第23話 IF:Lydia√ / -Fünf Rosen-

 リディアから聞かされた話は、約2年前に起こった“アルクレア隠し子騒動”の裏側のような内容だった。

 アルクレア隠し子騒動に関しては、当時ネットニュースにも掲載されていた事で俺も知ってはいたが、当時の俺は微塵も興味が無かったので詳細は見ていなかった。

 周りの人間達もそこまで話題にしていなかったし、いわゆる“コネ”か何かを使って隠蔽でもしてんのかなー、と思っていた。


 しかし海の向こう側ではそうでは無かったらしく、その隠し子本人であるリディアは1人のメイドの裏切りによって大変な思いをしたのだそう。

 しかしそんな大きな騒動があったというのに、そんな話題も1年経てば新しい話題に塗り潰されていつの間にか忘れ去られていき、再び話題にしても「そんな事あったねー」で終わる。


「ていうか、リディア…いつの間にそんな流暢に日本語喋れるようになったのか」

 

 リディアの過去を知った俺の第一声が、それだった。

 あれだけ文法が滅茶苦茶だったリディアが淡々と自分の過去を語る、それだけならまだ良いが、純日本人である俺が首を傾げずに内容を理解できるほどリディアの日本語力は完璧というほどでは無いにしろ、かなり上達していた。


「…実は、ハルカを驚かそうと思って…カタカナを覚えた後に必死に勉強したのです」

「そっか、だからあれ以降来なかったのか」

「はい…華々しい日本の学園生活が始まると思った矢先に、オレがアルクレアの娘だと公表されて…」

「“オレ”っていう一人称は継続なのかよ…」


 暗い雰囲気を紛らわすためにツッコミを入れてみるが、リディアは依然として俺に顔を向けずに俯く。和らぐどころか寧ろ悪化したような気がする。


「だからもう…オレは人を信頼出来ません」


 リディアが経験した過去を踏まえると人間不信に陥るのも無理はないと思ってしまう。


 そもそもリディアが世間にアルクレアの娘だとバレたのは、母親になってほしいと思っていたほど信頼していたメイドによる裏切りだし、「君が何者だろうと関係無い」とキザな…でもリディアにとっては嬉しかった言葉を言ってくれたフェリクスも、リディアがあのアルクレアの娘だと知った途端露骨にリディアを見る目が変わった…らしい。リディアにとってそれは、裏切りと似たような物なのだろう。


「だったらさ、何でリディアは俺を信頼してくれるんだ?」

「え?何を…」

「これまで沢山裏切りを経験してきて他の人が信頼出来ないはずなのに、どうして俺に過去を話してくれたんだ?どうして今俺は君の隣に居るんだ?」

「そ、それは…」


 俯いていてよく見えないが、リディアは震えている声で焦るようにもじもじし始める。

 いくら俺が日本人でリディアに日本語を教える先生で仲の良い友達だったとしても、アルクレアの娘だと公表されて見る目が変わるって思い込んで、俺を突き放すはずだ。

 だって、母国で仲の良い唯一の友達で、救いだったフェリクスですら突き放したのだ。

 ならば、少し立場が似ている俺も、フェリクスのように突き放すはずだ。


「…もしかしたら、オレはハルカを信じたいのかもしれません」

「俺を?」

「はい…日本に来て、ハルカはずっとオレを助けてくれました。そして日本語だけでなく色々な事を教えてくれました。もちろん、怖い事も経験しましたが…でも、ハルカと過ごした時間は、とても…楽しかったんです」

「それはフェリクスの時も、裏切ったメイドの時もそうだったんじゃないのか?」


 最終的に裏切りという結末を迎えた双方も、それまでは数年単位で良好な関係を築いていた2人だ。

 フェリクスは先ほども言ったように唯一の友達で、学校にはいつも一緒に登校して、時にプレゼントをくれたり、救われたりした存在だった。

 フォンベルンはリディアが物心ついた時からアルクレアの代わりに家事やリディアの世話をしていた。

 リディアにとっては第二の母親のような存在だった。

 どちらも、きっと俺なんかよりも深い絆だったはずだ。


「…正直に、なっても良いですか」

「ああ」


 リディアの問いに俺が頷くと、ずっと俯いていた顔を、視線を俺に向けてその可愛らしい顔を晒す。

 リムジンのほのかなオレンジの照明に照らされたリディアの顔は、顔を赤くしているようだった。


「…ハルカはオレにとって特別な人です。だからこそ…失いたくない…離れてほしくない」

「リディア…」

「ハルカだけは違うって…逃げても追いかけてきてくれるって…きっとあの時みたいに手を握ってオレを止めてくれるって、信じたかったんです…」


 リディアは、瞳に涙を浮かべながら俺にそう告げた。

 

 自身がアルクレアの娘だとクソ校長に公表され、俺を含めた聖芽高校の生徒全員に知られ、約2年前と同じような状況に陥って、きっと俺にもフェリクスのように裏切られてしまう事を恐れたのだろう。

 だが、リディアにとってかけがえのない存在になっている俺と別れてしまうのは嫌。

 言い方悪いが、敢えて突き放して俺を試したのだろう。


「…だからオレを呼び止めてくれた時、内心凄く嬉しかったんです…でも、信じたいのに…オレの中に疑心が残ってて…」


 かけがえのない人を信じたい思いと、今まで裏切られて構築された人間不信による疑心。

 その二つの思いの矛盾が入り混じって、本当は嬉しかったのに、突き放すような事を言ってしまったのだろう。


「リディアは、優しいな」

「え…?」

「だって俺、さっきリディアに見て見ぬフリしたのに、それでも俺のことを信じてくれるなんて…」


 見て見ぬフリ…始業式後にリディアが質問攻めされ、枢木杏香に喧嘩を売られた時、俺はあの場で一番リディアをわかっていたにも関わらず、見て見ぬフリして逃げたのだ。


「あれは…仕方ないですから」

「そういう所だ、リディアが優しいのは」

「多分それは…ハルカだからだと思います」

「…ありがとうな、リディア」


 人差し指と人差し指をつんつんと合わせ、顔を赤くするリディアの頭を優しく撫でる。

 こんな俺をここまで信じてくれる優しさを持つのは、リディアだけだ。


「こちらこそ、信じさせてくれてありがとうございます」


リディアは嬉しそうに表情を緩めて笑うと、俺を両手で抱きしめ、胸に顔を押し当て、まるで涙を拭くように擦り付けてきた。


「お、おう…何で抱きつく…?」

「…見て見ぬフリした、仕返しですっ」

「全然仕返しになってねー…」


 そんなこんなで、リディアとの蟠りは無くなり、信頼を取り戻せた(まぁ最初から信頼されてはいたんだけど)。

 しかしふと思ったのが、ここリムジンの中なんだよな…つまり、今の俺達の一連の流れを運転手は聞かされてたって事だよな。

 うわ…恥ずかしいし、何より気まずいな…。



 リムジンを走らせ、辿り着いた場所はリディアの住居ではなく、俺達の通う聖芽高校だった。

 夕陽に照らされ、校舎は真っ赤に染め上げられていた。

 

「どうして聖芽高校に?」

「ちょっと野暮用。すぐ戻ってくるから」


 そう言うと、俺はリムジンの扉を開けて校門から校内に駆け出していった。

 グラウンドには部活生も居なかったが、職員室の電気は付いているので先生は居るようだ。

 靴箱で上靴に履き替え、廊下を歩いて目的地に向かう。

 職員室を通り過ぎ、この学校で唯一木で出来た扉の前に立つ。

 扉には表札のように“校長室”と書かれていた。

 俺はゆっくりと2回ノックをする。


「はい?誰かね?」

「失礼します。2年D組の霜木斗です」

「おー、入りたまえ」


 “ああ、君か!”みたいな雰囲気で言われたが絶対にわかってないだろコイツ、と思いながら校長室の扉を開ける。

 まぁ、これからこの名前をヤツの記憶に深く刻むことになるんだろうけど。

 扉を開けると、校長がラフな格好をして偉そうに座っていた。


「どうしたんですか、こんな時間に」

「すいません、忘れ物に気付いて取りにきたついでに校長先生とお話がしたくて」

「ほぉ、そうかそうか!ささ、とりあえず座りなさい!」


 生徒に話がしたいと言われる事が殆ど無いからか、校長は露骨に嬉しそうに俺をやたら高そうなソファに座らせる。

 …リムジンに乗った後だからこの高そうなソファがめっちゃ硬く感じる。

 そして正面に校長が座り、面と向き合う態勢に。


「それで、話とは何かな?」

「今学期から転入してきた、リディアについてです」

「ああ、あの有名な女優のアルクレアさんの娘さん!そういえば君と同じクラスだな!」

「はい。実はリディアと前から仲が良くて」

「だからこそ洲崎先生が君と同じクラスにしてくれって頼んできたのか…まぁ、あまり乗り気では無かったが」

「それは何故です?仲の良い人が同じクラスに居れば良いと思うんですが」


 転入生にとって同じクラスに知り合いがいるという事がどれだけ救いになることか。

 まぁ俺は転校とかした事ないからわからないが、何となく想像はできる。

 この校長は恐らく碌な返答をしないだろうが、一応聞いてみる。


「いやいや、1人の友達に縋るより、沢山友達いる方が楽しいじゃないか?」

「はあ…」

「ましてや彼女はあの有名な女優アルクレアさんの娘さんだよ?そんな御方がクラスに転入してきたら自ずと人が寄ってきて、友達が出来るに決まってるじゃないか!」


 一見、校長が言っている事は正しいように思える。

 確かに“転入生”というだけでも人は集まってくるのに、更にそこに“大物女優の娘”という肩書きが追加されれば人が集まるのはもはや必然だ。

 そこから趣味や気の合う友人が出来たりもするかもしれない。


 だが、友達が多けりゃ良いって訳ではない。

 もしかしたら新しい友達の中に嘘つきがいて、ただ“大物女優の娘の友達”という称号を獲得したいが為に話を合わせてるという可能性もあるし、そもそも友達が多くなると人付き合い大変だろ。


「そのアルクレアの娘、という点なんですけど、リディアに聞いたら本来は公言しない約束だったらしいじゃないですか。どうして公言したんですか?」

「そりゃもちろん、我々からしたらそんな凄い事言わなくてどうするんですかって感じですよ。寧ろ言った方が良いでしょう?」

「いや、本人が言わないでほしいとお願いしているのなら言わない方が良いんじゃないですか?」

「いや言った方が彼女にとっても我々にとってもメリットしかないのですよ。言えば彼女は生徒達からチヤホヤされるし、生徒がSNSで広めれば我々の高校の評価も入学してくる生徒も増えますしね!」


 …呆れた。

 言ってる事が滅茶苦茶だ。

 何か自分は正しい事をしている、みたいな意志がビンビン伝わってくるが、同時にバカらしさも伝わってくる。

 そもそも凡人にとって羨ましい肩書きである“大物女優の娘”という事を公言しないでと言うのには必ず理由があるのに、リディアの思いも知らないで自分だけの利益の為(校長的にはお互いの利益だと思っているようだが)に約束を破ったのだ。


「そんな訳無いだろ…公言しないでと言うのには、何か理由があるって事なんですよ!?そんな思いを全部無下にして、リディアがどれだけ苦しい思いしてると思ってんだ!」


 俺はソファから立ち上がり、立場などお構いなしに怒りを露わにする。

 リディアがどんな思いで、どんな過去を経験してきたかを知っているからこそ、俺は余計に腹が立った。


「リディアは…裏切られて世間に自身がアルクレアの娘だってバレたんだ…その後も、信頼してた唯一の友達に裏切られて…あんたまでリディアを裏切って、苦しい思いをさせんのか…?!」

「…君、言動には気をつけた方が良いよ」

「っ…」

「それに、私は彼女を裏切っていない。あくまで道を切り拓いてあげたんだよ。寧ろ感謝してほしいね」

「…は?」

「それに、唯一の友達に裏切られた、と言ったね?唯一に裏切られたら友達は居なくなる。だからこそ友達は多い方が良いんだよ」


 この校長、もうダメだ。何言っても通じない。

 悪い意味で自分の意思を意地でも曲げないし、間違いだと微塵も思ってない。

 コイツ…“本物”だ。


「友達なんて…そんなぽんぽん簡単に出来るもんじゃないんだよ…」

「それは君達が作ろうとしてないからだろう?」

「何もかもお前基準で考えんじゃねぇ…!」

「君、さっきから態度がなってないね。敬語は使わないし君より立場が上の私に怒鳴り散らかして…この学校、私立なんだよ」

「だからなんだ…!」

「“私”立なんだよ…つまり、校長の私がルールなんだよ。つまり、君を即退学にさせる事だってできるんだよ」

「っ…」


 何なんだよコイツ…ただの独裁者じゃねーかよ…。

 にしても退学、か…。

 それは嫌だが、かといってこの独裁者に謝罪や土下座をするのは嫌だ。

 それに…


「私立はね、入学や授業費にとんでもない額が掛かってるんだよ。両親に大変無理をさせているんだよ?君は行かせてもらってる立場で、入学させてもらってる立場なんだよ?」

「別に行きたくてこの高校来た訳じゃ…」

「あ、そう。じゃあ退学でいいね。後で親にも連絡しておくから。はい出てって出てってー」


 そう言うと、校長は俺を無理矢理校長室から突き出す。

 俺は立ち上がり、怒りで叫び散らかしたい衝動を堪えながら職員室を通り過ぎようとすると、


「待ちなよ、霜木」

「…洲崎先生」


 どうやって俺の存在を嗅ぎつけてきたのかは不明だが、いつの間にか背後には洲崎先生が居た。


「あの頑固ジジイ相手によく戦ったよ…ナイスファイト」

「その結果退学で俺の負けですけどね…!」


慰めているつもりなのか俺の肩にポン、と手を置いてそう言う洲崎先生に、俺は容量オーバーで破裂しそうな怒りを漏らしながらも、歯軋りをしてなんとか情緒を保ちながら返答する。


「ここじゃアレだ、場所を変えよう」

「…音楽室ですか、それとも放送室ですか」

「どちらでも構わないぞ、防音対策は双方バッチリだからな」


 洲崎先生はサムズアップし、出来ていないウィンクをしながらそう言う。

 どうやら、俺の考えている事はお見通しのようだ。


「…でも、辞めときます。待たせてる人がいるんで」

「リディアか?」

「…はい」

「あの子、健気だよ…君に褒めてもらいたいが為にあの夏休み期間にもう勉強したらしいからな」

「…それ本人から聞きました」

「霜木の声、職員室に響いてきていたぞ?でも誰も止めに来なかったという事は…そういう事だからな」

「あの、リディア待たせてるって言いましたよね?それじゃ」


 とりあえず話題を振って帰ろうとする俺の足を止めようとしてくる洲崎先生に痺れを切らしてついそう言って靴箱に向かう。


「あぁすまない。だが最後の会話くらい明るいものにしたいだろう?それにこれだけ言わせてくれ。君は何も間違っていないよ」

「…ありがとうございます!!」


 別れ際、背後から洲崎先生の言葉が聞こえてきて、俺は足を止め、振り返って大きな声でそう言った。



 重い足取りで歩いていると、校門前でリディアが待っていた。

 リディアは俺に気がつくと、俺に駆け寄ってきた。


「大丈夫ですかハルカ…?顔色悪いですけど…」

「…退学になっちまった」

「えっ…!?どうして…!?」


 リディアは驚く。

 そりゃ、急に学校に行きたいなんて言い出して帰ってきたら退学になりました、なんて、驚かない方がおかしい。


「ちょっと校長と喧嘩しちまってな…やっぱりバカが権力持つと厄介だなー」

「…オレの事、ですか」

「そうだって言ったら、どうする?」

「ごめんなさい…オレのせいで」

「いいんだって、俺が勝手にやった事だから。さ、帰ろう」


 そう言い、駐車していたリムジンに自ら乗ろうとした時、リディアは俺の裾を引っ張った…が、別に何かを言う訳でもなく、ただ沈黙するばかりだった。


「なに?」

「…バカ」

「え?!」

「バカ…バカ!バカバカバカバカぁ!オレの為にそこまでしなくてもいいのに!どうして…どうしてですか…!?」

「…あの校長が許せなかったんだ。リディアがアルクレアの娘だって公言したあの時からずっと」

「で、ですが…!」

「大丈夫、溜まった鬱憤吐き出してきただけだから気にすんな」

「でも…オレは、悲しいです」

「そっか…相変わらず優しいな、リディア」


 リディアはそっと裾から手を離した。

 俺はリムジンに乗っていくと、リディアも続いて乗り込んできて、リムジンが動き出した。


「…ハルカ」

「ん?なんだ?」

「もし良ければ…これからオレの執事として、一緒に居てくれますか…?」

「し、執事ぃ!?なんで急に!?」


 執事ってあの、黒いスーツ着てクールでイケメンで、家事とかを完璧にこなすメイドの男版みたいなあれだよな。

 で、ついでにご主人様に近づいてくる輩を難なく倒したりする奴。


「退学、という事はハルカは高校中退という事になります。つまり就ける仕事を探すのが大変になってしまいます」


 …確かに、退学処分喰らって“あーマジかー”くらいの感覚だったが、よく考えたら大変なのはこの後なんだよな。

 高校中退して働いていないとニートという扱いになるし、かと言って仕事先を探すもロクな仕事先が無いだろうし…そもそも面接受かるかどうかって所なんだよな。


「なのでハルカには私の執事として働きながら、これからもずっと一緒に居てほしい…です」


 リディアは顔を赤くして、足をもじもじさせながらそう言う。

 執事…か。果たして俺に向いているのだろうか。

 いや、これはもはや向いている向いていないの問題ではない。


「…わかった、リディアの執事やるよ。全う出来るか不安だが…」

「はぁっ、ありがとうございます!!」


 俺は提案を受け入れると、リディアはぱあっと表情を明るくして、俺の上に乗っかってきて、強く抱きしめてくる。

 もう君を離さない、という意志が感じられるほどに。

 リディアの身体は軽かった。


「ま、まぁ…執事なんてした事無いから…」

「大丈夫です!オレと一緒に居てくれればそれでも充分です!」

「そ、そうか…」


 ご主人様と一緒に暮らすだけで給料が貰える…なんて楽なお仕事なんでしょう。



 リムジンがリディアの住居に到着し、停車する。

 リムジンから降りて、リディアの住む高級タワーマンションを見上げる。


「うわー…高ぇな色んな意味で」

「ハルカ、こっちです!」


 到着するや否や、リディアは俺の手を掴んでマンションの中へと入っていく。

 するとエントランスにて、とんでもない人物と遭遇する。

 やたら高そうな服を見に纏い、凄いオーラを放つ人物がいた。


「あ、ママ!」

「ママ…って事は、あの人がアルクレア・シュヴェールト…!?」


 リディアの呼び声に、アルクレアは振り向くと、こちらに向かって歩いてきた。

 え、凄い。目の前にあの有名なアルクレア・シュヴェールトがいる。

 いや…あまりテレビを見ない俺ですらリディアの周りの人間の目が変わるのもわかる気がしてきた。


「Lydia ...! Ich war besorgt, weil ich nicht im Zimmer war ... oh? Wer ist diese Person?(リディア…!部屋にいないから心配したのよ…あら?そちらの人は?)」

「Es ist Haruka. Neuer Butler und...Freunde!(彼はハルカ。私の新しい執事で…彼氏だよ!)」


 隣で知らない言語で会話する親子。

 しかしこうやって見ていると、リディア人アルクレアは似ている…リディアは養子とかではなく、ちゃんとアルクレアのお腹から産まれてきた正真正銘の娘なんだなぁと思わされる。


「Mach Lydia glücklich?」


 アルクレアは俺に話しかけてきた。

 しかし、なんて言っているかわからず、リディアに聞いてみるが、何故か恥ずかしそうで答えられそうにもなかった。


「は…はろー…」

「Lydia, übersetze?(リディア、翻訳してあげて?)」

「Abgelehnt! Es ist peinlich!(嫌だ!恥ずかしいもん!)」

「はぁ…揶揄うのは良くないわね」


 突然アルクレアが流暢に日本語を喋り始めた。


「日本語喋れるんじゃないですか…」

「当たり前よ、日本にもよく来るんだから喋れてないと」

「で、ですよね…」

「ところで貴方、リディアと同い年でしょう?執事になったってどういうこと?」

「ああ実は、リディアの件で校長と討論になりまして…」

「まさかそれで退学になったとか言わないでしょうね?」

「それがその通りなんですよ」

「はぁ…呆れた…偉い立場の人間に碌な人居ないわね…それで仕事先としてリディアの執事に?」

「まぁリディアに誘われてというか…俺にとっても悪い話じゃないんで…」


 ははは…と愛想笑いをしていると突然アルクレアが俺の耳元に顔を近づけ、ある事を耳打ちする。


「…これからリディアをよろしく、ハルカ」

「あ、はい…?」

「…あ、ちなみにさっき私が言ったのは“リディアを幸せにしてね”って意味だから」

「あ、はい…はぁっ!?」


 俺は最初適当に相槌を打った後、言葉の意味が頭に入り意味を理解するとつい大声を出してしまう。


「あははは!まぁ、これから頑張ってね」

「は、はぁ…」


 俺を揶揄ったり、くすくすと笑う姿を見て、アルクレアは意外と気さくな人なんだなぁ、と思った。

 そんな時、隣から唸り声が聞こえてきた。

 横を向いてみると、そこには真っ赤に染まった顔を手で隠してうずくまっているリディアの姿があった。


「ど、どうしたリディア!?」

「うぅ、さっきの言葉の意味…聞きました?」


 チラッと俺の顔を見ながら、リディアはそう聞いてくる。


「あ、うん…聞いた…」


 俺は気まずそうに答える。

 なんだよ“リディアを幸せにしてね”って。

 それじゃまるで俺が恋人みたいじゃねーか。

 いや、別に嫌って訳ではないけど…。


「そっか…それじゃこれから、よろしくお願いします」


 リディアは自身の頬を2回叩くと、律儀に頭を下げてそう言った。


「あぁ。よろしく」


 俺はそう返答すると、リディアはぱあっと表情を明るくして俺に抱きついてきた。

 ラブコメの主人公っていくらなんでも鈍感過ぎるなぁと思っていたが、いざされてみると案外わからないもんだ。


 これから形上リディアの執事として働く事となるが、その給料はアルクレアから受け取る形になるから、言ってしまえば俺はアルクレアに養ってもらう事になる。

 男としてそれはどうなんだ…と思うし、実質ただのヒモじゃねぇかとも思うが、それに関しては何も言い返せない。いや、言い返す事も出来なくはないがただの見苦しいクズ男の言い訳のようになってしまうのでやめる。

 

 これから先どんな事があって、どんな困難に直面するのかもわからない。不安要素は正直多い。

 でも俺は、リディアと共に乗り越えていくのだろう。


「夜のお供もよろしくね、ハルカ君」

「最後の最後で余計な事言うなよ」


 アルクレアがそんな冗談を言って、けらけらと笑う。

 本当に娘の友達…いや、恋人を揶揄うの好きだなこの人は。


 その時、温かくて柔らかい感触が唇に触れた。

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