第8話 根拠② ポスター張りを手伝ってくれる和水さん③


「大丈夫!?」


耳元で焦りを伴った声が響く。


 目を開けてみれば、なんと僕は和水さんに抱き留められているらしかった。


 自分のおかれている状況を確認はしたが、頭の理解は追い付かない。


 床に座り込むようにしている和水さんにギュッと抱きしめられている。


 なんでこんなことになっているのか……整理してみようとしてもダメだった。


 なぜかといえば、もう背中にムニムニと押し付けられているものが気になって仕方なかったからだ。


「ぉ、ぉぉ、おぱ」

「落ち着いて、大丈夫?」


僕はハッとして口を閉じた。


 危ないところだった。背中の感触に意識を奪われるあまり、つい口に出してしまうところだった。


 もし口に出してしまえば和水さんは離れてしまい、二度とこの素晴らしき感触を背中で感じることはできなくなってしまうだろう。


 それどころかボコボコにされる未来しか見えない。


 僕は和水さんの腕の中で柔らかい特大の感触を楽しむため、とりあえずはそのまま放心しておくことにした。


「しっかりして直!」

「……あれ?」

「あ、気が付いた?」

「あ、はい。ていうか今、僕のこと名前で呼びませんでしたか?」


放心しているつもりだったけれど、僕はつい反応してしまった。


 だって女の子から名前で呼んでもらえたことなんかなかったし、和水さんがどうしていきなり名前で呼んでくれたのか気になったのだ。


「……呼んでないし、何言ってんの」

「あれ? そ、そうですか?」

「そうだよ。よっぽど混乱してるんじゃない?」

「あはは、す、すみません」


おかしい。確かに名前で呼んでもらえたはずだった。


 童貞の僕が女の子から名前で呼んでもらえたことに反応しないわけがない。


 けれど和水さんはそっぽを向いて完全に否定だ。はっきりとそう返されると僕も自信がなくなってきて、とりあえずそれは一旦置いておくことにした。


 僕には他にも聞きたいことがあったからだ。


「あの、じゃあ和水さんはどうしてまだ学校に? もう放課後になってけっこう経ってますけど」

「……たまたま」

「はぁ、そうなんですか」

「それより、どこか痛いところはない?」

「あ、はい。別に痛い所はないですけど」


まるで無理やり話題を変えられたような気がしたけれど、これ以上詮索するのも悪いと思い自分の身体を確認してから答えた。


 正直に言うと、痛いどころか気持ちいいしかなくて最高だ。


「ならもういいね」

「え、あ……」


しくじった。しくじり大王だ。


 せっかく放心して和水さんが押し付けてくれている柔らかな感触を感じ取っていたというのに、つい会話に反応してしまうなんて……完全な失態だ。


 僕が嘆いたところで遅く、和水さんは僕を立たせて離れてしまった。


 背中に当たっていた胸の感触が名残惜しかったけれど、離れたことでようやく僕も思考回路が復活してきた。


 状況から察するに椅子から落ちた僕を和水さんが受け止めてくれたのだろう。


 まさに間一髪だ。もし和水さんの大きな胸というクッションがなければ、僕は固い床に頭から落ちてしまっていたと思う。


「あの、和水さんが助けてくれたんですよね?」

「言っておくけど、あと少しでも私が遅れてたら危なかったから、気を付けてよ」


そう言う和水さんは僕には何故か怒っているように見えた。


 子供の頃にやんちゃして怪我をした時、怒りながらも心配して手当をしてくれたお母さんの姿が重なった気がしたのだ。


 なんとなく恥ずかしくなった僕は和水さんをまっすぐ見れない。


「あの、すみませんでした」


とりあえず頭を下げる。


 お礼の方がよかったかもしれないと思ったけれど、なんとなく謝らなきゃいけない気がしたからだ。


 そうして頭を下げたまま和水さんの反応を待っていると、不意に頭を撫でられた。


「いいよ。怪我してないならそれで」


なんて優しい声なのだろうか。


 和水さんのその言葉は僕の心の中に深く入って来た。


 同時にゆっくりと頭を撫でてくれていて、それが本当に気持ちいい。


 もし、僕が今横になっていたら、数回撫でてもらえただけで眠りに着けそうだと思った。




「それで、なんで一人でこんなことしてたわけ?」

「それはですね……」


少しの間和水さんに頭を撫でてもらった後、僕は和水さんから事情聴取を受けていた。


「実は教室にいた時に伊刈さんから頼まれて、さっきまでは一緒にやってたんですけど」


伊刈さんがクラス委員として先生から頼まれたらしいことと、教室の分は二人でやったけれど、その後は伊刈さんに大事な用事があるから帰ってしまったことを、僕は包み隠さず和水さんに伝えた。


「チッ……クソビッチのチビが」

「ひぇ」


仲が悪いのかどうかは知らないけれど、和水さんは伊刈さんの名前を聞くと少し怖くなる。


「残りも全部一人でやるつもり?」

「えっと、はい。頼まれたからには途中で投げ出せないですし」

「……なら手伝う」


僕はまた呆気に取られた。


 昨日の出来事はただの気まぐれのはずで、和水さんが気まぐれを二回も続いておこす確率はどれくらいなのだろう。


 優しく頭を撫でてくれたり、当然のように手伝うと言ってくれた和水さんが何を考えてそうしてくれるのか、僕には本当に理解できない。


 今僕の目の前にいるこの人は、昼間イケメンたちの心をグチャグチャにした人物と本当に同一人物なのだろうかと疑ってしまう。


 そうこうしているうちに和水さんは床に置いていたポスターを一つ手に取り、僕のガタついた椅子の上に登ろうとしていた。

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