第9話 アジサイ -愛情団欒-

「…んで、俺が帰ってからどうだった?」


 戦吾は購買で買った昼飯を食べながら、俺に向かってそう言う。


「あの後、母親が帰ってきてすぐに帰したよ…その後の質問攻めが本当めんどくさかったけど」


 戦吾が帰った後、優璃とキスをした事は言わなかった。

 しかしその後に親が帰ってきた事は本当で、その後の質問攻めも本当である。

 あの時は確か、戦吾とその友達だと適当に言っておいたが、それを戦吾に言ったら根拠は無いがきっとブチギレられるのでそれも言わなかった。


「そっか、にしても黒月優璃…本当に凪葉と瓜二つだった…」


 そういえば、戦吾が優璃と会ったのはあれが初めてだったんだっけ。

 優璃は似ているとかの次元ではなく、本当に運命的なレベルで凪葉と同じ顔をしているんだ。


「凪葉、どうしちゃったんだ…」

「…あ?どういう事だよ…お前遂に黒月優璃を凪葉と同じように」

「違う、まだ確定じゃないけど…優璃に凪葉の霊が憑依してたかもしれないんだ」

「俄には信じ難いが、つまりお前を殺そうとしてた黒月優璃は本人の意思じゃなくて憑依してた凪葉の意思って事なのか?」

「多分ね」

「まぁ…俺が気絶させてからの黒月優璃は明らかに様子が変だったし、その衝撃で本来の意識が戻ったって事か…はぁ…」


 そう言うと、戦吾はため息を吐きながら俯く。


「何でお前がそうなるんだよ」

「だってもうそろそろみんな大好き夏休みだろ?なのにこんな事が身の回りで起こってるなんて嫌じゃねぇか?」

「あ、もうそろそろ夏休みか」

「そうだよ!夏休みになったら絶対黒月優凛との関わりも増えるだろうし、もしかしたら黒月優璃の中にまだ凪葉の霊が憑依してるかもしれない、いつ人格が入れ替わって凪葉になるかわからないし…!」

「…なんか俺もお前も、逆になったな」

「え?」

「今まで俺達は優璃に対して警戒してたのに、今は昔仲良かった筈の、俺を庇って死んでしまった凪葉に対して警戒してる」

「ああ…でも改めて考えると何で凪葉はお前を殺そうとしたんだ…」


 戦吾が頭を抱え、悩み出した途端に昼休みの終わりを告げるチャイムが校内に鳴り響いた。

 俺はもう昼飯を食べ終えているので席から立ち上がる。一方戦吾は話に夢中で昼飯に殆ど手を付けていなかった為に口の中にかきこんでいる。


「じゃあ俺いくよ」

「んぉ、おうまたな!」


 急いで昼飯を口に頬張っている戦吾を最後に、俺は購買を後にした。



 授業中、俺はずっと考え事をしていたせいで内容が殆ど頭に入ってこなかった。

 まぁ授業なんてある程度理解していれば案外なんとかなるもので、現に理解している科目は殆ど無いが、それでもテストでは未だ赤点を取った事はない。

 

 話を戻すが、俺が考えていた事…それは察しの通り優璃と凪葉についてだ。

 今俺の感情はかなり入り乱れていて、優璃(に憑依した凪葉)とキスした時程ではないにしろ、心にモヤが掛かっているようでムズムズしていた。

 今は凪葉が憑依している恐れがあるにしろ、優璃は“素”だろう。

 俺は無意識に、凪葉に会いたいと思っていた。だから優璃の中に凪葉がいるのであれば入れ替わって欲しい…と思う反面、今の凪葉だと俺に何をするかわからない。だから今の優璃のままでいて欲しいと思っている自分もいる。


「すごく、もどかしい」



 放課後。

 俺はいつものように校門前で優璃を待っていた…が、そういえば今の優璃は今までの優璃とは違うんだ。

 だから俺の学校にわざわざ来てくれる訳…


「あ、この学校だったんだね…えへへ、僕ってラッキーだな」

「ゆ、優璃…?!何でここに?」


 そこには、嬉しそうにニヤニヤ笑う優璃の姿があった。

 まさか、凪葉と入れ替わったのか…?

 

「だって…“恋人”なら、い、一緒に帰るのが普通…でしょ?」

「こ、恋人?!」

「えっ僕達、恋人同士じゃないの…?ち、チューまでしたのに…」

「い、いやそういう訳じゃなくて…俺達の関係って今までどういう感じなのかわかんなくてさ…別に優璃と恋人なのが嫌って訳じゃないから」

「う…嬉しいな…僕が…斗君の恋人だなんて…えへへ」


 優璃は少しだけ恥じらいが混じりつつも、嬉しそうに笑っていた。

 どうやら、俺達の関係は“恋人”という事になったらしい。

 俺と優璃が…恋人…か。


「まぁ、帰ろうか」

「う、うん…これからよろしくね、僕の…彼氏っ」


 優璃は駆け寄って、両手で俺の手を握ってそう言った。

 今までの優璃とは顔も身体も同じなのにまるで別人で、俺は不覚にもその時の優璃に対して“可愛らしい”と思ってしまった。

 しかし俺は気付いてしまった。


「なぁ…その痣なんだ…?」


 優璃の頬に出来ていた痣について俺は聞いてみると、優璃は慌てて髪の毛でそれを隠した。


「あっ…これは…」

「誰かに何かされたのか?」

「ち、違うよ!実はさっき転んじゃって…はぁ…見られちゃったかー…」

「そ、そうか…?」


 俺は優璃の言葉に違和感を感じながらも、触れてほしくないのかな、と思い敢えてそれ以上は何も聞かなかった。



 俺達は別にレストランに行く訳でもなく、ただ普通に自分の家に向かって歩いて帰っているだけだった。

 ただその間、優璃は俺の手を繋いできたり、腕に抱きついてきたかと思えば勝手に恥ずかしがって離れてを繰り返していた。


「じ、じゃあ僕…家こっちだから」

「そっか、じゃあまた明日な」

「う、うん…じゃあ…ね」

「おう、じゃあまたな」


 お互い別れを告げ、それぞれの家へ帰る為に別方向の道へ歩き始めた。

 特に何かがある訳では無かったが、レストランに行ったり自分の家に招き入れたりするより、こうして本当にただ一緒に帰るだけの方がなんだか良い気分がした。


「ま、待って!!」


 後ろから、優璃の声が聞こえてくる。

 俺は驚いて振り返る。


「な、何だ…?」

「やっぱり、斗君の家に行かせて…」


 ああ、ただ一緒に帰るだけの良い気分がぶっ壊された。

 しかしそのお願いをする時の優璃の顔は恥ずかしそうにではなく、どこか怯えているような顔だった。


「な…なんで」

「怖いの…“今”の僕の家に帰るのが」

「今の…って」

「いや、あんなの僕の家じゃない!住所も全然違うしお父さんもお母さんも全然違うし僕は黒月優璃で…!」

「お、おい落ち着け優璃!」


 俺は怯えて耳を塞ぎ、しゃがみ込む優璃に駆け寄りそう言う。

 優璃は俺を見る。

 俺を見た優璃の顔は、子供のように泣いていた。

 大丈夫か、と声を掛けようとした瞬間、優璃は俺に抱きついて更に大声で泣き始めた。


「ちょ、おい!?ここで泣くなって勘違いされるから!」


 男の近くで女が泣いていると世間は大体男の方を悪く仕立て上げる。

 そういう原理を利用して金をむしり取る女が最近多いらしい…本当に、どうにかならないものか…いや、そんな事は関係無い。


「うっ、うぅ…ごめん斗君…本当に怖くて」

「わかったから…とりあえず俺の家で話そう」

「うん…」


 そして俺は仕方なく、優璃を自宅に招き入れる事になるのであった…。



 優璃はソファに俺と隣同士で座り、深呼吸をする。


「改めて、何があったんだ?」

「…あの後、自分の家に帰ろうと思って歩いてたら、急に知らない人達に声を掛けられて」

「何だって?!」


 俺が帰した後にそんな事があったなんて。

 とはいえ夏のあの時間帯はまだ昼と同じくらい明るいし、そんな白昼堂々誘拐犯なんて現れないと思うが…というより、よく逃げ出せたな。


「なんか僕の事を我が子だと勘違いしてるっぽくて、人違いですって言っても信じてもらえなくて…それで…無理矢理家の中に入れられて…」

「…っ」


 俺は絶句した。正直そんな事をする人間に心当たりがあったのだ。

 でもどうしてだ…?

 そんな人じゃなかったはずなのに。


「僕は逆らったら死ぬって思って、その人達の子供を演じたんだけど、稀に“違う、うちの娘はそんなじゃない”って殴られて…!」

「優璃…よく耐えたな…!」


 俺は優璃の背中を優しく摩ってやった。

 優璃の頬に出来たこの痣は、やっぱり殴られて出来たものだったのか。

 すると優璃の目からまた涙が溢れ出てきてしまい。


「本当に…怖かったんだよ…!?でも僕まだ死にたくなかった…!せっかく、ようやく好きな人と恋人同士になれたのに…!」

「あぁ…そうだな…よく頑張ったよ…!」


 優璃は俺を抱きしめ、その涙で俺の肩を濡らす。

 聞いただけでも辛いのに、それを経験してきた優璃の恐怖心は計り知れなかった。


 そんな時だった。


 ピンポーン


「ひっ…!」

「ん…誰だ」

「出ちゃだめ…!殺される…!」


 優璃は身体をガクガク振るわせ、怯える。

 誰が来たと思っているのかは容易に予想出来たが…


「いやもしかしたら違う人かもしれない、カメラだけでも見てくる」

「気をつけてね…?」

「ああ」


 そういい、俺はインターホンに備わっているカメラ機能でインターホンを押したのが誰なのかを確認する為にそれを起動させる。


「ッッッ!?」


 俺はカメラに映っている…いや、今インターホンの前に立っている人物に驚愕した。

 そこに映っていた人物は、凪葉の両親だった。

 だが、俺の知っている凪葉の両親はこんな、無理矢理貼り付けたみたいな狂った笑顔をしてインターホンを眺めるような人間では無かった。


 …実を言うと、大方予想が出来ていた。


 何故なら、優璃は凪葉と瓜二つだからだ。

 先程聞いた話だと、優璃を誘拐した人物は優璃を我が子と勘違いしていたらしい…勘違いする程に優璃と似ている人物は凪葉しか居ない。

 でも俺の知っている凪葉の両親は穏やかで優しい、理想の両親と言っても過言では無かった。

 

 それに、多分これには凪葉も関わっているだろう。

 優璃の意識を乗っ取っていた1週間の間は、凪葉の家で寝泊まりしていたのだろう。

 凪葉の両親は我が子を大切にする親で、事故で亡くなってからは精神的に病んでいたらしい。

 そんな時に凪葉と瓜二つな優璃の身体で“ただいま”なんて言ったら当然両親は“我が子が帰ってきた”と思ってしまうだろう。


 確かに昨日は明るかったとはいえ、割と遅い時間に帰してしまったから帰ってこない我が子を心配して探していたんだろう。

 そんな時に本来の人格に戻った優璃と遭遇して…という事か。


 ドンドンドンドン!!!


「ハルカくーん?うちの凪葉と一緒にいるんでしょー?開けてよー」

「思春期なのはわかるが、流石にこの時間帯までヤっているのは危ないぞー?」


 凪葉の両親は俺達が中にいる事に気付いているのか、俺の家の玄関をドンドンと叩いて誘き出そうとしている。


 …まずい!玄関の鍵、閉めてない!


 今から閉めに行くか…?いや、閉めに行ったら中に俺達がいるっていうのがバレる…!

 だけど、かと言ってこのままだもいつ入られてもおかしくない…!

 いっその事玄関開けて“居ませんよ”とでも言ってみるか…?いや、今のあの人達にまともな言葉が通じるとは思えない…!

 だって赤の他人を似てるからって我が子だと勝手に勘違いして、家に引き込んで何かが違うと殴る、しかも人の家の玄関をドンドン叩くような人間だぞ!?


「斗君…怖いよ…!」

「あぁ…俺がなんとかするから安心してくれ…!」


 なんてカッコつけて、強がってみる。

 ただでさえ怯えている優璃に、弱音なんて言えなかった。

 だけど状況は何一つ変わらない。


「反応が無いなら入っちゃうよー、ハールーカーくーん?!」

「まずいよ斗君…!中に入ってくる!」


 優璃は俺を揺らして焦らせる。

 

 ヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバい。

 考えろ…考えろ…!

 いや、考えても無駄だという事はわかっている。


 その時、玄関の扉が開かれる音がした。

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