第59話

 事情聴取が終わり、疲れた顔をした凛々花が幹部室を出る。エレベーターに乗ろうと待っていると、隣に誰かが並んだ。それはもう静かに。凛々花もすぐには気づかなかった。


「……忠幸、さん?」

「……あの、ね」


 厚底の靴を履く凛々花より小柄な忠幸が、さらに小さく見える。


「……怖かった、よね?」

「え?」


 怯えるように、忠幸は縮こまっていた。


「……あ、もしかして、さっきの?」

「うん……」


 まるで小さな子どものように、凛々花の袖をちょんとつまむ。


「あの子のことになると、自分が抑えられないの。多分、……もう、後悔したくない、から」

「あの子、って……」


 忠幸が叫んでいた名前。


 賀茂満義。


 名前からして、賀茂の家系だろう。そして、忠幸が再起不能にしたヤミ陰陽師が言っていた。「彼は陰陽寮の裏切り者だ」と。


「賀茂満義。……あたしの、元部下。扇ちゃんの前の、暦権博士だよ」


 エレベーターが到着した。開いた扉に、二人で乗り込む。


「あの子は、賀茂家の中でも随一の呪詛の腕前だったんだ」


 懐かしむように忠幸が目を細める。

 賀茂満義は、幼い頃から呪詛の才能があった。賀茂家の跡取り候補にも上がるほど、呪詛、ひいては陰陽師としての才能に溢れていた。

 順調に暦権博士まで上り詰めた満義。ある時彼は、裏ルートで呪詛の依頼を受けた。陰陽寮を通さない、表沙汰にできない依頼。彼は、それを引き受けた。


「なんで引き受けたかはわかんない。でも、その依頼者が殺そうとしていた相手も、陰陽師を雇っていたの」


 それが、安倍良平。その時彼は、まだ八歳だった。


「良平くんに呪詛返しをされて、依頼者は死んだの。で、満義の呪詛も明るみになった」


 正規ルートではない依頼。人を殺そうとした呪詛。その一件だけで、満義は処罰対象だった。


「あんまり大きい声で言えないんだけど、本当は処罰対象だったんだよ。あたしが掛け合って、謹慎と減給に抑えてもらったの」


 小さな声で言う忠幸。


「謹慎と言及の最中にね、……あの子は消えたの。残っていたのは血で書かれた格子の模様」


 格子の模様。凛々花には、それに思いつくものがあった。


「……道満、の」

「そう。ドーマンと呼ばれる、陰陽道の九字。道満からその名が来ているものね」


 凛々花の脳裏で、格子状の耳飾りが揺れる。


「道満に、連れ去られたんだと思った。だから、ずっと探してた」


 しかし、満義は想像よりすぐに見つかった。


「ヤミ陰陽師の摘発の時にね、いたの。あの子は、ヤミ陰陽師になってた」


 あの暗い瞳を、忠幸は忘れられない。

 摘発に向かった陰陽師に呪詛をかけ、逃亡。陰陽師たちは全治二ヶ月の呪詛を負った。全て良平が返したが、満義には届いてないという。


「……あの子、最後に言ったんだって。『安倍良平を殺すために、ヤミ陰陽師になった』って」


 自分の半分にも満たない幼子に、呪詛を見破られた。そして、それを返された。

 幼い頃から後継として育てられた満義には、耐え難い屈辱だったのだろう。


「裏切ったのよ、あの子は。……陰陽寮を裏切って、道満に着いたの」

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