― 9 ―
「今日の料理も旨かったけどさ」
MINATO君がそう口を開く。私が一口目を堪能している間に、彼はもう半分以上ケーキを食べている。
「料理の自信って、いつつくの?」
「……わかんない」
行く当てのない旅路を進んでいるようなものだ。料理への自信を身に着けるなんて。明日には結婚するより前の状態に戻っているかもしれないし、死ぬまでずっと今のままかもしれない。
「まあ、そんなもんだよな。俺だっていつだって自信ないもん」
「そうなの? 堂々としているように見えたけど……」
テレビで歌う彼はいつも通り格好良かった。しかし、MINATO君の視点では違うように見えるらしい。
「そう装っているだけ。俺、それだけは得意だから。どれだけレッスンを積んでもフリが遅れる時もあるし、歌詞がトビそうな時だってある。けど、やるからには完璧でやらないと、アイドルとしての俺を見てくれる人を喜ばせるためにはさ。そうしないと食っていけない」
私が黙っていると、彼はにっこりと笑みを見せる。これはまさしく『アイドル』としての笑い方だった。
「まあ、俺としては旨いメシ食えるからいいんだけど。ごちそうさま、また来るわ」
あっという間にケーキを食べてしまった彼は、目的を終えたと言わんばかりに自分の部屋に戻っていった。
***
「浅見穂花です。今日からよろしくお願いします」
「浅見さんね、はい、よろしくね。これ、うちの制服……ま、エプロンだけど。あと、ネームタグ」
私は紺色のエプロンを手渡された。胸のあたりには『ブックストア ニイヤマ』の文字、ネームタグには私の苗字が印刷されていて、その上には『研修中』のバッジがついている。
離婚は成立していなから、戸籍上はまだ『藤野』だ。けれど、旧姓で働くことにした。優奈が「どうせすぐ『浅見』に戻すんだから、今のうちからそうしておきな」と背中を押してくれたおかげでもある。そう言ってくれなかったら、またうじうじと『藤野』の姓を名乗るところだった。
店長の新山さんは、60代後半ののんびりとした男性。レジの使いかたを、ゆっくりと丁寧に教えてくれる。
「最初の間は誰かにいっしょにレジに入ってもらおうか。本屋、初めてって聞いたしレジ自体は使った事あるんだっけ?」
「昔、少しだけ」
「それならすぐに慣れそうだね。まあ、若いからするする飲み込めるでしょ。分からないことがあったら、すぐに聞くんだよ。僕でもいいし、他の社員やバイトでもいいし。浅見さん、大人しそうだから気にしそうだけど、忙しそうとかそういうの無視していいから、ドンドン声かけて」
「はい。ありがとうございます」
「今日から一緒に頑張っていこうね」
「はい」
久しぶりに何だかやる気に満ちている気がする。
今日の私の勤務時間は昼から閉店まで。夕方近くなると、近くにある学校の生徒がじわじわと増え始めた。女子高生数名が楽しそうな声をあげてレジに近づいてきた。そのうちの一人が、アイドル雑誌をレジに置く。
「アンタ、相変わらずOceans好きだよね~」
後ろで待っている女子高生の一人が、レジで会計をしている子に話しかける。彼女の言葉に私の耳がピクリと動いた。
「だって、かっこいいだもん」
にっこりと輝く笑顔を見せる彼女。Oceansの事が好きでたまらない、といった表情だった。
「出てる雑誌は全部買わなきゃ! あとでみんなにも読ませてあげるから」
「はいはい」
彼女が買っていた雑誌のタイトルを私はちらりと見る。『アイドルジャパン』……帰る前に買ってみようかな。店長、お店の本は買うのは大丈夫だって言っていたし。退勤後の楽しみができた私は、その後も少し慌てながらも一日目の仕事を終えた。目立ったトラブルもなく一安心、肩の荷が下りた代わりに、私の手には軽いお土産が増えていた。
いつも通りコンビニで夕食を買ったけれど、家に着いた私は食べるより先に雑誌を開いていた。
---
――今や飛ぶ鳥を落とす勢いで人気急上昇中のアイドル・Oceansの素顔に迫っていきたいと思います! みなさん、朝の情報番組のレギュラーが決まって以降、生活の変化はありましたか?
MINATO(以下『M』):早起きになりました。
KOTA(以下『K』):お前、それは自分で起きられるようになってから言えるセリフだよ。
YOSUKE(以下『Y』):あはは! モーニングコールをする回数が増えましたね、MINATO君のおかげで。
---
インタビューはアットホームな雰囲気で始まっていく。将来の目標やビジョンについて聞かれた後に、内容は『夢』について掘り下げていく。
---
――みなさんに『夢』ってありますか?
Y:僕とKOTA君は『世界進出』ということが多いけど……MINATO君はちょっと毛色が違うんだよね。
――そうなんですか? MINATOさん
M:そう? そこまで変かな? 早く結婚したいだけだけど
――え?! それはアイドルらしくないというか、斬新ですね!
---
私も同じように「えっ!」という声が出た。最前線にいるアイドルの口からそんな言葉が出てくると思わなかったから。
---
M:俺、結構複雑な家庭で育ってるからさ、暖かい家庭? 家に帰ったら奥さんがいて、美味しいご飯があってっていう生活に憧れてるの
K:中学生の時から言ってますね、これは
M:KOTAの実家とか最高。まさに理想の形(笑)。行ったらすぐにご飯を出してくれるし、家庭の味って感じがすごいいい
---
「……家庭の味」
私の声が、少しだけ震えていた。
---
――それなら、理想の女性のタイプは『料理上手』とか?
M:あー、それそれ
Y:MINATO君、そもそも料理なんてできないしね
K:すぐ怪我するから禁止にさせてるからな
---
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。