5-4 アイアムアジェイケー

「かくかくしかじか、というわけだ」


「ついに狂ったんか?」


 帰宅するや否や卯月から狂人扱いを受ける。


「ついにって何だよ。まるでそういう兆候があったみたいじゃないか」


「なくもなかったと思うけど。てか私服? 今日休みだったの?」


「昨日言ったろ、休みだって」


「あれ、そだっけ。もっと遅くなると思ってたからご飯まだ作ってないよ?」


 時刻は七時過ぎで、仕事がある日の俺の帰宅時間から考えると無理もなかった。


「……そうだなぁ、たまにはどっか食いに行くか」


「マジ!? じゃあ高級焼肉!」


「この田舎町にそんなものはない」


「高級寿司!」


「それはあるが、そんな金はない」


「じゃあ大輔はしめ鯖だけ食ってればいいよ。私ウニとかいくら食うから」


「うるせぇ、おまえはハンバーグ寿司でも食ってろ」


「望むところだ」


 望むのか……まあ好きそうではあるが。

 ていうか何だ、この中身のなさすぎる会話は。

 けど、こういうのがいい。

 ずっとこんなアホみたいな話だけできれば、それは幸せなことだろう。


 だが、そういうわけにもいかない。


「……あー、落ち着いて聞いてほしい。今からメチャクチャ真面目な話をする」


「朝勃ちしてた件について?」


 一発殴ろうかな、こいつ。


「今日、おまえの家に行ってきた」


「…………」


 卯月のヘラヘラしてた顔が、一瞬で無の表情へと変わる。


「……まず、おまえに黙って行動したことを謝る」


「……うん、それは別にいいよ。気を遣ってくれたんでしょ? でも、私に隠してたのに話すってことは、話さなきゃいけないようなことが起きたんだ」


 察しがいい。

 卯月はアホだがバカではない。


「結論から言うと、おまえを家に戻したいらしい」


 俺の言葉も想定の範囲内だったのか、卯月は取り乱すこともなく無表情のままだった。感情が読めない。


「そう。で?」


「絶対に戻さないって言ってやった」


 これは予想外だったのか、卯月は目を大きく見開いた。

 その目に涙が溜まっていき、えへえへと泣きながら笑い出した。か、感情が読めない……。


「ど、どういう感情なんだ、その泣き笑いは」


「……んー、すっごく嬉しい」


 ……それなら、ひとまずは良かった。


「でも、向こうが何がなんでもおまえを連れ戻すって言ったら拒否はできない。それは分かるな?」


 卯月がこくりと頷く。


「その場しのぎではあったけど、少し時間をもらえるように言ってきた。……その上で、いくつかおまえの意思を確認したい」


「……意思?」


「ああ。まず、おまえの親についてだ。……今までのおまえとの関係や、おまえにしてきた対応について後悔して、反省していると。謝りたい、やり直したい。そう言ってる。おまえはあの人たちのことを許して、受け入れられるか?」


「……無理だね、そもそもそんなの信じられない」


 だろうな。予想通りの回答ではある。


「向こうの肩を持つわけじゃないが、俺が見た感じだと本心ではあると思う。おまえ次第では、親子関係の修復はできるかもしれない」


「……大輔は、そうした方がいいって思ってるってこと?」


「んなこと一ミリも言ってない。おまえの意思を確認したいだけだ」


「……やだ。私は修復なんかしたくない。一生他人でいいよ、あの人たちとは」


 伊織さんが聞いたら泣きそうだな。

 ここまで壊れきってる関係なら、仕方がないだろうが。


「分かった。じゃあ確認その二だ。俺たちの意思とは関係なしに、おまえは強制的に家に戻されることになるかもしれない。……そうなっても、やってけそうか?」


「…………」


 卯月が視線を床に落とし、考え込む。

 これについては流石にすぐには答えられないらしい。


「……やっては……いけると思うけど……」


 おずおずと視線を上げて、恐る恐るといった様子で俺の顔を覗き込んでくる。


「もしそうなるなら、心の拠り所が欲しい……かな……」


 ……俺にそれを求めるのか、おまえは。

 本当は卯月から向けられる好意に気づいていた。気づかないふりをしていた。気づいてはいけないと思っていた。


 年齢差があるからとか、従姉妹だからとか、そういう理由もあるが、それ以上に。


 俺はこいつのことを恋愛対象としては見れていないからだ。結果として、それは卯月を傷つけることになってしまうから、その好意には気づかないふりをしていた。


 だけど、それももう限界か。


「……大輔が、私のことを、ずっと、離れていてもずっと……大事にしてくれるなら、頑張れる、と思う」


「…………」


 大事にするよ。妹のように。家族のように。

 そんな言葉は、卯月が求めているものと違うことは理解している。


 ……これもまた。

 卯月のために、必要なことか。


「……分かった、おまえのこと、ずっと大事にする」


「わっ……あわわ……」


 その小柄な体を抱き寄せると、卯月は驚きと恥じらいが入り混じった声を漏らした。


 これは人として許されないことかもしれない。きっと最悪で、最低だ。女心を弄ぶ極悪人のそしりを免れないだろう。優ちゃんとか皐月ちゃんにバレたら刺されるかもしれない。


「……そ、それはその、あ、あの、ひ、一人の女の子として大事にしてくれると、そういうことで?」


 腕の中で、卯月がもじもじと上目遣いで聞いてくる。


「ああ」


「……ロリコン?」


 マジ殴りたいこいつ。


「十歳差なんて社会に出れば普通だ」


「アイアムアジェイケー、訳すと私は女子高生ですって意味なんだけど、それって条例的にやばくない?」


 一気に犯罪臭が増すからマジでやめろ。


「ああ、だからおまえが高校を卒業するまではプラトニックな関係を維持する」


「そ、それはどのくらいプラトニックなので?」


「キスとかしないし、手も繋がない」


「ええええ!? いや、でもでも、今こんな密着してんじゃん!?」


「ああ、だけど絶対に手は繋がないんだ。二人で並んで歩くときは小指だけ繋ごうな」


「それどんな関係!?」


 こうして俺たちはこの日から恋人同士になった。

 嘘で塗り固めた歪な関係だ。我ながら誠実さのかけらもなく、ひどいことをしていると思う。

 けれど、それで卯月がこれからの苦難に立ち向かうことができるようになるのであれば。


 それでいいと、俺はそう思う。

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