第30話
いい香りだなと思いながら、凛々花はカップに口をつける。
双方無言。忠幸は自分の仕事があるのか、真剣な表情でパソコンの画面を見つめながら何かをタイピングしている。凛々花は話題がないので、黙っているしかない。
カップの中の紅茶が半分になった頃、エレベーターのドアが開いた。
「ただ〜いま〜」
「おかえり忠幸くん。そこ座って」
「え、あたし今から怒られる感じ?」
下駄箱で靴を履き替えている小柄な女性が、ぎょっと目を丸くした。
「怒らないから座って」
「何飲んでるの? あたしも飲みたい!」
「自分で淹れて」
「けちー」
扇の冷たい言葉をものともしない忠幸は、レースの靴下で畳の上を滑っていく。
「……忠幸、くん?」
「男よ。あれでも」
扇が肩をすくめた。
紅茶を淹れる後ろ姿。揺れている髪はハーフツインテールに結われていて、着ている服は桜色の春らしいワンピース。声も低いとは感じない。
どう見ても女性にしか見えないが、扇は首を振った。
「はいお待たせー。それでなあに?」
「これ読んで」
「なあにこれ」
「報告書。蘆屋道満の」
扇はポイと凛々花が持ってきた資料を投げ渡す。
「……蘆屋道満」
忠幸の顔が曇った。
「発生したのは蘆屋道満だけらしいわ」
「……本当に?」
「嘘ついてどうするのよ」
「疑ってはないけど。……もしかしたらが、あるかもしれないじゃん」
「じゃあこの子に聞きなさいよ」
そう言って、扇が示したのは凛々花。
凛々花は目を瞬かせた。
「あ、自己紹介してなかったね。あたしは賀茂忠幸。暦博士だよ。あんたは?」
「あ、天文得業生の安倍凛々花です!」
「得業生……ってことは、今日からの子?」
「はい! 今日からお世話になってます」
「……え、もしかして今日からなのに蘆屋道満に遭ったの?」
「そ、そうです……」
「ええ……運が悪いねえ……」
忠幸が心底同情したような表情をする。凛々花はそれに苦笑いで返した。
「聞きたいのそれじゃないでしょ」
ピシリと忠幸が固まった。
「とっとと聞きなさいよ、めんどくさいわね」
「で、でもお……」
「でもじゃないわよ。彼女も戻る時間があるのよ」
「うう……」
忠幸はゆらゆら視線を彷徨わせた後、意を決したようにギュッと手を握り合わせた。
「蘆屋道満と、会った時……」
忠幸の瞳が、揺れる。
「……他に人、いなかった?」
「……人?」
「うん。あの、……男の子。二十三歳くらいの」
「二十三歳くらいの男の子……ですか?」
「二十三歳は男の子って年齢じゃないけど」
扇がポツリと呟く。忠幸は、その言葉に首を振った。
「ミッツは男の子だよ。……あたしからしたら、ずっと、可愛い男の子だ」
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