第38話 僕なんかの部屋にいる和水さん③
「ここです。僕の住んでるマンション」
「へぇ、ホントに近いんだ」
「はい、登下校はかなり便利ですよ」
念のために和水さんに送ってもらった僕は、結局何事もなくマンションまでたどり着くことができた。
ここまでくれば心配いらない。後は家で横になっていれば、和水さんにも心配をかけることはないだろう。
マンションのエントランスでお礼を言うと、和水さんはあたりをキョロキョロと見回していた。
マンションに住んでいる人でなければ、エントランスの中まで入ることもないだろうし、珍しいのかもしれない。
興味津々な様子の和水さんはいつものイメージとは違ってかわいらしかった。
僕は最後に気になっていたことだけ聞いておくことにする。
「あの、今日の日記は明日に提出でもいいですか?」
和水さんの後を勝手につけていた罰として出された観察日記のことだ。
一応毎日の提出を義務付けられている身としては、サボったと怒られなくはない。
「あぁ、それでいいよ。それより何階なの?」
「え、何がですか?」
「部屋。何階にあるの?」
観察日記の件などどうでもよさそうな和水さん。
それには少し安心したけれど、部屋の階を気にしている理由も検討がつかない。
とりあえず和水さんになら知られても不都合なことは何もないし、僕は素直に答えておくことにした。
「僕の部屋なら五階ですけど」
「なら部屋まで送るから」
「えぇえ!? いいですよ、悪いですから!」
「ダメ。階段とかでフラッときたら死ぬよ」
「死って、ていうかエレベーター使うので」
「エレベーターでフラッときたら、死ぬよ」
「いや、それはないと思いますけど」
僕としてはここまで送ってもらっただけでも悪い気がしていて、これ以上は遠慮するつもりだった。
けれど何故か強引な和水さんは、まるで僕の説得を聞いてくれない。
いくら遠慮しても全然引き下がる様子のない和水さんに、結局僕は根負けして部屋まで送ってもらうことになってしまったのだった。
「えっと、ここです」
「ふ~ん。506号室ね」
「はい、そうですけど……どうしたんですか?」
「ん、何が?」
「何と言いますか、ちょっと挙動不審な気がしますけど」
「別に、そんなことないでしょ」
そうは言いつつも、何やら興味深そうにあたりをキョロキョロと見ている和水さん。
やっぱりそれだけ珍しかったのだろうか。きっと和水さんの家は一軒家に違いない。
そうして物珍しそうにしている和水さんを観察しているうちに、僕はある事を思いついた。
せっかくここまで送ってもらって手ぶらで帰すのは失礼だと思ったのだ。
幸い家の冷蔵庫にはお茶とかジュースのペットボトルが常備されている。お礼に渡してもいいかもしれない。
「和水さん、ちょっとここで待っててもらってもいいですか?」
「いいけど、どうかしたの?」
「ここまで送ってくれたお礼を……たぶんお茶とかジュースのペットボトルがあったはずなので持ってきますね」
「いいよ、私がしたくて勝手にやったことだし」
「それなら僕もお礼をしたいので勝手に、すぐ戻って来ますから」
僕はこれ以上遠慮されないように鍵を開けて部屋に入った。
もちろん変に警戒させてしまわないように、和水さんを家の中には誘わない。その点は僕はジェントルマンですからね。
あまり待たせるのも悪いと思い、冷蔵庫から緑茶と炭酸ジュース、ミネラルウォーターと一通り取り出して急いで外に戻る。
「お待たせです。どれがいいですか?」
「すごいね。なんでこんなにあるの?」
「いつも一通りそろえてるんですよ」
「ふ~ん、じゃあお茶もらう」
「はい、どうぞ。今日はありがとうございました」
お茶を受け取った和水さんは、何故かその場ですこし立ち尽くしていた。
僕は見送ろうと思っていたけれど、あまり見ているのもよくなかったかもしれない。帰る姿を男からじっと見られていたらそれはちょっと不気味だろう。
「あ、じゃあ僕はこれで、失礼しますね」
そう考えて、僕はすぐに家に入ることにした。
けれど、中に入ってドアを閉めようとした時、和水さんが隙間に勢いよく足を突っ込んできた。
「待った!」
「ひぇ!?」
あまりの勢いに気圧されて尻もちをついた。足を突っ込んでドアを閉じれなくするなんて、今の和水さんはまるで押し売りの業者ようだ。
「やっぱり家に入れて」
「え?」
「ご家族は? ちゃんと容体を説明しないと」
「いやそれくらい自分で」
「ダメ、いつフラフラするか分からないし、付き添いとして私がやらないと」
家に入れてと言いながらもう玄関までは入ってきている和水さん。すでに防衛ラインは突破されてしまっている。
普段こんなに強引な和水さんは見たことがない。
僕は女の子をいきなり部屋に誘うなんて悪いかと思っていたのだけれど、まさか和水さんの方から押し入ってくるとは思ってもいなかった。
それに何やら責任感のようなものを感じているらしい和水さんには申し訳ないけれど、今家族に説明するのは無理があるのだ。
「あの、今家に親はいないので無理ですよ」
「え、いないの? 仕事?」
「はい、そうなんです」
「じゃあ夜まで待たないと帰ってこないわけ?」
「いえ、一緒に住んでないので夜になっても帰ってはこないですね」
「はぁあああ!?」
僕はこの時初めて、クールな和水さんが素で驚いている顔を見た気がした。
結構声も大きくて困った。ご近所さんが突撃してきたらどうしよう。
「なにそれどういうこと?」
「言ったとおりといいますか」
「じゃあ何、このあとずっと一人なわけ?」
「そうなりますね」
僕の返答をきいて、何やら言いかけていた言葉をぐっと飲み込む和水さん。それでもまだ落ち着いてはいないのか少し鼻息が荒い。
正直ここまで和水さんが取り乱すとは思ってもいなかった。
それだけ僕のことを心配してくれていたのかも……なんて都合のいい思考になってしまいそうだ。
「……分かった。やっぱりお邪魔するから」
「えぇ、なんでですか!?」
「いつフラフラして倒れるか分からないのに、一人になんてできないでしょ!」
「な、和水さん!」
僕は感動した。
いつも他人を寄せ付けない和水さんが、こんなにも僕のことを想ってくれているなんて、今にも天に上りそうな気分だ。
思わず嬉し泣きしそうになるほど感動した僕は、そこである事を思い出した。
それは、この部屋に女の子を入れるのが初めてだということ。
一度意識するともうダメだった。
部屋は汚くないか。
変な臭いはしないか。
変な物は置いていなかったか。
今朝家を出る時の記憶を必死に手繰り寄せ、和水さんに見せても大丈夫な状態なのかを脳内でチェックする。
僕にとっては女の子を部屋にいれるなんて初めての経験で、今更ながら緊張でどうにかなりそうだ。
記憶を辿ってみても、変な物はないはず……いやダメだ。何も変な物はないはずなのに、自分の部屋を女の子に見られるなんて恥ずかしすぎる。
「あの、別に大丈夫です」
「私に文句でもある?」
せめてもの抵抗はまるっきり無駄だった。見下ろしてくる和水さんは必死すぎてちょっと怖い。
「……ないです」
結局僕はそれ以上なにも言えず、まるで暴君のような和水さんは、どしどしと部屋に入って来たのだった。
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