第39話 僕なんかの部屋にいる和水さん④


「ふ~ん、けっこう綺麗じゃん」


 それはまさに感動の光景だった。


 こんな場所には似つかわしくない華やかなな少女が部屋の中心に立っていた。


 まるでその人は僕のくたびれた部屋に差し込む一筋の光。


 見慣れたはずの自分の部屋は、今日だけはまったくの別世界のように見えてしまう。


 その少女がいるだけで、くすんだ壁紙が真っ白な輝きを取り戻し、埃の目立つ薄汚い室内もまるで王城の一室のような優雅さを醸し出す。


 自分の部屋に女の子がいるだけで、こうも違うものなのかと僕は驚きを隠せない。


 和水さんが僕の部屋にいるという事実は、それだけ大変なことなのだ。


 十何年生きてきて初めての体験。


 僕の人生では一生をかけても起こることはないと思っていたことが、今目の前で成立している。


 心なしか何の消臭剤も置いていないのに、室内の空気が甘くいい香りになった気がする。


 これも和水さん効果だろう。


 このままずっと部屋に居て欲しい……なんて思考が暴走するくらいには、僕は数分前の焦りをもう忘れていて、今はただ興奮していた。


 数分前に和水さんが押し入り強盗のように強引に部屋に入って来た時、僕が真っ先にしたことはもちろん部屋のチェックだった。


 僕は普段から急な女の子の訪問に対応するために備えているわけではない。というよりそんな事が起きるとは思ってもいないから部屋は普段から綺麗にしているわけもなかった。


 和水さんには少しだけ玄関のところで待っていてもらい、慌てて部屋の中を見渡す。


 一番の懸念事項だが、エロ本なんてうちにはない。パソコンがあればいいのだ。そして、パソコンにはロックがかかっている。僕のコレクションは見つかりっこない。


 部屋もたまたま掃除をしたばかりで、そこまで汚いというわけでもなかった。運も味方してくれたから、あまり待たせることなく和水さんを中に通せたはずだ。


 案の定和水さんが部屋を見て行った第一声は、先ほどの「ふ~ん、けっこう綺麗じゃん」だ。


 僕は心の中でガッツポーズをして、和水さんに座ってもらえるようにクッションをお渡しし、すぐに歓迎の準備を始めた。


「とりあえずお茶でございます」

「ん、あんがと」


リビングで向かい合って和水さんが座っている。なんだか奇妙な感覚だった。


 こんなにも無防備に和水さんが僕の部屋にいていいのだろうか。


 いいに決まっている。僕はジェントルマンだから何もしない。


 ……本当です。


「で、なんで親がいないの?」

「あぁ、それはですね……」


 お茶を一口飲んだ和水さんが先ほどから聞きたそうにしていたことを切り出してくる。


 最初に言った時は珍しく大声を出す程驚いていたから余程気になるのだろう。


 和水さんになら話すのは別に構わないけれど、また自分語りになってしまいそうで少し言いよどむ。


 ただ和水さんは聞くまで納得しないような顔をしていて、僕は渋々語ることにした。


「さっき来る途中で僕の親は転勤が多かったって言いましたよね」

「うん、何度も引っ越しして、またここに戻って来たんでしょ?」

「はい。それで実は、去年また転勤になったんですよ」


 そう言うと和水さんは驚いて身を乗り出して来た。それだけ真剣に聞いてもらえているのかと思うと少し嬉しい。


「ならどうしてまだここに住んでるの?」

「高校で転校って結構大変ですから。僕ももう一人でも大丈夫な歳になったので、親だけ転勤先に行ってもらって、一人でここに残ることにしたんです。家賃とかは申し訳ないですけど、親も僕に気を遣ってるみたいで」

「……普通はどっちか残らない?」

「え、どっちかって……あぁ母か父かってことですか? それは、その、うちは母がもういないんです」

「え?」


 言いにくかったのは、これも原因の一つだった。


 僕はもう気にしてはいないけれど、家族が亡くなったという話なんて、いつしても暗くなってしまうのは決まり切っているようなものだ。


 例にもれず今も若干空気は重くなってしまった。あまり和水さんが暗くなってしまわないように、せめて明るい声を意識して話を続ける。


「三回目の転勤の後くらいに亡くなってそれからは父と二人でして」

「あ、だからお昼も」

「はい、今はそもそもいないから無理ですけど父も料理はできなかったので、昔からコンビニでした。でも結構美味しいんですよねこれが!」

「……そう」


 僕が精一杯の明るい声を出しても効果はなかったらしい。真剣に聞いてくれていた和水さんは黙って俯いてしまった。


 元から同情を誘うつもりなんてなかったし、変に空気を重くしないためにも気を遣っていたというのに、僕は本当にダメなやつだ。


「あの、昔の話なので、そんなに暗くならないでください!」

「……今日は私が看病する」

「え?」

「今日だけは私をお母さんだと思って甘えていいから」

「いや、ちょっと何を言ってるのか分かりませんね」


 真剣な顔の和水さんに詰め寄られて、僕は壁際に後ずさった。


 いったい何が和水さんを暴走させてしまったのか分からないけれど、何故か和水さんの決意は固いらしい。


「安心して、私が母親としてしっかり看病してあげるから」

「あの、安心もなにも、意味が分からないといいますか」

「大丈夫。全部任せて、ご飯も作るし、お風呂も沸かしてあげるし洗濯も私がするから」

「いや、和水さんにそんな事をさせるわけにはいかないですって」

「反抗期? 今日は私が母親なんだから言う事聞きなさいよ」

「反抗期ではないですけど、横暴な母親ですね。ていうか和水さん急にどうしたんですか? 大丈夫ですか?」

「私は大丈夫。それより違うでしょ」

「え? 違うって何がですか和水さ――」

「それ、和水さんだなんて他人行儀な呼び方止めて」

「いや、だっていつも」

「今日は立場が違うでしょ。ほら、ちゃんと、ママって呼んで」

「は、はぁああ!?」


 そこで僕は詰め寄って来た和水さんに両肩を掴まれた。


 背後は壁でもう逃げ場はない。


 にっこりと微笑む和水さんは、何故か少しだけ怖かった。

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