第26話 ユーカリ -新生-

「ウフフ、どうしたの?顔、赤いよ?」

「う、うるせ!」


 コーヒーとグレープソーダを間違えるなんて、恥ずかしい以外の何者でもない。

 その後ヤケクソになってコーヒーを全部飲み干して、グレープソーダはリナリアにあげた。

 …わぁーあの時と立場が真逆だーなんてエモいんだー(棒)

 今更ながら、あの時の優璃に謝りたくなった。

 めっちゃ馬鹿にしてごめんって。


 結局その後はやけ食いしてファミレスから出てきてしまった。

 空は日が暮れ、辺りは紅色に染まっていた。

 俺達は無言で歩き出し、家に帰る途中に俺は辺りに行き交う人達を見回す。


 スーツを着て、取引先か家族なのかはわからないが誰かと電話しているサラリーマン。

 部活を終えて友達同士で帰る汗臭そうな男子や女子。


 もし俺が社会人になったら、あんな風にスーツを着て、常に仕事に追われる毎日を送るのだろうか。

 もし俺が何か部活に入っていたら、あんな風に友達と笑い合って下校していたのだろうか。

 

 行き交う多種多様の人を見る度、それら全員を自分に置き換えて考えてしまう。

 もし俺が、もし俺だったら、と。


 そしてその度考える。

 それは幸せなのだろうか、と。

 

 俺は高校卒業したら、当然社会人になるだろう。働きたくはないのが正直な本音だが、それを世間はニートと呼ぶ。俺は親の脛を齧って行きたくはないので働くことになるが、学校のように夏休みも冬休みもなく、定期テストもなく仕事によっては土曜日も出勤。


 人生初めてのバイト先がお世辞には良いと呼べない環境だった事もあり、就職に対しては人一倍…いや、十倍くらい不安である。

 

 しかし結局は就職しなければいけないから、選んだ就職先が自分に合った環境である事を祈るしか無いのだ。

 ちなみに、ホームページなどの情報は仕事内容以外基本(主に仕事環境が)アテにならないので注意だ。


 そして、俺は部活生ではない。

 もし何かの部活に入っていたら、俺は戦吾だけでなくもっと友達は多かったのかもしれない。

 でも、友達は多けりゃ良いという訳でもない。

 自分の思いに反していても頷かなくてはいけない時がある。

 …これに関しては、心愛が良い例である。


「…どうしたの?そんな考え事して」


 隣を歩くリナリアが心配そうな表情をして俺の顔を覗き込む。


「…いや」

「杏香更生の次は社会への不安?君は感受性豊かだね」

「感受性豊かって…使い方違くないか」

「間違って…いないよ?」

「ちょっと揺らいでんじゃねーか」

「ただ、君は少し考え過ぎだ。だからファミレスで気分転換させようと試みたというのに…寧ろ考える時間を与えてしまった。どうやら逆効果だったか」


 リナリアは頭を抱える。

 ファミレスで気分転換…小学生じゃあるまいし。

 でも、リナリアなりに俺の事を気遣ってくれていたのか。

 いや、気分転換させたかったのなら揶揄うのやめましょうね。

 …いや、あれももしかしたら、考え事を一旦忘れさせようと…?


「…そういうところだよ」

「え」

「…はぁ、そろそろ帰ろうか。流石に疲れた」

「憑かれてるのは優璃だろ」

「上手いね。すごいすごい」

「別に上手くなんか…って、頭撫でんなって」


 全然上手くもないダジャレをリナリアは頭を撫でて褒めてくれる。

 俺は撫でる優璃の手を払う。

 そんな時、あるものが俺の視界に入る。


「…杏香か、あれ」

「ん?あれが杏香なる者か…」


 そこには、まるでゾンビのように力無くよろよろと歩く杏香の姿があった。

 サボった人がこんな時間に外をほっつき歩くなんて…と思ったが、服装も少しボロボロになり、汚れている。

 まるで、激戦区から帰還してきたかのようだった。それは少し大袈裟かもしれん。とはいえ、明らかに様子がおかしいのも事実。


「何があったんだ…っ?」


 俺は杏香に駆け寄ろうと歩みを寄せようとすると、リナリアに袖を引っ張られ阻止される。


「いや…やめておいた方がいい。あの杏香だ、どうせ碌な事が無い」

「でも…」

「もし不良グループが近くにいたら、杏香に近づいたのを口実に目をつけられるかもしれないんだぞ?私は君にそんな目に遭ってほしくない」


 そんな訳ねーだろ!…とも言い切れないのが不良グループだ。

 アイツらは低脳ゆえ、何をしてくるかもわからないし何をしてもおかしくはない。

 でも…それでも俺は思うのだ。


「…でも、周りの人間と同じは嫌だ」

「周り…?…あぁ、そういう事ね」


 俺の言葉の意味。

 リナリアは最初わかっていなかったようだが、辺りを見回して理解したようで、俺の裾から手を離す。

 

 そう…服がボロボロになってよろよろ歩く女子高生がいるのにも関わらず、周りの人間は素通り、もしくは見て見ぬフリ。

 俺はそんなのは嫌だ。


「杏香!」


 俺は駆け寄って呼びかけるが、杏香は振り返るどころかまるで聞こえていないように無視をする。

 ならば、と俺は杏香の肩に手を置くと、杏香は驚いたのか身体がびくん、と動かしてこちらに振り返った。


「…?」


 振り返った杏香の顔は少し赤く、呆けているようだった。

 普通なら俺の顔を見たら凄い怖い形相で睨みつけてくる筈なのだが。

 …というか、凄く酒臭い。

 杏香はまだ17歳だというのに…まさか酒を飲んで酔っ払っているのだろうか?


「お、おい…大丈夫か…?」

「…あんた…はるか…だっけ…」

「そうだけど…」

「そっか…そうなんだ…」


 そう言うと、杏香はあろう事か俺の胸目掛けて倒れてきた。


「なっ?!」

「ごめんなさい…アンタが正しかったよ…」

「…え?」


 杏香の返答は何というかふわふわしていて、いつもの“THEヤンキー”っぽさは微塵も感じられない。

 しかし俺をあの憎っくき斗だと知ってもなお殺しにでも来ないという事は相当酔っているようだ。

 というか、今回ばかりは周りの人が助けようとしないのもわかる気がした。

 だって酒臭い女子高生なんて誰も助けたくないだろうし。

 しかし、“俺が正しかった”とはどういう事だろうか。


「…僕の恋人に触らないで貰えるかな」


 すると、その声と共に杏香の身体が俺から離れる。

 どうやらリナリアが杏香を俺から剥がしたようだった。

 しかし杏香は抵抗する様子も無かった。


「え…恋人…?恋…人…」


 恋人、という単語を聞いた途端、杏香の瞳からは涙が滲み出してきた。

 あ、これまさか…。


「うぁぁぁあん!彼氏に振られたぁぁあ!何で何で何でぇえええ!!」

「ガキか!」


 駄々をこねるように泣く杏香に、俺ではなく珍しくリナリアが突っ込んだ。

 やっぱり、彼氏に振られてしまったようだ。



 ここは、どっかの近くの公園である。

 ちなみにリナリアは優璃と分離し、家に帰らせた。

 最近優璃の扱いが雑になってきているような気がする。

 それはさておき、俺と杏香は二人きりになって、ブランコに座る。

 俺達はブランコに揺られながら、酔いが覚めたのか流暢に自身の思いを語る杏香に耳を傾ける。


「アイツね、あたしの初めての彼氏だったんだ…だから、離れたくないって…別れたくないって…その一心で、アイツに従ってた。アイツの好みに合わせて髪も染めて…」

「奴にとって理想の彼女になる事で、その関係を良好にしたかったのか」

「うん…初めて会った時に可愛いって言ってもらえて…嬉しかったけど…今日気付いた。アイツはただあたしの身体目当てだったんだって」

「…」


 言葉が出なかった。

 なんて言ってあげればいいのか、わからなかった。

 初めて出来た彼氏との関係を断ちたくない故に色んな事をして、友達よりも彼氏を優先して、そうやって理想の彼女であり続けた結果、飽きられてヤリ捨てポイ…。

 俺からすればただの阿保だ、と思ってしまうが、初めて出来た彼氏なのであれば相手がどんな奴だろうと振られたくない一心になって色々捨ててしまうのも無理は無い…のかもしれない。

 …俺も、絶対無いと思うがもし戦吾が「お前と友達辞めるわ」なんて言ってきたら全力で友達でいようと努力するのかもしれない。


「あたし、心愛っていう可愛い名前の友達が居るんだけど…心愛にもかなり酷いことしたんだ…怒鳴ったり、無視したり」

「…あと、レイプか」

「あんた…何でそれをっ…!?」


 杏香が俺の方に身体を向けると、ブランコが強く揺れる。


「今日心愛から聞いた」

「そっか…今日学校来てたんだ…」

「心愛が言ってたけど、お前と昔と同じような仲に戻りたいってよ」

「え…何で…!?あたし、心愛に散々酷いことしたんだよ!?」

「杏香と同じだ。心愛も、お前しか友達がいなんだよ…だからどんなに酷い事されても友達でいようと、昔のように仲良くなろうとしてたんだ。お前が、理想の彼女でいようとしたように」


 改めて口にしてみると、心愛も杏香もまぁまぁ狂っている。

 前にも言ったような気もするが、普通ならお互い絶交するぞ。

 心愛に至っては杏香の彼氏の連中にレイプまでされて、それでもなお杏香と関係を持っていたいと言っているのだから、器が大きいというかもはやメンヘラの領域だ。一番展開しちゃいけない奴。マジで。


「そっか…あたしも心愛も似た物同士って事ね…だから、あたし達は友達になれたのね…」

「類は友を呼ぶ、か…」


 要するに、似た物同士は引き合う磁石だ、みたいな意味である。

 俺と戦吾と凪葉は…似た物同士だったのだろうか。


 ちょっと待ってくれよ、この3人のうち俺しかこの世に居ないってヤバすぎだろ。

 戦吾は殺され、凪葉は…。


 なんだろう、過去を振り返れば振り返るほど埋もれた謎を掘り返すような。

 何で凪葉は事故に見せかけた自殺をしたのか、未だにわかっていない。

 俺の知らないところで、苦しい思いをしていたのかもしれない…彼氏である俺がそれに気付けないなんて、俺は彼氏失格だったんだ。


「…あんた、意外と優しいじゃん」

「意外とってなんだ」

「ほら…外見が明らかに根暗な感じだから、もっとこう…“デュフッ!拙者、女の子と会話してりゅ!これもう絶対拙者の事好きでござぎゅ!デュデュデュファイ!”とか言って」

「俺そんなヤバい奴に見えてたのかよ?!てか最後の何?!ファイナルアタックライドかよ?!」

「あははっ、流石に冗談。でも普通に優しくてちょっとギャップ萌え?しちゃったかも」

「…とにかく、心愛かなり寂しがってたから」


 俺は照れ隠しに多少無理矢理ではあるが話題を戻す。

 にしても優しい、か…。


「うん…あたし、ちゃんと心愛に謝るよ」

「そうか、じゃあ俺は帰るから。気をつけろよ」

「え、ちょっと待ってよ!?」


 普通に帰ろうとブランコから立ち上がると、杏香は俺を呼び止める。


「何だ、まだ何かあんのか?」

「い、いや…その…家まで送ってよ」


 杏香は顔を少し赤く染め、太ももが露出している脚をもじもじしながらそう言う。

 …え、何この露骨な感じ。これ絶対拙者の事好きでござる。


「はぁ…わかったよ。ほら行くぞ」


 俺はため息を吐き、露骨に面倒くさそうにそう言って杏香に手を差し伸べる。

 杏香が俺の手を取りブランコから立ち上がるのを確認すると、俺は「道案内よろしく」と言って杏香の家まで着いて行くことにする。


「…やっぱ、優しいのね」


 日が完全に暮れ、辺りはすっかり暗くなっていた。

 暗い夜道を二人で歩いていると、杏香は突然そんな事を言い出す。


「どうだかな…」

「いや優しいと思うよ、嫌いな女に普通手なんか差し伸べないって」

「なら、尚更心愛に感謝するんだな…って、嫌いな女って…」

「ぶっちゃけ嫌いだったでしょ、あたしのコト」

「ま、苦手ではあったかな…」

「やっぱそうだよね…正直あたしも自分が嫌だったの。髪染めるとか髪痛めるからやりたくなかったし、胸元開けるとか恥ずかしいし…何よりパパとママに怒られるし」

「初めて出来た彼氏と別れたくないが為に、彼の理想になって自分を偽って…本当、異性パワーって凄いんだな」


 俺は皮肉のような、嫌味のような意味合いでそう言う。

 こうして杏香の本音を聞いていくと、心愛と仲良くなれたのがよく分かる。

 中学の時に優等生だったというのも納得出来るし、恋人が出来たら人は変わるという事もよく分かる。


「あたしの場合、初めてってのがあったから尚更」

「そんなもんただの言い訳だ。単に人を見る目が無いだけだ」

「うん…そうだよね…」


 杏香は、しゅんとしてしまう。

 流石に言い方がキツくなってしまったか。

 確かに人はよく“最初が肝心”と言う。だからこそ、杏香が“初めて”を大切にした末路がこれだ。

 俺の中で、杏香は碌でもない人間というイメージが付いてしまっている為、どうしても態度が“嫌いな人にする態度”になってしまうのだ。

 これも、言い訳になってしまうのである。


 だが、俺がこんな態度でも優しいと思えてしまう杏香は果たして本心なのか虚言なのか。

 もし本心なら…杏香が不良グループのリーダーと恋人になれたのも頷ける。


「あ、家ここだから」

借家アパートか」

「そ。うちそんなに裕福じゃないから」

「なのに私立行ったのか」

「親を何度も説得してようやく。心愛と青春したかったからね…でもこんな事なら、進学高行っておけばよかったかもね」

「そんな事は無いと思うぞ」

「え?」

「一緒の高校に行けて心愛は嬉しがってたし、それに今まで疎遠だったとしても、これからまた仲良くなれば良い。幸い、心愛はお前の事ずっと待ってるからな」

「…そっか…ありがと」


 杏香は、微笑んだ。

 予想外の展開ではあったものの、心愛から頼まれた杏香の更生は解決出来たようだ。

 これで、杏香も心愛も昔のように戻れれば良いのだが。


「じゃ、俺帰るから」

「うん…あんた、見かけによらず本当に優しいのね」

「俺の見た目そんな悪いか…それに、暗い雰囲気で別れんの気まずいからな」

「そ…んじゃまた明日」

「おう」


 そう言いながらも、俺は杏香がアパートに入っていくのを確認してから、振り返って家に帰ることにした。


 …が、俺は辺りを見渡す。

 街灯はあるものの、やはり薄暗い夜道は一人となると突然寂しく心細いものとなる。

 もしこの道が実は心霊現象が…なんて冗談を言われても一切疑う余地もないくらい。

 更に、俺は冷や汗をダラダラと流す。


「…こっからどうやって帰ればいいんだ」

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