第54話 僕なんかの家にいる和水さん⑲
「そうだ、この時間だとちょっと寒そうだからさ、よかったら上着貸してよ」
「え、僕のをですか?」
「うん。薄いのでいいからさ、何か羽織りたいんだよね」
「りょ、了解です! ちょ、ちょっと待っててくださいね」
帰り際に言われた和水さんからの思いもよらぬその提案は、僕にとっては絶好のチャンスだった。
送るのは和水さんの説得で諦めたとはいえ、それでも何か和水さんの役に立ちたかったのだ。
僕は必死になって和水さんが着れそうな服を探し回った。
そうしてやっとの思いで見つけたのは、僕には大き目だったグレーのカーディガンだ。
そもそもサイズ的に僕の服は小さすぎて和水さんが着れそうなものがあまりない。
数少ない候補の中で、和水さんが制服の上から着てあまり違和感が無さそうなのはこれくらいだった。
「和水さん、これなんていかがでしょうか? その、しっかり洗濯はしていますので」
少し緊張しながら和水さんにカーディガンを手渡す。
こんなダサいの着れないと言われたら自我が崩壊する自信がある。
けれど、和水さんはすぐにカーディガンに袖を通していた。
僕の服なんかを気にせずに来てくれる和水さんは、やっぱり女神なのかもしれない。
「全然いいよ……ちょっと小っちゃいけど」
「うっ、すいません」
僕には少し大きめのカーディガンなのに、それでも和水さんが着るとパツパツだった。
改めて見せつけられた身長差に心がえぐられそうになる。
けれど、あそこまでパツパツになった原因は主にあの大きな胸のせいだろう。
たぶん和水さんの胸があんなに大きくなければ、まぁまぁ丁度いいサイズ感だったに違いない。
はちきれんばかりに伸びた僕のカーディガンは、気のせいか幸せそうに見えた。
流石は僕のカーディガンだ。僕もカーディガンになって和水さんの胸に引き伸ばされたいと思った。
改めて自分と和水さんの身長差を実感して落ち込みそうになったけれど、それ以上に和水さんが僕の服を着ている姿に興奮できたおかげで事なきを得た。
「これで外も大丈夫そうだから、ありがと」
「いえ、役に立ててよかったです。あの、せめてマンションのエントランスまでは送りますね」
立ち上がる和水さんに続く。
断られたらどうしようかと思ったけれど、エントランスまでならばと和水さんも認めてくれたらしく、何も言わずにいてくれた。
見送りを認めてもらった事に安堵して和水さんと一緒に外へ出る。
マンションの入り口までは当たり前だけどあっという間に着いてしまった。
今日はほぼ半日くらい和水さんとずっと一緒に過ごしていたからか、いざ帰ってしまうとなると物凄く寂しくなってきた。
咄嗟に和水さんの手を掴んで引き止めたい衝動にかられる。
それでも僕は、伸びかけた手を引っ込めた。
引き留めた所でどうしようもないからだ。
まさか家に泊まってくださいなどと言えるわけもない。
「和水さん、今日はありがとうございました」
結局のところ、僕はそんな当たり障りのない言葉で和水さんを見送る事にした。
これで夢のようだった今日という一日も終わってしまう。
そう思っていた僕の前で、和水さんは急に足を止めた。
「ねぇ直」
「ふぇ!?」
僕は完全に不意を突かれた。
和水さんから急に名前で呼ばれ、驚いて声が裏返る。
振り向いた和水さんは、おかしそうに笑っていた。
「そんな驚かないでよ。また直って呼んでいいでしょ? もう部屋まで遊びに行った仲じゃん」
そう言ってあどけなく笑う和水さん。
普段の大人っぽい表情とはまるで反対の、その幼さを感じる笑顔に僕は、何故懐かしさを感じた。
既視感とでも言うのだろうか。
ずっと昔、どこかでこんな風に素敵な笑顔を見たような……。
「何か言ってよ。まさか私に名前呼ばれるのは嫌なわけ?」
僕が考え事に夢中になっていたせいだろうか。
和水さんが少しムッとした表情になってしまっていて僕は慌てた。
「いえそんな! ぜひ名前で呼んで欲しいです!」
「ん~どうしよっかなぁ。あんまり嬉しそうじゃなかったしなぁ」
「そんな事ありません! 嬉しすぎて心臓麻痺になってただけですから! お願いですから名前で呼んでください!」
「ふ~ん……そんなに必死になるくらい私に名前を呼んで欲しいんだ?」
「も、もちろんです! 和水さんに名前を呼んでもらえるなら幸せ過ぎて百年生きれる気がします! だからお願いします!」
「ふふ、じゃあこれからは直って呼ぶから、いちいちびっくりしないでよ」
「りょ、了解であります!」
和水さんが機嫌を直してくれたようで、僕はホッと胸をなでおろす。
ついさっきまで何かを気にしていたというのに、焦っているうちに何が気になったのかを忘れてしまっていた。
けれど、和水さんの機嫌以上に大切な事ではないだろう。
あまり気にしない事にして僕は和水さんに手を振る。
「じゃ直、また明日ね」
「はい和水さん、また明日」
「あ、そうだ」
歩き出そうとした和水さんが立ち止まる。
何か忘れ物だろうか。初めはそう思ったがどうやら違うらしい。
どことなくモジモジしているような和水さん。
視線をさまよわせ、手をしきりに触っている。
顔も何故か少しだけ赤くなっているように見えた。
「どうしましたか?」
「……あのさ、これからは、たまにはご飯作りにきてあげるから」
「え?」
不意に和水さんの口から飛び出して来た言葉は、僕が想像もしていなかった程の爆弾発言だった。
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