幕間 リディアの葛藤
平凡な街に聳え立つタワーマンション。
ここは、“もしここで1年間家賃を1回も滞納せずに住めたら大富豪”と言われる程の超が付くほどの高級タワーマンションである。
イコールこのタワーマンションに住む者達は皆、大富豪だったりどこかの国のお偉いさんだったりする。
家賃もバカ高いプラス住む者達は全員、世界にとって重要な人物…故に、セキュリティ面においては最高峰と言っても過言ではない。
もちろん内装や設備も類を見ない程に完璧。
しかし高級住宅街という訳でも、そこまで商売繁盛している訳でもないこんなごく普通の街にどうして建てられたのか不思議に思う程のタワーマンションである。
そんな我々のような平民が、絶対に足を踏み入れる事は無さそうなタワーマンションのどこかの一部屋にて、とある少女がスマートフォンを握りしめ、落ち着かなそうに部屋中を歩き回っていた。
「う〜…」
少女の名はリディア・シュヴェールト。
父親は世界的大企業の社長で、母親は日本でもかなり有名な世界的大スターの女優というかなり恵まれた遺伝子を持ち、割と恵まれた環境下で育った少女である。
ただ、両親共に殆ど家に帰れない為、リディアは親の愛を殆ど知らず、両親が雇ったメイド達と共に育った。
大企業の社長と大スターの子となると、当然普通の生活は出来ない。それはどこに行ってもそうだった。
チヤホヤされる事は無く、寧ろ周りから避けられる日々。ようやく人が寄ってきたかと思えばマスコミ、なんて事もザラだった。
何事もなく平凡に1日を終えた事なんて、一度も無かった。
…日本に留学し、彼と出会うまでは。
「オレは限界を迎えます!!ハルカはいつ日本語について教えられるのでしょう!?」
リディアは我慢の限界だと言わんばかりにそう叫び散らかす。
ハルカ、という人物は人がリディアにとって救世主のような者だった。
こんな自分に対して普通の人と何ら変わらず接してくれた、初めての人物であったからだ。
更に日本語も教えてくれると約束してくれたらしく、リディアは初めて出来た“友達”の連絡をずっと待っていた。
「Lydia, warum...(リディア、何故…)」
突然叫び散らかすリディアに、日本人のメイドがそう言う。
「日本語を話してください!どうして貴女を雇ったと思ってます!?」
「…よろしいのですか?」
「はい!」
「では…どうしてリディア様から電話をしないのですか?」
リディアはメイドの発言した日本語に少し頭を抱えたが、閃いたと言わんばかりに顔を上げる。
「それが不可能だからです!」
「それはどうしてですか?」
「オレはハルカからの電話を待ち続けます!そうではない場合オレは苦しみます!」
「…?」
メイドは詳しい事情を知らないのと、変な日本語を喋る為、リディアが何を言っているのか全く理解出来なかった。
リディアは優璃に“ハルカと関わるな”と脅されているのだ。
が、ハルカと日本語を勉強する約束をしている為、連絡先を交換して電話上で会話をするという策を実行している。
しかしハルカが今どこにいて、何をしているかはわからない。
今電話をして、もしハルカが優璃と一緒にいた場合、リディアの策は崩壊する。
だからリディアはいつもスマートフォンを握り、ハルカからの連絡を今か今かと待ち続けていたのだ。
「オレから電話をする事は禁止されているのです!」
「そ…そうですか…しかし、日本語を勉強するなら教材を使えば一人でも勉強出来るのではないですか?」
「…ウ?」
リディアには、メイドの言った日本語は少々難しかったようで、あまり理解出来なかったようだ。
メイドからすれば、“日本語で喋れ”と言われているから言われた通りに日本語を喋っているのに、いざ喋ってみると高確率で“ワタシ日本語ワカラナイ”みたいなリアクションを取られる為、メイドも思わずため息を吐いてしまう。
「…Warum verwenden Sie keine japanischen Lehrmaterialien?(なぜ日本語の教材を使わないのですか?)」
メイドは仕方なくリディアの母国語で自身の言いたい事を言った。
リディアからは“日本語で喋れ”とまた怒られてしまうかもしれないが。
「“百聞は一見に如かず”、というものです!」
リディアはメイドにドヤ顔でそう言った。
百聞は一見に如かず、とは、物凄く簡単にわかりやすく言うと“100回聞くよりも実際に1回見た方が良い”みたいな意味である。
メイドはリディアが何を言いたいのか察した。
要するに、教材とかで習うよりも実際に日本人と喋った方が身につく、と言いたいのだろう…と。
確かにリディアの言っている事は間違いではない。
リディアは教材で日本語を勉強した結果、喋れるようにはなったものの、日本人のメイドからすれば物凄く変な日本語になってしまっているのだから。
だから、日本人から直接の教わる方が身につくとは思うが、メイドは思う。
「どうして私とは日本語の勉強をしないのですか?私も日本人ですが…」
「ハルカと勉強したいからです!」
「うっ…」
その言葉はメイドの心に深く突き刺さった。
まるで“お前はいらない”と言われたような気分になったり、リディア様が恋をしたと勘違いして勝手に先を越されたような気分になった。
何せメイドは恋を経験した事がない。
「あー、早く連絡してください!」
「うっ…ううっ…先越された…」
「やはり電話…!いえダメです…!ああっ…ですが…!オレは我慢の限界です!あーーー!!!」
そしてリディアは今日もスマートフォンを握りしめ、部屋中を歩き回りながらハルカからの連絡を待ち、何気ない一言でメイドを傷つけるのであった。
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