第51話 僕なんかの家にいる和水さん⑯


「…………ぅ、あれ?」


 目を開けると、そこは見知った天井だった。


 何の変哲もない僕の部屋の天井。


 そんな見慣れた光景に、それでも僕が違和感を覚えたのは、最後に見ていた光景とはまるで違う場所にいたからだ。


 だって僕は、ついさっきまで浴室にいたはずなのだから。


「え、え? どうして?」


 確か僕は和水さんと一緒にお風呂に入るという、夢のような体験をしていたはず。


 それがどうして目を開けた瞬間に部屋に戻されているのだろうか。


 まさか……。


 そこで僕はある恐ろしい可能性に辿り着いた。


 それは、まるで夢のような体験というか、夢そのものだったのではないかという事。


 クラスメイトの女の子と一緒にお風呂に入って、しかも身体を洗ってもらうだなんて、どう考えても僕なんかに起こるようなイベントではない。


 そんな事を実際に体験できる男子がこの世の中にどれだけいるのかは分からないけれど、選ばれしイケメンにのみ起こりうるレアイベントのはずだ。


 僕のような変態の童貞にはそんな事が起こるはずもない。


 それこそ羨ましすぎて夢に見るくらいのものだろう。


 しかも、よりによって相手があの和水さんだ。


 最近はいつも和水さんの胸ばかり見ていたせいで、僕のリビドーが爆発してしまったのかもしれない。


「……はぁ、なんだ夢か」


 現実を見てしまった僕は、そう呟かずにはいられなかった。


 実際、部屋を見渡しても和水さんはいない。


 いつもと変わらない僕の部屋の景色が広がっている。


 こうなると一体どこからが僕の妄想、というか夢だったのか疑わしくなってくる。


 和水さんとお風呂というシチュエーションだけでなく、その前から夢だったという可能性だって充分に考えられるからだ。


 だって、わざわざ僕なんかのためにご飯を作ってくれる女の子がいるだろうか。


 頭を打ったからと、心配して家まで付いてきてくれるクラスメイトがいるだろうか。


 いや、いない。


 きっと全て僕の妄想だったのだろう。


 頭を何度も打って朦朧としていたはずだから、それで欲望に忠実な夢を見ていたに違いない。


 夢だと気が付いて初めは落ち込んだけれど、冷静になってみれば当然のことだ。


 むしろあんないい夢を見れたのだから、どちらかと言えば得をしてるくらいじゃないだろうか。


 喩え夢だったとしても、僕が見ていたのはそれ程に素晴らしいものだった。


 僕の脳も中々にいい仕事をしてくれた。


 こうなったら、忘れないうちに少しでも和水さんの太ももや胸の感触を思い出しておかなければ……。


「…………あれ? 和水さんの胸の感触?」


 僕はそこでおかしな点に気が付いた。


 それは、夢ならばどうしてこんなにも鮮明にあの感触を覚えているのだろうかという事。


 僕は本当にはっきりと覚えている。


 頭と頬で感じた和水さんの太もものムチムチ具合を。


 顔で感じた和水さんの胸の柔らかさを。


 そして、背中で感じた和水さんの胸の、あの少し硬くなっていた部分の感触までもだ。


 夢でこんなにもはっきりとあの気持ちよさを覚えているのは、あまりにもおかしな事だ。


 それに気が付いた時、僕は浴室の方からするシャワーの音を感じ取った。


 なんとなく、本当になんとなく、僕は音を立てないように注意して立ち上がった。


 そのまま足音を殺してゆっくりと浴室に近寄って行く。


 気分はまるで怪盗だ。


 怪盗になった事はもちろんないけれど、それでも今ほどドキドキはしない気がする。


 一歩浴室に近づくたびに、僕の心臓の音は再現なく大きくなっていく。


 脱衣場の扉の前まで来た時には、もうシャワーの音すら聞こえないくらい自分の心臓が五月蠅かった。


 このままではきっと血管が破裂して死んでしまう。


 だからどうにかしなければならない。


 この扉の向こうにいったい何があるのかを確認しなければ、僕のこのドキドキは収まらないだろう。


 だから、これは必要にかられてしている事なのです。


 僕の命のためなのです。と、心の中で言い訳をして、僕は静かに扉を開けた。


 脱衣場に入ってまず気が付いた事は、薄いドアの向こう側、浴室で誰かがシャワーを浴びているという事実。


 曇りガラスの向こうに見える人のシルエット。


 それだけで僕には浴室にいる人物が誰なのか確信できた。


 夢じゃなかった。


 夢じゃなかったんだ。


 女性らしさあふれるはっきりとした凹凸のある身体のライン。あれは間違いなく和水さんだ。


 はっきりとは見えないけれど、なまめかしく動くそのシルエットはなんだか余計に煽情的に見える。


 今僕はシャワーの流れ落ちる音だけしか聞こえていない。


 あんなにも五月蠅かった心臓の音は、まるで停止してしまったのかと思う程に静かになっていた。


 浴室に見えるシルエットに引き寄せられるかのように、よろよろとした足取りで近寄って行く。


 その時、足元をまるで見ていなかった僕は何かを踏んでしまった。


 慌てて視線を向けるとそこにあったのは、女子の制服だった。



「……ぅぉ、ぉぉ」


 気付くと感嘆の声が口から漏れ出してしまっていて、僕は慌てて口を押えた。


 無造作に脱ぎ捨てられているブラウスとスカート。


 僕が見たのはそれだけではない。


 上下で統一された黒のブラジャーとパンツがそこにはあったのだ。


 教室で見せつけられたあのブラジャーとパンツだ。


 あの時はこのブラジャーだけが和水さんの大きな胸を隠していた。


 このパンツだけが、和水さんの大事な部分を覆っていた。


 確かに同じもの。


 和水さんの肌に密着していた下着が今僕の目の前にある。


「……はぁ、はぁ……」


 興奮とよく分からない感情が入り混じり、自分が何を考えているのかすらよく分からない。


 浴室に見えるシルエットに向かっていきたい気持ちと、この場でもっと和水さんの下着を見たいという気持ちがせめぎ合っている。


 どうすればいいのか。


 いや、どうするべきなのか。


 思考の整理がつけられないまま、それでも僕は気が付くと床に跪いていた。


 浴室のドアを開けるわけにはいかない。


 そんな事をすれば確実に和水さんに気付かれてしまうから。


 だから僕の身体は、コソコソと和水さんの下着を見る事を選んだのだろう。


 なんとも姑息な僕らしい考え方だ。


 日の当たらない所でしか生きれないような、情けない変態。


 そんな僕の全てがその行動に繋がっているのだろう。


 自分の事に呆れながらも、本当はそんな事も深く考えてはいない。


 もう僕の視線は和水さんの下着に釘付けだ。


 僕はそのままギリギリまで顔を近づけてみた。


 まずは黒のブラジャーだ。これははとにかく色気が凄い。


 それがこうして床に投げ捨てられているというのもまた興奮を誘ってくる。


 鼻を近づけて臭いを嗅いでいる。


 四つん這いで床に這いつくばって、和水さんのブラジャーの臭いを嗅ぐ僕はまるで犬だ。


 くんくん、くんくんと必死に臭いを嗅ぐ。


 ブラジャーからはまさしく和水さんのオッパイの臭いがした。


 何度か顔を埋めた時に嗅いだあの幸せな香りだ。


 息が苦しくなるまで臭いを吸い続けた僕は、限界を超えてやっと顔を上げる事ができた。


 和水さんのブラジャーは、それだけ僕を惹きつける魅力にあふれているということなのだろう。


 限界まで臭いを嗅いだはずなのに、僕はすぐに物足りなくなった。


 もうすでに自分を止められそうもない。


 震えている自分の腕をブラジャーに伸ばす。


 躊躇したのは一瞬で、僕はそのままブラジャーを鷲掴みにした。


 ただの布。なんて言えるわけもない程、ブラジャーの感触は気持ちよかった。


 鷲掴みにしているのが何だか恐れ多くなって、両の掌に載せるように持ち上げる。


 顔の前までブラジャーを掲げた時、僕にはそれが神から送られた聖遺物のように見えた。


 いや、和水さんという女神の下着なのだから僕にとっては聖遺物そのものだ。


 これをどうすればいいのか僕には分からない。


 分からないはずなのに、身体は勝手に動き出す。


 腕が動き、ブラジャーが僕の顔に近づいてくる。


「ぁ、ぁぁ、ぁ、ぁ」



 そして、僕は和水さんのブラジャーに顔を埋めた。


 顔全体がオッパイの臭いに包まれる。


 僕は今、たしかに天国にいた。




「あ、やっと起きたんだ」


 天国にいた僕は、和水さんの声で一瞬のうちに下界に呼び戻された。

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