◆◆ 05. ウーパールーパー

 ウーパールーパーは悲しんだ。

 彼は彼のすみかである岩屋から外へ出てみようとしたのであるが、途端、出入り口が崩れて閉じ込められた。

 小さなピンクの手で石を退け、穴を広げ、再び開いた小さな出口へ身体を押し込む。


 ぎゅうぎゅうと頭を、胸を、腹を擦りつけて外を求めた。

 彼の努力は見事叶い、傷だらけになりながらも脱出を果たす。


 そこまでだ。

 広い川へ飛び出た瞬間、周囲は暗転してまた元の岩屋へ戻る。

 時間を巻き戻されて、必死で退けた石も同じ場所に還っていた。


「なんたるループであることか」


 ウーパールーパーがループするならウーパールーパールーパーか。

 やかましい。


 彼の頭は決してよくない。

 あほうである。

 アホのアホロートルである。

 やかましい。


 既に十二回のループを経験した。

 あほうみたいに同じことを繰り返し、ここにきてようやく脱出が無為に終わることを理解した。


 十三回目の奮闘中、さすがに虚無感に襲われた彼は手を止めた。

 エラも止めた。


 外が覗けるだけの小さな穴が、彼の眼前に決して届くことのない自由を見せつける。

 めだかたちは藻の間を気ままに泳ぎ回り、暗く矮小な穴のことなど気にかけない。


「ああ、寒いほどひとりぼっちだ」


 春が来たというのに、これではまた冬眠してしまう。

 ウーパールーパーが冬眠するとは寡聞にして知らないが、何事も為せば成らん。


 ことり、と再び石を脇へ動かし、穴を大きくしてみる。

 めだかの一匹がその音に耳をとめ、ふらり岩屋へと近づいた。


 ウーパールーパーは息を潜め、自らの気配を消すことに専念する。

 これは好機、不幸は分かちてこそ。

 好奇心旺盛なめだかは何やらありそうな穴の奥に興味を持ち、するりと中へ滑り込んだ。


「はっ! お前も一生ここに閉じこもればいい!」


 ウーパールーパーの雄叫びに驚き、めだかは二度三度と身を震わせる。

 いや、驚いたにしては震える回数が多い。

 頭を振り、身体を何度もよじらせて、穴へ向き直ってはまたウーパールーパーに顔を見せる。

 痙攣しているようにしか見えないめだかだが、檻に入ったのだ。

 期待通り。


「ふふ。出られないんだろう?」

「……俺は平気だ」


 なりは小さいがこのめだか、ウーパールーパーより年上である。


「ループするんだろ? ここから出ようとすると」

「出ていくかどうかは、俺の勝手だ」

「よろしい、いつまでも勝手にしろ」

「お前はアホだ」

「アホロートル、な」


 二人はかかる言い争いを幾度となく続け、翌日も、その翌日も不毛な罵り合いに終始した。


 ひと月も経った頃には、ウーパールーパーは脱出を完全に諦めてしまい、岩床に寝そべって動かなくなる。

 未だ時折、穴へ突撃するめだかを眺めつつ、彼は神を非難した。


 ああ、なぜ私を閉じ込めたりするのです――彼は岩屋の天井を仰いで嘆く。


「こんな罰を受ける理由が、私にあると言うのですか」


 永劫の地獄とはこのようなものだろう。

 何も出来ないまま、暗闇の中で我が身の不幸をかこつのみ。

 楽しみも、喜びも、心を躍らせる一切合財がここには存在しない。

 ループは拷問であり、健常な精神を保つ自信はとうに消え失せた。


 ぷくり、と泡が弾けた音を聞き、ウーパールーパーはめだかを見遣る。

 めだかは少し離れた場所に横たわり、口から小さな空気の粒を吐いていた。


「どうした?」

「俺は平気だ」

「その様子、平気なわけなかろう。腹が赤いのは怪我ではないのか?」

「…………」


 暗がりで見にくいものの、めだかは身体の側面に大きな切り傷を負っているようだ。


「少し無茶をした。勢い余って、出口の岩に引っ掛けた」

「大丈夫なのか?」

「……あまり……平気ではないかもな」


 ウーパールーパーは動転する。

 このループで、めだかまで失ってはたまらない。

 喧嘩をするのも、強がりを言うのも、相手はめだかだけ。

 独りはつらい。

 このいつまで続くか分からない牢獄で、独りになるのは何より怖かった。


「元気を出せ。気合いで治せ!」

「無理を言うな……」


 ウーパールーパーの応援も虚しく、めだかは見るからに衰弱していく。

 めだかからの返事が途切れ途切れになったのを機に、ウーパールーパーは動いた。


 ループ初日を思わせる勢いで、彼は出入り口の石を退ける。

 かつてここまで穴が大きくなったことはなかった。

 めだかは元より、ウーパールーパーでも楽に通り抜けられる大きさだ。


 岩屋の奥に取って返した彼は、息も絶え絶えなめだかを口にくわえ、再び穴へと向かう。

 猛烈に水を掻き、前へ前へと泳ぎ進む。


 果して、ウーパールーパーの尻尾まですっかりと岩屋の外へ出たとき、いつも通り世界は暗転した。


「おい」


 岩屋の中へ引き戻されたウーパールーパーは、めだかを下に置いて呼び掛ける。

 閉じ込められたひと月よりも、長く感じた時間だった。

 めだかの尾が跳ね、ふわりと身を浮かせる。


「助かった……のか」

「おう。よかったな」

「閉じ込められたままだけどな。まあ、怪我も巻き戻ったみたいだ」


 一際大きな泡を吹き、ウーパールーパーは底の定位置に身を置く。


 牢獄は依然として牢獄であり、暗澹とした思いが晴れたりはしない。

 しかし、とウーパールーパーは思う。

 喜ばしいことが全くない世界でもないな、と。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る