第27話 ブルースター -信じ合う心-

 翌日、俺は教室に入り自身の机に座るや否や、頬杖をかいて重い瞼を閉じて寝る体勢に入る。

 杏香を家まで送ったはいいが、暗かった事もあり自分の家までの道が分からず、数時間かけて家へと帰ってきたのだ。

 そこまで夜遅くに帰ってきた訳でも、全然眠れていないという訳ではないが、普段よりも動かした為か身体にはまだ疲労が残っていた。


「どうしたの?」

「いや…昨日動き過ぎてまだ疲れが…あ?」


 物凄く自然な流れで会話をしたが、よく考えればこの教室はおろか、学校にすら友達の居ない俺があろうことか女子に話しかけられるなんて異常事態である。


 そんな奇跡に気付き、そんな女神様は誰なんだと、勝手に閉じてしまうほど重かった筈の瞼を瞬時に解放し、声の主を見上げる。


「……」


 そこには、知らん人がいた。

 綺麗で艶やかな黒髪に、クソ真面目に第一ボタンまで閉めているセーラー服。

 宝石を思わせる程美しく、眩い漆黒の瞳。

 この女子を四字熟語で表すと、“純粋無垢”という言葉が相応しい。


 しかし疑問だ。

 こんな、クラスに居たら絶対わかるほどの美少女を俺は知らない。

 別に同じクラスの生徒を全把握している訳ではないが、それでも美少女なら嫌でも把握するはず。

 ましてや、そんな隠された(?)美少女が俺に話しかけてきている事自体が奇跡である。


「もう…何黙ってるのよ?」


 純粋無垢な美少女はくすくすと笑いながら、まるで仲の良い友達のように馴れ馴れしく俺にそう言った。


「いや…どちら様?」

「杏香」

「…え?」

「だから、杏香だってば。あたしそんなイメージ変わった?」


 俺は耳を疑った。

 杏香?コイツが?

 だって俺の知っている杏香は、髪を金髪に染めていて、カラーコンタクトをつけてきていて(これは偏見)、服装も胸元を晒していてだらしないイメージである。


「マジで杏香なのか?」

「逆に何でそんな無利益な嘘を付くのよ」

「そりゃそうだけど…もし本当に杏香なら、前よりも今の方が絶対良いぞ」

「は、はぁっ!?ち、ちょっ…き、きき急に何言ってんの!?」


 俺の言葉に、純粋無垢な美少女改め杏香は顔を赤くして大声でそんな事を言う。

 お陰でまだ数は少ないものの既に教室にいる真面目な生徒達の視線がこちらに向く。

 “うるせぇな…”みたいに嫌そうな目の奴も居れば、純粋無垢な美少女を見て“何あの子?!可愛い…!”とキラキラさせた目の奴もいる。


 前よりも今の方が良い…これは俺の根っからの本音である。

 あまり金髪とかだらしない服装とか、ギャルっぽいのがあまり好きではない俺は、寧ろ今の方が良い。

 ちなみにリディアも金髪(正確にはアイボリー)だが、あれはノーカン。


「いや、普通に思った事を」

「ばっ…バカじゃないの?!それであたしを落とそうって言ったってそうはいかないんだから!」

「何言ってんの?」

「と、とにかく!別にあんたの…斗の好みに合わせた訳じゃないから!本当だから!」

「念を押さなくてもわかってっから…知ってたら怖ぇよ」

「…とにかく、斗のお陰で目が覚めた。ありがと」


 ツンデレみたいな台詞を言って勝手に気が昂っていた杏香は深呼吸した後、落ち着いたトーンで俺に礼を言った。


「俺は心愛に頼まれただけだから」

「素直じゃないわね…こーいうのは素直に“どういたしまして”でいいのに」

「…」


 俺は何の相槌も打たず、ただ沈黙した。

 素直になれない事に特に理由は無いし、実際俺がただ捻くれているだけだというのと、そもそも俺は何もしていないつもりだから礼を受け取る理由もないのだ。


 沈黙を貫く俺に、杏香が何かを言おうと口を開いた途端、教室の扉が開く音が響き渡り、教室にいた生徒達の目線が扉に移行する。


「…あれ?もしかして…杏香ちゃん…?」


 驚きの表情をしながら教室に入ってきたのは、言わずもがな心愛だった。

 なお、片目に付けている眼帯がなんとも痛々しいが。


「心愛…うん、そうだよ。杏香だよ」

「杏香ちゃん…!」


 杏香の懐かしくも新しい姿を見て、心愛は駆け寄って杏香に抱きついた。

 その様は、まるでかつての親友との再会のようだった…いや、実際そうか。


「ごめんね心愛、ずっと酷い事ばっかして」

「ううん…そんなこと無いよ。でもさ、一個お願いがあるんだけど」

「なに?」

「…これからも杏香ちゃんって呼んでいい?」

「…当たり前じゃん」


 考えてみると、こんなにも素晴らしい友情をいとも簡単に欠けさせることができる異性という存在は、よほど凶悪なのかもしれない。

 異性の介入により一方的に欠けた友情が再生していき、止まっていた“かつての時間”の刻が新たに刻まれ始める瞬間。


 この一件にかなり貢献したと思うと、なんだか誇らしい気分に思えてくる。

 人を助けるという事がこんなに“イイモノ”なんだと改めて…否、初めて気づいた。


「…あの、俺いつまでこれ見せられてんの?」

「あ、ごめん。存在忘れてた」

「おい…って、まぁ良いや。これからは変な男と絡むなよ」


 俺は杏香にそう告げた後、即寝落ちした。



 ここは校内にある食堂。

 俺は昼休みになるといつもここに来て昼飯を食べる。

 戦吾が居なくなってしまってからは、一人で…


「それでね、ずっと杏香ちゃんを何とか更生させたかったの」

「いや更生って…まぁ、間違ってないか」

「まぁ杏香ちゃんの場合、相手が悪かったんだよ」

「いや本当にそう!しかも初彼氏だよ!?あたし男運無さすぎでしょ、もーほんと今後彼氏作る時のトラウマになりかねないわー」


 …黙々と先ほど買った昼飯を食べる俺の目の前で、杏香と心愛が良くも悪くも女子高生らしい会話をして盛り上がっている。


「…お前ら何でここにいんの?」

「え?それは…その…たまたまよ!うんたまたま!」

「でも杏香ちゃん、さっき斗のとこ行くって」

「ちょ、心愛黙っててよ!」


 …いや、何そのツンデレみたいな。

 あまりにも露骨過ぎて寧ろ嘘くささが増しているというか。

 恐らくだが心愛は杏香に付いてきたのだろう。


「おーおー、随分ハーレムしてるなぁ霜木」


 大人びた、しかし少年らしさも兼ね備えたような声と共に俺の隣の余ったスペースにランチセットを置き、朝に座ってきたのは言うまでもない洲崎先生だった。


「…なんすか?」


 洲崎先生はニヤニヤと笑っている。


「いや?霜木が随分楽しそうだなと思ってな。だから少し邪魔をだな」

「邪魔って…なんか恨みでも?」

「恨みというか、妬みかな」

「一緒じゃねーかよ、てか先生が生徒に嫉妬って大人げねぇ…」


 俺の発言に、洲崎先生は「わかってないなぁ」と言わんばかりにため息を吐く。


「良いか、先生というのは生徒の上位互換じゃないんだ。先生よりも生徒の方が優れてるなんてザラだし、寧ろ先生というのは生徒に超えられてしまう者なのさ」

「先生よりも生徒の方が優れてるのがザラって、それは洲崎先生だからじゃ」

「お?なんか言ったか」


 洲崎先生は引き攣った笑顔で指の骨をポキポキと鳴らしながら俺に殺意を向けてくる。


「いや…ジョークですよジョーク…はは」


 俺は愛想笑いをしながら言い逃れる。


 でもあの指ポキポキって実際に骨を折ってる訳じゃなくて、関節にある空気が破裂してる音なんだとさ。

 だからやり過ぎると太くなるというのはガセであるが、やり過ぎると指が動かなくなるらしいのでどちらにせよあまりやらない方が良いらしい。


「なーんか意外と楽しそう。心配して損した」


 俺と洲崎先生のやり取りをただ見ていた杏香が、突然そんな事を呟く。


「…え?」

「なんでもないっ」


 杏香はぷいっと顔を横に向ける。

 色々とツッコミどころがあったが、まず“意外と”ってなんだ“意外と”って。昨日もそうだったけど俺ってそんなにマイナスなイメージあるのか?

 あと“心配して損した”ってマジで何?

 別に心配される筋合い無いんだが…まぁ、彼女なりの少し捻くれた“優しさ”というやつなのかもしれない。


「てか洲崎先生、飯食わないんですか?」

「食べるよ?何で?」

「もう時間無いっすよ」

「ウソ!?もーっ、ランチセットの列混みすぎなんだよっ!」

「…いや、俺と呑気に話してたからでしょ」


 時間が無い、と焦りながらランチセットを口の中へかき込む洲崎先生の憐れな姿をテーブルから離れながら見て帰った。


「ちょ、霜木も話したんだから責任持って残ってよ!」

「勝手に絡んできたのそっちでしょーが!自業自得!」

「もーいいよじゃあ!お前の成績評価1にしてやるもんね!」

「クソゴミ!」



 帰りのホームルームを終え、俺は帰り支度を済ませて教室を出る。

 いつものように優璃が校門で待っているだろうから。

 しかし最近色々な事が重なって優璃と少々疎遠気味になってしまっている故、少しだけ“今日は待ってないんじゃないか”と不安になった。


「ちょっと待ちなさいよ」


 背後でそんな声が聞こえる。

 振り返ると、杏香が俺を睨みつけ…てはおらず、その隣には心愛も居た。

 あの二人…特に心愛がそうだが、お互いべったり過ぎな気がする。


「何だ?」

「あんた、一人で帰るの?」

「いや、ツレがいる」

「…そ。ならいっか、じゃあまた明日」


 杏香はそれだけ確認すると俺に手を振って別れを告げた。


「おう」


 別に俺もこれ以上する会話も無いのでそのまま振り戻って下駄箱に向かう。

 靴を履き替え、少しだけ早歩きしながら校門に向かう。

 優璃が居なかったら、なんていうちょっとした焦りがあったからなのかもしれない。

 …でも考えたら、別に優璃が居なくても一人で帰れば良いだけだな。


「あ、斗君」


 良かった、優璃が居た。

 謎の緊張感が一気に解れ、俺は胸を撫で下ろす。


「よう優璃、待った?」

「そんな事無いよ!早く帰ろっ」

「そうだな…」


 俺と優璃は隣同士になって、無意識にお互いの歩幅や速度を合わせて下校した。


「斗君、最近大丈夫?」

「何で?」

「だって最近、色々あったから…僕ともちょっとだけ疎遠になっちゃって」

「まぁ…な。でもこれからはいつも通りになると思うぞ」

「ほんと!?」


 優璃は俺の手を握り、こちらに向いて嬉しそうな顔で目を輝かせて言った。


「あ、ああ。だから心配しなくても大丈夫だからな」

「うん!でも…やっぱり心配はしちゃうかな」

「…ありがとな。こんな俺に」

「“こんな”って…自分の評価低すぎだよ」

「逆に高過ぎてもダメだろ」

「斗君は極端だね…でも確かにナルシストな斗君はちょっと嫌かも」

「だろ?」

「でもね斗君…君が思ってるほど、斗君は悪い人じゃないよ」

「別に自分を悪い奴だなんて思ってないさ」

「そ、そうだよね…僕語彙力無いからなんて言えば良いかわからないけど…斗君は優しくて、良い人だよ」

「…さっきと言ってる事あんまり変わらなくね?」

「そ、そうだよね…あはは」


 優璃は申し訳なさそうに、愛想笑いをする。

 霜木斗は優しくて良い人…優璃の目にはそう見えるのか。

 ふと、俺は昔を思い出す。


 人に尽くしたにも関わらず感謝もされず、寧ろ陰口を言われて絶望した小学低学年時代。

 人に尽くす事を辞めた結果、低学年の時よりも更に非難された小学高学年時代。


 人柄が良くて足が速いモテモテの男子だろうと、とても愛らしいモテモテの女子だろうと、自分と全く面識の無い人間だろうと、あの時はみんな自分の陰口を言っていると思い込んで自分以外の人間全てを嫌悪していた。


 実際の本心はわからない。

 例え直接聞いたとしてもそれが本音とは限らないし、身体を掻っ開いて脳を解体したとしてもわからない。


「…斗君?」

「ん、あぁ…ごめん。何?」

「いや、ずっと黙っちゃってたから…何か悪い事言っちゃったのかなって」

「そんな訳無いだろ。ちょっと考え事」

「ねぇ、斗君っていつもどんな事考えてるの…?」

「何でそんな事聞くんだよ?」

「だってカンガエゴトしてる時の斗君、凄く辛そうっていうか…悲しそうな顔してるから」

「考え事する時大体そんなもんじゃないか?逆にめっちゃニヤニヤしながら考え事してたら気持ち悪いだろ」

「…じゃあ、考えてる時の顔は意識してるの?」

「っ…」


 どうやら考え事してる時の俺は凄く辛そうで悲しそうな顔をしているらしい。

 当然考え事をしている時の表情なんて意識していないし、そもそも俺がどんな表情をしているのかわからない。


 その事を優璃に突かれ、俺は言葉を詰まらせてしまう。


「斗君がいつもしてるカンガエゴトっていうのは、多分辛い事とか、悲しい事だと思う。だから…だからね、辛い事があったり、悲しい事があったら、言ってほしいんだ」

「優璃…」

「斗君だけが辛いのは…斗君だけが悲しいのは…嫌だから。僕にも共有させて欲しい…だって、独りは寂しいから」


 優璃は俺の手をぎゅっと握って、少しだけ悲しそうに…辛そうにそう言った。

 優璃のその表情は、手を差し伸べてあげたくなるような…人の中にある“善意”を奮い立たせる程のものだった。

 

 …そうか。

 優璃から見て、俺も似たような表情をしていたのか。

 俺としては単に考え事をしているだけだとしても、側から見たら何か辛い事があったように見えているのか。


 実際、ここ最近する考え事はあまり良い話題ではなかった。


 “独りは寂しいから”


 優璃のその言葉が、脳裏でずっと再生され続ける。

 俺は忘れていた。

 “独り”が、寂しいものだという事を。

 戦吾が殺されてしまってから、独りである事が当たり前になってしまっていた。

 俺は独りだった。


 でも違った。


 学校では洲崎先生、杏香に心愛が楽しそうな表情で話しかけてきてくれる。

 校外では優璃が隣に居て、手を握ってくれている。


 所謂、独りよがり…という奴だ。


「…ありがとう、優璃」

「うん、こちらこそ」


 そのお互いの会話は紛れもなく本心で、その時の俺の涙も、優璃の優しい笑顔も本物だった。

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