第5話 普段の和水さん


 無愛想で皆から怖がられている和水さんが何故か掃除を手伝ってくれたあと、僕は一晩中あの時のことが現実に起きたことだったのかを考えていた。


 考えすぎて無事に寝不足にはなったけれど、まぁたぶん現実だったと思う。


 童貞の心が作りだした自分に都合のいい妄想の世界だったかもしれないという可能性もわずかに捨てきれないけれど、あの時に感じた柔らかな感触や、和水さんから漂ってきたいい香りは確かに本物だったはずだ。


 そう思った根拠は、僕は女の子の身体に触れたことなんてないし、女の子の匂いを間近で嗅いだこともない。だから妄想だとしてもその感触やいい香りを再現できるはずがないからだ。


 僕がこれほど自分のことを信じられなくなっているのは、それほどにあの和水さんの方から話しかけて来ることが珍しいから。


 というかただ珍しいというよりも、もはや伝説級だと思う。


 僕は視線だけを動かして、隣に座っている和水さんを見た。


 今の和水さんはいつも通りだった。


 気だるそうに頬杖をついて、重そうな胸を机に載せてひたすらに窓の外を眺めている。


 僕の方からは和水さんの表情は見えないけれど、きっと不機嫌そうに皺を寄せていることだろう。


 何も変な様子はない。


 これが普段の和水さんだ。


 昨日のように話しかけてくれて、しかも笑顔まで見せてくれて、掃除まで進んで手伝ってくれることの方がおかしな出来事なのだ。


 昨日は、何かいいことでもあったのだろうと思った。


 けど本当にそうなのだろうか。


 和水さんが何を思って僕なんかの手伝いをしてくれたのか。それは僕がいくら考えても答えはでないことだ。


 その人の気持ちは本人にしか分からない。


 ただ一つだけ僕にも分かることがあるとすれば、あんな出来事はもう二度とないのだろうということ。


 まるでモテない男の夢がつまった妄想のような出来事。


 今まで会話をしたことすらなくまるで接点がない。さらには人を惹きつけるような魅力もないというのに、何故か急に美少女が優しくしてくれる。


 そんな展開は現実ではそうそう起こってくれないことは当然知っている。


 何か理由があるか、もしくは人を惹きつける魅力的な何かがなければそんなことは起こらないのだ。


 そして僕にはそんな理由も、魅力に感じてもらえるような特徴もない。


 だから昨日起こったことはたまたま、偶然の産物。和水さんの気まぐれ。


 僕と和水さんは隣の席に座っていても一言も喋ることのない関係で、それが大きく変わることなんてない。


 それだけは僕にも分かっていた。


 だから昨日のことは素直にいい思い出として胸の中にしまっておくことにして、普段通りにしていようと僕が気持ちを切り替えた時だった。


 教室がにわかに騒がしくなる。


 気になって目を向ければ、教室の入り口付近ではしゃいでいる男子の一団が見えた。


 4人で固まっているその一団の顔ぶれにはあまり見覚えがない。


 他のクラスの連中だ。そして何より目を引くのはイケメンが揃っていること。


 勝手すぎる嫉妬心全開で見ていると、何やらその一団がこちらの方に近づいてきた。


「ほらいたぞ、窓際のあれだろ?」

「いやぁいつ見てもスゲー身体してるよな」

「胸やべーな。揉んだらどんな感触すんだろ」

「おいおい、まずはちゃんとやれよ」


初めはじろじろと見ていたのがバレたのかと焦ったけれど、イケメン集団は僕のことなどまるで視界には入っていなかった。


 こちらに近づいてきた彼らは、そのまま僕を通りすぎて、あろうことかあの和水さんの周りに立ち、全員で取り囲んでしまった。


「ちょっといいかな? オレたち隣のクラスの――」

「おい、いきなりずりぃぞ。あ、ごめんね急に」

「騒がしいなお前ら、や、和水さん久しぶりだね。1年の時クラスメイトだったんだけど、覚えてくれてる?」

「こんちはー、ていうかオレは初めましてって言う方が先か?」


遠慮なんて欠片もなく、それぞれがバラバラに和水さんに話しかけるイケメンたち。驚きの勇者っぷりだった。


 どうやら和水さんを遊びに誘いにきたらしい。


 なんで急にこんなことを考えて実行したのかまでは知らないけれど、和水さんは美人だからいろいろな人を惹きつけるのだろう。


 イケメンたちも和水さんのことを知っているようだが、まるで恐れているようには見えない。


 集団でいることの心理なのか、それとも自分たちへの絶対的な自信なのか。


 顔は僕から見ても普通に嫉妬するくらいのイケメンだし度胸もある。となると、この勇者たちならひょっとすると和水さんも反応するかもしれないと思った。


「でね、皆で遊びに行かないかな~って誘いに来たんだけどさ……」

「あ、別にオレたちだけじゃないから安心して、女子も他に来るからさ」

「あの、和水さん? 聞いてる?」

「もしも~し」


「……」


和水さんの完璧なる無視が炸裂していた。


 流石のイケメンたちにも気まずい空気が漂い始める。


 和水さんを知っているなら予想して当然の反応だろうに、自信がありそうだった分ショックが大きいのかもしれない。


 けれど、そこでめげないのがイケメンであり、勇者だ。


「ねぇ和水さん、もし急に遊びに行くのが不安だったらさ、今からちょっとオレたちのクラスに来ない?」

「お、それいいな! クラスの女子も紹介するよ!」

「うんうん。一人でこんなところにいるより絶対楽しいから、ほら、行こうぜ」

「じゃあそうしようか、和水さんもこんな所でつまらなそうにしてたし丁度いいよね?」


イケメンたちが口々にそんなことを言った瞬間だった。


 正直何がスイッチだったのか僕にも分からない。


 けれど確かにこの瞬間で和水さんの纏う空気が変わったのだ。


「チッ……うるさ」

「え?」


「クソ雑魚童貞がうるさいって言ったの。聞こえなかった?――」


ここから和水さんの一方的な言葉の暴力がイケメンたちを襲い始めた。


 聞く者の心をえぐり取るような暴言が一方的にとんでいく。


 隣の席に座っているだけ僕も流れ弾のダメージを受けそうだったけれど、心の殻に閉じこもり、精神を無にすることでなんとか難を逃れた。


 全てを聞いてしまっていたら、きっと心の崩壊は止められなかったことだろう。イケメンたちはどうか知らないけれど、クソ雑魚童貞は僕だからだ。


 僕が無の世界から戻って来た頃、イケメンたちは小さくなって帰っていくところだった。


 やってきた時はあんなに自信に満ち溢れていたというのに、イケメンたちの背中はよぼよぼのおじいちゃんのように頼りなく見える。


 あれほどまでに聞く者の姿を変えてしまうとは……やっぱり和水さんの暴言は聞かないようにして正解だったということだろう。


 クラスは少しざわついていたけれど、そんな中でも和水さんは元の体勢に戻って窓の外を眺めている。


 どうしてそんなに他人を寄せ付けないのか知らないけれど、これが本来の和水さんだ。


 普段は物静かでクール。無愛想で人を寄せ付けないオーラ全開で、それでも軽率に近寄って来る者には容赦しない。


 カッコよく言えば孤高の人で、例え話しかけられても誰とも関わろうとすらしない。


 まして和水さんから誰かに話しかけるなんてマンボウの子供が生き残る確率より低いのではないだろうか。


 あんなイケメンでもその結果はああなのだから、僕なんかにわざわざ優しくしてくれる理由がまるで分からない。だから、やっぱり昨日の事は単なる気まぐれだったのだろう。


 そう思い込みながらぼーっと和水さんを見ていると、窓にうっすらと映っている和水さんと目が合ってしまったような気がして、僕は慌てて机に突っ伏して寝たふりをした。

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