第10話 ネメシア -過去の思い出-

 家の中に足を踏み入れる音が聞こえる。

 徐々に、徐々にこちらへと足跡が近づいてくる。

 数は、2人。


「あら、寝ちゃってるわね」

「なんだ、そうだったのか…道理で出てこない訳だ」

「起こしちゃ悪いから帰りましょうか、全く…凪葉ったらどこほっつき歩いてるんだか」


 入ってきた男女2人はそう言った後に、足音を立てずに家を出ていった。

 俺は目を開け、誰もいなくなった事を確認すると、ゆっくりと立ち上がる。


「…不法侵入じゃねぇかよ」


 いくら自分の娘の為とはいえ、誰の承諾も得ずに他人の家に上がり込んでくるなんて普通に不法侵入である。

 しかもあの両親が目的とする娘は、両親は気付いていないとはいえ本人ではないし…狂っている。


「行った?」


 別の部屋の扉が開いて、そこから優璃が出てくる。

 俺はあの時、咄嗟の判断で優璃を別の部屋のクローゼットに隠れさせ、俺は寝ているフリをする事にしたのだ。

 寝てるフリがバレたらどうしようとかそんな事を考える余裕も無く、ただあの両親の中にはまだ良心がある事を祈った。

 …いや、両親と良心を掛けた大爆笑ギャグではない。何か寒いね。


「ああ…でも、あんなイカれた人達じゃなかったんだけどな…」

「…ねぇ、凪葉ってどんな人だったの?」

「え、どうしたんだ急に」

「だって…あんなに狂っちゃう程、あの両親にとって愛する子供だったって事でしょ。だから知りたい…そこまで愛された理由を」


 優璃はそう言った。

 でも、俺にはその質問の意味がわからなかった。

 だって子供は親に愛されるものだから、そこに理由なんて無い…とも思ったが、優璃はあの両親と同じ屋根の下で1日過ごしているし、正直俺よりも優璃の方があの両親が如何に狂っているのか、その身で体感しているだろう。

 それを踏まえて言っているのかなと俺は考え、凪葉について…自分の過去と交えて話す。



 俺と凪葉が出会ったのは戦吾と同じく中学1年生で、家庭科の授業内でのグループ決めだった。

 小学の頃と同じように周りの人間を避け、自分から1人組になろうとしていた所を戦吾と凪葉に捕まったのが始まりだった。

 戦吾と凪葉は小学校が同じで、昔から仲が良かったそうで、よく“付き合っているんじゃないか”というくだらない噂が広まっていたらしい。


 戦吾も凪葉も当初は苦手なタイプの人間だった。

 仲良くもないのにグイグイ来るし、俺の前で2人でよくイチャついているし、見ていて腹が立った。別に嫉妬ではなく、単にうるさかったからである。

 出会って1年目は大体絡まれて、いつの間にか友達にさせられていたというような感じだった。


 戦吾はあまりにも言動や行動がバカ過ぎて見ていられなくなり、“コイツは誰かと居ないとダメだ”と思い、自分から接していく内にいつの間にか意気投合していた。


「あ!あんな所にクワガタいる!ちょっと取ってくらぁ!」


 セミがうるさく鳴く夏の校庭で、戦吾は木に止まったクワガタを見つけると、それを捕まえるために木を登り始めた。


「お、おい!木登りは危ないぞ!てか、クワガタで喜ぶって何歳だよ!?」

「永遠の13歳!」

「今の歳と変わんねーじゃねぇか!」

「わかってねぇーなー斗は!大事なのは、いつでも童心を忘れない事だぞ…あ、やべ落ちる!!助けて斗!俺頭から落っこちて死ぬかも!」


 …と、このように当時の戦吾は無邪気な少年で、文字通り“バカ”だった。


 もちろん、周りには木に登る奴も、クワガタに対して興奮する奴も居なかった。

 戦吾のしている事は悪目立ちする行為で、周りから変な目で見られるのは確定だというのに、それをもろともせずに行える戦吾を見て俺は、多分羨ましくもあり、憧れていたんだと思う。


 しかし凪葉は異性であり、俺は異性との関わりはしてこなかった故にどう接すればいいかわからず、かといって相談するのも気持ち悪いと思い、無意識に距離を置いていた。…にも関わらず、凪葉はグイグイ押し寄せてきた。

 

 しかしかと言って無視するのも良くないと思うし、適当に返すのも可哀想だと思った俺は、意を決して戦吾を家に招き入れて相談してみる事にした。


「え?凪葉との接し方がわからない?」

「あぁ…俺、女と関わった事無かったから」

「ふーん、俺と同じ感じで対応すれば良いんじゃね?」

「え?」


 戦吾は、さっぱりした返答をした。

 俺が割と真剣に悩んでいる事を、それでいいのか?と言い返したくなる回答をしてきたのだ。


「逆によ、変に気遣ったらそれこそダメだと思うんだ。凪葉はお前の事友達だと思ってるし、もし俺が急に“斗殿!今日も良い天気ですね!貴方ヴァナータと散歩してみたくなってしまう気分ですわ!ンニョルホンニョルホホホホホーホホホー!”なんて言ってきたらどう思う?」

「気持ち悪い」

「う、うん…まぁそうだろ?だから別に女だからこう接するとか、性別によって態度変えたり言動変えたりする方が俺はダメだと思うで候丸」

「そっか…意外とちゃんと言ってくれるのな」

「友達が悩んでるなら話を聞いてやるのは当たり前だし、人に相談するって事は、誰かの手を借りたい程悩んでるって事だからな」

「…でも流石に誰に対しても、んにょっ…んにょるんほっ… ンニョルホンニョルホホホホホーホホホーとは言わないぞ?」

「カッコつけた後にそれ言うなよ…まぁ本心だから良いけどー…」


 そんなこんなで戦吾の助言通り、戦吾の時と同じように凪葉と接してみたら、普通に凪葉とも仲良くなれた。

 凪葉とのまともに接するようになってから、凪葉も戦吾程ではない…とも言い切れないが、戦吾と仲良くなれる訳だ、と納得できるほどバカだという事に気付く。


「…何でお前運動しないの?」

「だってほら、周り見てよ!」


 俺はこの時、たまたま体育の授業を見学していた。

 しかし凪葉はいつも体育の授業を見学している為、良い機会だと思って聞いてみると突然そんな事を言われたので、辺りを見渡してみる。


「…何?」

「運動部の女の子見てよ!みんなおっぱい小ちゃいじゃん!」

「ぶっ!は、はぁ!?お前何言ってんだ!」

「だから、運動するイコールおっぱい大っきくならないって事でしょ!私おっぱい大きくしたいから運動しないの!」

「…そうか」


 俺は、謎にドヤ顔をしている凪葉に呆れたようにそう言う。

 ていうか女の子である凪葉がおっぱいって単語を連呼して、女としてそれでいいのか、という思いもあった。

 とはいえ、確かに運動部の女子はみんな胸が小さいので、凪葉の言う事も一理ある…のか?

 俺はそこら辺の知識は嘘を言われても疑う事なく信じてしまうくらい無い為、全くわからない。


 凪葉の胸に対する行動はこれだけでなく、給食でなぜか残されがちな牛乳を貰い、大量に飲むという事もしているが、凪葉曰く“牛乳は母乳と同じ!つまり牛乳いっぱい飲めばおっぱいも身長も増えて一石二鳥!”…という事らしいが、流石に俺でもそれは違うし絶対ナイ、と思っていた。

 だって現に凪葉の身長は低いままだし、胸も全然大きくなってないし。


 そして時は過ぎ、中学2年。

 俺と凪葉の関係は、急激に加速し始める。

 白い息が出る冬の時期、珍しく凪葉と2人きりで帰っていた時だった。

 戦吾は部活で何かをやらかしたらしく、顧問と思われる人物にこっぴどく怒られていたので、凪葉と俺は先に帰ってしまおう、という考えになり、今に至る。


「ねーねー、ハルカって好きな人居ないの?」

「え?戦吾?」

「まさかのBL?!」

「違うよ、友達としてだ。もちろん凪葉も…だって、お前達が俺に話しかけてこなければ、多分俺は今も独りで帰ってたと思う」


 出会った当初は嫌いだった戦吾と凪葉も、今となっては居なくなったら悲しむ程のかけがえのない友達だ。

 俺は口には出さないが、なんだかんだ2人には感謝しているのだ。

 そのお陰で、今の学校生活を笑って過ごせているし。


「あー、友達かぁ」


 凪葉は残念そうにそう言う。


「何だよ…最初はお前達から言ってきたくせに」

「それは…ほら、まずは友達からって言うでしょ!」

「何その告白の返答みたいな…そういう思わせぶりな事言うの辞めろって」

「思わせぶりとかじゃ無いし…ホントだし」

「まぁ確かに友達すっ飛ばしていきなり恋人とかになると後々嫌になるだろうし」

「そう、だからこう…ちゃんと段階を踏んで私は日々を積み重ねてきたの」


 凪葉はろくろを回すような手振りで段階を積み重ねてきた事を表している。

 そんな何気ない会話をしていた時、俺は凪葉の発言に違和感を覚える。


 まずは友達から…思わせぶりではなく本当…段階を踏んできた…?


「…なぁ、本当に思わせぶりな事言うの辞めない?」

「だから本心だって!私そんな弄ぶような女に見える?」

「…マジなの?」

「…うん」


 凪葉は寒いからなのか恥ずかしいのかわからないが、顔を赤くして頷く。

 それってつまり、凪葉は俺の事好きって事だと捉えてもよろしいのだろうか。

 ラブコメの主人公って大体鈍感で、“いや明らかに好きだと思われてるのに何で気づかねえんだ!”と思っていたが、実際やられてみるとマジでわからないんだな。

 俺は、その場にしゃがんで顔を手で塞ぐ。


「言ってくんなきゃわからねえよ…」

「…だって恥ずかしいじゃん、はっきり言うの。だからこう遠回しに遠回しに言ったんじゃん」

「好きなら好きって言ってくれよ」

「じゃあ好き」

「じゃあってなんだよ?!」

「ハルカが言えって言ったんでしょ!」

「ハッハッハッハッハ…」


 俺と凪葉が言い合いをしていると、物陰からかなり胸を張ってゆっくりと歩いて登場してきた者がいた。


「戦吾…お前何そんなオ◯ドリーの春◯みたいな歩き方してんだ…?」

「トゥ◯ス!」

「やめろ、てかなんで居るんだよ」

「私はね、凪葉が斗の事を好きなんじゃないかと察し、君達を2人きりにさせたのさ」

「何か喋り方も寄せてない?」

「ま、あれだ…友達の幸せは俺の幸せだ、祝福の刻!」


 そう言うと、戦吾はわーいわーい、と言いながら造花の花びらをばら撒き始める。

 なんか、正式にお付き合いをするというより、結婚するみたいになっている気がする。

 本当に、周りに人が居なくてよかった。


「ねえハルカ…私のコト、好き?」


 花びらの雨の中、どさくさ紛れに凪葉がそんな事を聞いてくる。

 正直に言うと、凪葉を一度も“異性”として見た事が無かったゆえ、突然そんな事を言われても“友達として”という意味の好きと返答してしまう。

 かと言っていきなり異性として見ろ、と言われてもそれで“付き合いたい程好き”と思える程俺は軽くない。


 でも…せっかくこんな場を用意してくれた戦吾と、勇気を出して遠回しではあるものの告白をしてくれた凪葉に中身の無い適当な事は言えない。


「…好きだけど、俺はずっと友達として凪葉を見てきたから…その、付き合っても彼氏として振る舞う事は出来ないと思う」

「いいよ別に!私はいつものハルカが好きなんだもん!寧ろ変えないでほしいな」

「…わかった」


 こんな無愛想で、ボケに対してマジレスしかしないようなつまらない俺をどう好きになったのかわからないが、多分凪葉は相当な物好きなんだな…と心の中で密かに思っていた。


 こうして、俺と凪葉はお付き合いをする事になったのである…が。


「わーいわーい!おめでとーありがとーぴかーんぴかーんわぁ眩しィッ!!」

「なぁ戦吾…」

「ん?」


 ずっと花びらをばら撒いていて俺達を祝福していた戦吾は、手を止めてこちらを見つめる。


「これ片付けどうすんだ」


 俺は、地面を見渡しながら言う。

 地面には、かなりの量の花びらが落ちている。


「あ、祝福サービスの料金なんですが、無料にして頂く代わりにご利用のお客様にはお片付けをお願いしたいのですが」

「お前ふざけんじゃねぇよ!」


 そう言うと、俺は戦吾に飛び蹴りを喰らわせた。



「…凪葉はバカでうるさくて、恋愛対象として見れない女だったけど、いつの間にかそんな凪葉が大切な存在になってたんだ」

「僕とは正反対…だね」

「…かもな」


 俺は、優璃と出会った当初は凪葉が憑依している時であった為に素の優璃をあまり知らない。

 だから、少し返答に間が空いてしまう。

 …よく考えたら、優璃が自意識を取り戻してからまだ1日しか経っていないのか。


「凪葉といる時、斗君は楽しかった?」

「ああ。最初は嫌いだったけど、和解っていうか仲良くなってからは一度も嫌な気分になった事は無いかな」


 そう言った後に、俺は優璃に憑依していた時の凪葉を思い出す。

 あんなに純粋で、一緒にいて楽しかった凪葉がどうして俺を殺そうとする程に狂ってしまったんだ。

 

 …やっぱり俺が生きている事が憎いのか?

 

 でも、俺を殺そうとした時の凪葉の発言は、別に俺の事が憎くて殺す人間の台詞ではなかった。

 まさか、愛しい人を殺して独り占め…なんて事をするつもりじゃなかっただろうな。


「で…でも凪葉じゃなくて僕を選んでくれたって事は、今は僕の事が好き…って事だよね…?」


 その質問に、俺は少し顔を顰める。

 正直、語弊のある言い方をしてしまうと別に俺は優璃の事を好きではない。

 ただ、凪葉が憑依していたという事もあり少しなりとも関係を持ってしまっているし、それにより優璃自身の身が危ないので護衛的な形で一緒にいる形だ。

 …まぁ、そんな事を言いながらも校門前で優璃を待ってしまっていた自分が言っても言い訳にしか聞こえないが。

 だが、俺が顔を顰めた理由はそんな事ではない。


「…俺がいつ優璃を選んだ?」

「えっ…僕の事…嫌い?」

「いや違うそういう事じゃないんだ!でも、俺は“優璃”を選んだ記憶が無いんだ」

「もう…忘れちゃったの?僕が凪葉に憑依されてる時に」

「憑依されてる時の記憶は無いんじゃなかったのか?」

「…!」


 優璃に恋人同士だと言われてからずっとおかしいと思っていた。

 だってそもそもそう思われるような行動はしていないし…まぁ無意識に、知らない内にやってしまっていたのかもしれないが、少なくとも俺から優璃に対して告白した訳では無いし、優璃も俺のコトを好きだと言ってくれはしたが、告白はしていない。


 悪く言ってしまうと、何故か優璃はずっと俺を恋人だと思い込んでいる。

 

 俺が優璃に対して敵意を持たずあくまで1人の女の子として接したのは、あの時はまさか優璃に凪葉が憑依しているなんて思ってもいなくて、しかも怯えているようだったから優しく接したのだ。


 もしかしたらこの時に勘違いをさせてしまったのかもしれないが、もうそう思えない状況にあった。

 どんな理由があれ、優璃は俺に嘘をついた。それはつまり、嘘をつかなければならない、疾しい事があるという事だから。


「何で嘘をついた」

「嘘じゃないよ…あの時、実は少しだけ意識が戻ってきてて」


 一度優璃を疑うと、全て見苦しい言い訳のようにしか聞こえなくなってしまう。


「じゃあ何で持ってたナイフに驚いたんだ?意識が戻ってきてたのなら、自身がナイフを持っている理由もわかってたはずだ。まさかナイフに驚いたのは演技だった、とか言わないよな」

「…」


 優璃は見苦しい言い訳をしても無駄だと気付いたのか、そのまま黙り込んだ。

 何でだ…何でそんなリアクションをする?

 見苦しい言い訳はして欲しくはないが、だからって黙ったら疑うしかないじゃないか。

 俺は内心、優璃を信じたかったのかもしれない。


「どこからどこまでが嘘なんだ」

「…」

「答えてくれ…俺は優璃を疑いたくはないんだ」

「…出会った時から」


 凪葉が事故で亡くなったあの道路で出会った時から、俺は嘘をつかれていたらしい。


「じゃあ…凪葉に憑依されてたって事も、その間の記憶が無いのも…全部」

「…全て、洗いざらい話すね」

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