ゲームの世界で音楽を届ける演奏家たち
柊咲
音風シンフォニー
小さい頃から病弱で、小学生、中学生で一番眺めた景色は病院の天井だった。
『学校に行きたい!』
『お友達と遊びたい!』
何度も泣き出して両親を困らせた。
パパとママが悪いわけじゃないのに。
そんな退屈な毎日を送っていたわたしにも一つだけ楽しみがあった。
病院のテレビで流れる、オーケストラの映像。
お洒落な雰囲気に、眩いほどの照明。それといろんな楽器を手に、綺麗な衣装を身に纏う大人たち。
指揮者が立ち、一礼する。
シーンと静まった会場。指揮者が棒みたいなのを掲げると、音楽が鳴り響く。
どんなに毎日が退屈で、苦しくても、その演奏を聞くと癒された。
──いつかわたしも、こんな風に演奏したいな。
この人たちみたいに、わたしも誰かを笑顔にできるような。
そう思い続け、少しずつ体調が良くなると私は高校に入学して吹奏楽部へ入部した。
♦
──現実の演奏者は、あの映像に映ってた人ほど魅力的でも綺麗でもなかった。
「──あの新入部員の子、名前なんだっけ?」
「新入部員? あー、あの初心者の子か。なんだっけ、戸田……遠田?」
「
「そうそう、遠田葵。今日も来ると思う?」
部室から聞こえる三人の先輩たちの声。
声だけでも顔が想像できるぐらいには印象のある先輩たち。良い印象ではない先輩たちの陰口。
なんとなく嫌な予感がした私は、扉の前で立ち止まってしまった。
「来るでしょ。だってあの子、いかにも『演奏するの大好きです!』みたいな顔してるもん」
「ほんと、やる気だけは完璧なんだよね。すっごい下手くそだけど。合わせ練習でも毎回、音外すからいっつも途中で先生が止めてさ」
「あの子が来てから通し練習できた回数減ったよね。温厚なおじいちゃん先生も明らかに困り顔だったし」
「はあ……。いくらうちがさ、コンクールに出ても賞にかすりもしない弱小校だからって、あそこまで素人はさすがにきつくない?」
「しかも、人一倍練習してるのが余計にたちが悪いしね。いくら練習しても伸びないの見てわかるもん」
嫌な予感は的中した。
気付いたら階段を駆け下り、校門を出ていた。
「初心者大歓迎って言ってたじゃん、噓つき……」
帰りながら、体験入部のときに言われたことを思い出す。
体験入部では楽器の説明を受け、どの楽器が合うかとかを優しく話してくれた。
あのオーケストラで見たのと同じ……とはいえないボロボロで使い古された楽器だったけど、それでもずっと吹きたい叩きたいと思ってきた楽器だったから嬉しかった。
『うちは弱小校だから、和気あいあいな感じで楽しく活動しようね!』
そう言って優しく笑ってくれてた先輩も、日が経つにつれ笑ってくれなくなった。
「けほっ、けほけほ……うう、少し走りすぎちゃった」
大した距離も走ってないのに呼吸が乱れ、立ち眩みもする。
いつも登下校中お世話になってるベンチに座り、ゆっくり深呼吸する。
「結局、退院しても普通には戻れないんだね」
テレビで見たオーケストラの人たちは簡単に吹いてた管楽器は、少し走っただけで立ち眩みに息切れを起こす私の体では堪えられなかった。
かといって打楽器とか弦楽器は数も少なくて、素人の私が担当できるものじゃなかった。
必然的に、というか、押し付けられるように管楽器を担当することになったんだけど。
「せっかく、いっぱい練習したのにな……」
ああ、泣けてくる。
暗くジメジメした気持ちを、ため息に乗せてどっかに飛ばすと、わたしはトボトボと歩いて家に帰った。
「ただいま……って、うわ」
家に帰ると、弟の
なぜか玄関に、カップアイスを手にして。
「うわってなんだよ、失礼だな。それより姉ちゃん、部活は?」
「あー、えーと、まあ」
先輩の陰口を聞いて逃げてきた、なんてことは言えなかった。
「……ふーん、まあいいや。暇なら付き合ってよ」
わたしの曖昧な返事には触れず、雄哉は自分の部屋へ戻ると手招きする。
「なに?」
「一緒に遊ぶ予定だった友達が急に遊べなくなったとか言ってさ。暇なら姉ちゃん付き合ってよ」
「はあ」
雄哉はパパに駄々をこねて買ってもらったパソコンの電源を付けると、何かを起動した。
「それ、パソコンのゲーム? なんかのアプリ?」
「これはオンラインゲーム。MMORPG」
「えむえむおー、ん、何それ」
画面には大きく【セカンド・ストーリー・オンライン】と、たぶんこのゲームのタイトルだろう文字が表示された。
「これで良し、と。姉ちゃんのメアドにセカストの招待送っといたから登録してきて」
「登録してきてって、そのゲームってスマホでもできるの?」
「違う違う、父さんのパソコンでやるの」
「えっ、パパのって、パパの書斎のパソコン? ……勝手に使ったら、わたしがパパに怒られるじゃん!」
「大丈夫だって」
強引にパパの書斎に押し込まれ、勝手にパソコンを起動された。
「起動したらメアドのURLをクリックして登録。あっ、デスクトップにセカストのアイコンあるから」
「なんでパパのパソコンにゲームのアイコンがあんのさ」
アイコンがあるということは、パパも気付いてるけど放置してる感じなのかな。
それからも雄哉の指導のもと、ユーザー登録というのをして、キャラクターの名前を入力する。
あっ、なんか本名を入力しようとしたら怒られたので【アオ】って名前にしておいた。
で、登録を終えるとマイクが付いたヘッドホン? ヘッドセットっていうのを渡された。
『あー、あー、姉ちゃん聞こえる?』
「聞こえるよ。へえ、ゲームしながらこうやって喋れるんだ。でも電話代とか大丈夫なの、これ?」
『電話代って……。姉ちゃんって昔の人みたいだよな』
「ムカッ! わたしのどこが昔の人なのさ!」
『はいはい。で、今どこまで登録終わった?』
「たぶん登録は終わったのかな。あっ、なんか綺麗なムービーが流れて……で、終わって、今よくわからない村にいる!」
『始まりの村だな。オッケー、いま行く!』
雄哉に伝えてから、パソコンの画面に表示された自分のキャラの背中越しにゲームの世界を見渡す。
綺麗な景色だな。
ゲームの世界というよりも、本当の、もう一つの世界みたい。
こんなに綺麗なら、自分のキャラもデフォルトの女性キャラじゃなくって他のキャラみたいに気合入れた感じにすれば良かったかな。
「あっ、あのちっちゃいキャラ可愛い! へえ、種族とかもいろいろあるんだ」
『ラコルネだな。小人みたいな種族で一番人気』
「へえ、そうなんだ。ん?」
──ピコン。
パソコンから変な音が聞こえた。
画面を見ると、
「一件の新着メッセージが届いています……?」
『それ、俺が送ったフレンド申請。届いたメッセージをクリックして、承認ってとこ押して』
どうやら雄哉が送ったものらしい。
わたしは送られたメッセージをクリックする。
『おっけ、これでフレンド登録完了。そしたら、ボイスチャットの表示のマイクミュートっての解除して』
「ボイスチャット? マイクミュート? えっと、えーっと」
と、悩んでいると雄哉が部屋から走ってきた。
『あー、あー、聞こえる?』
「うん、聞こえる。あれ、だけどさっきより音の感じ悪い? 電波悪いのかな?」
『さっきまでのはボイスチャットツールで、これはゲーム内のボイスチャットだから。まあ、姉ちゃんに話してもわからないと思うから、さっきの設定したらフレンドなら誰とでも会話できるってことだけ覚えておけばオッケー』
「ふーん、よくわかんないけど、わかった。で、何すればいいの?」
『素材集め!』
それから、雄哉の操り人形と化したわたしは言われた通りの行動を繰り返す。
砂浜の端から端までをずっと四つん這いになりながら【採取】って表示が出たら、指示通りのボタンを押す。
で、少し移動してまたボタンを押す。
わたしはこの綺麗な世界で何をしているのでしょうか……。
ふとそんなこと思ったけど、わたしみたいなことしてるキャラが何人かいた。
お互い四つん這いのまま頭ごっつんしたら、立ち上がって屈伸された。挨拶なのかわからないけど、わたしも同じように屈伸を返して仕事に戻る。
そんなよくわからない行動を繰り返していると、
『じゃあ、新人アルバイトさん、そろそろ休憩しよっか!』
「新人アルバイトって……ん? ねえ、雄哉。あれ何してるの?」
海岸で休憩していると、ふと画面の中に気になる集団が映った。
同じプレイヤーだと思うんだけど、剣と魔法の世界特有の重々しい雰囲気の装備とは違う華やかな衣装を着て、ダンスを踊ったり、楽器を演奏してるキャラたちがいる。
『ん、ああ、演奏隊ギルドか』
「演奏隊ギルド?」
『そう。ダンジョン攻略とかを目的にしないプレイヤーで構成されたギルドで、楽器とかは、ダンジョンボスを倒したときにゲットできるアイテムだったかな』
ギルドとかよくわからなかったけど、その演奏隊ギルドの人たちに目を奪われる。
曲に合わせてダンスを踊っている人もいる。どこか楽しそうで……いや、ゲームのキャラクターだからわからないけど、それでも楽しそうに見えた。
『なに、姉ちゃんやりたいの?』
「えっ!?」
ジッと見つめる私を見て、雄哉は言う。
「やりたいというか……」
『じゃあ、ちょっと話してくるよ』
「えっ、ちょっと!?」
雄哉のキャラクターが演奏隊ギルドの人たちのもとへ走っていく。
キャラが身振り手振りを始めたときは、チャットを入力しているときらしい。
その身振り手振りが終わると、雄哉のキャラの隣をラコルネという種族の少女が歩いて近付いてくる。
そして身振り手振りが始まると、
ピコン!
チャットが送られた。
『演奏隊ギルドに興味あるの?』
サラさん……というプレイヤーネームらしい。
「え、雄哉! なんかチャット送られてきたんだけど、ど、どうしたらいいの!?」
『姉ちゃんが興味あるらしいので話を聞かせてくださいって言ったら『いいよ!』って。気になることあるなら話してみたら? 俺、適当にそこら辺ぶらついてくるから!』
「ちょっと!?」
返事しないのも失礼だと思い慣れない手つきでキーボードを叩くと、わたしが打ち終わる前に、
『ボイスチャットしても大丈夫? 私、文字入力が苦手なんだよね!』
すぐ返事しないと!
そう思っても、キーボード入力が上手くできない。
だからわたしは、さっき学んだ屈伸返事で意思を伝える。
『オッケーってことかな? じゃあ、もし大丈夫だったらこれ承認してね』
さっき雄哉としたフレンド登録。
それからミュート解除をすると、
『あーあー、聞こえるかな?』
女の人の声だ。
たぶん年上の、お姉さんみたいな声だからそう思えた。
「は、はい、大丈夫です!」
『良かった。はじめまして、私は演奏隊ギルド【音風シンフォニー】のギルドマスターを務めてる【サラ】。よろしくね』
サラさんはそう言うと、自分のキャラにお辞儀させた。
「は、はじめまして、えっと、【アオ】です」
『アオちゃん? いい名前だね。本名だったりして……?』
「い、いえ、似てますけど、その……」
『ふふっ、そっかそっか。それで演奏隊ギルドに興味を持ってもらえた、ってことでいいのかな?』
「えっと、はい。皆さん、何してるのかなって。わたし、ゲーム始めたのもさっきなので!」
『そうなんだ! それじゃあ、少しだけプレゼンさせてもらおうかな』
そう言うと、サラさんのキャラが隣に座る。
フリフリのドレスを着て、小さくて可愛い。
『演奏隊ギルドは名前の通りで、このゲームで演奏をメインに行ってるギルドのこと。おっと、お近づきの印にこれあげる』
サラさんからアイテムを送られた。
小さなアイコンで、名前も見た目も楽器のフルートだった。
「いいんですか、こんな高価なもの貰って!」
『ゲーム内だとダンジョンボス倒したら貰える初級楽器だから大丈夫だよ。それで装備するって項目ない?』
「えっと、えっと……すみません、ゲーム慣れてなくて」
『ふふ、ゆっくりで大丈夫』
「すみません、すみません。えっと、えーっと」
『なんかアオちゃん、可愛いね?』
「か、かわわっ!?」
このお姉さん、やり手だ!
危うく瞬殺されるところだった。
「あ、ありました!」
『装備したら、画面に演奏記号とか符号の無い楽譜が出てきたよね』
「はい! 白と黒の線のあります!」
『うん。それじゃあ、キーボードの↓を押してみて』
言われた通り十字キーの↓を押す。
「音が鳴りました!」
『うんうん。今度は→』
「さっきのとは違う音が鳴りました!」
『こうやってキーボードを押すだけで音が違う出せるの。ちょっと聞いててね』
サラさんのキャラがフルートを構えると、海岸に音が鳴り響く。
わたしが鳴らした短い音とは違う、綺麗なロングトーン。
それに色々な音階だから、音が音楽になっていくのがわかった。
「あっ、この曲……」
わたしでも知ってるような有名な曲が流れる。
聞き惚れていると、ふと音楽が止まる。
『こうやって、キーボードを押している長さとかタイミングを変えると音楽になるの。凄いでしょ』
「はい、凄いです! プロかと思いました!」
『ふふん、そうでしょそうでしょ。もっと褒めて褒めて』
サラさんは立ち上がり、えっへんと腰に手を当て胸を張る。
『アオちゃんも練習したらこれぐらい吹けるよ。どう、一緒にやってみない?』
「わたしも……。で、でも、わたし、下手で……センスなんて、これっぽっちもなくて」
吹奏楽部でのことを思い出し、明るかった気持ちがどんどん沈んでいく。
『下手で結構。センス無くて結構。楽しければ、それで十分でしょ?』
サラさんがそう言うと、サラさんのキャラが楽しそうに飛び跳ねる。
『楽しんでいれば、きっと腕前も上達するよ。もし上達しなかったら、その時はお姉さんがマンツーマンでみっちり鍛えてあげる。どう、嬉しいでしょ!』
「嬉しい、のかな……? あはは」
『音楽は楽しむものだから。演奏者が楽しんで、観客も楽しむ。やる前からいろんなこと考えてたら、誰も楽しめないよ?』
再びサラさんが音楽を吹いてくれた。
綺麗な音色を聞いていると、自然と笑顔が生まれる。
吹奏楽部では上手くできなかった。
最初は楽しかったのに、周りの顔色を見ていると”楽しい”から”やらないと”って気持ちに変わっていた。
そうか。
そうだった。
わたしが目を輝かせていたオーケストラの演奏者たちも、みんな笑って、楽しそうに演奏していた。
いつからか、楽しむことからちゃんと演奏しないとって考えになってたのかな。
『アオちゃん、一緒に演奏しよ?』
そう聞かれ、わたしは考える間もなく頷いていた。
「はい! ……あっ、わ、わたしなんかで良かったら」
『ふふ、アオちゃんなら大歓迎だよ! お姉さんがみっちりこってり指導してあげるから!』
「お、お手柔らかに、お願いします……」
その日、わたしは音楽隊ギルド【音風シンフォニー】に加入した。
♦
それからの日々は、とてつもなく忙しかった。
パソコンなんて今まで使ったことなかったから、まずキーボードの配置を覚えるところから。
といっても、使うのは【ド】【レ】【ミ】【ファ】【ソ】【ラ】【シ】【ド】 の音が出せる八つのキーと、その上の【レ】【ミ】【ファ】【ソ】【ラ】【シ】【ド】の音階に変換する同時押しのshiftキーだけ。
だけって言ったら簡単に聞こえるかもだけど、これがめちゃくちゃ難しい。
何度も何度も失敗して、そのたびサラさんに『また同じとこ間違えた!』って笑われる。
『音ゲーみたいでしょ?』
って、サラさんが最初に言ってたけど、ほんとその通りだと思う。
正確なタイミングでキーを押したり長押ししたりする。個人練習の時は、本当にこれで合ってるのかなと不安になることもあった。
だけど他のみんな──他の楽器と合わせると、一つの音楽に変わる。
忙しい毎日。だけど本当に楽しくて、あっという間に時間が過ぎた。
『アオちゃん、このセカストには三か月に一度【神塔クエスト】っていうギルド対抗のダンジョン攻略クエストがあるの』
「神塔クエスト?」
『年に四回だけ行われる、セカストのお祭りイベント。ギルド全員で攻略するイベントで、毎回敵キャラもダンジョンのギミックも変わるの。中には三ヶ月経っても攻略できないプレイヤーもいるぐらい難しいんだって』
「なんか、恐ろしいイベントですね」
『で、その神塔クエストで一番最初にクリアするのがプレイヤーたちの目標なの』
「その神塔クエストを最初にクリアしたら何かあるんですか?」
『石碑にギルド名と所属プレイヤー全員の名前が刻まれる。それと、三ヶ月後に行われる神塔クエストで一番最初に攻略できる権利が貰える!』
「ん? んんん?」
『この神塔クエストはね、全プレイヤーが時間になったら一斉によーいドン! で始められるわけじゃないの。参加人数が多くてサーバーがクラッシュするとかの理由で、前回の神塔クエストの攻略順に時間差での参加なの』
「じゃあ、前回の神塔クエストで早く攻略すればするほど他のプレイヤーよりも先に挑めるんですね!」
『そういうこと。最後尾になると、始められるのは三日後とかになっちゃうんだってさ』
「ええ!?」
『だからみんな頑張って一位を目指しているというわけで。イベントについての説明はこんな感じで、ここからが本題。お祭りといえばなんでしょう!』
「えっ、屋台……?」
『それもあるけど、正解は音楽! ということで、演奏隊ギルドは毎回、この神塔クエスト開始地点周辺で演奏会をするの!』
「ここで!?」
と驚いてみたものの、今はまだプレイヤーもほとんどいない穏やかな村なので、それがどう凄いのかわからなかった。
『演奏隊ギルドってうちだけじゃなくて他にもたくさんあってね。それぞれの演奏隊ギルドが演奏していい日にちと時間ってのも事前に決められてるの。うちらのギルドは……』
日にちと時間、それから細かな場所の指示をサヤさんは実際に移動して教えてくれた。
『まあ、難しいことは置いておいて。神塔クエストで私たち音風シンフォニーも演奏会を開くよってことだけ覚えてくれたらいいから』
サラさんはあっさりとした感じで話を締めた。
♦
──そして、あっという間に本番当日。
「ああ、緊張してきた!」
前日、ぐっすりと寝ることもできないぐらいには緊張した。
待ち合わせ時間前なのに、パソコンの電源も付けずにずっとイスに座って唸ってる。
「姉ちゃん、もう起きたか……って、電源も付けずに何やってんだよ」
パパの書斎に入ってきた雄哉がため息混じりに言う。
「だ、だって、まだ時間じゃないから!」
「先にログインして待ってればいいじゃん」
「でも! も、もしいっぱい人いたら……あわわわ!」
大勢のプレイヤーを見たら、そこで演奏なんて怖くてできない。
「あっ、そうそう。ゲーム内にはワールドって概念があって、もしそのワールドが定員オーバーになると、ログインできなくなるから気を付けれな」
「え!? なにそれ! サラさんそんなこと……」
慌ててログインを開始する。
もしログインできなかったら、わたしだけ演奏会に参加できないいってこと!?
あんなにいっぱい練習したのに。
焦りながらサラさんから言われていた【17アクサズ】にログインする。
「で、できた……」
「まっ、普通にできるわな。17番目のワールドなんて、まだそんな人いないだろ」
「雄哉、騙したな!?」
「騙される方が悪いんだよ」
いつも以上に生意気な感じで笑った雄哉。
だけど不意に、少しだけ嬉しそうに微笑む。
「良かったな、姉ちゃん」
「はあ、何が良かったのさ。雄哉に騙されて急いだせいで動悸が」
「好きだった音楽やれてさ」
「え……?」
「音楽がずっと好きで、病室で楽器を吹けるように勉強して、部活でも居残りして練習してたの知ってたから。それなのに色々あって、続けられなくて……」
「もしかして雄哉、演奏隊ギルドのこと知ってて、それでわたしのことセカストに誘ったの?」
「どうするかは姉ちゃん次第だけど、こういう形もあるぞってさ。まあ、その日に演奏隊ギルドに加入するとは思ってなかったけど」
そう言って笑った雄哉を見て、素直に嬉しかった。
「ありがと、雄哉」
「な……ッ!?」
雄哉は赤く染めた顔を隠すように私に背中を向ける。
「俺のギルド、ランキング下の方だから参加するの明日以降だけど。ま、まあ、気が向いたら、姉ちゃんの演奏でも聴きに行くから……頑張れよ」
そう言い残して、雄哉は自分の部屋へと戻っていった。
いつもは生意気でだらしない弟だけど、珍しく可愛いとこを見れて緊張が薄れる。
「よし!」
気合を入れてパソコンの画面を見る。
だけど、
「え、えええっ!?」
始まりの村には大勢のプレイヤーが。
というより処理できてないみたいで、周りのキャラが消えたり現れたりを繰り返してた。
「なにこれ……え、こんなにたくさん」
『おっ、アオちゃん、やっとログインした!』
村の外れで集まってるギルドのみんなのとこに移動する。
大体のメンバーは既に揃ってて、踊り子ギルドの方々は全員集合してた。
「わあ……踊り子ギルドのみなさんの衣装、すっごく綺麗ですね!」
『今日のためにめちゃくちゃ貴重な素材を集めて全員分揃えたんだってさあ』
サヤさんいわく、大手の演奏隊ギルドは演奏者と踊り子を合わせて演奏隊ギルドと呼ぶらしいけど、音風シンフォニーはそこまで大きいギルドではないので、こういうイベントで演奏するときは踊り子ギルド単体で活動しているところと交渉して演奏するらしい。
それから少しして、メンバーが全員揃った。
『うーん、事前に指示されてた場所なんだけど、ちょっと他の演奏隊ギルドの音が聞こえるね。ごめんみんな、もう少し横にずれよっか!』
ゲーム内には、周囲のプレイヤーが発する音が完全に聞こえなくなるまでの距離というのが存在するらしい。
確かに少しだけ、二人分ぐらいのヴァイオリンの音が微かに聞こえた。
『うん、ここでいいかな』
それぞれが事前に聞かされていた配置に移動する。
『それじゃあ、準備できたらラグチェックするね。まずドラムから。はい、タン、タン、タン、タン。うん、大丈夫そう。次』
サヤさんの声に合わせてそれぞれが音を鳴らす。
電波の問題で通信が遅い人とかがいないかの確認。
自分では問題ないように感じても、合わせてみたら少しズレてることがあるらしい。
特にこういうイベントではよくあるのだとか。
『ちょっと遅いかな。一回、パソコン再起動した方がいいかも。じゃあ次、フルート』
「わたしの番だ……」
音風シンフォニーのフルートは全員で六人。
演奏隊の中でフルート奏者が一番多い。ミスしても周りがカバーしてくれるからなんとか誤魔化せるといえばそうだけど、人数が多いからこそ演奏隊の中で一番大きい音が出る。
大切な役割。
大丈夫、大丈夫、大丈夫。
あんなに練習したんだから。
『うん、問題なし!』
ラグチェックでこんなに緊張するのに、本番になったらどうなっちゃうんだろう。
パソコンの前で大きく息を吐く。
手書きの楽譜を見て最終確認して、その時を待つ。
『そろそろかな』
サヤさんの声を聞き、画面に視線を向ける。
『じゃあみんな、ミュートお願いね』
聞こえていたギルドのみんなの声が消える。
演奏中にも指示したりするため、ギルドマスターのサヤさんだけボイスチャットを入れて他のみんなはオフにする。
声だけだったらなんとかなるけど、生活音が入ると演奏に集中できない。
『ふふ』
サヤさんの笑い声が聞こえた。
『メインどころの演奏隊じゃないのに、こんなにお客さんがいっぱいだ』
大手の演奏隊ギルドがいる村の中心部とは程遠い村の外れなのに、周囲には大勢のプレイヤーがいた。
これから神塔クエストに挑むギルドや、ただお祭りを楽しみに来た人たち。それに、
「雄哉……」
雄哉のキャラもいた。
木陰で隠れながら見てるけど、頭上にプレイヤーネームが表示されてるのですぐわかった。
『時間だ』
普段の明るいサヤさんの声とは違う、気持ちの入った声に全身が震える。
『ここはゲームの世界。そんな世界で私たちは演奏して踊りを披露する。踊りはエモートをするだけ。演奏もキーボードを叩くだけ。こんなの誰でもできる。──だけど、そんな簡単なことで誰かを感動させられる。そんな簡単なことを、私たちは必死に練習してきた』
サヤさんの言葉を、目を閉じて聞く。
『一人でも多くの人に感動を。一人でも多くの人の記憶に。それじゃあ、奏でようか』
非現実的な種族のキャラが大勢、ステージで楽器を持つわたしたちに視線を向けてる。
多くの目的が存在するなか、音風シンフォニーの前で足を止め、私たちの演奏を聞こうとしてくれるプレイヤーたち。
サヤさんのキャラが一礼すると、歓声が湧く。
こちらに向き直ったサヤさんのキャラは、優しく微笑んでいたような気がした。
ダンス隊が揃って膝をつくエモートを行い、演奏の始まりを告げるギターソロが鳴り響く。
その瞬間、音風シンフォニーの演奏が始まった──。
ゲームの世界で音楽を届ける演奏家たち 柊咲 @ooka
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