第53話 僕なんかの家にいる和水さん⑱
きゅっと音を立ててしまいそうな程に僕の心臓が収縮する。
急すぎる和水さんの鋭い指摘を受け、僕は息をするのも忘れていた。
くもりガラスとはいえ、僕には和水さんがシャワーを浴びている姿がうっすらと見えている。
当然僕がしゃがんでいるのも和水さんにはなんとなく見えているわけだ。
またもや僕は油断していた。
いったいここからどう言い訳をして切り抜ければいいのだろうか。
ピンチに陥った僕の脳がフル回転を始める。
今こそ主人公属性の見せどころだ。
「ぇ、えっとですね。その、服が」
「……服?」
僕は慌てて自分の口を押えた。けれど、正直もう遅いだろう。
よりにもよって僕は今、服という単語を言ってしまった。
これでは和水さんの服に何かしていると、自分から薄情してしまったようなものだ。
何が主人公属性だろうか。
僕の脳は素晴らしい言い訳を生み出す事なく、ただの役立たずどころかピンチに動揺してさらなるピンチを招いただけだった。
今度こそ終わりだ。
僕はブラジャーの臭いを嗅いでいた変態として、未来永劫和水さんの記憶に残ってしまう事だろう。
「……あぁ、ごめん。脱ぎ散らかしてた私の服片付けてくれてたんだ?」
「え?」
我が天命はまだ尽きてはいないらしい。
どうやら和水さんは、僕に対して何かとてもいいフィルターをかけてくれているのかもしれない。
自分の服をあさっている男に対して、片付けてくれていると思うだなんて、人が良すぎるのではないだろうか。
とにかく、今はこの勘違いにのるしか僕が生きる道はない。
そう判断した僕は全力で話しを合わせる事にした。
「ぇえ、そうなんです。その、床だとあれなので、棚の上に置かせていただきますね~……なんて」
「ありがと、気が利くじゃん」
「……あはは、どうもです。じゃ、じゃあ僕はこれで。部屋に戻っていますので、どうぞごゆっくり」
「うん、ありがと」
会話はそこで途切れ、すぐにまたシャワーの流れ落ちる音が響いてきた。
「…………え? あれで言い訳大丈夫なの?」
どうやらなんとか誤魔化せたらしい。
というか下着類を僕が拾っても、和水さんは気にしていないのだろうか。
気になりはしたけれど、言った手前やらないわけにもいかない。
とりあえず僕は、言い訳したとおりに和水さんの衣類を集めて棚の上に置いた。
後はそのまま部屋に戻るだけ。
なのだが、僕は和水さんのパンツから目が離せなかった。
ブラジャーは堪能した。
いい匂いで最高だった。
だったら、パンツはどうなのだろうと気になるのは当然の事だと言わせてもらいたい。
ブラジャーと同じように、あのパンツに顔をうめて、思い切り臭いを嗅いでみたい。
そんな欲求が溢れんばかりに僕の中から湧いてくる。
僕は、一度棚に置いた和水さんのパンツに手を伸ばして……。
「……くっ、ダメだ」
何もせずに泣く泣く脱衣場を後にした。
僕のこれまでの人生の中で、間違いなく一番重い決断だった。
それほどまでに僕はパンツに心惹かれていたけれど、あれ以上あの場に留まっていたら和水さんに不信感を与えてしまうだろう。
そうしたら、今度こそ上手く切り抜けられる自信はない。
今だって奇跡的に気付かれなかっただけだ。これ以上は身を亡ぼす事になるだろう。
僕はブラジャーでした失敗を活かして退却した。人は過去の失敗から学ぶ事が出来るのだから。
ものすごく後ろ髪をひかれながら、僕は泣く泣くパンツを諦めたのだった。
「シャワーとお風呂ありがと」
「いえそんな、むしろ使っていただいてありがとうございます」
「ふふ、何それ」
あれから十数分後、ほかほかになった和水さんが浴室から戻って来た。
乾かしてはいるみたいだけど、少し髪の毛の毛先が濡れていて、それがまた艶があって綺麗だった。
「ゆっくり入れたから疲れも取れたかも」
「あはは、その、重労働をさせてすみませんでした」
和水さんの様子は普段をなんら変わらない。
どうやらブラジャーの臭いを嗅いでいた事はバレていないらしく、僕はホッと胸をなでおろした。
「もうこんな時間かぁ、流石にそろそろ帰らないとダメかな」
時計に目をやった和水さんが、渋々といった感じで呟く。
つられて時計を見ればもうすっかりと夜の時間帯になっていた。
色々と気が気じゃなく、今まで気が付かなかったけれど、窓の外の景色もすっかりと暗くなっている。
どうやら僕にはそんな事すら気が付けない程に余裕がなかったらしい。
「すいません和水さん。こんな遅くまで色々と、せめて帰りは送らせてください。もちろん家までは付いて行きませんので」
思い返してみれば、今日は和水さんにお世話になりっぱなしの一日だった。
体育の授業では打席を応援してもらい、倒れた後は保健室までおんぶしてもらった。
それからは早退する事になった僕を心配して家まで付いてきてくれた和水さん。
送ってくれただけでなく、膝枕に料理もしてくれ、挙句の果てには一緒にお風呂まで入ってくれた。
全て僕が倒れないか心配してくれた和水さんの善意。
もう僕は一生和水さんに頭が上がらないかもしれない。
とりあえず今日の感謝を示したくて、僕は帰りの付き添いに志願した。
のだが……。
「気にしなくていいよ。一人で帰るから」
呆気なく断られてしまった。
「え、でも、こんな夜中に女性一人じゃいろいろと危ないですから」
「別に平気。それより、今日は頭打ってるんだから大人しくしてて、逆に心配になって嫌だから」
「あ、はい。ありがとうございます」
なんとか食い下がってみたけれど、真剣な眼差しでそんな事を言われたらもうダメだ。
今日一日色々とお世話してくれた和水さんのために何かしたいという想いを飽きられたわけじゃない。
けれど、和水さんの眼差しからは本当に心配してくれているのがストレートに伝わってきて、感激した僕は素直に頷く事しか出来なかったのだった。
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