第4話 根拠① 掃除を手伝ってくれる和水さん③
「ちょっとくすぐったい」
「へ? ご、ごめんなさい!!」
なんという魔力だろうか。
僕は自分でも気が付かないうちに和水さんの手をもみもみしてしまっていた。
そんなことを僕がしてしまったのも全て和水さんの手が気持ちいいから仕方なかったとはいえ、これは非常にマズい。
流石に怒られるかと思ったけれど、和水さんはそれでも怒らなかった。
「別に気にしてないから」
「え、本当ですか?」
「それより、どうして一人で掃除?」
「えっと、伊刈さんに用事があるからと頼まれたので」
そう答えた瞬間だった。
今まで普通に喋っていた和水さんが一瞬にして般若の形相に早変わりしたのだ。
「チッ……あのクソビッチが」
体感温度が真冬並みに下がったような気がした。
恐怖で身体が震えて、気を抜けばチビってしまいそうだ。
少しの間鬼のような怒気をたぎらせていた和水さんは、僕が怯えていることに気が付いたのか慌てたようにさっきまでの表情に戻してくれた。
「他の人もいないの?」
「ひぇ……はい、みんなで用事があるみたいなので」
「……そう。なら手伝うから」
「へ?」
素っ頓狂な声が出た。
まさかそんな事を言ってもらえるなんてまるで考えていなかったから。
「あの、いいんですか?」
「うん、いいよ」
「あ、はぁ、ありがとうございます」
和水さんはあまりにもあっけらかんと答えるものだから、僕もそれ以上は何も言えなくて流れで掃除を手伝ってもらうことになった。
本当にどういう風の吹き回しなのだろうと思う。
誰とも関わろうとしない和水さんの噂は一年の頃から聞いたことがあった。
二年になって同じクラスになり、まだ数週間しか経っていないけれどその噂が本当だったということももう知っている。
それが今はこうだ。考えても何が起きているのか僕にはまったく分からなかった。
とりあえずは和水さんに負担をかけないように掃除を頑張らなければいけない。
すこしでも重労働は僕がやるべきだろう。
「あの、じゃあ僕が机を運ぶので、掃き掃除をお願いしてもいいですか?」
「やだ」
「えぇ」
そう思った瞬間からこれである。
やっぱり本気で手伝うつもりはなかったのかと思っていると、僕は和水さんに箒を押し付けられた。
「重いものは私が運ぶから」
いきなりのことで僕が何も言えないでいる間にも和水さんは机をせっせと運びだす。
その姿を見て僕はかなり慌てて駆け寄った。
「だ、だめですよ! 僕が運びますから!」
「どうして?」
「どうしてって、男の僕が重いの運びますから、和水さんは女の子だし」
「……へぇ」
説得を聞いてくれたのだろうか。和水さんが持っていた机を床に置いた。
それを見て僕は代わりに運ぼうとしたけれど、何故か和水さんが僕の前からどけてくれない。
いや、それどころか一歩、また一歩と和水さんが近寄ってくる。
「ぁ、あの、どうしました?」
和水さんからの返事はない。
ただじっと僕を見つめたまま近寄って来る。
和水さんの目を見ていると何故か獲物を狙う肉食獣を想像してしまい、僕はただ後ずさることしかできない。
和水さんが近づいてくるごとに僕は一歩下がる。
それを続けていれば、どうなるかは必然だった。
「あ……」
もう下がれない。僕は壁際に追い込まれていた。
なんとか逃げようとする前に、ドンッと耳元で音がして気が付けば顔の脇に和水さんの腕が見える。
壁ドンだった。しかも両手バージョン。
後ろは壁、両脇は腕で塞がれた。
さらに悪い事に、壁に突っ伏す形になっている和水さんの大きな胸が僕の顔の数ミリ先まで迫っている。
ものすごい圧迫感だった。
急に壁ドンされて、僕はもう脳のキャパシティーがとっくに超えてしまっていたけれど、それでも童貞としての能力が生かされたのか、とっさに口呼吸から鼻呼吸に変えることだけは忘れなかった。
和水さんの胸からは、とってもいい匂いがした。
僕が鼻息を荒くしていると和水さんがニヒルに笑う。ゾクッとするような妖艶な笑顔だ。
「私を女の子って言ってくれるんだ」
「ど、どういうことですか?」
「私って身長高いからさぁ、か弱い女の子には見えないかなって」
か弱いかどうかで言われたら、か弱くはなさそうだと思ったけれど、なんとなくそれは心の内にしまっておいた方がいい気がした。
「し、身長が高くても女の子には変わりない、のではないでしょうか」
「……うれしいなぁ」
不意に顎をむにっと掴まれて上向きにされた。
よくキスするときにする体勢だとすぐに分かる。たとえ男と女の位置が逆だとしてもきっとそうだ。
「あ、あの、待って!」
「だ~め」
僕の顔に向かって和水さんの綺麗な顔がどんどん近づいてくる。
それはもう目と鼻の先にまで迫っていて、僕はただ目を瞑ることしかできなかった――。
「でも私より小っちゃいんだから、キミが掃き掃除ね」
「……へ?」
目を開けるとクスクスと笑っている和水さんがいた。
瞬間的にただ揶揄われただけらしいことを察し、身体から力がぬけた僕はその場にへたり込んだ。
そんな僕に和水さんがまた手を差し出してくれている。
正直どうして急に和水さんが話しかけてきてくれたのかは分からない。
ただ、僕は初めて見た和水さんの笑顔に見惚れていて、惚けたまま差し出された手につかまった。
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