◆◆ 57. ストーカー、ストーカー

 野良の意地ってやつがある。

 大通りから外れた昼下がりの路地裏、全身黒ずくめの彼女をやっと見つけた。

 気取られないように十分な距離を空け、彼女の後を追う。

 たまに鉢植えの向日葵ひまわりなんかへ目を遣りつつ、彼女は狭い道をするすると進んでいった。


 この夏日に、よく黒一色で暑くないもんだと思う。

 そんな格好でも涼やかに見えるのは、スタイルのいい美人だからだろう。

 リズミカルに動く細い手足には、いつ駆け出してもおかしくない力強さがあった。


 ちりん、と鈴の音が響き、彼女の姿が消える。

 軽く舌打ちした俺は、今日も失敗したことに落胆した。

 彼女の住み処を突き止めようと、もう三日はこの辺りをウロウロしている。


 やり方を変えるべきかもしれない。

 しばらく路地奥を見つめ、ふと後ろを振り返った瞬間、茶色い影が目の端に映った。


 これもまた三日連続の変事。

 本人は上手く隠れたつもりだろうが、俺の目は誤魔化せない。

 茶毛が俺をつけ回していることはハナっから気づいていて、害は無いかと放置していた。

 まあ、俺もストーカーだ。ストーカーをストーキングする酔狂なやつがいたっていい。

 構ってはやらないけどな。


 この日は黒い彼女を求めてさらに夕方まで彷徨さまよったが、二度は出会えず空振りに終わる。


 翌日の昼、ほぼ同時刻。

 茶毛の気配を背後に感じつつ、俺は目的の彼女を視界に捉えた。

 一筋違うが昨日に似た路地で、彼女は悠々と散歩に勤しんでいる。


 どこぞで昼飯の準備をしているのだろう、焼き魚の匂いが漂ってきた。

 腹が減ったのを我慢して、昨日より大胆に彼女との間合いをつめる。

 彼女も匂いに気を取られたらしく、かなりの接近に成功した。飛び掛かれば艶っぽい黒毛に手が届きそうだ。


 しかし、順調だったのはそこまで。

 俺の体臭が魚に勝ってしまったせいか、彼女は路地の奥へ駆け出した。

 その先は行き止まり、灰色のブロック塀が立ち塞がる。これをものともしないのが、彼女の厄介なところだった。


 鈴を鳴らして跳んだ彼女は、軽々と塀の上に乗る。

 塀から降りれば古いアパートの裏庭に至り、昨日はこれで追跡を諦めた。


 どうだ、と言わんばかりに一瞥をくれた彼女へ、俺も不敵に笑ってみせる。

 ジャンプは彼女だけの特権じゃない。野良猫と馬鹿にされようが、塀くらいでは止まらないのが野良なんだよ。


 俺はブロック塀へ向かって全力疾走し、勢いに任せて跳び上がった。

 ブロックの上端に掛かった手で身体を持ち上げ、一息に塀を乗り越えてアパートの敷地へ降り立つ。


「にゃっ!」


 俺のしつこさに驚いた黒毛から、賞賛とも呆れともつかない声が上がった。

 さあ、今日こそつかまえてやる。


 追跡を再開した俺と、一目散に逃げ出す彼女。

 停めてある自転車を避け、転がるバケツを跳び越し、俺たちは裏庭を駆け抜けた。


 如何せん、彼女の足が早いのは認めよう。アパートの脇へ回り、正面へ出る頃には差が広がる。

 一時は二メートルくらいまで近づいたのに、もう倍は離れてしまった。

 強引過ぎたか、と後悔しても遅い。


 俺の奮闘も叶わず、黒毛が敷地の外へ出ていこうとした、その時だった。

 茶毛が颯爽と登場し、彼女の行く手を阻む。

 黒毛ならそれもかわしそうなところを、あろうことか自ら茶毛へ飛びついた。


「なん……え?」

「無理やりじゃダメですよ、柴崎しばさきさん」


 茶髪の大学生、真奈まなヒカリが右手に持つ枝を振ってみせた。

 黒のシャム猫は枝に御執心みたいで、揺れに合わせて腕を伸ばし、首の鈴がりんりんと鳴る。


「マタタビですよ。どう? 使えるでしょ、私」

「まあ、今回は……助かったかな」


 助手になりたいと押しかけたヒカリは、断られても全く諦めなかったようだ。

 俺を尾行していたのは、いいところを見せたかったわけか。


「探偵なんてロクな仕事じゃないぞ。浮気調査にペット探し、警察からは野良猫扱いだ」

「憧れなんですよ。給料安くてもいいので。ね?」


 まあ、人手が欲しい案件も無くはない。

 渋々了承すると、ヒカリは猫ごと跳んで喜んだ。


「だけど勉強からだ。あんな尾行じゃ話にならん」

「えー! 柴崎さん、気づいてたの?」

「当たり前だろ。まず相手の死角を意識してだな――」


 依頼人へ報告に行く道すがら、ヒカリに探偵のイロハを訓示する。

 俺が根城にする小さな街に、二人目の野良猫が生まれた夏だった。

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