第22話 IF:Lydia√ / -Und hasste meine Augen-

 世界で活躍し、誰もが知る大物女優の娘。

 それだけ聞くと凡人にとって羨ましく、一度は考え、夢見るくらい名誉でしかない肩書きである。

 しかしどうやらその肩書きを背負う者の人生は、凡人が思っているほど華やかなものでは無いらしい…。



 大物女優と大手企業の社長の間に生まれたリディアは、殆ど親の顔を見たことが無かった。


 父親であるシュバルツは仕事場で寝泊まりする事が多く、家に帰ってくる事はほとんど無い。

 母親であるアルクレアも仕事の関係で常に世界中を飛び回っている為家に帰ってこない、というより帰れない。

 故に母親であるアルクレアの顔はテレビで何度も目にしているが、実際にこの目で見た回数の方が少ない。血の繋がった親子なのに、だ。

 だから、リディアは親の温かさを知らなければ、家族という概念すら歪み始めていた。


 当時、世間ではアルクレアに娘が産まれている事を公表されていない都合上、リディアは“リディア・ストレイン”という偽名を名乗り、普通の少女として扱われてきた。

 だから学校もお嬢様校ではなく、敢えて庶民が行くような普通の学校に通っていた。

 強いて違うとすれば、家には家事を担うメイドが2人いる事くらいだった。


 だから、リディアは血筋を除けばごく普通の女の子なのだ。家は少し豪邸じみているらしいが、それも裕福な家庭に生まれたで済むレベルだ。


 リディアと仲の良い友達は、まさか隣で普通に話している女の子があのアルクレアの娘だとは思いもしないだろう。



 “普通の一般少女”として生きてから、今日で13年の月日が経過し、リディアは12歳を迎えた。


 ホールケーキに立てられた蝋燭が、だだっ広いリビングをぼんやりと照らす。

 リディアは二人のメイドに祝われながら、立てられた13本の蝋燭に灯る火を息で消すと、同時に部屋の照明が付く。


「13回目の誕生日おめでとう、リディア」


 このメイドの名はジーク。

 口数が少なく感情を表に出さない故に、どこか不思議な雰囲気を纏っている。

 主にリディアの話し相手を担う。


「このホールケーキはお母様からの贈り物なのよ、リディア」


 このメイドの名はフォンベルン。

 とても真面目な性格で自身を雇ったリディアの両親、アルクレアとシュバルツを尊敬している。

 主に家事全般を担う。


「…」

「…リディア?」

「…ケーキ買う余裕があるなら、私の誕生日くらい、仕事なんて放って帰ってきてよ…」


 それがリディアの本音だった。

 生まれてから今日で13回行われた誕生日で両親が祝ってくれた回数はごく僅かで、それもまだリディアが幼年期の頃の話なので当然憶えている訳がなく、リディアからすれば0回と同じなのだ。


「まぁそう言わないで。アルクレアもシュバルツも仕事で忙しいから仕方ないの。それに両親が身を粉にして働いているお陰でリディアは今の暮らしが出来てるよ?」


 フォンベルンは、リディアを宥めるようにそう言う。

 リディアはそんな事をもちろん理解していた。

 自身が普通の人よりだいぶ裕福な暮らしをしている事、そんな暮らしが出来ているのは今も両親が働いているからだという事…自身が、普通の人とは違うという事。


「…今の暮らしなんて、いらない」

「なんて事を言うのリディア?」


 フォンベルンが血相変えてリディアにそう言う。

 このメイドはリディアの両親に雇われている存在…半ば忠誠を誓っているようなもの。

 そんな“ご主人様”を例え相手がそんなご主人様の子供だったとしても否定された事が許せなかったのだろう。

 …いや“だからこそ腹を立てた”のかもしれない。


「私の友達は、毎日朝と夜は家族で一緒にご飯を食べるんだって。休日は家族とのんびりしたり、たまに出かけたりするんだって」


 リディアは虚ろな目線を少し小さいホールケーキに向けたままそう言った。

 ここで重要なのは、リディアの友達は“一般人”という点である。

 リディアの発言に、フォンベルンはどう言い返せばいいのか頭を抱える。


「私よりも裕福ではない家庭に生まれた人の方が幸せそうに…“家族”と過ごしてる。でも私はどう?もう顔も思い出せなくなりそうなくらいに…誕生日にすら会えなくて、親の勝手な事情で隠れて暮らさなきゃいけなくて」

「もうその辺にして、リディア」

「っ…」


 フォンベルンは少し声のトーンを低くして、まるで“それ以上言ったら殺す”と言わんばかりの声色で言うと、それにビビったのかまだ続きのあったリディアの言葉が詰まる。


 リディアはわかっていた。

 

 “自分が口だけで、実のところ自分一人では何も出来ない”という事を。


 いくらリディアは雇った側で、立場がリディアの方が上だったとしても、雇われた側が断ってしまえば不利になる。

 そもそもメイドを雇う人間なんて、事情があって家事が出来ない者が利用するものである。

 故に、これがキッカケで契約破棄なんてされたらリディアは自身の食事の用意や、このだだっ広い豪邸の掃除を一人でやらなければならない。

 

「…はい…ごめんなさい」


 リディアは不本意ながらも、そう言った。

 謝罪の台詞を聞いたフォンベルンの勝ち誇ったような不敵な笑みを見て、リディアは下唇を強く噛んだ。



 険悪な雰囲気の中ケーキを嗜むと、リディアは自分の部屋へと戻っていった。


「フォンベルン、嫌い?」


 ガチャ、という扉が開かれる音と共にそんな声が聞こえ、リディアは振り返ると、そこには相変わらず無表情なジークがいた。

 どうやら後ろを着いてきていたようだ。


「嫌い…というか苦手、かな」

「へー」


 ジークは何故リディアがフォンベルンを苦手だと思うのかなんて興味無さそうで、実際その後は何も聞いてこなかった。


 自分から質問したくせに…と思うリディアだったが。それはいつもの事だった。

 ジークは何に対しても無関心で、一応リディアに話しかけてくるものの、相槌は大体「へー」である。


 リディアからすればジークとの会話は、まるで一人で寂しい人用に作られたおしゃべりロボットとお話している気分だった。

 なんだったら、おしゃべりロボットの方が感受性豊かまである程だ。


「…なんか、私を少女として見てないっていうかさ」


 リディアは窓の外に広がる星空を眺めながら、聞かれてもいない“フォンベルンが苦手な理由”を話す。

 ジークは相変わらず「へー」と頷く。

 

 確かにフォンベルンからしたらリディアはあくまで雇い主の娘というだけで、別に親戚という訳でも、知り合いという訳でもない。

 街中でばったり会ったとしても、きっと他人と同じように通り過ぎるだろう。

 フォンベルンは、“仕事”でこの家にいる。


「…もしかしたら私は、フォンベルンに母親として振る舞ってほしいのかもね」

「へー」


 フォンベルンは実の母親であるアルクレアとよりも長い時間一緒にいる。

 仕事とはいえ朝ご飯や夜ご飯を作ってくれたりするし、部屋を掃除してくれたりもする。

 物心ついた時から一緒だったリディアにとって、“母親”とフォンベルンを同じように見るのは当然だった。


「でも今更フォンベルンに“私の母親になって”だなんて、恥ずかしくて言えないし」

「へー」


 自身の第二の母親となってほしいからこそ、自身を“雇い主の娘”として見て欲しくなかった。

 “自分の娘”として見てほしかった。

 そんな思いにいつまで経っても気付いてくれないフォンベルンに、いつも悪態をついてしまう。


「ちなみにジークは、私のお姉ちゃんになってほしいな」

「嫌」


 即答だった。


「なんでよ!?」

「面倒」

「…そっか」


 リディアは半ば予想通りだったジークの回答にほくそ笑んだ。

 

 ジークが仕事をしているところは見た事がない。

 暇さえあればリディアの部屋に居座って、リディアの話の聞き手になっている。

 ただ仕事をサボる為にリディアの部屋に逃げているだけなのだろうが、話し相手がいるのはリディアにとっては嬉しかった。



「いってらっしゃいませ、リディア」


 玄関前で、二人のメイドが頭を下げて学校へ登校するリディアを見送る。

 リディアは軽く手を振り、歩きながら再度忘れ物が無いか学生鞄の中身を確認する。

 鞄の中身の殆どが日本語についての教材ばかりだった。

 一通り荷物を確認し終えると、リディアは周りに誰も居ない事を確認すると咳払いをする。


「は、初めました。オレ、リディアです。よろしくお願いいたします」


 登校中、覚えた日本語を口に出す。

 これがリディアのルーティーンだった。

 何故リディアの日本語の一人称が“オレ”なのかというと、昔テレビで日本の特撮ヒーローが取り上げられていた際、そのヒーローの決め台詞で自分を親指で指差し、「オレ、見参!」と言っていたからである。

 そこで偶然それを見ていたリディアは“オレ”のところで自身を指差している事から「日本語で“オレ”って自身を指す言葉なんだ」と学習したからである。

 リディアの住む国…というより日本以外の国では、基本的に一人称という概念は存在しない。

 更にリディアの周りに日本語に詳しい人物がいない為、仮にリディアが“日本では自分の事をオレと言います”と説明したところで疑う者は誰一人として居ないのだ。


「やぁリディア、今日も日本語かい?」


 背後から聞き慣れた声が聞こえ、リディアは振り返るとそこには友達のフェリクスがいた。


「フェリクス!おはよう!」

「おはようリディア。日本語を喋れるなんてすごいね!」

「えへへ…ありがとう!」


 日本人からすればまだまだな日本語も、外国人からすれば喋れるだけで凄いとなるのだ。

 自分の発した日本語を褒められ、リディアは照れる。


 フェリクスは容姿端麗の美形男子で性格も良く、かつ親しみやすいゆえに女子からも男子からもかなり人気だ。

 リディアとは仲の良い友達であって、別に付き合っているという訳ではない。

 当たり前だが、フェリクスはリディアがアルクレア・シュヴェールトの娘だという事を知らない。

 ちなみにリディアが昨夜言っていた一般人の友達とはフェリクスの事である。


「そういえば、昨日誕生日だったよね。もう過ぎてしまったけど、誕生日おめでとう!」


 そう言うと、フェリクスは懐から小さなプレゼント箱をリディアに差し出した。


「ええっ、ありがとう!なにかなぁ…」


 リディアはフェリクスのプレゼントを受け取り包装紙を破ると、中には日本の特撮ヒーロー“ケンザン”の漫画風アクリルキーホルダーだった。

 ケンザンの横にフキダシで「オレ、見参!」と書いてある。


「えっ!嘘!?これ…どこで!?」


 意外なプレゼント内容に、リディアは驚きを隠せなかった。

 当たり前だが、ケンザンのグッズはリディアの国には無く、更にケンザンは割と昔の特撮ヒーローだ。

 つまり、この時代にこの国でケンザンのグッズを入手する事はほぼ不可能なのだ。


「昔、父親が日本に旅行に行った時、お土産で買ってきてたものなんだ」

「へぇ、羨ましいなぁ…でも良いの?」

「うん。それをあまりわからない僕が持っているよりも、日本が大好きなリディアが持っている方がそれも嬉しいだろうし」

「そっか…ありがとう!大切にする!」


 ケンザンのアクリルキーホルダーを嬉しそうな顔をして頬に擦り付けるリディアの様子を見て、フェリクスは優しく微笑んだ。

 リディアは頬で十分堪能した後、ケンザンを自身の鞄に付ける。


「さて、そろそろ行こうか。学校に遅れちゃう」

「まだ時間あるでしょ?」

「ははっ、そうだね。じゃあゆっくり行こうか」


 リディアとフェリクスは雑談をしながらゆっくりと歩き、学校へ向かおうとした時だった。


「…やっぱり少し急ごうか」

「えっ…!?」

 

 突然フェリクスがリディアの手を掴み、歩く速度を上げた。

 リディアは訳がわからないまま走らされる。

 このまま走って学校へ向かう…と思いきや、学校とは反対方向の道を進み出す。

 フェリクスが道を間違える訳がない…そう思いながら、身を任せる。


 ある程度走り、学校から少し離れた公園の草木に身体を隠すような体勢になる。


「ど…どうしたのフェリクス…!?」

「しっ。静かに」


 フェリクスは小さな声で人差し指を口元にかざしリディアを黙らせると、チラチラと視線をずらす。

 得体の知れないバケモノでもいるのかと思い、視線の方向を恐る恐る向くとそこには何かを探しているようなカメラを持った男が居た。


「何…あの人」

「ずっとリディアの後を付いてきてたんだ」

「まさかストーカー…!?」

「多分ね。カメラを持っていたから、きっとリディアを盗撮でもしてたんだろう」


 途端、リディアの全身に寒気が走り、体が震える。

 知らない人に、いつの間にか写真を撮られているなんて、それほど恐ろしいものは無い。

 何かのドッキリであってほしいと願うばかりで、いつネタバラシされるんだろう、なんて考えていないと情緒を保っていられない。

 

 もしくは、あの男はマスコミで、自身がアルクレアの娘だと知っているのかもしれない。

 どうやってその情報を知ったのかは定かでは無いが、もしバレているのだとしたら大変な事になる。

 世間ではまだアルクレアに子供はいないという事になっている。

 もしあの男が“実はアルクレアには娘がいた”なんて記事を書いたら大変な事になる。

 しかもリディアは昨日で12歳を迎えた。

 という事はつまり、アルクレアは12年間も子供がいた事を隠しているという事になる。

 当然アルクレアの女優業にかなりの支障が出るだろうし、シュバルツの営業にも影響が及ぶだろう。

 もしそうなったら…と考えたら、リディアは怖くて堪らなかった。


「…大丈夫?リディア…?」

「う…うん…」

「本当は学校に逃げ込みたかったけど、もしリディアの通う学校がバレたら大変なことになると思って…」


 確かに、放課後に校門で待ち伏せなんてされたら堪ったものじゃない。

 学校なら先生が助けてくれるだろうが、結局追い払ったところでそれで全て終わる訳ではない。

 その後も男は少し粘ったものの、諦めたのかその場から立ち去った。


「「はぁ…」」


 途端、リディアとフェリクスのため息がハモり、二人は見つめあった。


「ぷっ」

「あはははっ、変なの」

「本当だね…あはは」


 どちらも安心感から出たため息の為、余計に笑った。

 でも、リディアにとってそれが嬉しかった。

 生まれも育ちも違くて、あの男の目的はリディアであって、フェリクスは関係無いのに一緒に逃げてくれたり、リディアの今後を考えて行動してくれてたり、男が居なくなった後一緒に安心してくれたり。

 フェリクスが自分と同じ立場になってくれる事が、嬉しかったのだ。

 故に、少しだけ怖かった。

 リディアがあの大物女優アルクレアの隠し子だという事を知ったら、フェリクスは謙遜してしまうのではないかと。


「…ありがとう、フェリクス」

「ん?あぁ、構わないよ。僕はやるべき事をしただけだよ」

「でも、私あの男の人に狙われてるかもしれないんだよ…?もしかしたら今後、フェリクスの身に何かあるかも」

「そんなの関係無い。目の前で狙われてる友達を見過ごすなんて僕は絶対にしたくない」

「…私が、実は狙われるようなとんでもない人だったとしても?」


 リディアはつい、口が滑った。

 はっと気付いてすぐに訂正しようとあれこれどうやって言おうかと頭の中で考えていると、フェリクスがリディアの手を優しく握ってきて、リディアの思考は完全に停止した。


「例え君が国の皇女様だったとしても、それ以前に君は僕の友達だ。何者であろうと友達なら関係ないよ」

「フェリクス…」


 フェリクスは真っ直ぐな目でリディアを見つめながら、誓うようにそう言った。

 “何者であろうと関係ない”…その言葉に、今となっては半ば無意識にやっている事だが、自身がアルクレアの娘だという事を悟られないように、あまり表には出ないでヒソヒソと生きてきたリディアは救われた。


 もう隠れなくてもいいんだ、と。


「…何で泣いてるのリディア?」


 ふと、目の辺りがじんわりと暖かくなっていくのを感じ、目元を手で拭う。

 目元を拭った手は、涙で濡れていた。


「いっ…いやぁ…学校遅刻だなぁって…」


 …下手くそな嘘だ。

 しかしフェリクスはそんな明らかな嘘を問いたださずにそっか、と微笑んだ。



 やっぱり学校には遅刻していたが、事情を説明したら先生は納得してくれたので、怒られはしなかった。なんなら休んでもよかったのよ?とまで言われた。

 

 リディアはいつも大体時間ぴったりに学校へ着く。

 故に、少しでも道が混んでいたり今日のようなアクシデントがあると遅刻がほぼ確定してしまうのだ。

 しかしその実、リディアはフェリクスに合わせているのだ。

 だからリディアが時間ぴったりに登校してくるというよりは、フェリクスが時間ぴったりでそれにリディアが合わせているのである。

 その理由は。


「ねぇフェリクス、今日珍しく遅刻してたね。何かあったの?」

「いや、ただの寝坊だよ」


 同級生の女子からの質問に、フェリクスは何食わぬ顔で平然と嘘をつく。


「えーっ、フェリクスが寝坊なんてする訳ないよ!」

「それにリディアと登校してきてたでしょ?て事はリディアも寝坊したって事になるよ?」

「てかリディアっていつもフェリクスと一緒に登校してくるよねー」

「もしかしてリディアと付き合ってるのフェリクス?」

「そんな事ないよ、リディアは友達だよ。家が近いから一緒に行ってるんだよ」

「そうなんだ…ねぇねぇ、今度さー…」


 こんな感じで、フェリクスは学校内では同級生の女子に占拠されてしまっている為、リディアが話しかけに行けないのだ。

 あの輪に入っていけば話せるのかもしれないが、リディアはフェリクスに群がる女子のグループの連中があまり好きではなく、出来れば近寄りたくない存在である。

 というかそもそも同じクラスじゃない。

 だから、唯一関われると言ってもいい登校時間に話せるようにフェリクスに合わせているのだ。


 学校では基本的にリディアは一人である。

 リディアの通う学校は選択した科目によってクラスが異なるが、リディアは語学…日本語学を選択した為クラスの人数自体少ない。

 かと言って仲の良い友達がいる訳でもないので、休み時間は基本的に寝てるか日本語教材に目を通しているかである。

 15歳になると学校を卒業し、実際に日本に留学に行く事となる。リディアはそれが楽しみで仕方なかった。

 あと3年もすれば実際に日本に行く事ができる。しかもただの遊びの一環ではなく、勉強の一環…留学というのを理由に行けるのだ。

 これが何の意味をもたらすかというと、メイド達による“日本に遊びに行くの?やめなさい”が無いのだ。勉強の為に行くのだから。

 その2年後に控えている日本留学の為に今、必死こいて日本語を勉強中という訳だ。

 日本人と普通に会話している自分を想像して、日本留学に思いを馳せる毎日。



 学校内及び下校時、リディアは一人だ。

 リディアは世間一般で見れば美人の枠に入るが、だからといって一緒に帰る友達も、リディアに好意を寄せている男子もいない。


 唯一の友達であるフェリクスはというと、察しの通り女子達に囲まれ、対応に追われている様子だった。

 

 考えてみれば、フェリクスが一人でいる所をリディアは見たことがなかった。

 登校時もリディアと一緒にいるし、学校では常に女子に囲まれている。そして、家に帰れば家族がいる。

 リディアだって家に帰ればあのメイド達が出迎えてくれる。

 だが、違うのだ。

 家族とメイドとでは、言葉では言い表せないような…温もりとでも言うのだろうか、それが違う。


 だからきっと、フェリクスは孤独を知らないのだろう。まぁ、これに至っては知らない方が良いのだろう。


 しかしフェリクスの場合、何も言わずとも人が寄ってくる。

 フェリクスが“一人にさせてくれ”と言ったとしてもきっと、周りの人間達は心配で気にかけるだろう。


 そんなフェリクスが、羨ましかった。


「お、いたいた!君君!君だよ君!」


 リディアが俯きながら歩いていると、突然知らない人に声をかけられる。

 最初は無視してやり過ごそうと思っていたが、あまりにもしつこいので何か一言言ってやろうとその人物の方に振り返る。

 その正体は、今朝リディアを盗撮していたあの男だった。

 途端、リディアの言葉が詰まってしまった。


「おー、やっぱりアルクレアに似てるなぁ」

「だ、誰…?」

「やだなぁ、とぼけないでよー。君の母親なんだろう?アルクレア・シュヴェールト」

「っ…違いますっ…」


 リディアは後退りながら自身がアルクレアの娘だという事を否定し続ける。

 どうやらこの男は、リディアがアルクレアの娘だと勘付いているようだった。


「いやーまぁおかしいと思ってたんだよ。十数年前に結婚してるのにまだ子供がいないなんてね」

「だから…違います…!」


 このまま大声出して騒ぎでも起こそうか、そう思ったが相手は大人の男性。

 もし口を塞がれたり両手を拘束されたりした場合力では振り解けないだろう。

 仮に大声出した途端に逃げたとしてもすぐ追いつかれてしまうだろう。


 …ああ、ママに怒られる。


「ちょっと。私の妹に何してるの」

「ん?誰だ、君は?」 


 男の目線の先には、ジークがいた。

 あまり表情を表に出さないジークが、明らかに怒っているような顔をして、男を睨み付ける。


「警察、呼ぶよ」

「わ、わかったわかった!離れるから!」


 ジークが懐から『110』と表示されたスマホの画面を見せつけると、男は焦ってその場から去っていった。


「ジークっっ!!」


 男が去っていったあと、リディアはジークに駆け寄りぎゅっと強く抱きしめ、ずっと堪えていた涙を流した。

 どうしてジークがここに、という疑問はこの時のリディアの頭には一切無かった。


「怖かったね」


 ジークはリディアの頭を優しく撫でた。

 まるで母親のような仕草だったが、リディアにはそれがわからなかった。


「うぅっ…怖かった…怖かったよぉぅっ…!」

「うん」

「ジークが来てくれなかったら、私…あの男の人に誘拐されてたかも…!」

「うん」

「ありがとう…ジーク…!」

「うん…帰ろ」


 リディアは無言で頷くと、まるで親子のように手を繋いで家に帰っていった。

 流石のリディアもこの時、親子みたいだなと密かに思った。



 ジークの手を握りながら帰ってくると、家の前に黒光りした見るからに高級そうな車が停まっていた。

 その車からサングラスをかけ、逆に目立つ帽子を被った人が降りてきたのを目にすると、リディアはぱぁっと表情を明るくし、ジークから手を離し車から出てきた人に駆け寄る。


「ママ!」

「リディア…!」


 リディアの母…アルクレアもリディアに気付くと走りづらそうなヒールをコツコツと音を立てながら駆け寄り、我が子を抱きしめた。

 その様はまるで、生き別れた親子の再会のようだ。


「ママ…!会いたかった…!」

「ごめんねリディア…本当は昨日帰ってきたかったんだけど、どうしても仕事が外せなくて…!」

「ううん、いいの…!」


 昨日は誕生日に帰って来なかった母親に対してあれだけ文句を言っていたくせに、いざ翌日に帰ってくると何もかも許せてしまうのだ。

 滅多に感じられない母親の温もりを噛み締めるように、リディアは母親であるアルクレアを強く抱きしめた。


「ジーク、いつもごめんね」

「いいえ。ひとまず家の中に入ろう?」

「そうね…んっ…!リディア重くなったわね…」


 抱きついたまま離れようとしないリディアを抱えようとするアルクレアだったが、約1年とはいえリディアは成長期の女の子。


「太ってないから…!」

「何も言ってないじゃない…」

「重いって言った」

「成長したって事よ」


 アルクレアは我が子を見て、微笑んだ。



 約1年振りにリビングにアルクレアが座っている。

 安らかで、温かい雰囲気かと思いきや、まるで軍の作戦会議のように空気が張り詰めていた。

 

「アルクレア、ついさっきマスコミと思わしき人物と遭遇した。ここ、そろそろまずいかも」


 ジークがアルクレアに近況報告する。

 その時の様子はジークとは思えない程真面目だった。

 ジークの報告を聞き、アルクレアは文字通り頭を抱える。


「遂に、ね…。寧ろ12年もよく持ったと思うわ」

「全く、マスコミはどこから情報を得てくるんでしょうか…私達の事情も知らずになんと失礼な…!」


 同席していたフォンベルンが怒りを露わにしてそう言う。

 一応リディアも母親であるアルクレアの隣に同席していたが、何せこんな雰囲気の中でアルクレアに話しかける事もできず、ただ黙り込んでいた。

 内容は殆ど理解出来ていた故に、なんとなく嫌な予感がしていた。

 リディアはただ、その嫌な予感が的中しない事を祈るばかりだった。


「13年も経ってれば、リディアに友達がいるだろうし…流石に転校って訳にも行かないし」

「そんな流暢な事言ってる場合ですかアルクレア様?!もし本格的に知られたら、この13年間が全て無駄になるんですよ!?」

「でもリディアはその13年間をずっと我慢してきたのよ?!きっと…窮屈だっただろうに」

「ですが、もしバレたらもっと我慢させる事になります…!窮屈な思いもさせます…きっと今までの13年間とは比にならないくらいに!」

「そうよね…リディアには申し訳ないけど…やむを得ない…か…」


 アルクレアはそう言うと、気まずそうにリディアの方を見つめる。

 リディアの顔を見て、リディアもなんとなく理解しているのだろうと察したアルクレアは、躊躇った。


「ママ…」


 リディアはアルクレアの裾をぎゅっと掴み、自身の覚悟を目で訴えた。

 リディアの目線を受けて、アルクレアは小さく頷くと、躊躇して閉ざしていた口を開いた。


「リディア…友達は、出来た?」

「うん」

「学校は楽しい?」

「あんまり。でもね、日本に留学したいなって思ってる」

「あら、日本…良いわね」

「ママ…本題を言って」

「っ…あのねリディア。これから…その…」

「…引っ越すんでしょ」

「…」


 リディアは暗い声色でアルクレアの言いたい事を代弁した。

 アルクレアは、リディアから目線を逸らして気まずそうに頷いた。

 引っ越す事に関してリディアは多少の不満はあれど、否定したところで母親を苦労させるだけだとわかっている。

 故に、否定しても何も言わなくてもリディアの選択肢は限られているどころか、もう決まってしまっているようなものなのだ。

 だから引っ越す事に多少の不満はあるが、母親の要求には必ず頷かなければならないのだ。

 だが、リディアはずっと知りたかった事があった。


「ねぇ…何で私を隠すの?」

「…リディアのためよ」

「私のため…?ずっと我慢させる事が?」

「っ…」

「引っ越す事に不満は無いよ…でも、何で私はせっかく出来た友達と別れなきゃいけないの…!?引っ越した先でもずっと我慢しなきゃいけないんでしょ!?」

「リディアもうやめなさい!」

「フォンベルンは黙ってて!ママはさ…私と会う度に我慢させてごめんって謝ってくれるけど…そう思ってるならどうして」


 続きを言いかけたその時、突然テーブルを思い切り叩く大きな音が鳴り響いた。

 大きな音によって、リディアの言葉が止まる。

 テーブルを叩いてリディアを止めたのは、フォンベルンだった。


「フォンベルン…!」

「アルクレア様…お車はどうなされました?」

「車…あっ…!」


 アルクレアは何かに気付き、席から立ち上がり急いで玄関から外に出る。

 リディアも母親の後を追って玄関に向かう。

 アルクレアとリディアが外に出た途端、カメラのシャッター音と沢山の人々の声が飛び交う。

 家の前には、多くの報道陣が押し寄せていた。


「嘘…でしょ…?!いくらなんでも早すぎる…!」


 いくら今日リディアに近づいてきた男が本当にマスコミだったとしても、その日の内にここまでの報道陣を集める事は不可能だ…と、アルクレアは思い込んでいた。

 しかし、アルクレアはマスコミの力をかなり侮っていた。



「あはははは!!!!あははははは!!」

「フォンベルン…貴女があのマスコミを」


 嬉々と高らかに笑うフォンベルンに、その場にいたジークはゴミを見るような目で睨みながらそう言う。


「当たり前よ!私は金の為なら何だってするわ!ここのメイドは苦だったけどそれなりに金貰えるからやってやってたけど、マスコミに情報与える方がもっと金になるしさ!」

「…外道」

「あら…それは私にずっと家事を押し付けて、リディアと話してサボって給料泥棒してる貴女の方ではなくて?」

「…私は、頼まれた仕事をしただけ。サボってない」


 アルクレアがジークを雇った理由。

 それは、リディアの話し相手になってあげて欲しい…というただそれだけだった。

 きっとフォンベルンにはそれが難しいから、メイド商の中で17歳と一番若く、故にリディアと歳が近いジークを雇ったのだ。

 歳が近ければ、リディアも話しかけやすいだろうから。


「へー、随分楽なお仕事ですねぇ?それでいくら貰ってたの?」

「…額なんて、関係ない」

「大ありだよ!世の中金が無いと何も出来ないでしょう!?」

「…お金の為なら、何したって良い訳じゃない」

「別に、法は犯してないですが?」

「っ…」


 ジークは何を言っても無駄だと察し、その場から立ち去りアルクレアとリディアの援護に向かった。



 一方、アルクレアとリディアはと言うと、マシンガンのように質問をしてくるマスコミや報道陣の対応に追われていた。


「その女の子は娘さんですか!?」

「娘さんを見る限り10歳ほどに見えますが、何故今まで隠していたんですか!?」

「そ、それは…」


 アルクレアはマスコミや報道陣にマイクを向けられ、あやふやな回答をする。

 だが、マイクを向けられていたのはアルクレアだけでは無かった。


「アルクレアさんはどんな母親でしたか?」

「家でのアルクレアさんはどんな感じでしたか?!」

「わ…わかんない…」


 リディアへの質問は、大体がアルクレアに関しての事だったが、そもそもアルクレア自体あまり家にいない為、家でのアルクレアとか問われても“わからない”の一点張りをするしか無かった。


 アルクレアはリディアの手を掴むと、家の中になんとか逃げ込み即座に扉の鍵を閉める。

 玄関では、扉を叩く音やインターホンを鳴らす音が響き渡る。

 ちょうどアルクレアとリディアが家の中に戻ったタイミングで、ジークが走ってくる。


「ジーク…!」

「フォンベルンが…情報を漏らした犯人」

「っ!?嘘でしょ…!?」


 事実を告げられたアルクレアは、フォンベルンのいるリビングへ駆け出す。

 取り残されたリディアは、縋るようにジークを抱きつく。


「ジーク…怖い…!」

「うん…アルクレアがリディアを隠してた理由…わかった?」

「…うん」


 もしアルクレアが最初からリディアという娘を産んだ事を公表していたら、今ほどでは無いにしろ、毎日マスコミから身を隠して生活しなくてはならない。

 街中で遊んでいるところも撮られるだろうし、友達と…フェリクスと登校しているところも撮られるだろう。

 常にマスコミに怯えて暮らすより、素性を隠して一般人に紛れて生活している方が、よっぽど良いと思い知らされた。


「ふざけないで!!!」


 リビングからアルクレアの怒声が聞こえてきた。

 リディアとジークはお互いに手を繋いでリビングに向かうと、そこにはアルクレアとフォンベルンがいがみ合っていた。


「でも良かったのでは?リディアもアルクレアもこれからしばらく一緒に居られるし。良かったねーリディア、これからはママと一緒に暮らせるよー?」


 フォンベルンは煽るようにリディアに言う。

 リディアの知っているフォンベルンとは、まるで別人だった。

 話している内容的に、家の前に報道陣やマスコミが殺到しているのはフォンベルンが何かしたからだ、とリディアは察した。


「フォンベルン…出てって」


 ジークが言う。


「良いですよ?でも私が居なくなっても大丈夫ですか?家事はどうするんです?もしかしたらまた新しい情報を流すかもしれませんよ?」

「いいから出てけ」


 珍しくジークが怒りを露わにして言うと、さすがのフォンベルンも驚いたのか無言で裏口から出ていった。

 同時に、アルクレアがソファに座り込み、頭を抱える。


「まさか内通者が居たなんて…」

「気付けなくてごめん」

「いいのよジーク…貴女は何も悪くないわ。それよりも問題は今後の事よ…」


 まだ隠し子がいる事が世間にバレては居ないが、きっと明日にはニュースや新聞によって公表されてしまうだろう。

 そうなったらリディアは外に出歩けなくなるし、アルクレアも芸能活動を休止せざるを得なくなってしまう。

 先程フォンベルンが“家事はどうする?”的な事を言っていたが、別にアルクレアもジークも家事が出来ない訳ではないので家庭内での事情は問題ない。


 しかしアルクレアが活動休止になると、父親であるシュバルツの稼ぎだけで生活しなければならない。

 シュバルツに関しては世間ではアルクレアと結婚した際“大手企業の社長と結婚”としか公表されていないので、シュバルツの仕事に支障は無いだろう。

 まぁアルクレアとシュバルツの場合、片方の稼ぎだけでも一生暮らせるくらいの稼ぎをしている為金銭面ではあまり気にしなくてもいいだろうが。


「リディアの学校は大丈夫だろうけど…」

「なんで?こんな状況じゃ私学校通えないよ…」

「大丈夫よ、学校の人にはリディアが私の娘って事伝えてあるから」

「そうなの!?」


 リディアは軽く衝撃を受けるが、よく考えれば遅刻した時も寝坊以外は怒られなかったのはそういう理由か…と納得した。


「ええ。だから学校に関しては気にしなくてもいいわよ」

「わかった…」

「でも、流石に明日は無理そう」


 ジークはカーテンを少しずらし、窓の外に今か今かと待ち構えているマスコミや報道陣を見つめながらそう言う。


「多分そうね…学校に連絡しておこうかしら」

「やる」

「ありがとうジーク。でも流石に自分でやるわ」


 アルクレアは携帯を取り出し、学校に連絡をする。


「あ、もしもしアルクレアです。はい…帰ってきました。ですが…少しヘマをしてしまって…はい…話が早くて助かります。では失礼します」


 話を聞く限り、リディアの通う学校は今回の件を認知しており、既に手続きは済ませてあるとの事。

 後で聞いたらしいが、リディアの通う学校の校長はアルクレアの知り合いらしく、裏で上手くリディアの存在を隠蔽しているらしい。

 というより、アルクレアは女優として売れる前から人脈がとてつもなく広かった為、様々な人の協力があって今までリディアの存在を隠せてきたのだ。

 それを、リディアに一番近かったメイドによって全て壊されてしまったのだ。

 アルクレアは今まで人に裏切られた経験が無かった為、そこら辺が盲目になってしまっていたのだ。



「まだいる…」

 

 アルクレアは、カーテンを少しずらして家の前にいる報道陣やマスコミを見てそう言う。

 朝起きて早朝…時刻は6時半頃だ。

 流石に昨日よりかは数が減ってはいるが、それでも粘り続けるマスコミは恐らくずっとここに張り込みしていたのだろう。


「まだいるの…?」


 同じタイミングで目を覚ましたリディアが目を擦りながら言うと、アルクレアはカーテンを閉じて頷いた。


「学校、休んで正解だったわね」

「う、うん…」


 まだ寝起きなのか、リディアは小さくそう言った。

 アルクレアはテレビを付けると、画面には自分達の家が映し出され、アナウンサーが画面に向かって喋っている。


「まるで私達が立て篭もり事件の犯人みたいじゃない…」


 テレビを見ながら、アルクレアはそう言う。

 放映されたニュース番組は、まるで何かの事件の犯人のようにアルクレアの写真を大きく映す。

 更に、写真は無かったが、娘であるリディアの名前も書かれていた。

 恐らくフォンベルンが金のために洗いざらい全て話したのだろう。

 アルクレアの隠し子の名前がリディアという名前だということも、リディア・ストレインという偽名を使って生活していたことも、2人のメイドに世話をさせていた事も、何もかも書かれていた。


「こんな書き方…私が育児放棄してたみたいじゃない…!まぁ…正直間違ってないのが何とも言えないわね…」

「仕方ないよ。アルクレアは忙しいから」


 自身が育児放棄をしてしまっていた事に頭を抱えるアルクレアを、ジークが慰める。

 テレビの場面は変わり、周辺の住民のインタビューに切り替わる。

 とはいえ、カンペを読まされているのかと思う程ほとんど似たような台詞ばかりだった。


『えー!そうだったんですか!?全くわかりませんでした』

『今思えばリディアちゃんとアルクレアさんって似てますよね…なんで気付かなかったんだろ』

『確かに家が結構豪邸っぽかったので、どこかのお偉いさんの娘なのかなと思ってましたが、まさかあのアルクレアさんの娘だったとは…』


 インタビューを受けた人物達は、あたかもリディアと少し交流がある風を醸し出しているが、実際殆どがリディアと一切交流の無い赤の他人。

 果たしてカンペを読まされているのか、それとも知り合い風を醸し出してカッコつけたいのか…。

 

 アルクレアは、テレビを消した。



 リディアの存在が世間にバレてから、数日が経過していた。

 流石に家の前にマスコミや報道陣は居なくなっていたが、とはいえこの状況で芸能活動を復帰できる訳もなく、アルクレアはリディアの家にずっと居た。


 引越しの手続きが完了するまでの間、アルクレアとリディアは今まで欠落していた親子のひとときを埋めるように、家の中でのんびり過ごしていた。

 意外にも家に篭る生活がそれなりに充実していたのだ。


 家事に関してはジークが率先してやっているので、それ故にアルクレアもリディアに構ってあげられる時間が増え、小さい頃にしてあげたかったけど出来なかった事、今したい事、これからしようと思っていた事をやっていった。


 絵本を読み聞かせたり、一緒にお風呂に入ったり、一緒に同じベッドで寝たり、一緒に料理を作ってみたり。


 リディアは“私もうそんな歳じゃないよ”と言っておきながら、なんだかんだそれらを受け入れて最終的に笑顔になる。


 幸せ…というに相応しい時間だった。

 

 更に数日後には、学校にも通えるようになった。

 リディアは未だマスコミや報道陣の目が怖かったが、ジークが隠れて護衛してくれているので安心して登校した。


 久々に外の空気を吸った。

 なのに、まるで別の街に来たような気分だった。見慣れた景色も、なぜか真新しさを感じてしまう。

 別に景色も空気も忘れてしまうほど家に篭っていた訳ではないのに。


「リディア」


 リディアは辺りを困惑しながら見渡していると、背後から声をかけられる。

 振り返るとそこには、もはや懐かしい顔がそこにはあった。


「フェリクス!」


 リディアはぱあっと表情を明るくしてフェリクスに駆け寄る。

 しかしフェリクスはどこか気まずそうだった。


「…どうしたのフェリクス?」

「あ…あのさ…リディア…」

「うん」

「ニュースで見たんだけど、君がアルクレアさんの娘って本当?」


 フェリクスの問いに、リディアは絶望した。

 そしてリディアは気付いてしまったのだ。

 …今、フェリクスは自身を友達ではなく、アルクレアの娘として見ている…と。

 でも、リディアの思い込みかもしれない…そう思い、リディアは口を開く。


「…うん。実はね」

「そうなんだ…でも、まさかアルクレアさんに娘がいたなんて驚きだよ!しかもその娘がリディアだったなんて…!」

「う…うん」

「実は僕、アルクレアさんの大ファンなんだ!それで…その…普段のアルクレアさんって…どんな感じなの?」

「…知らない」

「知らないって…アルクレアさんは君の母親なんだろう?だったら…!」

「嘘つき…!」


 リディアはいよいよ耐えかねてフェリクスにケンザンのアクリルキーホルダーを投げつける。

 これは、フェリクスから貰った誕生日プレゼントだったものだ。


「なっ、何をするんだい!?それに嘘つきって…!?」

「私がアルクレアの娘って確信した途端、口を開けばアルクレアさんアルクレアさんって…」

「だってそれは友達の君にしか聞かない事だから…」

「友達…?違うでしょ?!私がアルクレアの娘だからでしょ!?」

「っ…」


 フェリクスは図星を突かれ、言葉が詰まる。

 アルクレアの大ファンであるフェリクスは、アルクレアと最も距離が近く、誰も知らないアルクレアを知っているリディアという存在を“友達”というのを口実に利用しているだけだったのだ。


「“君が何者だろうと関係ない”って、嘘だったんだね…君は私を友達として見てくれなくなった…」

「ち、違っ…」

「もう2度と関わらないで」


 フェリクスにそう告げると、ケンザンのアクリルキーホルダーを投げつけたまま拾わずに一人で学校に向かった。

 リディアは少し罪悪感に襲われたが、どちらにせよもうそろそろこの地とおさらばするのだ。

 未練は無い方がいい…と、リディアは振り切った。


 しかし学校に行ったは良いものの、今まで自分に見向きもしなかった生徒達がリディアを見てはアルクレアについての質問を投げかけてくる。

 みんな、リディアを“同級生のリディア”としてではなく、フェリクスと同じように“アルクレアの娘”としか自分を見ていなかった。

 その日の学校はリディアにとって、ひたすら苦痛だった。



 それから結局リディアは学校にも行かなくなり、この街の人達に別れも告げずに引っ越す事になった。

 引っ越しては人知れずまた引っ越し…気がつけば様々な国を移動していた。

 母国語しか喋れなくても、アルクレアが多種多様な言語を喋れる為そこまで生活は苦ではなかったが、どこ行っても自身をアルクレアの娘として見られる。

 それが、リディアには苦痛でしか無かった。


 そんな生活を2年間続け、気がつけば日本に留学する予定だった年になっていた。

 アルクレアの隠し子騒動も、1年以上経てば案外鎮火するものであった。

 意外にもアルクレアは早く芸能界に復帰出来、今まで程仕事は多くはなくなったが、その分リディアとの時間が増えた。


 そして、日本留学の日。


「ごめんねリディア…空港までしか一緒に居られないけど、日本の空港に新しいメイドを手配しておいたから」

「嫌だ、ジークが良い!」

「無理、日本語喋れない」

「雇ったメイドは日本人だから、日本語キチンと覚えるのよ」

「…あのさ、定期的に日本に会いに来てね」

「わかったわ、約束ね」

「もちろんジークも!」

「…うん」


 その言葉を最後に、リディアは有名人御用達のクラスの飛行機に乗って行った。

 飛行機の窓から空を眺めていたが、飽きてしまい途中はほぼ寝て過ごしていた。

 リディアの留学先は聖芽高校という普通の高校である。

 アルクレアが聖芽高校に一応話を付けてあるそうで、学校生活は保障するとのこと。

 更に、日本人のメイドを雇っており、住居も用意してあるらしい。


 どうやら国を転々としていた頃、日本の高校に色々と連絡を取っていたらしい。

 改めてアルクレアの人脈と行動力は凄まじいものだと思い知らされるリディア。


 ずっと寝ては起きてを繰り返していると、飛行機は遂に日本へ着陸した。

 手続きを済ませ、日本の空港へ出向くとそこにはメイドらしき人物がいた。


「ようこそ、日本へ!」

「…?あっ…よろしく!」

「えっ…あ、はい…」


 リディアは日本語を言ったつもりだったが、日本人のメイドには何故か伝わらなかったようだった。


「おかしいなぁ…アルクレアさんからは日本語がそれなりに出来るって聞いてたんだけど…」

「????」


 リディアは流暢に日本語を喋るメイドが、何を言っているのかさっぱりだった。

 

「Bitte folgen Sie mir vorerst.(とりあえず、私についてきてください)」

「わ、わかりました!」


 日本人のメイドがリディアの母国語で言ったのに対し、リディアは何故か日本語で返す。

 そしてリディアが日本で暮らすマンションで様々な説明を受ける。

 ここから聖芽高校までの道のりや、聖芽高校の制服。


 そして、聖芽高校の下見ついでに日本を見てまわろうとしていた。

 本当はメイドも同伴の予定だったが、リディアの要望で一人で下見をする事に。

 そして遂に念願の日本という事で浮かれていたのか、リディアは信号の存在に気づいておらず、車が来ているのに横断歩道を渡ろうとした。

 その時、何者かがリディアの手を掴んだ。


「危ないだろ…ちゃんと信号見なさいよ」



 アルクレアとジークは、リディアが搭乗した飛行機を空港から見つめていた。


「…リディア」


 椅子に座り、リディアの乗った飛行機を…空を見上げながら、ジークは弱々しく呟いた。


「心配なの?ジーク」

「…ううん、約束…きっと守れないから」

「…そうね…結局リディアに伝えられないままになってしまったわね…」

「アルクレアだけでも、定期的に日本に会いに行ってあげて」

「わかってるわ。ジークも…もう無理しなくても良いのよ」

「うん…」


 ジークは、リディアの見えない所で目を閉じた。

 ジークの最期を、アルクレアは見届ける。


「…今までリディアをありがとう、ジーク」

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