第14話 アカツメクサ -勤勉、善良で陽気-
「それじゃまたね。そういえば明日どこで待ち合わせするの?」
俺達の住む都市は歩いたり自転車で行ける距離に海は無く、行くなら電車を使わないと行けない。
「あー確かに。まぁ後で戦吾に聞いとく」
「うん!じゃあ決まったら連絡…って、そういえば連絡先交換してたっけ」
「したよ、出会った初日に」
「そっか…じゃあわかったら教えて」
優璃は何故か悲しそうな顔をしてそう言うと、手を振って背を向けて歩いて行ってしまった。
何故優璃があんな顔をしたのかはわからず、どこかモヤモヤしたまま俺は家へと向かって歩き出す。
初めて出会った時は、凪葉とも今の優璃とも違うよくわからないキャラだったなぁ。
例えるならクールだけどポンコツなヤツ、そんなイメージだった。
あれで凪葉を演じていたつもりだったらしいから、今思うと寄せてなさ過ぎて笑えてきてしまう。
凪葉はもっと、明るくて普段何も考えてなさそうなくらいにバカだ。
ストーカー紛いな行為とはいえ、優璃は俺と凪葉をずっと見てきたのだから、もう少しくらい似せる事も出来たのではないか、と疑問に思ってしまう。
「ずっと見てきた…か」
俺はふとそんな事を呟く。
そうだ、優璃はずっと見てきていたんだ。
だからあの時の出会いは、優璃からすれば出会いでも何でも無いんだ。
出会いというより、“ようやく話せた”という感じだろうか。
寧ろ、何故俺達は今まで近くに居た優璃の存在に気が付かなかったのだろうか。
ましてや俺の場合は小学の頃から見られていたのに、当時の俺は周りを気にし過ぎていたくらいだったのに。
…もしかしたら、凪葉は気付いていたのかもしれない。
俺は何となく、そう思った。
だとしたら凪葉って相当性格悪いな。
他の女の子が見ているのに気付いていて、敢えて気にせずにわざと俺との関わりを見せつけていたと言うことになる。
いや、凪葉に至ってはそんな事ありえないか。だってそんな事思いつく程、凪葉は頭良くないし。
「ハールカ!」
「ん、なっ!?」
突然背後から俺を呼ぶ声が聞こえてきた。
振り返ろうとした途端、後ろから声の主と思われる何者かに抱きしめられる。
振り解こうと試みるも、中々離してはくれない。
「ちょ、お前誰だ!?」
「リディアです!」
「リディアか…いや、何で!?」
リディアは優璃に脅され、俺と直接的な関わりを持てなかった。
その代わりに連絡先を交換し、リモートで日本語を教えるはずだったが…。
「なぜならハルカは、オレに日本語を全く教えてくれないからです!」
相変わらずリディアは、不自然な日本語で返答する。
放置してしまった俺も悪いが、少しは自分で勉強しなかったのか。
していたのかもしれないが、その成果がまるで出ていない。
「ごめん、色々忙しくて」
「女の子を待たせるのはとても最低だと思います!」
「いや本当にごめんって!ていうかそろそろ離れてくれないか!?」
「離れ…る…それは、とても悲しいです」
リディアは、本当に悲しそうな声でそう言った。
ずっと振り解こうと身体を動かしていた俺も、つい動きを止めてしまった。
ふと俺はスマホを取り出し、現在の時刻を確認する。
16時15分…日暮れまで時間がある。
「わかった、待たせた分今日教えてあげるから、離してくれ」
「分かりました!」
遂に日本語を教わる事ができると理解したのか、リディアは先ほどの悲しそうな雰囲気を取っ払って嬉々としてそう答えると俺を解放する。
こんな様子を優璃に見られたら何をされるかわからない。
内心俺は焦りながらも、リディアを家に招き入れる。
〜
「なぜ和室ですか?」
俺とリディアは和室で面と向き合って正座をする。
和室で正座をする…まさしく日本ならではだと思う。
「和室なら、より日本文化を感じ取れると思って」
「その通りですね。和室で日本語を教わるのはとても刺激的だと思います!」
「そうなのか…?まぁとりあえず日本語を教えるぞ」
「よろしくお願いします」
そう言って深々とお辞儀をする姿を見ていると、外国人特有の馴れ馴れしさというか“押し”が強い所を除けば、リディアは礼儀正しくて真面目な女の子なんだな、と改めて気付かされる。
言ってしまえばリディアが俺の元に来てしまったのは、日本語の勉強に熱心が故だ。
そこまでして日本語を勉強してまともに喋れるようになりたいのなら、何故自身で勉強をしないのだろうか…いや、しているのかもしれないが先ほども言ったように全く身に付いていない。
話が少し変わるが、俺のクラスの仲の良い女の英語担任がいるのだがまぁ面白い人で、英語教師になる気はさらさら無くて英語は何一つ喋れないのに、何故か英語教師の資格取ろうとして、何となく2年ほど留学してたらいつの間にか誰かに教えられる程には身に付いていたとか言っていたし。
だから、教科書とか使うよりも現地の人と実際に会話した方が身につく…のかもしれない。
「じゃあ早速教えるが…まず…えーっと、その…」
とはいえ、日本語ってどうやって教えるんだ?
普通に日本語を喋っている日本人の俺としては、日本語というのはあまりにも常識過ぎて逆にどう教えれば良いかわからない。
品詞が〜とか、助動詞が〜とか、文法が〜とか言ったところで通じないだろうし、まずそこら辺は俺にもわからない。
「ウー?」
リディアは不思議そうにこちらを見つめている。
俺は逆に、あの英語の担任がどうやって教えていたのかを思い返してみる。
その英語の教え方をパクって上手く日本語に置き換えればそれっぽくなるのでは?
えーっと確か最初の授業では、今自分がどれほど英語が出来るのかを確かめるテストのようなものをしていたな。
それを日本語バージョンに置き換えて…。
「じゃあまずリディアがどれほど日本語が出来るのか試す」
「おお!」
俺はそこら辺にあった何も書かれていない紙をリディアに差し出す。
「ここに日本語で自己紹介を書いてくれ」
「分かりました!」
リディアは白紙を受け取ると、胸ポケットからシャーペンを取り出し、すらすらと紙に日本語を書いていく。
間違っている部分があればそこを指摘して、直させていけばいい…と思う。
先生側ってこういう感じなんだ、と思う。
お堅い先生も居れば、柔らかい先生もいる。
どんな先生でも、分かりやすさとか派閥として一応教え方だけはちゃんとしている。
それは、生徒の見えない所で悩みに悩んで、どうやって教えたらいいかだったり、どうすれば興味を持ってくれるか、それらを考えているのだ。
リディアの場合、“どうすれば興味を持ってくれるか”という部分に悩む必要は無いが、“どうやって教えればいいのか”だけは本当に難しい。
「完成しました!」
「おう、早いな」
俺はリディアの自己紹介が書かれているであろう紙を受け取り、書かれた内容がきちんと自己紹介になっているか、日本語的におかしい部分は無いかを確認する。
…字が汚いのは、減点になるのでしょうか?
『こんにちわ.じぶんのなまえは,りでぃあしゅゔぇーるとです.じぶんのすきなものは,にほんです.よろしくおねがいします.』
仕方ない事だが、全部ひらがなだ。
というかリディアの本名って“リディア・シュヴェールト”っていうのか…。
にしても、言葉自体は何の間違いもない。
「どうですか?」
「この点は多分句読点のつもりなんだろうが…まぁ、内容の意味はわかるんだが、やっぱり変に見えるよな」
「クトーテン…オレ、それよくわかりません」
「句読点というのは、こういうの」
そう言うと俺は、リディアの自己紹介が書かれた紙の余白に『、。』を書いてこれが句読点だと指を指しながら説明する。
「あー!見た事があります!でも使用用途がわかりません」
使用用途って言い方をされると、正直俺もわからない。
リディアが言いたいのは恐らく“使い方”や“使い分け”と言いたいのだろう。
「この句読点というのは、例えばこの自己紹介なら、この点の所に入る奴だ」
「『.』の部分にクトーテンが入る…でも、クトーテンは2種類存在しています」
「そう。だから今から“。”と“、”の使い分けについて教える」
「はい!ありがとうございます!」
リディアは嬉々としてそう言うと、またお辞儀をする。
「さて、まずはクイズをするぞ」
「クイズ!それはとても得意です!」
まず、俺は別の新しい2枚の白紙にリディアが書いた平仮名だらけの自己紹介を書き写す。
そして、それらをリディアに見せつける。
「どっちが句読点の使い方が正しいと思う?」
右手に持っている紙に書かれた文章は、以下の通り。
『こんにちわ。じぶんのなまえは、りでぃあしゅゔぇーるとです。じぶんのすきなものは、にほんです。よろしくおねがいします。』
左手に持っている紙に書かれた文章は、以下の通り。
『こんにちわ、じぶんのなまえは。りでぃあしゅゔぇーるとです。じぶんのすきなものは。にほんです、よろしくおねがいします。』
…日本人なら、どちらが正解で、間違っている方は何が間違っているのかすぐにわかるはずだ。
「ウー…」
リディアは2枚の紙をまじまじと見つめながら、真剣に悩んでいる。
俺は日本人だからこんな問題は幼稚園レベルだ、なんて思うが、外国人はそうではない事に、文化の違いに似た何かを感じた。
「あ!分かりました!こっちです!」
リディアは右手に持っている紙の方に指を指した。
「おう、正解だ」
「オレは凄いです!褒めてください!」
「ああ、凄いな」
そう言うと、俺はドヤ顔をしているリディアの頭を撫でる。
その時のリディアは嫌がるかなと思っていたが、ドヤ顔が柔らかく崩れて嬉しそうな顔になったので安心する。
正解の方は単純に“.”を“。”に、“,”を“、”に書き換えただけである。
使い分けがわからない、と言っていた割に書き方が違っていただけだったので、半ばわざとやっているんじゃないか、なんて雑念が湧いた。
まぁ仮にわざとだったとしても別に良いが。
「さて、クトーテンは習得しました!次!」
もう句読点を習得した気になってる。
まぁリディアの場合は単なる書き間違いの領域なので習得、ということにしておこう。
「そうだな…次は、ひらがなとカタカナの使い分けについてだな」
「カ、カタカタ…?」
「カ、タ、カ、ナ。」
「カタ…カナ!」
「そう、カタカナ」
なんかずっとカタカナカタカナ言って、その返答もカタカナだと、まるで宇宙の言語を喋ってるような気分になってくるカタカナ。
「カタカナ!とても面白い言葉です」
「発音だけはな。カタカナっていうのは、こういうのだ」
俺はまた新しい紙の右側に“あいうえお”、左側に“アイウエオ”と書いて、それをリディアに見せつける。
句読点の時と同じように、リディアはまじまじともの不思議そうに見つめる。
「右に書かれた文字を読む事が出来ますが、左に書かれた文字はわかりません」
「どちらも発音は同じ“あいうえお”だ」
「オレにそんな冗談は通りません!例え日本語が出来なくてもそれが冗談だという事はわかります、バカにしないでください!」
リディアは怒っているような、煽っているような顔でそう言う。
まぁ、確かに文字自体は全然違うし、初見だったらそう感じても無理は無い…と思う。
「本当だ。あいうえおだけじゃなくて、全てのひらがなにこういうのがあるんだ」
「そうなのですか?」
「あぁ。こういう文字自体は違うけど、読み方が同じ文字の事をカタカナというんだ」
まぁ、“へ”とか一部例外はあるが。
「なるほど…ではこのひらがなではない左側の文字がカタカタというんですね」
「カタカナな」
「ですが疑問があります。何故日本語の文字にはひらがなとカタカナの2種類が存在しているのですか?」
「それは、文字を読みやすく…メリハリをつけるためだ」
…多分。
「メリハリ…例を見せてください」
「わかった。例えばこのリディアの自己紹介文。全部ひらがなだけど、この一部分をカタカナに書き換えてみるぞ」
そう言うと、俺はリディアが書いたひらがなだけの自己紹介文のカタカナにした方がいい単語を消して、再度カタカナに書き直す。
『こんにちわ。じぶんのなまえは、リディア・シュヴェールトです。じぶんのすきなものは、にほんです。よろしくおねがいします。』
「オレの名前だけがカタカタになっています」
「カタカナな。まぁこの自己紹介文だとリディアの名前だけがカタカナに変換出来る」
「つまり、カタカタは名前を書く時に使うのですね」
「名前だけじゃないぞ。例えば“私の名前は”をアジア英語で言うと?」
「My name is…?」
リディアはとてもネイティブに…発音良くそう答える。
その時の声はとてもクールで、普段のリディアとギャップがあり思わずドキッとしてしまう。
「ま、まぁそうだよな。じゃあその“ My name is”の読み方を日本語で書く、となった時にカタカナの出番だ」
「つまり外国語の言葉の発音を日本語で表す場合にカタカタを使用するのですか?」
「そういう事!あとカタカナね、いい加減覚えような…それで」
その続きを言いかけた時だった。
突然和室に着信音が響き渡る。
どうやらリディアの携帯から鳴っているようで、リディアは慌てて電話に出る。
「was!?Ich lerne jetzt Japanisch!?」
日本語の勉強を邪魔されたからなのか、リディアは声を荒げて母国語で通話主にキレている。
なんて言ってるかわからないが、多分“今日本語の勉強してんだから邪魔すんなボケナスゥ!”みたいな事を言っているんだろう。
「…verstehe.…はぁ」
一言言って通話を切ると、リディアは露骨につまらなそうにため息を吐く。
「大丈夫か?」
「すいません。迎えが来てしまいました」
「そうか」
ふと時計に目を向けると、時刻は17時頃を指していた。
日本語の勉強を始めてからそこまで時間が経っている訳ではないが、そろそろ両親が帰ってくる頃だし、リディアには申し訳ないが今帰ってもらった方が都合が良い。
俺はリディアを玄関まで案内する。
「また日本語の勉強、教えてください」
ガチャ、と玄関を開け、俺に振り返ってそう言うと、リディアは俺の頬にキスをする。
「ん〜!?」
突然のキスに、俺は目を見開いて変なリアクションをしてしまう。
まぁ仮にキスされるとわかっていたとしても、きっと同じようなリアクションをしていたと思うが。
「ウフフ、お邪魔しました」
リディアは嬉しそうにそう言うと、俺の家の外で駐車しているリムジンに向かって走っていった。
ちょうどリディアがリムジンに乗ったところで玄関の扉が閉まる。
俺はリディアにキスをされた頬に触れながら、ただその場に立ち尽くしていた。
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