5-3 家族Ⅱ
約束の時間になる。
卯月の実家の呼び鈴を鳴らすと、伊織さんに出迎えられた。
「いらっしゃい。……わざわざごめんなさいね、来てくれてありがとう」
どこかばつの悪そうな、神妙な面持ちだった。
これから話す内容を考えれば、それはそうだろう。
「どうも。お邪魔します」
一礼して、玄関に上がる。
居間に通されると、既に叔父さんと皐月ちゃんが並んで座って待っていた。二人とも揃って先ほどの伊織さんと同じような表情をしている。釣られてこちらまで何だか気まずくなってくる。
「……大輔くん、この家のことで君を振り回して、重ね重ね申し訳なく思う」
叔父さんが深々と頭を下げてくる。
それを見て、皐月ちゃんも同じように頭を下げた。
……正直、不愉快だなと思う。少なくとも皐月ちゃんが頭を下げる必要はないだろう。
「……頭を下げられても困ります」
「……そうか、そうだな、すまない。良かったら座ってくれ」
伊織さんが叔父さんとテーブルを挟んで対面に位置する場所にクッションを置いてくれる。
「失礼します」
軽く会釈をし、設置されたクッションの上に正座する。
「結論から言うと、卯月をこの家に戻したいと考えている」
随分と単刀直入に来たな。
うちの母親にこの話をしていたときにはまだどうするか決めかねていたようだが、この数日で方針が固まったということだろう。
「……ええ、それは俺に拒否権がある話でもないですから、そうしたいと言うならそうすればいいでしょう」
事実、その通りだ。
親権が失われてるわけでもない。現状の生活は、あくまで親権者の合意の上で成り立っている。娘を返せと言われてしまえば何も言い返すことはできない。
「……意外だな。そんなにすんなり受け入れてくれるとは正直思っていなかった」
叔父さんが訝しげに眉間にしわを寄せる。
「こんな話、俺が何を言おうが無意味でしょう。結局のところ決定権はあなたたちにある」
「だとしても、何か言いたいことがあるなら遠慮なく言ってほしい」
「では、何故今になって卯月を戻そうとするんです?」
「……妻が、離れてみてようやく卯月の大切さに気がついた。卯月にこれまでのことを謝罪して、失った時間を取り戻したいと、そう言っている」
横目で伊織さんの方を見ると、顔を伏せて肩を震わせていた。まあ、おそらくは本心なのだろう。
「……皐月ちゃんは?」
「えっ、さ、皐月?」
俺から話を振られると思っていなかったのだろう、皐月ちゃんが目を丸くする。
「この話についての意見があれば。自分の気持ちのことでもいいけど」
「さ、皐月は……そりゃおネエが戻ってきてくれたら、嬉しいけど……」
「けど?」
皐月ちゃんはチラッと父親の顔を横目で見て、それから顔を伏せた。
「…………ううん、それだけ、何でもない」
何か言葉を飲み込んだな。
余計なことは言うなと叔父さんに釘を刺されているか。
「けど、卯月は戻りたくないんじゃないかって、そう言おうとしたんじゃないか?」
皐月ちゃんの目が大きく見開いた。当てずっぽうだったが、どうやら図星だったようだ。
「……俺がどうしてこの場に卯月を連れてこなかったか分かりますか?」
「卯月を気遣ってくれたのだろう。……感謝する」
「ええ、正直言ってあいつは親の顔も見たくないと思ってるでしょうから」
「…………」
「そんなあいつを連れ戻すって言うなら、どうぞご自由に。最初から言ってる通り、俺にも卯月にも拒否権があるわけじゃないですから、そうしたいならすればいい」
「……すまない、君には迷惑をかけた。これからは我々が責任を持って卯月と、家族として生きていこうと思う」
「…………」
何かもう、面倒くさくなってきた。
言葉を選ぶのが、面倒くさい。
「絶対上手くいかないけどな」
俺が吐き捨てた言葉に、叔父さんが目を細めた。
「何故そう思う?」
「それすら分かってないからですよ。あなたは卯月の気持ちを考えていない」
「……考えたつもりだ、これでも。私たちはたしかにあの子にとって良くない親だった。だが、それでも血の繋がった家族だ。最初はぎこちなくもなるだろう。だが、時間をかければ失った時間を取り戻せるだろう思っている」
何だ。何だそれは。
胸がむかむかする。
吐きそうだ。
頭に血が上るのを抑えられない。
「その家族関係はもうとっくに修復不可能なくらいに破綻してるんですよ。あんたたちが今まであいつの気持ちを考えてこなかったからだ。家族だ? 血の繋がりだ? 血が繋がってれば自動的に家族になれるのか? 邪魔になったから家を追い出しておいて、今度は家族になりたいから戻ってこい?」
拳を握りしめる。手のひらに深々と爪が食い込むが、カッとなりすぎていて痛みも感じなかった。
「ふざけるな。家族だ? 物だろ。あんたたちはあいつのことを今まで物みたいに扱ってきただろ。この家に戻ったところで腫れ物だ。それであいつが幸せになれるはずがない。……前言撤回だ、あいつは絶対この家には帰さない」
それだけ吐き捨てて、立ち上がる。
「それが認められることではないと、君にも分かっているだろう」
……感情に任せて悪手を打った。自分を殴ってやりたい。
「……分かっていますよ。でも、あなたたちに親の心が本当にあるなら、この話は少し待ってください。あなたたちだって、嫌がる卯月を無理矢理この家に戻すのは本意じゃないでしょう?」
「……だが、そうでもしないと卯月はこの家に戻ってこないだろう」
嫌われてる自覚はあるんだな。
それなのに、強制的にでも卯月を戻そうとするのはどうしてだ? ああ、家族に戻りたいからか。なるほど、これは一方的な片思いなわけだ。それも厄介な片思いだ。
「今さら失礼も何もないと思うのでこの際はっきり言いますけど、歪んでるんですよ。あなたたちが今さら家族に戻りたいっていうこと自体が。例えるならいじめっ子がいじめてた相手に対して今までごめんね仲直りしようって言ってるようなもんです。そんなのが本当に上手くいくと思ってるんですか?」
「…………」
今度は叔父さんも言い返してこなかった。
「……だから、この件は時間が必要なんです。今日家に戻ったら、このことは卯月にも俺の口から話します。その上で卯月がこの家に戻ってもいいと、あなたたちを許すと言うなら、俺もそれ以上は口を出しません」
「……分かった、そうしてくれ。今日は本当にすまなかった」
「……いえ、こちらこそ言葉が過ぎました。申し訳ありませんでした」
互いに頭を下げ合い、俺はその場を後にした。
見送りに俺と一緒に家を出た伊織さんが深々と頭を下げてきた。
「……すみません、言い過ぎました」
こちらも改めて謝罪の言葉を口にする。
「ううん、いいのよ。……あなたは卯月のことを本当に大切に思ってくれていて……きっと、ええ、私たちよりもずっと大切に思ってくれてるから……それが伝わってきたわ」
「そんな大層なもんじゃないですよ。叔父さんの物言いに腹が立って当たり散らしただけです。……それじゃあ、また」
それだけ言って車に乗り込み、すぐには帰る気にもなれなかったので近くのコンビニに車を止めて脱力した。
疲れた。人生で一番疲れたかもしれない。
で、帰ったらこの件を卯月にも話さないといけないのか。疲れたからまた今度……ってわけにもいかないよな。
こんなとき、タバコでも吸えれば気分転換になるのだろうか。そんな思いつきから目の前のコンビニで人生初めてのタバコを買って吸ってはみたが、煙が肺に入って咽せるは味は不味いはで余計にげんなりとするはめになった。
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