第12話 根拠③ 勉強を教えてくれる和水さん③


「じゃあ、わからなくなったら言って」

「あの、すいません。さっそく分からないので教えて欲しいです」


スマホに視線をおとしてしまいそうな和水さんをすぐに呼び止める。


 初めから助けを求めるのは少し恥ずかしかったけれど、事態はそれほどまでに深刻だ。


 何せ僕が間違えれば、必然的に伊刈さんも恥をかいてしまうかもしれないのだ。自分の恥なんて気にしている場合ではない。僕は当然のように全問和水さんを頼るつもりだった。


「ん、どこ?」

「えっとですね、まずこの問題なんですけど、ひぇ!?」


僕が素っ頓狂な声を上げてしまったのには訳がある。


 頬に何かが当たってくすぐったかったのだ。


 見ればそれは髪の毛だった。明るいブラウンの髪の毛。和水さんの髪の毛だ。


 和水さんは後ろから覗き込むようにして、僕に寄りかかって来る。


 頬と頬がくっつきそうなほどの近くに和水さんの顔があった。


 いつもよりも至近距離で見る和水さんの顔に目が奪われる。


 肌は染み一つないし、まつ毛もすごく長い。


 それよりも、うっすらとピンク色をした少し厚みのある柔らかそうな唇が、僕の目をくぎ付けにして離してくれなかった。


「あぁ、ここで計算間違ってる」


和水さんは身を乗り出して指を指し、僕がミスしている箇所を教えてくれた。


 それは本当にありがたいのだけれど、和水さんがそうして前のめりになればなるほど、僕の背中には和水さんの大きな胸が押し付けられることになるわけで……。


 柔らかく、それでいて重い。とにかく物凄い重量感だった。


 いつもチラ見しながら重そうだなと思ってはいたけれど、想像以上だ。


 僕の顔くらい大きい和水さんの胸はずっしりと僕の背中を圧迫してくる。


 和水さんがいつも重そうにして机に載せているのも納得の重量感だった。


 今やその大きな胸は形が変わっているのがわかるほどに、ぼくの背中に押し付けられている。


 和水さんが少し動くたびに背中と胸が擦れて、僕の五感は全てがその感触を感じることに必死になっていた。


「……聞いてる?」

「へぇあ! もちろん聞いてますよ!」

「ん、じゃあそこから直してみて」

「は、はい!」


和水さんに教えてもらった箇所からやり直す。


 自分ではまったく気が付かなかったけれど、教えてもらったらなんてことはないような本当に単純な計算ミスだった。それに気が付けば僕だって簡単に正解を導き出せる。


「ちょっと待って、また計算おかしくなってるから」

「え? ど、どこですか?」

「ほらここ」

「……ぁぁ、ホントだぁ」

「じゃあそこからまたやり直して」

「は、はい」


結局僕はその問題を解くまでに二回ほど同じようなミスを繰り返した。


「はぁ、はぁ……これでどうだッ」


正直に言うといろいろと限界だった。


 だって和水さんがずっと僕の背中に寄りかかっているんだもの。


 さっきから僕の背中にはずっと、超重量級の胸がこれでもかというほどに押し付けられているのだ。


 今も和水さんの胸が僕の背中で潰れて広がっている感覚が分かる。


 これが本当に柔らかい。信じられないくらい柔らかい。なんだこれは! と叫びたいほどに柔らかい。


 そんなものを押し付けられていたら、とてもじゃないけれど計算になんて集中できない。


 もう気持ち良すぎて、童貞の脳には刺激が強すぎる。


「どうしたの? 息荒いけど大丈夫?」


和水さんが僕の耳元で囁いてくる。


 心配してくれているのだろうけれど、正直逆効果だった。


 耳に和水さんの吐息が当たって全身がゾクゾクッと震えてしまう。


「だ、大丈夫です」

「そう? なら頑張って」


不敵に笑う和水さん。


 またあの笑みだ。


 妖艶でなまめかしく、見ているだけで身体の自由がきかなくなってしまう。それほど魅入ってしまいそうな笑顔。


 僕は和水さんの笑顔を見ていて、少しだけ分かったかもしれないことがあった。


 二人きりで和水さんが僕に話しかけてくれる時、彼女は決まってこの顔になる。


 そうして童貞の僕には刺激が強すぎるようなことをしてくるのだ。


 それがどういうことなのかと言えば、きっと僕は和水さんに揶揄われているのだと思う。


 どうして僕なんかを揶揄ってくるのかは分からない。もしかしたら、童貞くさい僕の反応を見て馬鹿にしているだけかもしれない。


 それも充分ありえることだけど、なんとなく違う気がした。


 和水さんを見ていると馬鹿にされているようにはとても思えなかったからだ。


 ただの願望と言われたら明確には否定できない。それでも、何故か嬉しそうな和水さんの表情を見ていると、僕はそこに悪意をまったく感じなかった。


「ほら、手止まってる」

「ぁ、あ、ごめんなさい」

「どうしたの? せっかく教えてあげてるのに、集中できないの?」

「す、すみません! ちゃんとやりますから」

「ホントに? 集中できないなら、教えるの止めちゃおうかなぁ」

「ぁ、ぁあ、本当です! 絶対集中しますから! 僕に教えてください! お願いします!」

「……ふふ、必死でかわいぃ。いいよ、私が教えてあげる」


耳元で囁かれて、僕の身体がまたビクビクッと情けなく震えてしまう。


「じゃあ、ちゃんと全問正解できたらご褒美あげる」

「え、ご褒美、ですか?」


ご褒美。


 ごほうび。


 ゴホウビ。


 僕の頭の中でその単語が踊り出す。


 一度言葉の意味を理解すれば、もはや祭りのようにご褒美という単語がやんややんやと荒れ狂う。


 ご褒美という言葉から僕がどんなことを想像したかと言えば……まぁ、当然そういうことだ。


 ギャルにご褒美だなんて言われたら、童貞が想像できることなんてそんなにない。


 しかもこの状況だ。今も僕の背中には柔らかい感触がこれでもかと押し付けられている。


 変な想像をしてしまっても仕方ない。


 そう、仕方ないのだ。


「どう? 頑張れそう?」

「はい! 頑張ります! 僕頑張りますから! 見ててくださいね、和水さん!」


見事にご褒美につられた僕は必死になってノートに向かった。


 和水さんからのご褒美を想像しては、なんども生唾を飲み込み、煩悩にまみれて余計に進行が遅くなったような気がした。


 けれどそれでも和水さんは妖艶に笑い、手を取り胸を押し付けたまま最後まで丁寧に教えてくれたのだった。

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