第17話 キンギョソウ -おせっかい-
夕陽によって空が紅く染め上げられている。
海から家に帰ってくるや否や、俺は自分の部屋のベッドに力が抜けたかのように倒れ込む。
遊び感覚でやるつもりだったはずのビーチバレーが優璃とリディアによって本気と書いてマジと読む方の戦いになってしまった。
更にこれが意外と続いた為、それに付き合わされたような俺達は遊び疲れて結局その後は海も泳がずにただ海を眺めていただけだった。
「まぁ、危険生物に遭遇しなかっただけマシか」
俺はそうポジティブに考えて、ふう、とため息を付くと、疲れのあまりそのまま目を閉じて眠る事にした。
「感謝も無しに眠ってしまうのかい?」
…が、そのまま安らかに夜を越せる訳はなく、あの少女の声が聞こえてくる。
普段は何とも思わないその声が、身体に休息を求める今だけはとても耳障りに聞こえた。
「ああ…疲れたんだよ」
俺は目を開けず、あくまで楽な態勢を維持したまま少女に若干面倒くさそうに言う。
「でも私のお陰で君達はパラソルを刺せる場所を確保出来たんだよ?棒読みでも良いから少しくらいは感謝を私に伝えてほしいね」
確かに、と心の中で思う。
謎の少女のお陰で俺達は割とスムーズにスペースを確保出来た訳で、もし少女が前もって確保してくれなかったら、もしかしたらビーチバレーだって出来ずじまいだったかもしれない。
あまり乗り気ではなかったとはいえ、せっかく海に来たのに荷物を置けるスペースを探すだけで終わるのは流石に嫌だし。
「…アリガト」
「棒読み…でも、よく出来ました」
少し残念そうに呟いた後、まるで母親のように俺の頭を優しく撫でてくる。
いや棒読みでも良いって言ったのお前じゃないか、と心の中でツッコミを入れた。
そうだ、忘れないうちに聞いておきたいことを聞いておこう。
「なぁ、お前何者なんだ?」
「私は…神だ。…なんて言ったら信じるかい?」
「質問を質問で返すな、ちゃんと答えろ」
「謎の存在」
「…もういいや」
俺はもうめんどくさくなって声の方から背を向ける。
「ああああああああごめんごめんごめんごめん!ちゃんと言うから!ちゃんと言うからそっぽ向かないでおくれ!?」
俺に呆れられたと勘違いしたのか、少女は焦ったようなトーンでそう言い、俺の服を引っ張る。
「ぅおおおおお首!首絞まる!死ぬ死ぬ死ぬ!」
「あ、ごめん」
少女が手を離し、服による首締めから解放されると俺は大いに酸素を肺に取り込んで…まるで酸素の味を噛み締めるかのように大きくかつ早いテンポで深呼吸をする。
ある程度息を整えると、俺は仕方なく身体を起こし、少女の方へ身体を向ける。
「…で、改めてお前何者なんだ?」
「私は神様だよ」
「はい寝るー」
俺は全身の力を抜いて倒れ、完全に寝る体制に入る。
いくら別世界の住人のような雰囲気があったとしても、目の前にいる可憐な少女が神様だなんて信じられる訳ねぇだろ。
「本当だってば!」
「じゃあ何か神様にしか出来ないような事してみてくれよ」
俺は怠そうに身体を再度起こす。
「ふふ、良いだろう!じゃあ君の心の内を見抜いてあげよう!この夢の世界では君と私しか居ないからプライバシーの保護にもなるね!」
心の内を見抜くって…確かに常人には出来ない事かもしれないが、神様にしか出来ない事かと言われればそうでもないような気がする…。
ていうか他人に心暴かれる時点でプライバシーもクソも無いんじゃ…。
「…今、君は私の事で頭がいっぱいだ!」
「寝る」
ビシッと指を指し、ドヤ顔で少女が言った“俺の心の内”の回答を聞いた俺は再度横になり、タオルケットを被る。
「あれれ〜…おかしいなぁ〜?」
毒薬を飲まされて小学生になってしまった高校生探偵みたいな事を言いながら、少女は隣に寝転がり、俺の肩に触れる。
「っ…!?」
「もしかして…図星だから嘘ついたんだ?」
「違う、お前の回答がふざけてるからだ」
「私はふざけてなんていないよ?君も本当は…というより、君が一番わかっているはずだよ?」
少女は自身の身体を俺の背中にピッタリとくっつけ、俺の肩に顎を乗せて、耳に息を吹きかけるように囁き始める。
その瞬間、鳥肌が立った。
「は…?何を言って」
「本当は…私が何者なのか気になって仕方なくて…私の名前を知りたくて堪らなくて…ほら、私の事ばかり。なぁんにも間違ってない…」
一言一言を少女が発する度に感じる、まるで心臓を撫でられているような歪な優しさに不快感を覚える。
それと同時に図星を突かれる度に感じる、何故本当にわかるのか、という底知れぬ恐怖がじわじわと湧いてくる。
俺の顔には、文字通り冷や汗をかいていた。
「そして今は…私が怖い」
「やめろ!!」
俺は自身に覆い被さるタオルケットを払い、少女を黙らせようとする。
しかし、俺の隣に少女はおらず、少女は俺の机に座って変に焦っている俺を見つめていた。
その時の瞳は、流行りのスイーツ菓子のように甘ったるい慈愛に満ちていた。
「うふふ、ちょっと意地悪しちゃった」
「意地悪どころのレベルじゃねぇよ…」
俺は息を荒くしながら少女にそう言う。
まだ少女が神様だという事に関しては信じてはいないが、少なくとも俺たちと同じ人間だとは思えなくなった。
「私リナリア。改めてこれからよろしくね」
一方的に自己紹介をすると、リナリアは目の前で姿を消した。
リナリアが姿を消すと、肩の力を抜いてそのままベッドに倒れ込む。
今日の、しかもこの短時間に俺は何回ベッドに倒れ込んで起き上がってを繰り返していたのだろう。
そんなどうでも良い事を考えた後、俺は目を瞑った。
〜
目を覚ますと空はすっかり明るくなっており、時刻は7時と、夕方に寝たからものすごい時間を眠っていた事を実感した。
それだけ疲れていたという事なのだろうが、何しろ昨日は色々と情報量が多すぎた。
ふと、リナリアが座っていた机に目を向けると、そこには一昨日戦吾が恐らくわざと置いていった夏休みの課題が散らばっていた。
もちろん俺は代わりに課題をやってあげるつもりは無いので、戦吾に取りに来てもらおうと電話をかけてみる。
「…流石にまだ寝てるか」
一向に鳴り止まない有名なアニソンの着信音を聞いて俺はそう呟くと、着信を切る。
正直、休日にこんな早く起きるのは超がつく程久々で、普段の俺は大体早くて11時、遅くて14時に起きるのだ。
何故そんなに起きるのが遅いのかというと、シンプルに夜遅くまでゲームをしているからである。
戦吾の家での生活は知らないが、まぁ多分俺と同じく起きるのは遅いだろう。
だからもう少し時間を置いてからかけ直そう…そう思った。
〜
あれから時間が経ち、時刻は12時…昼頃を迎えていた。
俺は、そろそろ起きてるだろ…と戦吾に電話をかけてみる事にした。
プルルルルルル。
プルルルルルル。
着信音は鳴り止まない。
アイツまだ寝てるのか…そう思い、俺は着信を切ろうとした。
『あ、もしもs…』
ちょうど切るタイミングで戦吾が電話に出てしまった為、俺は反応が間に合わず通話を切るマークを押してしまう。
なんつータイミングで電話に出るんだよ、まぁ俺も悪いけど。
すると向こうから電話が掛かってくる。
「すまん、ちょうど切るところだったから」
『おう、気にすんな!で、どうした?』
戦吾は、声色的に特に腹を立てていない様だった。
「お前いつ課題持って帰んだよ、俺やらないからな」
『…何の話?』
「俺の家に来た時に置いてっただろ!そんなの知らないとか通用しないからな!」
『チョットナニイッテルカワカンナイ』
「何でわかんねーんだよ、とにかくなる早で取りにこい!」
『…すまん、それはちょっと無理だわ』
「何でだよ、じゃあ俺がそっちに…」
『いや、いい!持ってこなくていいから俺の代わりにやっといてくれ、じゃあな』
「ああわかっ…はぁ!?お前ちょっ…アイツ切りやがったんだけど!?」
一方的に切られてしまった。
言っておくが、マジ絶対やらないからな。あの、これ本当にツンデレとかじゃないからな。男のツンデレとか需要無いし。
ふと、机に置かれた戦吾の課題に目を向ける。
もう量を見るだけでやる気が失せてくる。あと俺の課題じゃないし。
つーかアイツどんだけ赤点取ってんだよ。
下手すれば全教科赤点なんじゃねーか?
そう思うくらいの量だった。
俺は課題の量を見て、はぁ、とため息を吐いて面倒くさそうに頭を掻くと、現代文、古典、数学、日本史、物理、英語と乱雑に置かれていたそれぞれの教科の課題達をわかりやすいように分別し、纏めた。
纏めただけで、もちろんやっていないが。
〜
あれから数日…いや、多分数週間が経過したが、未だに戦吾は課題を取りに来なかった。
その代わりと言ったらあれだが、俺の家には何故かリディアと優璃が和室でちょこんと正座していた。
「…で、リディアはともかく優璃は何故」
「せっかく夏休みなのにちょっと疎遠気味だったから…久々って程時間経ってないけど会いにきたの」
「そっか…でも珍しいな、リディアと一緒に来るなんて」
「それは間違います!ハルカの家の前で偶然にも出会ってしまったのです!」
リディアは俺の言葉に異議を唱えるようにそう言う。
多分、家の前で鉢合わせただけだと言いたいんだろうが、その言い方だと何か運命の再会みたいになってるぞ。
「つまりお互い不本意でって事か」
「まぁ、僕は全然良いんだけど…やっぱりリディアちゃんが」
「まぁな…正直あんな事されたらそりゃな」
本音を言うと、もし俺がリディアと同じ事をされたら例え謝られたとしても嫌だなって思うし、同じ部屋にすら居たくない。
小学の時、学校にいる全ての生徒を嫌悪していた頃は、学校にいるだけで嫌だったし。
何で全ての生徒を嫌悪していたのかは後々語るとして…って、別に語る程深い理由は無いのだが。
「オレは酷い事をされました!だからユリの事をあまり好みではありません!ビーチバレーで…えっと…負けてしまいました!とても悔しいです!」
「そ、そうか…」
うん、リディアのその言い方だと、前半はまだしも後半に至ってはただのビーチバレーの感想になってしまっている。
要するに、酷い事をされたから優璃の事があまり好きではない。だからビーチバレーで恨みを晴らすつもりが負けちゃったから凄く悔しい…と言いたいんだろう。
「…僕帰った方がいいかな」
リディアの気持ちを察して、優璃は立ち上がって帰ろうとする。
「うーん、どっちでもいいと思うぞ。優璃はどうしたい?」
「僕は…もう暫く居たいけど…でもリディアちゃんが」
「他人はどうでもいいだろ。自分が今どうしたいか、それだけ考えときゃいいんだよ」
我ながら良い事言った、そう思った。
俺がこういう考えに至ったのは、それこそ小学の頃だった。
〜
小学生になりたての頃、自分から望んでみんなの嫌がる事をした。例えば発表とか、そんな小さな事だったが。
それは俺が、みんなが嫌々やるくらいなら俺が代わりに嫌な思いするよ!という当時はみんなを思っての行動だった。
逆にみんながやりたい事には立候補しなかったりとかもした。
でもある日、俺は偶然にも自身に対する陰口を聞いてしまったのだ。
“霜木ってただ目立ちたいだけだろ”
“霜木見てると何かウザい”
“アイツが立候補するとまたアイツか、ってなる”
今思えばそう思われても仕方ないような事してたなーと鼻で笑えるが、当時の俺は絶望した。
あれだけみんなを思って、色々考えて自分に嘘ついてやってきたのに、感謝するどころか非難する者の方が多かった。
自分がどれだけ裏で考えていて、どんな事を思っていたとしても、他人はそれを知らないし、知る気もない。
人は知らない。
自分がしたい事をしている裏で、他人がしたくもない事をしている事を。無意識に誰かを利用して自分が楽をしている事を。
俺は知った。
自分も他人もしたくない事をやったところで、何の見返りもなく、ただ都合よく利用されているだけで、ただ心を磨耗するだけだと。
だったらもういっその事、他人なんて一切気にせず、自分のやりたい事はやって、やりたくない事からはとことん逃げて、他人に押し付ける。
その方が、人間らしいから。
そうやって捻くれて何もしなくなった結果、他人からは更に非難された。
“何でアイツやってくれないんだよ”
“アイツがやらないせいで俺達がやる羽目になった”
“アイツが立候補したせいで俺が出来なかった”
“事故で死んでくれねーかな”
“何で嫌いな奴に限って全然学校休まないんだろうな”
…もはや自分に関係ないかもしれない事ですら、自分に対しての陰口に聞こえ、俺の中にはただ嫌悪感だけが粘っこくくっついていた。
〜
「…他人の事考えても、ただ自分が苦労するだけだ。他人を思って何かをしても、その他人に感謝されないし自身に得もないしな」
「そう、かな」
「ああそうだ。だから仮に優璃がリディアを思って帰っても、リディアは優璃に対して感謝しないし、優璃は自分の本当の意志に背いて帰ったからあまり良い気分じゃない」
「…じゃあ僕ここに残る!一緒に日本語を教えれば仲良くなれるかもだし!」
俺から発せられるネガティブな空気を壊すかのような、嬉々とした声で優璃が座る。
「えー!帰ってください!ハルカと二人が理想的です!」
「嫌だ!僕だって斗君と一緒に居たい!斗君だけじゃなくて、リディアちゃんとも!」
「オレはそうではありません!」
「一緒に日本語教えてあげるから!」
「…それなら、いいでしょう」
リディアすっごいチョロいぞ!
え、嫌いな人に教えられるのって嫌じゃないの!?それ俺だけ!?
まぁ、でもなんだかんだ丸く収まったような気がするから良いか。
内心、やっぱり他人の事なんて考えない方が良いんだと、自分が正しかったのだと、そう思った。
それと同時に、何故俺が他人を考えなくなった時は丸く収まらなかったんだという疑問にも決着がついた。
考え方の問題なんだ。
正直に言うと内心わかっていた。
でも、認めたくなかった。
本当に考え方の問題なのであれば、それは今まで自分の考えてきた事が、思ってきた事が、胸に刻んできたものの全てが全否定されるからだった。
お前は最初から間違えていたんだと、そう言われているように思えたからだ。
でも、それは逃げだったんだと気付いた。
逃げている事柄から逃げるのはもうやめよう。
逃げる事をやめたり、逃げなかったら得があったから。
だって、逃げずに向き合ったから優璃と出会えた。
面倒ごとから逃げなかったからリディアと出会えた。
…人と向き合ってみたから、戦吾と凪葉と友達になれた。
どうやら俺は、もうとっくに逃げる事を辞めていたようだ。
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