第2話 カスミソウ -幸福-
「ふふ、どうしたの?そんな死んだ人を見るような目して」
「…」
自分から呼び止めたくせに、俺は凪葉と瓜二つの彼女を見て硬直していた。
彼女の微笑みは、今日初めて見たはずなのに、顔がそっくりというだけで凪葉との記憶が蘇ってくる。
「大丈夫。ほらちゃんと生きてるよ」
彼女はそう言うと、硬直している俺の手を掴んで、凪葉と同じように少しだけ膨らんだ胸に当てる。
…むにゅ。
感触は、そんなに大きくないのにとても柔らかくて、温か…
「ちょぉぉおっ!…うぉぁっ!?」
凪葉と似ている似ていない関係無しに、今自分は女子高生の胸を触っているという事態に俺は驚き、掴まれている手を振り解き、彼女の胸から手を離した。
…が、振り解いた力が有り余り、昨晩雨が降っていた事もあり俺はそのまま情けなく滑って転び、尻餅を付いた。
「うふふっ、大丈夫?」
彼女は俺のギャグ漫画みたいな姿を見て、くすくすと笑うと、俺に手を差し伸べた。
「…!」
彼女はもちろん凪葉ではなく、あくまで顔と声が似ているだけの赤の他人。そんな事は分かっている。
しかし俺の目には、彼女が差し伸べてくれた手が、あの時俺を突き放した凪葉の手と同じ物に見えてしまい、あの時掴んで引き寄せられなかった未練を果たすように、その手を強く握った。
「んっ…ちょ、痛い痛い、痛いってば」
「…あ、ごめん!」
俺はその手を離す。
…そうだ、彼女は凪葉じゃない。
赤の他人を、似ているからといって元カノと同じように見てしまうなんて、いくら何でも気持ち悪すぎる。
俺は手を借りずに立ち上がり、改めて彼女の姿を見つめる。
「ちょ…そんなに見つめられると…」
彼女は恥ずかしそうに顔を赤くする。
しかし俺はそんな彼女のリアクションを無視して、ある質問をする。
「“久しぶり”って、どういう事だ?」
「え?ああ、僕が君の元カノにでも似てたのかなって思ってちょっと意地悪しちゃった」
「そ、そうだったのか…」
俺は何故か胸を撫で下ろす。
やっぱり、彼女は凪葉ではない。
自分でもわかっていたけど、頭の中で混合してしまっていたので、改めて彼女本人から違うと言って貰えるだけで、彼女は完全に別人だと割り切れる。
「僕、
「え?」
「いや、こんな面白い出会い方したのにこれっきりなんてつまらないでしょ?」
確かにこのご時世で元カノと似てたから声を掛けられた、なんて出来事は滅多に無いだろうし、俺としても凪葉と似ている人につい勢いで声を掛けてしまうだなんて思いもしなかった。
彼女…黒月優璃の言う通り、こんな面白い出会い方したのなら、今後も交流していきたいとは思う。
「…まぁ、そうかな…」
「じゃあさ!早速どこかに行かない?」
「どこかって…どこだよ」
「そうだなぁ…じゃあ、君が元カノ…凪葉と行きたかった場所…とか?」
「え…それって、どういう」
「…僕を凪葉だと思って接して良いよって事」
彼女は、俺に向かって優しく微笑んだ。
〜
それから俺たちは街のありとあらゆる場所を歩き回りながら、俺の凪葉と一緒に行きたかった場所を探した。
しかし、いざどこに行きたいかなんて考えてみると意外と思い付かないもので、結局どこにでもある有名なファストフード店でハンバーガーセットを2人で分けて食べている始末。
「ねぇ、これが凪葉としたい事?」
優璃はセットについてきたポテトを口に運びながら、不満そうにそう言ってきた。
「いや…いざどこ行きたいかって言われると意外と思いつかないというかさ」
「僕はさー、君が凪葉としたかった事を一緒にやりたいワケ。そうすれば君も未練果たせてハッピー、僕もハッピーなの」
優璃はそう言うとグレープソーダの入ったプラスチックボトルを手に取り、ストローを口に運ぶ。
「あ、それ俺が口付けた方だぞ!?」
「えっ…」
自身が今口を付けたのは俺が飲んでいたグレープソーダだと知ると、優璃はストローを口に咥えたまま呆然とする。
嫌だったのならすぐに口から離してうがいでもすれば良い、なんて思っていた矢先に優璃はわざとなのかヤケクソにでもなったのかグレープソーダをゴクゴク飲み始めた。
「お、おい…?」
「ぷはぁっ、まぁ間接キスも凪葉としたかった事だろう!?君が恥ずかしがってやらないから僕からやってあげたんだよ!うん!そうそう!」
飲み終えて喋れる状態になると優璃は言い訳をするようにペラペラと早口でそう言った。
俺とは目線を合わせずに。
「本当かよ…」
「うんうん!ほ…ほら!君も僕のコーヒー飲んで良いから!」
そう言うと、優璃はまだ中身が入っているジュースを俺の方に差し出した。
念の為中身を確認すると、確かに優璃が注文していたアイスコーヒーが入っていた。
…改めてこうして見ると、グレープソーダとアイスコーヒーの色全然違うし、わざとでもしなければ間違えるわけが無い。
「…本当にわざと間違えたのか?」
「何?もしかして女の子が口付けたストロー咥えるの恥ずかしいのぉ?」
ただの確認をする俺に、優璃は頬杖ついてニヤニヤ笑いながら煽りをしてくる。
「まぁ、素でグレープソーダとコーヒー間違えるくらいにはな」
「なっ!僕はほんとーに間違えてないからーっ!!」
俺は煽り返すと優璃はムキになり、立ち上がってテーブルを叩きながら言い返した。
…この反応を見る感じ、本当に素で間違えてたのかよ。
はいはい、と適当に返すと、俺は優璃が口を付けたストローを咥えてアイスコーヒーを飲む。
その際の優璃はというと、恥ずかしいのか顔を手で覆って俺が飲んでいる所をまともに見ていなかった。
…お前が恥ずかしがってどうする。
「はい、飲んだぞ」
俺はアイスコーヒーを差し出すと、優璃はプルプル震えた手でそれを受け取ると、ストローを咥えてアイスコーヒーをちびちび飲み始める。
そして、俺は自分のグレープソーダを取り返す。
「お前全部飲んだのかよ!!」
〜
日もすっかり落ちて、部活生も恐らく家に帰っている頃だろう。
俺達は、何でもない普通の公園のブランコになって、ゆらゆらと揺れていた。
夜に公園なんて来たのは初めてで、子供が1人も居なくて街灯があるにも関わらず薄暗い公園が、とても不気味に思えた。
「ねぇ、楽しかった?」
優璃が隣でそんな事を聞いてきた。
「まぁな」
「なら良かった。君が楽しいと思えたのなら」
「今日はありがとうな。こんな見ず知らずの男と遊んでくれて」
「なんかその言い方…僕がビッチみたいじゃないか」
「…ごめん、流石にそれはダメだな」
「へぇ、ダメだって思うんだ…そりゃそうだよね。君からすれば、元カノと同じ見た目の女子が色んな男と夜な夜な遊んでるようなものだしね」
「ま、まぁな…」
凪葉と瓜二つというだけで、あれをしてほしくないだとかこれをしてほしくないだとか言うのは、こちらの事情であって優璃からすればそんな事は知った事ではない。
だが、やはりいざ想像してみると、凪葉が夜な夜な男遊びをしているように思えて、少し気が引けた。
「まぁ気持ちはわからなくはないよ。でも安心して?僕、こういうの今回が初めてだから」
「…だろうな」
「ねぇ、連絡先交換しよ?」
そう言うと、優璃はスマホを取り出す。
なんか、優璃が俺のセフレみたいな感じになってないかこれ。
「まぁ良いけど」
俺はスマホを取り出して、お互いの連絡先を交換する。
お互い、決してやましい事を考えている訳ではないだろうが…
「フフ、ありがと…これからよろしくね?」
優璃は俺の連絡先を確認すると、嬉しそうに笑う。
黒月優璃という女が、一体どんな人間なのか、俺はまだ知る由も無かった。
◇
そして翌日、昼休みの食堂にて、凪葉と瓜二つな女子高生、黒月優璃と出会った時の事を世間話…いや、半ば相談を戦吾にする。
「…て事があったんだけど、どう思う?」
「うーん、ワンチャンあれじゃね?お前とやり直したいけど気まずいからキャラ変えて別人を装ってんじゃね?」
白米を頬張り、飲み込むと肘をついて箸を俺に向けてそう言う。
余談だが、戦吾は厳しい環境で育ったはずなのに、何故か食べる時だけ行儀が悪い。
「そんな訳ねーだろ…絶対ありえない」
「だよなー…まぁ世界には同じ顔の人が3人いるって言うしな」
「でも俺の名前も、凪葉の事も知ってた…何でか聞きそびれたけど」
「何でソコ聞かねえんだよ!てか何で俺の話題は一切出てこないんだよ!」
「知るかよ…って言いたい所だけど、確かに何で戦吾の事は何も…」
戦吾と凪葉とは中学生の時に出会った訳だが、実は戦吾と凪葉は同じ小学校で、俺を知っていて戦吾を知らないのはおかしい。
「いや待て。そもそも優璃は凪葉じゃないから別にお前知らなくても普通じゃね」
「…あ、完全に凪葉だと思って話してたわ。そうじゃん」
だとしても、何故俺と凪葉を知っているのかは未だ謎である。
連絡先を交換しているので今すぐにでも電話をかけて聞いてみたい所だが、どうも気まずい。
しかし、聞いてみない事にはわからない。
「電話、かけてみるか…?」
「お、良いんじゃね?俺もちょっと気になるし」
「いやお前部活だろ」
「え、今かけるんじゃないの?」
「放課後に決まってんだろ」
「ぴえん」
「お前は女子高生か」
その後、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り響き、お互い違うクラスなので解散する事に。
ちなみに、戦吾はまだランチセットを食べ終わっていなかったが、俺は無視して教室へと向かった。
〜
そして、待ちに待った放課後がやってきた。
とりあえず学校内で電話するのは恐らくダメだろうから、校門を出てからかけよう。
そう思い、早歩きで廊下を移動し、瞬時に外靴に履き替え、校門の外へと走って向かう。
校門を抜け、電話をかけようとスマホを取り出したその時。
「誰に電話する気?」
「うわぁあ!?」
突然耳元で囁かれ、俺は驚いて大声を出してしまう。
振り返ると、そこには俺のリアクションに大爆笑する優璃の姿があった。
「あはははは!!」
「優璃!?何で俺の学校を…!」
俺は通っている高校をまだ優璃には教えていないはずだ。
元々教えるつもりもなかったが。
優璃の着ている制服は聖芽高校指定の制服ではないから、実は聖芽高校の生徒、なんて事も無いだろう。
「ねぇ、誰に電話しようとしたの…女?」
「とぼけるな、いいから何で高校を…!」
「君こそとぼけないで…僕以外の女と関わるなんてそんなの…許されないから」
優璃は声のトーンを低くして、まるで俺を殺したい程憎んでいるように睨みつけながらそう言う。
「わかった、わかったから!…お前に電話しようとしたんだよ」
「えっ…何で?僕はここにいるのに?」
「いやいるとは思ってなかったんだよ!逆に何でここにいるんだよ!?」
何となく、俺の高校を知っている理由を話したくなさそうな気がした。
だから俺は、質問を変える事にしてみた。
「そ…それは…あ、凪葉にして欲しかった事かなって思ってさ!」
「本当かよ?」
「本当に本当!じゃ、帰ろっか?」
結局、返答は俺の求めているものでは無かった。
俺は、凪葉を使い勝手のいい言い訳として使われているような気がして、少しだけ嫌な気分になる。
しかし優璃…クールキャラなのかツンデレなのか、はてまたヤンデレなのかキャラをはっきりしなさいよ。
そんなくだらない事で優璃に対する疑心を誤魔化して、優璃と下校する事にした。
「なぁ、優璃は何で俺の事知ってたんだ?」
「ん?」
俺は道中、そんな事を問う。
凪葉に関しては、正直言うと俺が初めて会った時にその名を口にしたからと言えるが、優璃は俺が自己紹介する前から斗という名前を言い当てている。
という事は、優璃は凪葉を知っているのではなく、俺を知っていたという事になる。
「ほら。俺と初めて会った時“久しぶり、ハルカ”って言ってただろ?あの時俺名前教える前だったよな」
「…ずっと、君を見てたから………かな」
「は…?ずっと…って、どういう」
ずっと俺を見ていた、という謎な返答に、俺は困惑する。
“ずっと”というのはどれくらいの期間なのだろうか?
「まぁなんだっていいじゃない?さて、今日はどこに行く?」
「今日もどこか行くのか!?」
「え…僕と一緒なの…嫌?」
優璃はとても悲しそうな顔でそう言う。
しかし、今日はどうしてもどこにも行けない理由があるのだ。
それは。
「ごめん、今日金無い」
いつもなら親がお金を置いていってくれるのだが、今日は急いでいたのか置かれておらず、実は昼に何も食べていないのだ。
「じゃあ…ハルカの家に…行こ?」
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