第18話 コロニラ -ぬくもり-

「何故ですか!?この“へ”という文字ひらがなもカタカタも同じです!?」

「まぁ…そういうもんだからとしか言えないな」


 確かに園児の頃ひらがな表とかカタカナ表を見て“へ”の字が99%同じな事に疑問を感じたが。

 ちなみに残りの1%の違いは、ひらがなは少し丸みを帯びてて、カタカナは若干角ばっている程度である。

 まぁ、そのひらがな表やカタカナ表に使われている文字のフォントの問題だろうが。


「凄いね斗君…本当に先生みたい」

「そうか?ただ英語担任の真似事してるだけだけどな」

「真似事でもちゃんとリディアちゃんは理解してるし、…何か良いと思う!」

「最後だけ語彙力の欠片も無いな!?」


 何かとりあえず褒めたいけど言葉が見つからない、そんな感じだった。


「で、でも!凄いなって思うよ!本当だよ!」

「念を押されると逆に嘘っぽく聞こえてくるんだけど…」

「そんな事ないよ!」

「にしても先生、か…」

 

 優璃に、リディアに日本語を教えている俺が先生みたいだと言われ、俺は少し将来の事を考えた。


 正直、俺は高校を卒業したらどうしたいか、何をするのかなんて全く決まっていない。そもそも決まっていたら聖芽高校という名前だけなら頭が良さそうな、実際は偏差値の低いヤンキー校…とまではいかないだろうが、どちらにせよこんな学校には行っていないだろう。

 とりあえず行ければどこだっていい、そんな考えで聖芽高校に受験し、合格した。


 なりたい職業も、未来に対しての希望も、行きたい大学もしくは専門学校も、別にある訳じゃない。

 ただ“高校を卒業した”という実績が欲しいだけだ。中卒より高卒の方が圧倒的に良いだろうから。

 

 別に将来の夢がない訳じゃない。もちろんある。

 俺の夢は声優になって、自分の好きなゲームに出演したりする事だ。役はもちろんメインキャラクター。


 でも、声優という夢を追いかけて専門学校や養成所に通ったとしても、オーディションで何処かの声優の事務所に所属する事が出来なかったら、専門学校や養成所に使った時間と資金と…そして努力が全て無駄になる。

 それも最近の声優は顔も求められるらしく、更に声優だけで食っていける人は一握り以下らしい。


 夢に向かって凹凸だらけの道を歩むか、夢を諦めて舗装された道を歩むか…と問われた時、俺ならきっと夢を諦めて安定を求めるだろう。


 確率の低い一発勝負に挑める程、俺はギャンブラーじゃない。


 …ただ勇気が無いだけだろ、そう言われてしまうと、何も言い返せないが。


「斗君?」

「ハルカ?」

「ん、あぁごめんボーッとしてた」


 優璃やリディアの呼びかけで、俺は我に帰る。

 とりあえず今は、未来ではなく現在に目を向けよう。

 また逃げるのか、そう問われたような気がしたが、未来を考えすぎて今が疎かになったら意味が無い、と心の中で自問自答する。


「…で、カタカナについてだな…どんな種類があるのかを知ってもらうため、これを見て欲しい」


 そう言うと俺は園児の頃に使っていたひらがなとカタカナが一緒に書かれた表をリディアの前に広げる。


「…このひらがな表の左に位置する文字がカタカタですか」

「そうだ。今からカタカナを全部暗記してもらう」

「Was ist das!?それはとても不可能に近いと思います!」


 まぁ…確かにこの文字の数を全て暗記しろ、なんて言われたら無理だと思うのは仕方ない。

 しかし俺にはこの文字を一つずつ教えていく気力がない…これに至っては、俺の単なる我儘だ。


「じ、じゃあ…宿題!宿題だ、次俺の家に来るまでにこれを覚えてきてくれ。そしたらクイズをするから!」

「クイズ!わかりました!頑張ります!」


 だからリディアすっごいチョロいぞ!

 もう日本語とクイズを理由にすれば、リディアはなんでもやってくれるような気がする。

 そのくらいチョロい。

 こんな顔立ちの良い女の子がそんなんだと、悪い大人にあんな事やこんな事…って、リディアで何考えてんだ俺、キモ。


「それじゃ、頑張ってくれ」

「はい!それでは!」


 そう言うと、リディアはひらがなとカタカナが一緒に書かれた表を手に取り、そのまま俺の家を出て行った。

 そして和室には、俺と優璃が取り残された。

 人一人分のスペースが空いた和室は広く感じ、妙に静かだった。


「凄いね斗君、僕なんてずっと空気だったよ」

「ああ…ごめん、気を向けられなくて」

「ううん、良いんだよ。寧ろあんな楽しそうなリディアちゃんが見れて嬉しい…だって、僕じゃリディアちゃんをあんな顔に出来ないから」

「そうでもないと思うぞ」


 優璃のネガティブな言葉に、俺は異議を唱える。

 もちろんアテもなく言った訳ではなく、ちゃんとした根拠があるからだ。

 優璃はきょとんとして、俺を見つめた。


「だってビーチバレーの時、優璃と戦ってたリディアは楽しそうだったから」

「あ…そうだったんだ。あの時の僕はボールしか見てなかったから」

「そうか…」


 優璃は、一度決めた事はとことんのめり込むタイプだろうな。

 まぁ、のめり込むまでが長そう…という俺の偏見は置いておいて。


「でも…そうだったんだ。リディアちゃ…んっ!?」


 優璃の身体がびくんと大きく動いた後、首が力が抜けたように下を向く。


「ど、どうした…優璃?」


 立ったまま気を失っているような優璃に、俺は恐る恐る近づく。

 すると、優璃は目を開けて顔を上げる。

 何があったのか、と問おうとしたその時、優璃が突然俺に抱きついてきた。


「お、おい!?どうした!?」


 いきなり抱きついてくる優璃に俺は恥ずかしさと驚きが入り混じった、ヤケクソみたいな声でそう言う。


「ようやく…君の体温、心臓の鼓動を感じられたよ」


 声こそ優璃そのものだったが、その口調は明らかに優璃のものではなかった。

 …というより、こんな口調には心当たりしかない。


「…リナリア?」

「よくわかったね、偉い偉い…頭を撫でてあげようじゃないか」


 優璃…いや、リナリアは嬉しそうに微笑むと優璃の手で俺の頭を優しく撫でてくる。


「にしてもお前、優璃に憑依したのか」

「理解が早くて助かるよ…て、意外とリアクション薄いね…」

「少し前に“憑依”で一悶着あったからな」

「ふーん、そうなんだ?」


 リナリアは優璃の顔でニヤニヤとまるで何かを知っていそうな…いや、少し興味ありげに口角を吊り上げる。


「つーか何が感じられた、だよ。憑依しなくても俺には触れただろ」


 戦吾達と一緒に海へ行ったその日の夜、リナリアは棒読みで感謝を伝えた俺へのご褒美(?)として頭を撫でた。

 あの時は誰に憑依していた訳でもなく、リナリア自身だったはずだ。


「確かに君は感じたかもしれないが、私…いや、この体に則るなら“僕”、が良いかな?」

「そういうの良いから。あと乗っ取ると則るを掛けなくていいから」

「最後に関しては何も言っていないんだけど…まぁ、そこも可愛げがあるから許そう」

「…で、なんだよ。あと誰に憑依していようとお前の一人称は“私”でいい」

「ご注文承りました…なんてね。まぁ要するに君は感じ取れても、私には何の感触も無いんだよ」

「そうなのか…」


 何故かはわからないが、俺はリナリアのその言葉に切なさを覚えた。

 相手には触れているのに、自分には何も感じない…そんなの、幽霊と同じだ。

 なのに、そんな事実をリナリアは切なさを微塵も感じさせないように話した。

 本当に感じていないのか、無理をしているのかはわからないが…。


「…とはいえ、君だけなんだけどね」

「俺だけ?」

「うん、私に触れられたら、ちゃんと触れられたと…私を感じてくれるのは…君だけだ」

「…俺霊感無いんだけど」

「私は幽霊では無いからね。でも君と出会うまでは、幽霊とほぼ同じようなものだった」

「そう…だったのか」


 確かにリナリアが海で俺に声をかけてきた時、誰もリナリアに目を向けていなかった。

 単に見ていなかっただけなのかもしれないが、あれだけ異様な雰囲気を纏った少女がいてしかも一人なら、誰かしらナンパしてくる奴がいたりするはずだ。


「君に話しかけて、君が反応して、君に触れて、君がリアクションをして、君の体温を感じていると…私はここにいるんだって…そう思えるんだ。だから…もう少し、私の気が済むまで、抱きしめていてもいいかな」


 リナリアは、俺にそう問う。

 もし、俺と関わる事が存在証明になって、それでリナリアが満たされるのなら…そう考えると、俺の返答はすぐに出た。


「…気が済んだら、優璃にちゃんと身体返してやれよ」


 全く、俺ってなんて薄い人間なんだろう。

 もしかしたら長文の嘘かもしれないというのに、ずっと意味もなく警戒してきていた心があれだけで揺らいでしまって、今は情が湧いてしまっている。


「それはOKと捉えていいのかい?」

「ああそうだよ!言わせんな!」


 俺は照れ隠しに…いや若干キレながら、リナリアに目線を合わせずにそう言う。


「ふふ…ありがとう。この身体の主にも、感謝をしないとね…」


 リナリアはそう呟くと、何も喋らずにただ俺に抱きついて、俺の体温を感じていた。

 それから数分後に優璃の身体から力が抜けて、その場に倒れそうなところを俺が抱えると、そのままお姫様抱っこしたまま和室からリビングに移動し、ソファに寝かせた。



 優璃が目を覚まして帰らせた後、俺はふと戦吾に電話をかけてみる。

 あれから全く家に来る気配が無く、そろそろ来い、と脅す事にした。

 まぁ、俺が脅した所で全く怖くないのがアレだが。


『お掛けになった電話番号は、現在使われておりません。』

「…は?」


 スマホから聞こえてきたのは、着信音ではなく電子音声だった。

 電話番号は使われていないって…そんな訳は無い。

 まさかアイツどさくさ紛れに携帯買い替えた?確かにそろそろ買い替え時かー、なんて言ってはいたが。

 それに電話番号って、確か引き継げるんじゃなかったっけ。

 でも戦吾がわざわざ俺からの連絡から逃げる為にこんな事をする訳がない。


「戦吾…」


 何だか、嫌な予感がした。

 ここのところ、戦吾に対して俺の思い込みという可能性は無きにしも非ずだが、不穏な空気が流れている。


 そう思うと、前に電話をかけた時の戦吾は何か様子がおかしかったような気がする。

 あくまで“気がする”というだけで、明確な根拠がある訳ではないが…強いて言えば、普段通話をする時、アイツが何もボケずに切る事は絶対に無い。

 ただでさえ向こうから切る事自体少ないのに、切る時は必ず何かボケる。


 しかし前はそれが無かった。

 という事は、もしかして…俺避けられてる?

 そんなに課題やりたくないのか、アイツ。


 …なんてお気楽な考えが出来たら、どれだけ楽だったか。


 結局俺の不安は解消される事は無かった。



 それから数日後。

 8月に入り、そろそろ夏休みが終わっちゃうなーなんて思い始めて、時間の流れが速く感じてしまって謎の焦りが出てくる頃だ。


 あれから俺の家には誰も来ていない。

 優璃はおろかリディアすら来ない。

 リディアに至ってはひらがなとカタカナの暗記にどんだけ時間かかってるんだよと思ったが、外国人にとって日本語というのは、日本人が英語を難しいと思うように、案外難しいのかもしれない。

 日本語なんてただ発声すればいいだけでしょ…というのは、日本人だけのようだ。


 今日はたまたま早起きした事によって、普段よりもゲームをする時間が早まり、いつもより早い時間でスタミナを消費してしまった為、暇すぎて普段全く見ないニュースを見ていた。

 左上に表示されている時間は8時30分を刻んでいた。


『それでは次のニュースです。おととい、千葉県の某市内の路地裏にて、“人が倒れている”との通報が入り警察が現場に駆けつけると、数日前に殺害されたと思われる死体が発見されました』


 ニュースキャスターは感情を一切出さず、無表情で淡々とニュースを伝える。


『現場には凶器と思われる鉄パイプが転がっており、警察は殺人事件として捜査を進める方針です。死体の身元はポケットに入っていた学生証から、私立聖芽高等学校に通っていた2年の枢木戦吾さんだと思われています。調べによりますと、枢木戦吾さんは数日前から行方不明になっており…』


 その後の内容は、耳に一切入ってこなかった。

 待ってくれ、頭が追いつかない。

 俺はニュースの内容に絶句した。


「…え?」


 戦吾が…死んだ。

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