◆◆ 04. ルーパー

 日直だというだけの不運から担任に仕事を頼まれ、配布プリントの整理が終わった頃には六時近くになっていた。

 疲れたこめかみを、これでもかと揉む。

 これじゃオッサンみたいだな。


 野球部の掛け声が遠く響く廊下を進み、夏の夕陽が差し込む教室へ戻る。


 誰もいないと予想した教室の中には、独り彼女が外を見ていた。

 これはラッキーなのだろうか。不運を幸運に変えるのは自分の意志次第だ。


秋月あきづきさん……」


 声を掛けはしたものの、振り返った彼女に何を言ったものか迷う。

 思ったより深刻な表情を見て、軽口を叩く気は失せた。


 そう言えば昼の時点で、いや六限が終わった時からか、彼女は頭痛に悩むような面持ちだったと思い返す。

 眉間にしわを寄せ、俺を見つめる彼女は一言も発してくれない。

 単に体調が悪い、というならさっさと帰宅したはず。


「大丈夫?」

「……あんまり。大丈夫じゃないかも」


 一学期の間は席が近く、少しは言葉を交わせる関係になった。

 冗談にケラケラ笑ってくれるのが嬉しくて、もっと話せたらいいのにと考えていたところだ。


「悩み事かな? あっ、詮索するつもりはないよ。俺でよかったらって……」

「気にしないで。馬鹿みたいな話だもん」

「話すと気が晴れるかもよ。いや、無理はしなくていいけどさ」


 多少強引でも、ここはチャンスだと粘る。

 チャンスってのは彼女にすればひどいかもしれないけれど、心配した気持ちは本物だった。


「……笑わない?」

「笑うもんか。約束する」

「あのさ、なんかさ。ループしてるんだ、私」

「ループって?」


 今日、この時間を、秋月さんは何度も経験しているのだと言う。

 延々と繰り返し、抜け出せないのだと。


 意味は分かる。小説なんかでよくあるタイムループってやつだ。

 ただ、それを真面目に悩みとして話されても――。


「ほら、信じないでしょ? 忘れて」

「いきなりだったから驚いたんだよ。あの、ほら。何度くらい繰り返してるの?」

「分からない」

「この会話も経験済みとか?」

「どうなんだろ、はっきりとは覚えてない。既に経験してるって感じがしてね。何とかって言うやつ」

既視感デジャヴュ?」

「それ。既視感って頭が痛くなるね」


 これって以前にあったことじゃ――そんな既視感は俺にだって覚えがある。

 だけど、それをループと考えるのは飛躍し過ぎじゃないだろうか。


「なんでループしてるのか、原因に見当もつかない。でも、絶対おかしい」

「証拠になるようなものはある?」

「そんなの無いよ。けどさ、どれもこれも繰り返しだって、そう感じるんだ」


 学校生活なんて似たことの繰り返しだ。今のこのシチュエーションすら、どことなくありがちに思えなくはない。

 あったよな、アニメの一シーンでこんなの。


 既視感は誰しも感じるものだし、頭痛が先にあって考え過ぎているのでは。

 まずは身体を休めるべき。難しいことは明日考えよう。

 そんな風に軽く笑ってアドバイスすると、彼女の顔は見るからに強張った。


「笑わないって約束したくせに」

「いや、これは違うって。あんまり深刻に反応するのもどうかと思ってさ」

「私は真面目に話したのに? いいよ、もう。一人にさせて」

「心配なんだ。顔色が悪いよ。そうだ、一緒に帰ろ――」

「放っといて! 頭痛がするから話しかけないで」


 窓の外へ向き直った彼女は、もう俺を見てくれなかった。

 しばらく待っても態度は変わらず、諦めて自分のカバンをつかんで教室を出る。


 腹が立つ。

 イライラするのは、何も秋月さんに怒ったからじゃない。俺が悪いとも思わないけれど。


 せっかく二人で話す機会だったのに、それを台無しにした自分が許せない。

 明日になれば、怒らせた自分を許してくれるだろうか。あれはかなり怒っていたなと、先の会話を振り返る。


 小説やアニメみたいな内容でも、彼女は真剣に悩んでいたのかもしれない。

 もう少し詳しく聞いてみるべきだった。常識は脇に置いて、彼女の悩みを想像してみればよかった。


 廊下を進むうちに、いくつも反省点が浮かぶ。

 どうして小賢しい忠告なんてしてしまったのだろう。


 俺も体調が万全じゃなかったから。

 そう、そのせいだきっと。

 できれば彼女との会話をやり直したい。次はもっと上手く話せるはず。


「あっ待って、ちょうどよかった!」


 担任に呼び止められて足を止めた。


「明日配るプリント、班ごとに分けるの手伝って。量が多いのよ。お願い!」

「えー、またぁ?」

「またって何よ。仕事頼むのは初めてでしょ」

「そう……だったっけ」


 これから部活に赴く級友たちが、同情の眼差しを俺に向ける。

 こんな日に日直とはなあ。

 頭もひどく痛いし。


 まあいいや。

 何度だって手伝ってやろう。


 今日は早く帰れそうにないなと、心の中で愚痴った。

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