第3話 俺と私
俺だって仕事人だ。
前払い分とは言え報酬はもらった。
アドリーヌを殺らなければならない。
一番手っ取り早いのは夜襲だ。夜中に標的の裏口なり寝室なりに忍び込んでことを済ませる。口を塞いで首を折る。それだけ。本当にそれだけ。
しかも今回の殺しは相手が女だ。小柄な、小娘みたいな、小さな花屋らしい、ただの女。依頼主は何を思って彼女を殺させようとしたのか分からないが、まぁおそらく、政府要人と寝て何らか秘密を握ってしまったとかいう話だろうと最初は思った。あの手の幼い見た目の女を好む貴族は多い。何でかは知らない。きっと流行みたいなもんだ。
手口に悩む。一番苦痛を与えない方法がいいだろう。となると後頭部と首の付け根から細い針を差し込んで脳の芯を破壊する方法が一番だ。しかしそれをやるには背後から攻撃をしかけなければならなくて、どの道夜襲のような手段に出る他なくなる。
しばらく考えたが、やはりそれ以外に手はないような気がした。となるとやることは明確だ。
夜襲は暗い中行うから目を瞑ってでも行動ができるくらい標的の家周辺を把握していないといけない。俺はある夜の帰り、アドリーヌの後をつけた。そして彼女のいる花屋を確認すると……小さくて、品のいい花屋だった……また酒場に帰って、きつい酒を呷った。立て続けに三杯呷ったら頭がくらくらしてきて、どうやって帰ったのかも分からないくらいに酔っ払った。そして翌日から、仕事の準備を始めた。
まず、花屋に行った。誰かに送る花を買いに来た、という体で。
「あら」
向こうが気づいた。俺が酒場で会う男だということに。
「こんにちは」
丁寧に挨拶する。上手くいけば親しくなれて、家の中でお茶でも一杯、なんて関係になれれば、仕事もよりしやすくなる。
「お花をお探しですか」
「ああ、小さくてかわいいのを……」
「贈り物ですか」
「ああ」
何かが痛む。本当は彼女に送りたいくらいだ。
「こちらなんてどうでしょう」
彼女が示したのは、白いゼラニウムだった。また何かが痛む。やっぱり、ゼラニウムだったか。
「それがいい。いくらだ」
俺は財布を出す。一スランだと言われた。俺は三スラン出した。
「いい花を選んでくれたお礼だ。受け取ってくれ」
アドリーヌはびっくりしたような顔をした。
「ありがとうございます」
「医者の娘が花屋なんてやってるのか?」
俺が笑うと彼女も笑った。
「おかしいですか?」
「素敵だよ」
それから俺は空を眺めた。
「俺はアルベリク。今度酒場で会ったら飲もう」
「素敵ですね」
アドリーヌは笑った。それこそ、花のように。小柄な彼女の華やぐ笑顔を、俺は本能的に守りたいと思ってしまった。本当は守るどころか、殺さなければいけない相手なのに。
ゼラニウムの花は家の窓際に飾った。陽の光を受けて輝く花で、俺は視界にそれが入る度にあの笑顔を思い出した。
アドリーヌとはすぐに親しくなれた。俺たちは共通点が多かった。
まず一に両親がシュトラツブールの出身だということ。俺とアドリーヌは古き良きシュトラツブール訛りでしゃべることができた。俺たちは家族と話すような感覚で、のんびりと、だが楽しく、笑い合うことができた。
次にベルタグネ地方のシードルが好きだということ。珍しかった。普通、シードルと言えばブルタルニュかノルマルティのものが好まれる。バロン国の南西、ベルタグネ地方で作られるシードルは甘ったるくて飲んでいられないなんて生粋のシュトラツブール人なら言うものだが……俺たちはちょっと変わっているようだった。俺は酒を飲み始めた頃、どんな酒が自分に合うか探していた時にベルタグネのシードルが口に合うことを学んだから。アドリーヌは元から甘党だったので甘い酒が好きだから。そんな理由でシードルと言えばベルタグネだと思っていた。
最後に、長子だということが共通点だった。奇遇にもお互い妹を持つ身だった。兄と姉、立場は違うが長子の苦労は一緒だった。俺たちは妹がいるとありがちなことについてしゃべり合って笑った。
俺がプチに目をつけられるようになったのはこの頃だ。酒場の帰り、暗い、誰も入らない路地で屈強な男たちに囲まれた。
「お前調子に乗ってやがるな」
いちゃもんだ。アドリーヌを振り向かせられなかったから当てつけているのだろう。
「プチさんの女に声かけてるんじゃねーよ」
「お前らはプチさんの男ってわけだな」
冗談が通じる連中だったのだろう。そいつらはニヤニヤ笑っていた。馬鹿な奴らだ。自分から人の目につかないところに。
路地の奥にプチがいた。腕を組んで、偉そうに。
片すのに十分もかからなかった。やったことは簡単だ。
まず、壁を背後にする。これで後ろから襲われることはない。次に、左右の移動を繰り返して敵を一列に並ばせる。これが出来れば話は早い。
一人目が殴りかかってくる。素人だろう。腕を振り回せば殴れると思ってる。いいか、パンチってのは腰から打つんだ。そういうわけでお手本を示してやる。
二人目はどこからか持ち出した鉄の棒で殴りかかってきた。こういうのは棒を振り下ろされるのより先に手を押さえてしまえば怖くない。で、お留守になった下半身を攻める。股間に蹴り。一丁上がり。
三人目は少しお利口で、距離をとって俺の様子を見ていた。が、反射神経が鈍いのだろう。何度か見せかけの蹴りをするとすぐによろめいて、動きが止まったところを膝の内側を踏み砕いてやった。男は悲鳴を上げて蹲った。
四人目は逃げた。プチが怒鳴ってそいつを留め、襟首をつかんで荷物みたいに俺の方に投げてきてくれたので、かわして壁にぶつけさせたら気絶した。かわいそうに。味方にやられた。
五人目はプチだ。上等なハムみたいな筋肉。それがついた腕を振り回してくる。こういう上半身を鍛えている奴は大抵下半身が弱い。俺は屈んで腕をかわすと腰から腹部にかけて連続で殴り、プチが唸って腰を折ったところを迎えうつように顎にパンチを見舞ってやった。気絶。どんな大男でも顎から脳への衝撃には耐えられない。
そういうわけで、プチも含めて合計五人。三人目の奴は膝が折れただろうな。しばらく肉体労働はできないだろうが、致命的な傷じゃない。ちょっとした火傷みたいなものだ。
以来、俺がアドリーヌとおしゃべりするのを邪魔する人間はいなくなった。毎晩。俺はアドリーヌと酒を飲み談笑する仲になった。プチの一件から俺とアドリーヌはますます仲良くなった。俺は笑うことも増えた。
その一方で、仕事の方はますますやりにくくなった。おかしかった。仕事をやりやすくするために彼女と親しくなっているはずなのに、俺は仕事をすればするほど、彼女を殺したくなくなっていった。
ある日の帰り。
酒に酔っていたのだろう。そうじゃなきゃ説明がつかない。
川辺の、ガス灯がひとつしかない薄暗い場所で。
その頃、俺とアドリーヌは二人で会う仲になっていた。それは夜の酒場で、だけではなく、昼間時間ができた時、お互いに何となく会いたくなった時、会うようになっていた。
そんな仲だから、必然俺はアドリーヌが酒場から家に帰るまでの護衛をするようになっていた。夜道を歩きながら、俺たちは酒場での話の続きをした。たくさん話した。で、気がついたら、いつもの川辺の道で、俺たちは立ち止まっていた。薄暗いガス灯の下、向かい合って、何も言わずに見つめ合っていた。
俺は黙ってアドリーヌに口付けをした。彼女も黙って俺を受け入れてくれた。それから、お返しだと言わんばかりに小さく、啄むようにしてくれた。俺たちは少しの間、抱き合った。
「気をつけて帰れよ」
花屋の前まで送ってから。俺は彼女と別れた。
「もう家の目の前」
アドリーヌは笑った。アドリーヌは夜に咲く花だった。俺はその花を愛した。愛してしまった。
家に帰ると、苦悶した。俺の家には魔物がいた。苛んでくるのだ。彼女を殺すのか? 殺さないのか? 殺すだろう? 殺してしまうのか?
眠れなかった。魔物が眠らせてくれなかった。俺はあの女を殺さないといけない。だが殺したくない。腕の中に彼女の感触が蘇る。触れた唇の甘さが蘇る。彼女を不幸にするくらいなら俺の心臓を悪魔に捧げた方がましだった。彼女の肌に虫が止まるのでさえ嫌な気持ちになる。そんな女の首に、針を一本。あの体格ならおそらく掌ほどの長さの針で足りる。だがその一本が……。
それでも、実際問題として。
俺はもうアドリーヌを殺せる状況にいた。彼女の勤務時間も生活様式も全て把握してるし、夜襲はおろか昼間に顔を見られずに襲撃することだって十分に可能だった。
殺せる。殺せるんだ。
いつもならもう殺してる。とっくに報酬をもらってる。
そしてある日、決意した。
こうするしかない。こうするしかないんだ。
夜。俺は走った。向かう先はひとつだった。
首都シュトラツブールの隣の小さな町、ナンツ。そこに住んでる妹に会いに行った。
俺の家は暗殺者一家だった。親父も暗殺者だしおふくろも暗殺者だし妹も暗殺者だった。親父は現役を引退しておふくろと北の街に……どこかは知らない。親父は秘密主義だった。俺はその点を受け継がなかったが……隠居していた。けれど妹の住んでいる場所は、知っていた。
それは妹が俺の暗殺稼業における相棒的な立ち位置だったから、というのもあるし、単純に兄妹だったから、というのもある。とにかく俺は、ナンツの妹の元へ向かった。手にはあの、依頼書を持って。
依頼主を特定するつもりでいた。依頼主を殺せばこんな問題解決できる。俺は晴れて自由の身になり、一人の男としてアドリーヌを愛せる。だから俺は、依頼主を殺すことにしたのだ。
妹は情報屋だった。国中のあらゆる情報を集めている。俺は時折妹を使って殺しの標的に関する情報を集めて、効率的に仕留める、ということをやっていた。妹はいつでも俺の期待を裏切らなかった。今回もきっとそうだと思っていた。依頼書の筆跡やその他の情報から、依頼主を辿る。妹ならできると確信していた。
ナンツの外れ、森の傍、湖の近くの小さな家。
そこが妹の拠点のひとつだった。妹は、家をいくつか持っているがこの日はおそらくここの家だと思っていた。根拠はない。兄妹の勘だ。
結果から言えば、間違っていなかった。妹は確かにこの家にいた。だがもう、遅かった。
家に近づいたその瞬間に異変に気付いた。血だ。血の臭いだ。
言っておくが、妹の家から血の臭いがすること自体は珍しくはなかった。妹だって殺し屋だ。殺した標的を、見つからないようにバラバラにして埋めるなり川に流すなりして隠蔽するなんていうことは日常的にやる。ただ少しおかしかった。妹がこんな「殺しましたよ」なんて殺し方をするのは。つまり血の臭いがするなんていうのは、妹にしては不手際だ。俺の嗅覚が優れているだけの可能性は、この時点では否定できなかったが。
警戒しながら家に入った。そこで見つけた。妹の骸。
首を一太刀で切られていた。ほとんど皮一枚で繋がっていた。こびりつくように固まった血の池の中に、妹の黒い髪の毛が細い虫を思わせる状態で散らばっていた。間違いなく、殺されてから大分経っていた。少なくとも血が固まるくらいの時間は。
妹が抵抗した様子はあった。右手に割れた瓶が握られていた。割ることで鋭利にしてナイフの代わりにしようとしたのか、あるいは死に際に相手に一撃加えたことで割れたのかはすぐに判断がつかなかった。そんなことは今はどうでもいいからだ。俺は妹の家の中を警戒しながら捜索した。
敵はもういなかった。俺は改めて妹の死体を見た。
首をすっぱり切られている。骨ごと。綺麗に。よほど重たい刃物を使ったのだろう。
妹は多少、体術が苦手だった。それでもその辺の男を真正面から仕留めるなんてことは容易かったし、簡単には負けないはずだった。その妹がやられた。そして俺には、この殺しの手口に覚えがあった。
リッレ。隣国ベルギグとの国境の街。その街を愛している妙な殺し屋、アシルという男がいた。間違いなくあいつの手口だった。あいつくらいしか妹と張り合える殺し屋はいないし、持ち運びも隠蔽も不便な重たい刃物を使う殺し屋はいない。
殺し屋が殺し屋を殺している。
奇遇だった。俺とアドリーヌに似ている。
そう、俺には分かっていた。
アドリーヌが、殺し屋だということが。
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