。


「碧、ご飯食べないの?」

「いらない」

「受験大変だろうけど、頑張ろうね。碧の好きな、たぬき、置いておくけん、小腹が空いたら食べなさい」

「…」


 小さなダイニングテーブルに座る、母の寂しそうな後ろ姿に目頭が熱くなる。母さんはいつも私の味方だったのに、私は母さんに何をしてあげれただろうか?


 視界が霞む。


「お母さん。じゃあ、行ってくるね!」

「何かあったら連絡するとよ! 家の鍵はちゃんとかけるとよ!」

「分かってるって! じゃあ、お母さんまたね!」


 上京した日か…

 

 私が家をでた後、母さんが一人で縁側に座っている。母さんの隣には、父さんの写真と私のアルバムがある。


「碧が大学生になったよ。もう、こげん大きくなったとよ。紺碧こんぺきの空のように澄んだ心に育って欲しいって、あなたのつけた名前、その通りに育ったよ。偶に曇り空やけどね」


 お母さん、何年も帰って来なくてごめんね。次から次へと頬に涙が伝わる。

 ちょいちょいと服を引っ張られる。

 タヌキ! あんたどこ行ってたのよ!


「キュウウン」


 タヌキが、自分の腕をさして、まるで『帰る時間だぜ』と言っているようだった。いや、タヌキ時計はめてないでしょ…

 タヌキに手を握られると、また視界が歪む。


「——碧!」

「ん? お母さん?」

「こんなところで寝とったら、風邪引くよ!」

「あれ…夢? タヌキは?」

「あら。タヌちゃん来てたの?」

「タヌちゃん?」

「そうそう、最近は毎日来るとよ」


 タヌキがいたのは、夢じゃなかった? やけに、リアルな夢だった。どれくらい寝てた? 身体が冷えてる。寒い。


「お母さん、野良のタヌキにリボンつけたと?」

「リボン? リボンなんて、つけてなかよ」

「緑のリボンがついてたけど…」

「緑色の…それは、碧が子供の頃に助けた子だぬきよ。怪我したのを、看病して、腕に緑のリボンをつけてたわよ。写真がどっかに…これね。ほら」


 写真には子供の私と緑のリボンを腕に付けた子ダヌキがいた。


「覚えてない?」

「…分からん」


 あのタヌキは、私が以前助けたタヌキだったの? キラっと庭で何かが光る。

 これは…赤いきつねのケース…じゃああれは、夢ではなかったんだね。


「碧の好きなの買ってきたけん、一緒に食べよう! どっち食べる?」

「いつもと同じ、たぬきで!」


 ズルズルと二人で麺を啜る。冷えてた身体が温まる。


「私、来年もまた帰ってくるけん」

「本当?」


 お母さんは、嬉しそうに微笑んだ。


「うん。お母さん…いつも、ありがとう」



 


 




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