第8話 ユリ -純粋無垢-

「おい…お前どういうつもりだよ!?」


 戦吾は俺を睨みながら、胸ぐらでも掴んできそうな勢いでそう言う。


「あの状況のまま警察署に送ってもすぐ帰されるだけだ、それに疑惑ってだけで何の証拠も無いんだし…」


 黒月優璃という少女は、3年前…いや、受験シーズンの頃だったから約2年前か?

 どっちでもいいが、その頃に、優璃はトラックの運転手に凪葉を轢くように頼んだかもしれない、という疑惑が出てきている。

 事故後のトラックの運転手の“俺は頼まれてやった”発言や頼んできた人物が中〜高校生くらいの少女だった事など、その他諸々はあるものの、決定的となる証拠が無い。


「それで何で自分の家に連れてくるって考えになるんだよ!?」


 あの後、軽くパニックになっている優璃をあの場に置いておくのは可哀想だと思い、俺は自分の家に優璃を連れてきてしまったのだ。

 しかし優璃の前で俺と戦吾が討論するとアレなので、優璃をリビングで気を休ませて、俺達は廊下でひそひそと話しているのだ。


「だって優璃の家知らねえんだもん!それに、あんなテンパってる状態であそこに置いていけないだろ」


 優璃と関わって、情が湧いてしまったか、俺は。


「…演技かもしれないのにか?」

「いや…多分あれは演技じゃない」

「根拠は?」

「あいつ、今日急に口調とか一人称を凪葉に似せてきてたんだ…なのに目が覚めたらいつもの優璃…いや、俺も知らない優璃に戻ってた」

「それはさっき言ってた…“私より黒月優璃を選ぶの”的な発言が関係してんじゃないのか?黒月優璃として接して欲しいなんて言うから、凪葉を演じるのを辞めたとか」


 何でそんな事知ってるんだよ、と思ったがよく考えれば戦吾は俺達の後をこっそり着いてきていた。

 という事は、俺達の会話も全て見て聞いていたという事である。


「あ…あの」

「ゆ、優璃…」


 つい声が大きくなってしまっていたのか、優璃がリビングの扉を開けて俺達を見つめる。


「僕、何か悪い事してしまったの…?」

「い…いや…その」

「黒月優璃、アンタは斗をナイフで殺そうとしたんだぞ」

「ちょ、戦吾…!」


 戦吾は構わず優璃に詰め寄り、そう言う。


「えぇっ!?僕がそんな事する訳ないじゃない!だって…だって斗君は…」


 優璃は戦吾が言った“自分のした事”を否定した後、顔を赤くしてもじもじし始める。


「斗は…何だよ」


 戦吾が怖い顔でそう言う。

 怯えてしまっているのか、優璃は少し沈黙した後に口を開く。


「ぼ…僕の、初恋の人なんだもん…」

「…………なぬ?」

「ほぇ?」

「はっ初恋の人を、殺す訳ないでしょ!?行き過ぎたヤンデレじゃあるまいし!」


 恥ずかしそうにそう言うと、優璃は強く扉を閉めてまたリビングに戻ってしまった。


 気まずくなった沈黙の中、戦吾はゆっくりと俺の方に顔を向ける。


「…なぁ、斗」

「なんですかね」

「あれは…本当に黒月優璃なのか?」


 それは、俺も疑問に思っている事だった。


「ああ…でも、記憶喪失って訳でも無さそうだよな」


 もし記憶喪失になったのだとしたら俺の名前はおろか、自分の名前すらもわからないはずだ。まぁ部分的な記憶障害という可能性もあるのかもしれないが。


「それに、黒月優璃がおかしくなったのも俺が気を失わせて倒れた時の衝撃だろうな…多分頭打ってたと思う」

「ホント、それで優璃が死ななくてよかったよ」

「ついでに性格も穏やかになったし結果オーライだし」

「それ、不謹慎だぞ」

「う…すまん」


 戦吾は俺に軽く頭を下げる。


 …しかし、今の優璃はどんな状態か全くもって不明である。

 俺の知っている優璃とは全くの別人だし、かといって記憶喪失という訳でも無さそうだ。


「…とりあえず、本人に聞いてみるしかないか」

「ちょ、おい…気をつけろよ」


 戦吾を廊下に残し、俺は一人、優璃のいるリビングに入る。

 そこには、ソファにちょこんと座る優璃の姿があったが、俺の姿を見た途端に顔を赤くして身体を背けた。

 

「なぁ」

「ひゃい!?」

「優璃は今…記憶喪失なのか?」

「ち…違う…とも言い切れないような…僕にもよくわからない」


 優璃は俺に背を向けたまま、何かに怯えるように曖昧な返答をする。


「どういう事だ?」

「…実は僕、ここ数日の記憶がすっぽり抜けてて」

「数日?やっぱり部分的な記憶障害か?」

「…かも、しれない」


 ここ数日の記憶が無くなった、とは言われても、それでここまで別人のようになるのか?

 俺達の年頃は大体自我というものがはっきりしている為、たった数日で性格が変わるなんて事はあり得ない…と、思う。

 逆に、こんなに穏やか…というより、ずっと何かに怯えているような弱々しい女の子が、数日で知らん男(なお俺)にグイグイ攻めていけるような女子になれるとは到底思えない。


「じゃあ、どこまでの記憶ならあるんだ?」

「えーっと…確か…夜に寝た時くらい」

「それはいつ頃?」

「うーん…大体1週間くらい前かな」


 1週間くらい前…というと、俺が優璃と出会う少し前くらいか。

 たった1週間であんなに性格って変貌するものなんだろうか。

 …いや、仮に1週間で性格を変えたとして、何で記憶障害になって戻った?

 確かに漫画とかでよく“クズが記憶喪失になって善人になる展開”はよくあるが…。


 俺はふと、優璃の言葉を思い出す。


 “私より、黒月優璃を選ぶの…?”

 “私以外の女を選ぶなんて…許さない…”


 何であの時、優璃は“黒月優璃”を別の人間みたいな言い方をしたんだ?

 もし仮に優璃が凪葉になりきり過ぎていたとして、“私より、黒月優璃を選ぶの…?”という言葉はまだわかるが、“私以外の女を選ぶなんて…許さない…”という言葉が出てくるのはおかしい。


 俺は、ある仮説を立てた。

 あり得ないものではあるとはわかってはいるが、念の為優璃に聞いてみることにした。


「優璃、1週間前まで、幽霊の声が聞こえるとかそういう現象に遭った事は無いか?」

「え?」

「まぁ…変な事言ってるのはわかってる、でも答えてくれ…無いなら無いでいいから」


 優璃は俺のイカれた質問に戸惑いながら、少し沈黙した後にその口を開いた。


「…あります」

「どんな?!」

「とは言っても、それこそ1週間前の夜だけど…夜中急に女の人の声がして」

「女の人…やっぱり」


 俺の有り得ない仮説は、徐々に固まりつつあった。

 しかし、複雑な気持ちであった。


「やっぱりって…心当たりが?」

「ああ…信じられないかもしれないが、その声の主は…俺の元カノ、凪葉だと思う」

「…やっぱりあの人、彼女だったんだ」


 優璃はボソっとそう言った。

 でも俺は、聞いていないフリをして話を続けた。


「多分だけど、凪葉は君の身体に憑依したんだ。だからその間の1週間は優璃の記憶が無いんだ…凪葉が優璃として生きていたから」

「…信じられない話だけど…それが一番有力かも」

「信じてくれてありがとう」

「こちらこそ…僕の話、聞いてくれてありがと」


 そう言うと、優璃は優しく微笑んだ。

 こんな有り得ない事を信じてくれた事が俺にとって嬉しくて、つい顔が緩んでしまう。

 安堵した空気が流れる中、リビングの扉が開かれる音がした。


「どうやら話は終わったっぽいな」


 戦吾がリビングに入ってくると、優璃は逃げるように俺の背中にピッタリと密着して隠れる。

 その身体は、震えている。


「…今の優璃は大丈夫だ」

「何か分かったのか?」


 質問をしてくる戦吾に、俺は先程優璃と話した事を話した。

 優璃が凪葉に憑依されていたかもしれない事、その間の記憶が全く無い事や、その他諸々。

 戦吾は、突然憑依などの単語が出てきた事によって混乱しているように見えたが、一応俺の話は最後まで聞いていた。


「つまり、今の黒月優璃は正真正銘“本物”って言うとアレだけど…要するにそう言う事なんだな?」

「そう言う事になる」


 ちなみに俺と戦吾が会話している間も、優璃は口を挟もうともせず、俺の背中に密着して怯えるように震えていた。

 

「だが、肝心のあの話がまだ解決してねえ」

「…あの話?」

「黒月優璃が、凪葉を轢くように仕向けたって話」

「そんな事…僕はしてない…!!」


 背後で怯えているだけだった優璃が、突然大声を上げてそう言う。


「だが、アンタ以外…!」

「僕、知り合いにトラックの運転手なんて居ないから頼めないよ…!」


 優璃は、勇気を振り絞っているかのように俺の背中に顔を埋めてそう言う。

 多分俺の背中の向こうにいる戦吾に向かって言っているのだろうが、優璃が喋るたび振動が背中に伝わるので、まるで俺が言われているかのような気分になる。


「何で凪葉を轢いたのがトラックって知ってるんだ?アレはニュースに報道されてないはず」

「だ…だって、僕…あの場に居たから」

「何だって…?!」


 俺は思わず口を挟む。

 凪葉の事故現場に、優璃も居合わせていたのか。

 もしかして、あの時事故現場を撮影してたガヤの中に優璃が居たのだろうか。


「あの時、警察とか救急車呼んだの…僕なんだよ…?」

「そう、だったのか…」

「いや待て。そもそも何であの場に居合わせていたんだ?しかもそんな手際良く…」


 その時、リビングに破裂音のような音が鳴り響く。

 その音の正体は、俺だ。

 俺は、戦吾の顔にビンタをしたのだ。

 過保護で、友達の為なら自己犠牲も問わずに尽くしてくれる…そんな“友達に居たら嬉しい奴”に、初めて苛立ちを覚えた。


「いい加減にしろ。何でそんなに優璃を疑うんだ?」

「お、俺は…」

「優璃を見ろよ!お前に対してこんなに怯えてんだぞ!」

「…」


 戦吾は俺に叩かれた頬に手を当て、俺とは目を合わせなかった。


「確かに、怯えてんのは演技で、色々疾しいところがあるのかもしれないが、何もかも疑ってたら、破滅するぞ…!」


 昔の俺がそうだった。

 小学校の時、俺は当時の性格上全く友達が作れなくて、いつも1人孤立していた。

 聞き取れないみんなの会話が怖かった。俺の悪口を言っているから俺に聞き取れないような小さい声で喋ってるんだ、と。

 俺への目線が怖かった。友達が居なくてぼっちの俺を嘲笑ってるんだ、と。

 これは疑うというより、思い込みが激しいだけであるが。

 でも、そうやって周りに対して疑っていたせいで、俺は勝手に精神的に病んでしまって、学校を長期間休んでいた事もあった。

 結局小学校の勉強内容もあまりわからないまま卒業して、中学校に入学。

 中学ではもちろん成績は悪く、運動も苦手だった為体育の成績も悪かった。

 でも戦吾と出会って、周りの目を気にしなくなって、周りの聞き取れない会話がどうでも良くなって、人を疑う事が無くなった。


「俺にそう教えてくれたのはお前だろ、戦吾…!」

「お…俺は何も」

「とにかく、ここは俺と優璃…2人きりにさせてくれ」

「ふ…2人きり…」


 背後で優璃がそう呟く。


「…分かった。黒月優璃を疑うんじゃなくて、俺はお前を信じるからな」

「それ変わってなくね?」

「黒月優璃を疑うのを辞めただけだな…じゃ、俺は退場するわ」


 そう言うと、戦吾はリビングから出ていった。

 直後、玄関の扉が開かれる音がした。

 さて、今俺の家のリビングには俺と優璃が2人きりという訳だが。


「うわぁぁぁあん!!怖かったよぉおぉおお!」


 突然優璃が俺を強く抱きしめ、涙を流して泣き叫び始めた。

 優璃は俺の背中に顔を埋めている為、涙がワイシャツに染み込み、濡れるのを感じる。


「そうだな…怖かったな」

「僕を信じてくれてありがと…斗君」

「俺を信じてくれたからな」

「…うん、そうだね」


 優璃は、涙で顔をぐちゃぐちゃになりながらも、俺に笑顔でそう言った。

 ああ、守りたいこの笑顔。


「ねぇ…こっち向いて」


 俺は言われるがまま優璃の方に身体を向ける。

 その時、俺は強く抱きしめられた。

 優璃の身体は、とても温かかった。


「ずっと…ずっとずっと前から斗君を見てた…君が1人でいる時も、あの男の人と仲良くしてる時も、あの凪葉って人と楽しそうにしてる時も」

「優璃…まさか小学の時からずっと…?!」

「うん…実は僕達、幼馴染なんだよ?君は一度も僕を認識してくれなかったけど」

「それは…ごめん。小学の時は捻くれてたし、中学は戦吾と凪葉と仲良くなったから」

「ううん、良いんだよ…斗君が楽しそうなら…って言おうと思ったけど、やっぱり…寂しかった」


 優璃は本音をぽろり、と漏らす。


「優璃…」

「君を独り占めしたいって思ったり、仲良くなりたいって思ったり、一緒に話したいって思った…僕って、酷い女だよね」

「酷くない…それは普通の事なんだ」

「…思ってた通り、優しいんだね」

「…それも、普通だ」

「じゃあ…僕が今からキスするのは?」

「それは…って、え…」


 答えようとして、今一度言われた事が変な事だったと気付いた頃、俺の唇には柔らかいものが触れていた。

 優璃は、相手の口の中に舌を入れようとも、顔を掴んで束縛するような事はせず、ただ唇を重ね合わせるだけだった。

 同じ唇なのに、仕方次第でここまで変わるのか。

 優璃の唇が俺から離れる。


「僕は悪い子だから、斗君の合意も無しにキスしちゃった…えへへ」


 優璃は俺の少々驚いているような顔を見て、悪女のように笑う…が、それはあくまで作っている顔のため、その中にある純粋な喜びや恥ずかしさが入り混じり、本人は演じきれてるのかもしれないが、こちらから見ると表情がめちゃくちゃになっていてよくわからない。

 そんな優璃を見て、俺も表情が緩む。


「斗君…大好き」

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