◆◆ 58. 未来通話

 大抵をスマホのメッセージアプリで済ますようになって、電話が掛かってくることは滅多になくなった。

 さっさとドライヤーで髪を乾かし、午前零時になるのを私は待つ。


 日付が変わるその瞬間、アパートの一室に着信音が響いた。鳴動するスマホをつかみ、通話ボタンを押す。


『あの……?』

「アルゼンチンペソが急騰。駅前のビルで火事。朝の電車は十五分遅延。有馬記念は9、12、6――」


 ツー、と切断音に変わった。

 セリフは一言一句、自分が昨日聞いたものと同じだ。あえて内容を変更したらどうなるのか、好奇心は湧くが今はいい。

 落ち着いて、きちんと昨夜を再現できたことに喜ぶ。


 スマホにインストールした覚えが無いアプリのアイコンが現れて、一か月が経った。

“未来通話”と名前がついたそのアイコンを、最初は寝ぼけた指でうっかりと押してしまう。


「ヤバっ、ウイルス!?」なんて慌ててアプリを強制終了したら、アイコンは消えて無くなった。

 翌の夜、着信した電話をとった途端に聞こえる『ヤバっ、ウイルス!?』の声。

 昨夜の自分が発した言葉を聞き、しばらくスマホを見つめて唸り続けた。


 相手は自分とそっくりの声色で、喋った言葉もまったく同じ。

 一日過去の私が、現在の私へ電話した?


 過去と未来をつなぐ電話、そんな不思議な推理に頭を悩ませたが、もう一度確かめようにもアイコンが無ければどうしようもない。

 幻覚みたいなもんだと半ば忘れた四日後、就寝前にチェックしたスマホ画面にまたアイコンが現れた。


 今度はベラベラと自己紹介を喋る。

 相手が未来の自分なら馬鹿な行動だけど、咄嗟に話せたのがそれだった。

 次の日、自分語りの電話を受けて“未来通話”が本物だと確信する。


 アイコンが出現する日は不定期だったものの、時間はいつも午前零時。

 三度、四度と実験を繰り返して、このアプリの仕様を調べていった。


 話せる時間は短く、十秒にも満たない。

 相手は必ず一日先の自分。

 大事なのは双方向だった点で、未来の自分が発した相槌も過去で聞けた。なら、一日進んだ情報を過去へ伝えられるということだ。


 これが判明したときは、次の未来通話が楽しみで仕方なかった。

 競馬競輪、仮想通貨、スピードくじに株式取引。

 数ある選択肢から儲けの多そうなものを探し、毎日ネットニュースを見るように心掛ける。

 各種取引口座を開設し、馬券を手早く買える方法も覚えた。


 そんなある日、待ちに待ったアイコンが現れた。

 掛けた先の自分の言葉を聞き漏らさないよう、全身全霊を耳に集中させる。

 伝えられた情報を元に外国為替で大博打を仕掛け、見事大金をせしめたのが昨日だ。

 今日は自分が電話を受け、情報を与える番。


「アルゼンチンペソが急騰。駅前のビルで火事――」


 大役を果たした私は、やっと緊張を解いてチューハイの缶に手を伸ばす。


 取引は全て確定させたし、半分は現金にする計画だ。

 下手にリスキーな賭けに出なくても、未来通話があれば堅実に儲けていける。

 つまらない事務仕事も辞めよう。


 目標はとりあえず五百万、いや一千万か。

 資金が集まれば打てる手も増えるし、倍々ゲームで金が転がり込むだろう。


 辞表を提出したのが翌の日で、以降はアパートに引きこもって経済情報をひたすら追った。

 これは、という儲けネタがあっても、未来通話ができないと無意味である。

 ジリジリ焦がれて待つ通話は、なかなか来なかった。


 食事も睡眠も削り、浮浪者かと思わせる風貌でパソコンモニターを睨む。

 いつ電話が来ても大勝負が掛けられるように、細かな海外ニュースから地方競馬まで目を通す範囲は多岐にわたった。


 不摂生が祟ったのか熱が出て、身体がだるい。

 ちゃんと栄養を摂った方がいいと知りながら、次の儲けを確定させてから休もうと気力で乗り切る。


 仮想通貨の一つが大暴落した日の夜、待望のアイコンが出て歓喜に震えた。

 およそ考えられるベストのタイミングだ。一日で一千万どころか、五千万円にも届き得る。


 画面をタップし、息急き切ってまくし立てようとした。


「ランドレーゼコイン急落、十四時二十三分には――」


 ピピッ、ピピッ、ピピッ。

 声ではなく電子音が聞こえて、思わず言葉を切る。


『通話相手が見つかりません。番号をお確かめの上、お掛け直しになる必要はありません・・・・・


 機械音声が流れ終わると同時に、ぷちりと通話も途切れた。


 これがどういう結末を迎えるのかは、私以外の人が知ることだ。

 私の体調は自分で考えるより遥かに悪く、もう朝日を臨む機会は訪れなかった。

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