君は元カノと瓜二つだが、俺は素直に好きになれない。

枝乃チマ

第1章 常夏編

第1話 スズラン -再び幸せが訪れる-

「さよなら」


 彼女は別れ際にそう言った…ような気がした。

 下手をすれば、大好きな人と最後の会話かもしれないというのに、俺はただ地面に尻餅をついたまま動けなかった。

 周りから見れば、女の子に力一杯押し倒された男子…という構図だ。

 街中でそんな失恋ドラマみたいな出来事が起きたのなら、当然ガヤは寄ってくる。

 多分撮影もされただろうし、それをSNSに投稿もされるだろう。


「君!大丈夫かい!?」


 警察もやってきた。

 ショックで言葉の出なかった俺は、ひとまず交番で事情聴取される事になった。

 …とはいえ、俺は俯いたまま何も喋る事ができなかった。

 そんな俺を見て心配してくれたのか、警察の人はパトカーでわざわざ自宅まで送ってくれた。


 パトカーに乗ったのなんて、初めてだった。

 まるで、逮捕されたような気分だった。


「…何で俺の住所知ってるんですか」

「お、ようやく喋ってくれたね。だって君、俺の息子の友達の霜木斗しものぎはるか君だろ?」


 警察の人はこちらに見向きもせずパトカーを運転しながら、相変わらず親しくそう言ってきた。

 霜木斗、それは俺の名前だった。

 今の話を聞く限り、この警察の人はどうやら俺の友達の父親らしい。

 しかし、俺には誰の父親なのかはすぐにわかった。

 俺の友達はそこまで多い訳ではないし、更に言って仕舞えば、俺の家を知っている友達なんて、1人しかいない。


「…枢木くるるぎ戦吾せんご

「そうそう、戦吾の父親。よくわかったね」

「戦吾しか俺の家、知りませんから」

「そっか」


 枢木戦吾。

 中学1年の時に同じ班になったのをきっかけに、仲良くなった仲である。

 特にイケメンという訳でもないのに何故か友達も寄ってくる女も多く、所謂陽キャ…というヤツなのかもしれない。


 しかしこんな、見事に対になっている俺と戦吾は、どうして仲良くなれたのだろう。


 よく周り…主に戦吾から“お前は自分を過小評価し過ぎ”と言われるが、俺は所謂陰キャというヤツで、大勢で連むのは好きじゃないし、大勢で連んでいるヤツらも好きじゃない。

 オマケに、自分から人に話しかける事が苦手で、そのせいで友達もロクに出来たことがない。

 …あと、顔もそんなに良い訳じゃないし。


「…はい到着。確か斗君の親は共働きで夜まで家にいないんだろう?」

「大丈夫です。もう慣れてますし、今は1人の方が良いです」

「そっか…親が居ない事に慣れちゃうなんて、悲しいな」

「そうでもないですよ」


 そう言うと、俺は会話を断ち切るようにパトカーの扉を勢いよく閉めて、礼も言わずに玄関を開けて、真っ暗な家の中へと消えていった。


「…そういうところが、悲しいんだよ。寂しいもロクに言えないなんて…」


 戦吾の父親はそう言うと、パトカーを走らせた。

 俺にその声は、届かなかった。


 家に帰り照明をつけると、俺は制服を脱ぎ捨て、そのまま自分の部屋のある二階へと駆け上がる。

 自分の部屋のベッドに潜り込むと、俺は現実から逃れる為に目を瞑った。


「合格発表の矢先にこれかよ…」


 俺は布団の中で、本音をぽつりと呟いた。


 〜


 あれから数年、俺は高校2年生となった。

 季節は夏で、そろそろ夏休みに入る頃である。

 とはいえ、学園モノのように晴々しい高校生活、という訳では無かったが。


 俺は相変わらず陰鬱な雰囲気を辺りに撒き散らし、人を寄せ付けなかった。

 しかし稀にそんな雰囲気を破って俺に関わってくる奴らが居る。

 …俺の苦手なタイプの、高校デビューか何かは知らないが、成績も悪いし素行も悪い、所謂イキリヤンキー集団だ。


「おい陰キャ、こんな陰気くさい雰囲気撒き散らして、一匹狼の俺カッコいいとか思ってんの?」


 俺の肩を肘置きにして、そんな事を言ってくる。

 こういうタイプは本当にめんどくさい。

 黙ってりゃ調子乗るし、言い返せば数の暴力。

 仮に俺に力があったとして、やり返そうものなら被害者面して俺が退学を喰らうだろう。

 どう対処しろっていうんだ。


「陰キャは学校来んじゃねーよクソぼっちが!」

「おめーらが来んじゃねーよクソイキリ共」


 そんな誰も刃向かおうとしないイキリ集団に、俺を助ける為かカッコつける為かは知らないが、そんな声が聞こえてきた。


「あ?」

「ぼっちだけに絡んで、ヤンキーしてる俺らカッコいいとか思ってんの?ハッ、仲間が居なけりゃ何も出来ねーくせによ」


 全くもってその通りでございます。


「何だお前調子乗んなよ」


 図星を突かれた(笑)のかイキリ共はその声の主に集団で寄って集る。


「ぼっち助けてカッコつけてんじゃねーぞコラァ!」

「きゃーせんせーたすけてー!」


 胸ぐらを掴まれた声の主がそう叫ぶと、隠れていた先生がぞろぞろ現れた。

 …その後イキリ集団がどうなったかは知らないが、それ以降俺にウザ絡みしてくる事は無くなったどころか、見かけもしなくなった。


「大丈夫か斗」

「ありがとう戦吾、作戦通りだったな」


 俺は肩を叩きながらそう言う。

 そう、これはあのイキリ集団を退学させる為に先生と戦吾と俺で考えた計画だったのだ。

 普通の人ならばこれで退学はあり得ないのだが、イキリ集団は素行も悪かったし、学校の外でも度々問題行動を起こしていた。

 更に今回の件で遂に生徒に暴行未遂をした事により、退学を決定させたのだ。


「ああ。あいつら単細胞だからなー、まぁあの調子なら退学だろ」

「だといいけど…にしても戦吾が同じ学校で本当良かった」

「ああ、実は俺もこの学校でまだ友達1人も出来てねーんだ」

「意外、お前ならもう既に彼女くらい居るもんかと」

「出来ない出来ない、あんなクソビッチみたいな奴らを彼女にするなんて無理無理」


 戦吾は勢いよく首と手を横に振る。

 その仕草で、心の底から本当に嫌なんだな、というのが伝わってくる。

 …いや待て、そもそも彼女にするのが嫌、とか選択できる時点で、俺に対する嫌味なのでは?まぁいいでしょう。


「いや皆んながみんなそうって訳じゃないだろうけど…」


 俺達の通う学校…聖芽せいが高校は、偏差値は普通だが、生徒に関して男子はヤンキーとヤリチンばかり、女子はヤリマンビッチばかり…と、あまり良い噂は無い。

 そんな学校に何故俺達が来たのかというと、単に成績がヤバかったからである。


「でももしかしたら可愛いヤリマンも居るかもしれないだろー?!」

「あんま大声でそんな単語言うなよ」


 俺がそう言うと、戦吾ははっとして辺りを見渡す。

 戦吾が俺を助けたからなのか、戦吾があまり大声で言うもんじゃない単語を言ったからなのかはわからないが、周りにいた生徒達はみんな俺達を見ていた。


 みんな、見てる…?


 さよなら。さよなら。さよなら。さよなら。

 そんな声が、頭の中でエコーが掛かったように響き渡り、俺は頭を…いや、耳を手で塞ぐ。


「やめろ…」


 さよならさよならさよならさよなら。

 さよならさよならさよならさよならさよならさよならさよならさよならさよなら。


 …ハルカ、ばいばい。


「やめろぉぉぉァァァァァァ!!!!」

「お、おい!?どうした斗!?」


 戦吾は、突然叫びだす俺に呼びかけるが、それに返答する俺にはそんな余裕は無かった。

 思い出したくもない事を思い出してしまう。

 俺は床に倒れ、数秒悶え苦しんだ後に気を失った。


 〜


 気がつくと、俺はぐっしょり濡れたベッドに横たわっていた。

 この天井は…いや、知らない訳ではないが、天井の模様だけでここがどこなのかはわからない。

 しかし、微かな薬品の匂いと外界とはまるで別世界のような静寂、そして俺が寝ていたであろうこのベッド…。

 これだけ条件が揃えば、ここが保健室だということがわかる。


「目ぇ覚ましたか斗!?」


 ふと、横からそんな声が聞こえてくる。

 声のした方を見ると、そこには心配そうにこちらを見つめる戦吾がいた。

 …いや、お前は学園モノのヒロインかよ。あんま知らないけど。


「何ともないよな、な?」

「無いよ…ちょっと頭痛いだけ」

「よかった…お前が居なくなったら俺、学校で孤独死しちまうよ」

「お前は兎か」

「ラビットです」

「…いや同じじゃねーか」


 俺は兎とラビットが同じ物だと瞬時に把握すると、そう返す。


「へっ、俺のボケをその速度で返せんなら平気だな」


 戦吾は腰に手を当てて、笑顔でそう言う。

 俺にはわかる。その笑顔の中に安堵が入り混じっていた事を。


「にしても、大変だったんだぜ?急に発狂して、ぶっ倒れたお前をここまで運んできたんだからよー、でもお前全然起きねーからマジで心配したんだぜ?」


 溜まっていた事を吐き出すかのように、戦吾のマシンガントークが始まった。

 彼の言った長文を要約すると、要するに“お前をずっと心配してた”…である。


「…ありがとな」

「友達だしな!とーぜんとーぜん!」

「…はぁ」


 俺はふと、ため息を吐いてしまう。

 その瞬間を、戦吾は見逃さなかったらしく、


「…まだ忘れられねーか、あの事」


 …そう、言った。

 あの事とは、合格発表の日に当時の彼女…椎名しいな凪葉なぎはと別れてしまった事である。


 それはあまりにも突然過ぎて、しかもその光景をかなりの数の人間に見られてしまっていたこともあり、それが心に深く刻み込まれてしまっているのだ。

 その影響で、周りの人間が自分に注目している光景を見ると、その事を思い出してしまう。

 半ば、トラウマのような物だ。


「でも不思議だよな。斗と凪葉、結構お似合いだと思ってたんだけどな…」

「おかしいとは思ってたんだ…こんなE級ブスを好きになるなんて」

「E級ブスて…顔は関係ないぞ!俺だって顔良くないけどモテてた時期あったぞ!」

「そうだな」


 俺はわざと大きな声で、かつ戦吾の目を見つめてそう言う。


「キッパリ言うなよ!…まぁ、少なくとも俺から言えるのは、凪葉は確かにお前の事大好きだったぞ」

「…だと良いけどな」

「あんな可愛い子から振られたのは確かに辛いかもしれねえ。でもそれを振り切って、前向かなきゃダメだぞ」

「…だな」

「…じゃ、帰るぞ」

「え?」

「いや…もう放課後だし」


 俺は急いでベッドから抜け出し、壁にかけられている時計を確認する。

 時刻はもう既に17時を過ぎていた。


「マジかよ…!」


 今の季節は夏。

 夏は日落ちが遅く、18時くらいまで割と明るい為時間感覚が狂う。

 そうと決まればと、俺は保健室から出て教室に向かおうとするが。


「待て斗!お前の鞄なら持ってきてるぞ!」

「先に言えよ!」


 俺はある程度保健室から離れたところからそう言い、戦吾の元へ駆けて行った。



 まだ明るい街中を、俺と戦吾は2人で歩く。


「いやー、斗とこうして帰るの中学以来だなー」

「高校になってから俺は部活しなくなったし、戦吾は部活やってるもんな…って、お前部活は!?」


 この時間は本来であればまだ部活をしている時間のはずだ。


「え、休んだけど」

「休めるのかよ…お前の部活」

「いやお前部活を何だと思ってんだよ…何なら何も言わずにバックれる奴もいるくらいだぜ?」

「さすがウチの高校…そう言う不真面目なやつは居るんだな…」

「な。本当に何の為の部活なんだか」


 今この場で呑気に歩いて帰っているお前じゃ、説得力がないけどな。と、心の中で思う。

 しかし、こうして一緒に帰っても意外にも懐かしさみたいなものは感じないものなんだな。

 戦吾が中学の時から変わらなすぎるからあの時と同じ感覚なだけなのだろうか。

 …いや、あの時と同じ感覚というのが懐かしく感じるものなんじゃないのか?


「あ、なぁ、立ち読みしていこーぜ」


 戦吾の指差す先には、本屋があった。

 

「いや…俺帰ってゲームしたいし」

「なんだよつれねぇな…じゃあまたな」

「1人でもするのかよ!?」

「当たり前だろ、部活休んだって親が知ったらブチギレられるだろうし。かと言って金も無いから立ち読みで時間潰すしかねえんだわ」

「卑しい奴…じゃあまた明日な」

「いや付き合ってくんねーのかよ!?」

「じゃーなー」


 俺は戦吾に背を向けて、戦吾の中身も悪意もなさすぎる悪口を背中に受けながらそれを無視して家へと向かった。


 道中、戦吾に言われたある一言が頭に引っかかり、俺は足を止める。


“あんな可愛い子から振られたのは確かに辛いかもしれねえ。でもそれを振り切って、前向かなきゃダメだぞ”


「わかってる…」


 俺は1人、そう呟いて深呼吸をする。

 いつもなら俺はこの道をわざと曲がって遠回りする。

 その理由は、この先をまっすぐ行くと、凪葉と別れてしまったあの場所に行ってしまうからだ。

 普通の人からしたら普通の道なのだが、俺はあれ以来そこを通るのが怖くなってしまった。

 でも、そろそろ克服しないと。

 そう思い、約2年ぶりにその道に足を踏み入れた。


「うぅ…っ」

 

 この道を進む事を拒否しているのか、身体が突然重くなったような感覚に陥り、更に急に瞼が重くなり、不可抗力で目を瞑ってしまう。


 目を瞑りながら歩いているので周りがどうなっているかはわからないが、もし通行人が居たのなら俺はきっと変な目で見られているのだろう。

 だって普通の人からしたら、こんなただの道で男子高校生が目を瞑って苦しみながら歩いているのだから。


 苦しみに耐えながら歩き進むと、突然瞼が軽くなり、目を開ける。


 目の前に広がる光景。

 あの時俺が尻餅をついていた位置に今、俺が立っていた。


「意外と…なんでもないな」


 地面を見つめてそう言いながら、その場で足踏みをする。

 まるで、数年前にここに尻餅を付いていた自分を踏み殺すかのように。


 そんな時だった。

 懐かしくて大好きだった匂いが、俺の横を通り過ぎて行った。

 俺は驚いて後ろを振り返る。


「ち、ちょっと待って!!」


 俺は横切って行った人をつい呼び止めてしまう。

 ナンパだと勘違いされてしまうかもしれないし、下手をすれば警察にお世話になってしまうかもしれない。

 でも、似ていた。似ているどころではない。

 

 俺が呼び止めた人の後ろ姿は、着ている制服は違えど、俺の知っている人と全く同じだった。

 別れてしまった人と顔を合わせるのは、とても気まずいのはわかるけど…。


「フフ、待ってたよ…ずっと」

「え…?」


 俺が呼び止めた女子高生は、そういうとこちらに振り返り、その顔を俺に晒す。

 俺は驚きのあまり、硬直してしまう。


 なんで。なんでなんだ。どうして。


「ウフフ、キミが僕を呼び止めたくせに」


 そういうと、女子高生は優しく微笑みながらこちらに歩み寄ってくる。

 俺の知っている人はボクっ娘ではないし、そんな口調でもない。

 それなのに…それなのに。

 顔も声も同じだ…。

 ありえない…絶対的にただ似ているだけの別人なのに、今、俺の目の前には。


「凪…葉…?」

「…久しぶり、ハルカ」


 確かに、凪葉が居た。

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