第52話 僕なんかの家にいる和水さん⑰


 その時、僕はここで死ぬんだと、そう悟った。


 和水さんのブラジャーに興奮しすぎて、僕は周りが見えなくなってしまっていたのだ。


 完全なる自業自得。


 まさしくアホの所業。


 今更ながら、気が付くとシャワーの音も止まっている。


 そんな変化にも気が付かないほどに、僕はブラジャーの臭いを嗅ぐことに夢中になってしまっていたらしい。


 下着泥棒とかは見つかった時こんな感じなのだろうか。などとくだらない現実逃避をしても意味はない。


 僕は今、和水さんのブラジャーに現在進行形で顔を埋めている。


 こんな姿を見られて、いったいどう言い訳をすればこの状況を切り抜けられるのか。


 そんな都合の良すぎる言い訳は、喩え一年間かけて考えたとしても思いつくことはないだろう。


 きっと今ブラジャーから顔を出せば、凄い不快な表情をしている和水さんがいるに違いない。


 こんな姿を見られてしまったら、いくら好意的な相手だったとしても好感度はいっきにマイナスだろう。


 蛆虫でも見るような目をしている和水さんを想像してみる。


 想像だけで目が潤む……ちょっとだけゾクゾクっと奇妙な感覚がしたのは気のせいだろう。


 とにかくこの状況をなんとかして切り抜けなければならないのに、ピンチになっても僕には何の名案も浮かんでこなかった。


 僕が変態童貞じゃなくイケメン主人公なら、ピンチに覚醒して頭の回転が急に速くなり、この状況を覆すようなクリエイティブな作戦を思いついたのだろうか。


 いや、イケメン主人公ならクラスメイトの女の子がシャワーを浴びている隙にその子の下着の臭いを嗅いだりはしないか……。


 自分の思考に現実を突きつけられた僕は、もはや諦めの境地に辿り着き、観念して顔を上げた。


 ここが僕の墓場になるのだろう。



「……あ、あれ? 和水さん?」


 恐る恐るブラジャーから顔を上げると、僕の目にいるはずの和水さんがそこにはいなかった。


 むしろ浴室のドアは閉まっていて、その曇りガラスの向こう側に、相変わらず主張の激しいラインの身体が薄っすらと見えている。


「私もシャワー借りてたけどいいでしょ?」

「……へ?」


 和水さんが浴室から普段通りの声色で話しかけて来る。


 一瞬おかれた状況に混乱しかけるも、僕はこの事態を瞬時に頭の中で整理して現状を把握した。


 ピンチで頭の回転が速くなるなんて、僕にも主人公属性があったのだろうか……。


 とにかく、今の状況は和水さんもガラス越しに僕のシルエットが見えているだけだ。


 存在に気が付かれただけで、僕がブラジャーの臭いを嗅いでいる姿はまだ直接は見られていない。


 という事はだ。


 僕はまだ助かるかもしれない。


「もちろんです! お気になさらず使ってください!」


 僕は必死に話しを合わせてこの場を切り抜ける事にした。


 幸運にも和水さんは僕が脱衣場まで忍び込んだ事については不信感を抱いていないらしい。


 普通ならここに居る姿を見られただけでアウトだとは思うけれど、和水さんの声からは、得に怒りなどの感情は感じない。


 ならばこのまま僕はあくまでも和水さんがいるか確認にきただけで、決して覗きに来たわけでも、下着を盗りに来たわけでもないと、そう和水さんに安心してもらわなければ。


「すみません和水さん! 僕気が付いたら部屋にいて、状況がよく分からなくて、ここには和水さんを探しにきただけでして」


 ブラジャーをそっと地面に置きながら僕は浴室に向かって声をかける。


「あぁ、ごめん。途中でのぼせちゃったみたいだったから、服だけ着せて寝ててもらったの」

「えぇえ!? この服は和水さんが!?」


 あまりの衝撃で、僕は床に置いたブラジャーをまた握りしめてしまった。


 確かに僕は服を着ている。


 冷静になって考えてみれば、僕は気を失っていたのだから自分で服を着れるはずもない。


 だとすると誰かが着せてくれたというのは当然の事。


 そしてこの場にいるのは和水さんだけだ。


 ここまで状況的な証拠が揃っているとなると、和水さんの言っている事は嘘ではないのだろう。


 そうすると、その、僕の裸、というか大事な部分とかも、全部和水さんに見られてしまったという事なのではないだろうか……。


 僕は急に恥ずかしくなってブラジャーを力一杯握りしめた。


 何がとは言わないけれど、小さかったね、とか言われたら泣いてしまいそうだ。


 まぁ……また少しゾクゾクしたのは気のせいだろう。


「安心して~、ちゃんと身体は拭いてあげたから」

「あ、はい、ありがとうございます」


 そんな僕の心配とは裏腹に和水さんは、まったく気にもしていなかった事を得意げな声で報告してくれた。


 確かにそれはありがたいけれど、今気になっているのはそこじゃありませんと和水さんに言いたかった。


 けれど、気になっても自分から聞く勇気がないのが僕だ。


 このまま触れない方がいいと判断した僕は、とりあえず和水さんとの会話を継続する事にした。


「その後寒かったから、私もちゃんとシャワー浴びようと思って勝手に使ってた」

「全然いいですよ。むしろ御迷惑をおかけしてすみません。家ので良ければ遠慮なく使ってください。せっかくなのでお風呂にも入ってください」

「うん、そうする……それよりさ、


 たるんでいた空気を一蹴する和水さんのお言葉。


 僕は心臓を握りつぶされたような気がした。

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