第55話 僕なんかの家にいる和水さん⑳


 あまりの衝撃で思考が停止してしまった僕は、和水さんの言葉の意味を理解するのに必死だった。


 いったいどういう事だろうか。


 和水さんが、僕のためにご飯を作りに来てくれる?


 それはまるであれみたいじゃなかろうか。


 そう、通い妻的な。


「一人で寂しいんでしょ? それとも私なんかじゃ、ご飯作りに行っても別にありがたくないわけ?」

「い、いえありがたいです! とってもありがたいので、いつでもお待ちしてます!」


 惚けていたいた僕はまた和水さんの声で現実に引き戻された。


 今日は衝撃的な事がありすぎて心臓の強度が足りていないのかもしれない。


 とにかく、どうやらこれからも和水さんがたまに家に来てくれるらしい。


 また僕の家に和水さんが来てくれる。そう考えるだけで僕はさっきまで感じていた寂しさを忘れられたような気がした。


「ならよし。今度は今日みたいなありあわせ料理じゃなくて、ちゃんとしたの作ってあげるから」

「あ、じゃ、じゃあいつでも和水さんが料理を作れるように毎日食材を用意しておきます!」

「それだと食材腐っちゃってもったいないでしょ。今度は帰りにどこかで一緒に買って帰ろ」

「え!? は、はい! ぜひそうしましょう!」


 何という事だろうか。


 和水さんの手料理をまた食べられるという幸運にプラスして、一緒にお買い物をする約束までしてしまった。


 食材だからスーパーとかになるだろう。


 スーパーで一緒にお買い物だなんて、それってもう夫婦といっても過言ではないのではないだろうか。


 さっきまでは和水さんが帰ってしまう事に寂しさを感じていたけれど、次の楽しみが出来た僕はもう期待で胸がいっぱいになっていた。


「じゃあ連絡先教えてよ」

「っ!? それって僕のですか?」

「当たり前でしょ、予定立てるのに知らないと不便じゃん。ほら、チャットのID教えてよ」

「りょ、了解です! えっと……こ、これですよね?」

「そうそれ、私のも教えるから」


 慣れていない僕は和水さんに教えてもらいながらスマホを操作し、なんとか和水さんを登録する事ができた。


 スマホを持つ手が小刻みに震えている。


 今まで父さんしか入っていなかった友達欄に、今は和水さんが表示されているのだから当然だろう。


 僕は今、自分の身に何が起きているのか分からなくなりそうだった。


 また和水さんが家に来てくれるだけでなく、話の流れで和水さんの連絡先まで手に入れてしまった。


 とんとん拍子に進む会話の全てが僕にとって良い事ばかり。


 幸運すぎて少しこわくなってくる。


「あぁそうだった。ねぇ、プレゼントあるから、あとで浴室に行ってみて」

「ぷ、プレゼントですか!?」


 僕は驚きの声を抑えられなかった。


 いい事が沢山ありすぎた今日という日。


 最後に和水さんの連絡先を手に入れてハッピーエンドかと思えば、さらに和水さんからのプレゼントがあるなんて……。


 僕は本当に今日で死ぬのかもしれない。


「そ、置いといてあげたから。じゃあそういう事で、またね、直」

「な、和水さん! プレゼントってなんですか?」

「それは見てのお楽しみ。もう直に上げるから好きに使っていいよ。じゃあね」

「はぁ、あ、帰りはお気をつけて!」


 僕は和水さんの姿が見えなくなるまでその場で見送った。


 もうあの角を曲がったらお互いに見えなくなるというところで、振り返った和水さんが手を振ってくれて幸せになれた。


 和水さんが背を向けても僕は構わず手を振り続ける。


 心臓がまだドキドキしていた。


 こんなにも興奮しているのは、また和水さんが家に来てくれるからか。


 それとも急に名前で呼んでもらえる事になったからだろうか。


 和水さんに面と向かって名前を呼ばれた時、僕は驚きだけじゃなくて、何かよく分からないけれど、懐かしさのようなものを感じていた。


 まさかとは思うけれど、和水さんにお母さんの姿を重ねてしまったのだろうか。


 自分のことながら流石にそれはどうなのだろう。


 平気なつもりだったのに、僕は本心ではそれだけ母性を求めていたのだろうか。そんな事を考えながら僕は部屋に戻ったのだった。




「えっと、浴室だったよね……そもそも急にプレゼントって、いったいなんだろ?」


 部屋に戻った後、僕はさっそく浴室を見てみることにした。


 女の子からプレゼントをもらうなんてもちろん僕は初めてで、和水さんに言われた時からずっと気になって仕方なかったのだ。


 いつの間にそんな物を用意していたのかは知らないけれど、たぶんお風呂に入る時には初めから持っていたのだろう。


 それより女の子からのプレゼントとは、いったいどんな可愛らしいものなのだろうか。


 そんなふうに考えていた僕は、浴室のドアを開けて絶句する事になった。


「…………っ!? こ、ここ、こここれは!?」


 和水さんからのプレゼント、それはシャワーヘッドに括りつけられていた。


 予想外すぎるそのプレゼントの色は黒。


 そう、和水さんからのプレゼントはあれだったのだ。



「和水さんの……ブラジャー」


 シャワーヘッドに括りつけてあったものは、どこからどう見てもブラジャーだった。


 あんなに間近で観察したのだから間違いない。


 和水さんのブラジャーだ。


 僕はすぐ手に取って臭いを嗅いだ。


 たしかに和水さんのオッパイの臭いがするからには本物だ。


 でも、どうしてこんな大切なものを和水さんは置いていったのだろうか……。


 そう考えていると、ポケットの中のスマホが振動した。


 僕は片手でブラジャーを顔に押し付けながら、もう片方の手でスマホを開く。


 メッセージは和水さんからだった。


『ブラ気に入ってたみたいだからあげる』

『一生懸命嗅いでたもんね』

『変わりにこのカーディガンもらうから』


 僕はブラジャーの臭いを嗅ぎながら固まった。


 これが等価交換。


 いや、あれだ、わらしべ長者……少し違うか。


 というか、僕がブラジャーの臭いを嗅いでいたのは和水さんにバレていたらしい。


 それでもこのブラジャーを置いていってくれたという事は、僕は和水さんから嫌われてはいないと思っていいのだろう。


 どうしてあんなに変態的な行為をしていたのに、和水さんは変わらず接してくれていたのだろうか。


 むしろこうしてブラジャーまで置いて行くなんて、いったい何故なのか……。


 考えても僕には分からない。


 むしろ僕は、和水さんが僕のためにブラジャーを置いて行ってくれたという事実に興奮して、もはや他の事は何も考えられず、しばらくその場でブラジャーの臭いを嗅ぐ事に夢中になっていた。


 和水さんの胸に包まれている気分になりながらも、パンツもプレゼントして欲しいなぁと思ったのは僕の心の中だけにとどめておくことにした。




 ちなみに、ブラジャーは寝るときのアイマスクにしてみた。


 和水さんのオッパイの臭いがしみついたアイマスクなら、リラックスできて安眠できる気がしたからだ。


 だが、寝る段階になって僕はとても重要な事に気が付いてしまった。


 それは、このブラジャーを置いて行ったということは、和水さんはノーブラだったのではないだろうかという事。


 だから和水さんは帰り際に羽織るものを欲しがっていたのだろう。


 珍しく制服のボタンもしっかりと閉じていた。


 あの時は何とも思わなかったけれど、今思えば、そうしなければブラウスが透けて見えてしまうからだったのだろう。


 僕と会話をしている時、ノーブラだった和水さん。


 いつものように脳が勝手に妄想を初めてしまう。


 ギンギンになってしまった僕は、安眠なんて到底できるわけがなかった。

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